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自己物語探究の旅(10)

     久しぶりの原稿に向き合いつつ、(8)での「大阪北部地震」、(9)での「西日本豪雨」に続いて、今回は自身も被災者の一人となった「北海道胆振東部地震」について書かねばならないことに、運命めいたものを感じています。まずは紋切りながら、亡くなった尊い命に哀悼の意を捧げ、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 2018年9月6日3時8分。最大震度7の揺れが北の大地を襲いました。当方が住む札幌市北区は震度5強。家族三人で布団に入っていましたが、有難いことに娘は目を覚まさず、揺れが収まってから夫婦で被害状況を確認したところ、書斎の本棚の一部が倒れただけでした。水道とガスが使えましたので、食事に困ることはありませんでしたが、30時間続いた停電には強い不安を覚えました。ライフラインの全てが失われた人達も多くいた中、比較的穏やかに過ごせたことは幸運なことでした。それでも震災の恐ろしさをかみしめるには、十分な機会であったように感じます。

 内山節の文章を引きつつ「自然への畏敬の念を忘れた私たちの文明の罪深さ」などと前回の記事に書いたのでしたが、実際に震災を経験し、全く電気の使えない状況に直面して初めて、いかに自身の生活が電力に依存していたのかを知ることとなりました。にもかかわらず、あれからまだ3週間も経っていないのに、震災前と何も変わらない生活を甘受していることに違和を感じつつ、何もせずに流されている自分がいます。「何も変わらない」ことの切なさを3・11以降の時間の中で様々に味わい尽くしてきた果てに、それを自ら証明してしまうとは…。何とも言葉が見つかりません。

 正直に言えば、泊原発の再稼働に反対しておきながら、不足分の電力がどのように融通されているのかについて知ろうともしていなかった自分がいます。今回震源近くで大きな被害を受けた厚真火力発電所についても、恥ずかしながら存在すら知らなかったというのが事実です。北海道全域がブラックアウト(電源喪失)などという「想定外」の状況にもかかわらず、「きっと何とかなる」と根拠のない期待しか持てなかった無力さ…。もちろん、あの状況下においては知り得なかったことばかりだったのでしょうし、事実が分かったとしても電力復旧に直接寄与できたわけではありません。ともあれ、現代文明の脆弱さを露呈したアクシデントであったことは間違いないでしょう。

 自然エネルギーの利活用を進め、オフグリッドで自前の電源を持つという在り方も知っていましたし、高い関心を寄せていました。しかし「自分さえ良ければ」という問題でもなく、やはりエネルギー依存に関する根本的な課題に向き合うことなしに、この「文明の災禍」を乗り越えることは不可能なのでしょう。田中優氏(「未来バンク事業組合」理事長)は3・11から2年後に出版した著作において、次の様に発言していました。

(以下引用:前略)
 私たちにはもっと強く、「もうひとつの未来」をイメージできる力が必要だ。それを今やメディアに頼らなくても伝達できるツールになったインターネット、フェイスブックやツイッターなどのSNSを使って伝達しよう。いまやメディアは市民メディアを後追いする存在になっているのだから、市民が先行してすすめてしまえばいい。
 私は誰かがヒーローのように社会を変えるのは望まない。それはファシズムのようになってしまうからだ。そうではなく、みんながそれぞれの足で立ってネットワークして社会を変えていくほうがいい。誰かの力ではなく、みんなそれぞれの個性で。それが次の社会のフットワークになるといい。
 社会は誰かの力で変えられてしまうものではなく、のろまでも人々の納得づくで変化すべきものだ。性急な一部の人の変化では、それは反動によって必ず揺り戻されてしまうのだろう。今生きている私たちの社会は、エネルギーの民主主義を実現する、大きな変革期にある。その時代をどう生きるか、それが今、問われている。
~『子どもたちの未来を創るエネルギー』
  第8章「もうひとつの未来」結語p.129~
(引用以上)

 田中氏の上記著作が2013年の出版です。それからすでに5年が経過し、電力自由化も実現して、少しずつ「エネルギーの民主主義」の在り様が変化しているのも確かです。しかし、その歩みはあまりに遅く、人々の意識改革が進んでいるとは言い難いのではないでしょうか。北海道における大規模停電を経験した私としては、この震災を機に、改めてこの国に生きる一人ひとりが生活を見直し、多くの知恵を集め、災害に強く持続可能な社会の実現に、大きく歩みを進めなければならないと強く感じています。今こそ「何も変わらない」との諦念を捨て、次世代のためにやれることをやる時なのだと想いを新たにしているところです。

 例年9月は、3・11から半年と9・11米同時多発テロが重なるため、深く平和について考える月です。7年前には旧連載(「音楽・平和・学び合い」8)で、10年目となる9・11に重ねて平和への願いを綴りました。今回は、その1年後(2012年)に書いた私的エッセイ(当事者研究)を紹介します。体調を崩し、一人家で休みつつ書き留めた言葉の中に、今も持続する想いを読み取りたいと思います。前半に綴った電力に関する議論とは直接つながりませんが、自らの被災体験と響きあうコア・ナラティブです。いつもながらの旧稿にて恐縮ですが、しばらくお付き合いください。

(以下引用)
2012.9.11(火)『当事者研究』その30
(11回目の9・11/震災一年半に寄せて)
(前略)
 NHKAMでは「ふるさとラジオ」で、被災地沿岸部の復興情報が次々と流れる。大船渡、気仙沼といった大被害を受けた街から、商店街を再開したとか、漁の水揚げが行われたとか、希望を感じる話題が発信される。しかしそれを素直に受け止められない、私の歪んだメンタリティー…。それはそうだ。本当なら学校で慌ただしく動いているはずの時間なのだから…。

