「音楽・平和・学び合い」(22)
◆【実践研究論文】
【不登校をめぐる教師としての「自己物語」の変容】(3)
~中学三年男子生徒の事例を通した「ナラティブ的探究」の試み~
3.エピソード分析-NI的視点から「リサーチテキスト」を綴ること
今回は取り上げる事例は、私が関わった不登校生徒の中でも直近のケースである。6年ぶりに中3の担任となり、小学校4年から学校に通えなくなった男子生徒Aを担当することになった。出会った4月から1年間、彼との関わりをエスノグラフィー風に詳述し続け、最終的にはA4(50字×50行=2500字)19ページ分(47500字)の実践記録(フィールドテキスト)を作成した。このテキストは、スクールカウンセラーとの打ち合わせに活用され、秋からは本州某県に長期出張となった母親への指導経過報告としても機能した。1年間分をまとめたものを、同僚の養護教諭にも読んで頂くことで、「子ども理解のカンファレンス」の素材ともなった。しかし第一義的には、発達援助の当事者であり、進路指導をする担任教師であり、現場研究者でもある私自身の「セルフ・ナラティブ(自己言及=自己物語)」を確認し、自己の認識を可視化すると共に、その変容の自覚をもたらすものであった様に感じる。本節では、Aに関するフィールドテキストから幾つかのエピソードを紹介し、それぞれのエピソードをNIの視点から分析・再叙述(再ストーリー化 restorying/語り直し)した「リサーチテキスト」を綴ることで、不登校をめぐる私自身の自己物語=「支えとするストーリー stories to live by」17)がどのように変容したのかについて探究してみたい。なお、以下のテキストについては、本人および保護者にプライバシーに関わる倫理面での承諾をとっており、本稿の趣旨に応じて、情報を若干改変していることをあらかじめご了解いただきたい。
【注】
17)田中昌弥は『子どもと教師が紡ぐ多様なアイデンティティ』の訳注において、「自分の経験を通してつくられ、自分の中にあって存在を支え、生きていく指針となるストーリー」と定義している。これは本論文におけるナラティブの定義(やまだ2013)である「経験を組織化する行為」と重なることから、本論文では「自己物語」をNIにおける「支えとするストーリー」と同様のものとして扱うこととしたい。
===編集日記===
皆様に支えられて「日刊・中高MM」第3336号です。
笹木陽一さんの「音楽・平和・学び合い」、お届けします。
「自己物語」、教師としての成長記録、じっくりと読んでいきたい。
1975年2月26日は、私の再生記念日でした。
偶然にも今日はその日と重なっています。
奇しくも来月の26日は中高MM創刊記念日。
今まで気づかなかった「26」がこころに残る日となった。
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