 しかし、ふと立ち止まる。かの被災地では「慌ただしく動いているはず」の人々が、一年半の間その当たり前が適わずに、多くを奪われたまま生きることを余儀なくされているのだ。ラジオで語る元総務大臣・岩手県知事、増田氏の言葉が痛い。

「去年のお盆以降、ほとんど風景が変わらない」。

 昨年7月の地デジへの移行をきっかけにTVメディアから離れ、その他ラジオや新聞にも必要な時しか接しなくなった。インフォメーション・ディバイドを自ら引き受ける。にもかかわらず、相も変わらず「言葉が多すぎる」(マザーテレサ最後の言葉)と感じてしまう。

 中高MMで鹿児島の堂園先生が紹介した茨城のり子の『マザーテレサの瞳』。既知の詩ではあったが、震災に重ねて読むと、何と心に迫るものか。次の一文が重い。

鷹の眼は見抜いた 日本は貧しい国であると

 昼1時のNHKラジオトップニュースは、アメリカ市街地へのオスプレイ緊急着陸。北九州・暴力団の脅迫事件、スマホ・復興による景気回復で終わり。次のコマは韓国の竹島関連広報予算倍増、東北復興関連でブラジルでの日本酒試飲。次は野田総理の防衛省高級指揮官への訓示、東芝液晶ディスプレイ価格協定に関するアメリカでの裁判に23億円支払って和解、外務省人事(アメリカ・中国大使変更)、シカゴでの教員評価三万人デモ(30万人が学校通えず…)、政府原子力委員会の「核のゴミ」意見書、尖閣諸島の国有化完了(予算20億5千万円!)、アメリカ大統領選に関する世論調査、他はスポーツ、為替、株価…。5分の枠とはいえ、いつまで経っても9・11のことには触れられない。正午前の民放ニュースでは、自民党の総裁選に安倍元首相や石原幹事長らが出馬予定と言っていた。

 何という貧しい現実の数々…。一つひとつ立ち止まれば、苦々しい、気分を害するニュースばかりだ。しかしマザーの語った「愛の反対は無関心」に反して、いつの日からか自分の心を守るために、報道を避けるようになってしまった。「無知」に守られた偽りの平安。

 ラジオでは変わらず、様々に復興(復旧ではないらしい)に向けてのビジョンが語られる。元の状態に戻すのではなく、構造転換が必要なのだとの論理。確かにそれは一理ある。「ピンチはチャンス」と、私も多くの場面で子ども達を励ましてきた。しかし、本当に今必要なのは「構造転換」なのか。人のメンタリティーはそう簡単に「転換」されうるものなのか。

 何が大切なのかを、みんな忘れているのではないだろうか。少なくとも私には、本質が見えなくなってきているように感じられてならない。いつか「本質」に辿り着きたい、とは一年ほど前、寺沢先生と最後に言葉を交わした後に記した『当事者研究』の言葉。あれから一年以上が経過したが、相も変わらず「本質」は見えてこない。

 再び茨木氏の言葉に立ち戻る。

二十世紀の逆説を生き抜いた生涯
外科手術の必要な者に ただ包帯を巻いて歩いただけと 
批判する人は知らないのだ
瀕死の病人を ひたすら撫でさするだけの 慰藉の意味を
死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って 手を握りつづけることの意味を

 震災被災地にも、ここに書かれた様な「ただ寄り添って 手を握りつづける」人が無数にいたに違いない。もっと言えば、それすら適わず、寄り添うことも手を握ることも許されぬまま、悲しい別れを経験した人の数は如何ばかりだろうか。今も行方不明者は五千人を越えている。今、この時間にも捜索に汗を流している人がいる。それと、ラジオで語られる「人脈」「枠組みを変える」との未来志向をどうつなげるのか。

 あと10分であの時間(2時46分)が来る。1年前は桑山氏の「地球のステージ」に接していた。半年前の1周年の時は、札幌市民ホールで黙祷を捧げた。ふと思う。11年前はどうしていたのか?10年後の悲劇など想像するはずもなく、遠くアメリカで起きたことに戦慄しつつ、落ち着かない気持ちを抱えながら、慌ただしく学校の仕事をこなしていたのだろう。今日、もし私が学校に出ていたら、やはりこの時間を慌ただしさの中でやり過ごしていたに違いない。今日この日、体調が悪かったことに感謝しよう。私は一人静かに、世界の中心で黙祷を捧げる。

 黙祷後、ラジオから増田氏が紹介するある首長の言葉が流れる。

「復興元年だけど、忘却元年にはしたくない」

 さらに、3・11当日に石巻で被災した歌手kumikoの『きっとつながる』に心が動く。

♪(前略)つながる つながる どこかで声が つながる つながる 
心合わせて(中略)
つながる つながる つながる手と手 つながる心 つながる命 
つながる未来

 「何処にいても心はつながっていますよ、っていうのが全て」と、kumiko氏は語る。確かに音楽は、その想いを実感させるだけの力をもっている。だがしかし…そろそろラジオを消そう。他者の言葉や音楽は、自らの中にある何かを喚起するものではあるが「本質」とは違う。自らに耳を傾け、坦々とやるべきことと向き合うために、新たに生き直すスタート地点へと立ちたいと思う。もう私は一人ではない。新たな家族(命・未来)のために生きるのだ。

参考資料:内山節『文明の災禍』新潮新書(2011)
田中優『子どもたちの未来を創るエネルギー』子どもの未来社(2013)
公式ホームページ『持続する志』http://www.tanakayu.com/

メールマガジンhttps://www.mag2.com/m/0000251633.html

笹木陽一「音楽・平和・学び合い(8)」(2011) 
      http://archive.mag2.com/0000027395/20110927235640000.html茨木のり子「マザーテレサの瞳」『倚りかからず』所収、筑摩書房(1999)

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