森と湖が迷路のように混ざりあう異形ワールド・裏磐梯〜フラット登山という提案⑨
会津磐梯山は日本百名山にも入っていて、山好きなら誰もが知ってる名峰。東北新幹線で白川の関を越えて福島に入ると、左奥におおらかな溢れるような巨大な山が見えてきます。まさに福島の象徴。
東京の人にはあまり知られてない「磐梯山の裏側」
しかし今回のフラット登山で目指すのは磐梯山頂ではありません。磐梯山の奥にある裏磐梯。ここは有名な猫魔スキー場などもあり地元ではよく知られたリゾート地ですが、首都圏の人にはあまりピンとこないかもしれません。そして裏磐梯はリゾートであるだけでなく、素敵なトレイルがいくつもあって素晴らしいフラット登山のフィールドだというと、登山好きであっても東京のほとんどの人は知らないのではないでしょうか。
裏磐梯へのアプローチは、クルマなら郡山の街から1時間ぐらい。会津の宝石・猪苗代湖を目指して磐越自動車道を走り、猪苗代磐梯高原インターを降りて30分弱。電車なら、東北新幹線郡山駅でJR磐越西線に乗り換え、猪苗代駅から「裏磐梯高原駅」というところまでバスが出ています。「駅」という名称ですが、電車の駅ではなく単なるバス停なんですね。
夏の終わりに歩く今回の裏磐梯は、郡山から山仲間のクルマで向かいました。磐越道を走ると、だんだんと近づいてくる磐梯山。見る方角によって、これほどまったく違う姿になる山は他にはないでしょう。東側の東北新幹線や東北自動車道から遠く望むときは、とても優美でなだらかな山容。いかにも東北だなあという奥深さを感じさせます。
猪苗代湖インターを降りて北東側に回り込むと、あの優美だった山容は一変し、鋭利に尖った岩稜が天を突き刺すようにそびえ立っています。頂上直下の足場の悪さが想像できてしまう恐ろしさです。
そして北側の裏磐梯にまわると、また異なった姿に変わる。山体崩壊した跡も生々しい、驚くほどに荒々しい山容になるのです。
明治時代に噴火し、山体が大崩壊している
磐梯山は実は明治時代、大噴火をしています。山体が崩壊して崩れ落ち、岩なだれや火砕流が麓の村を襲い、集落を埋めつくして500人近い人が亡くなったのです。ウィキペディアには「この噴火は明治になってからの近代日本初の大災害であり、大日本帝国政府が国を挙げて調査、救済、復旧を実施した」と記述されていますね。
岩なだれは地面を覆い、天高く吹き上がった噴煙からは水混じりの火山灰が豪雨の様に降り注ぎ、世界の終わりのような恐ろしい光景だったようです。川はせき止められ、そこかしこに水が溜まり、地形は一変しました。もう人など永久に住めないだろうと、誰もが感じるほどでした。
ところがここにひとりの人物が立ち上がります。磐梯山からほど近い会津若松の遠藤現夢さんという人が、醸造業で築いていた私財をたくさん投じて、荒れ果てた裏磐梯に植林をはじめたのです。10年以上もかけてアカマツなど10万本を植樹したというからたいへんな偉業です。そうして裏磐梯は生まれ変わり、現在のような森と湖が混ざり合う美しい光景ができあがったのでした。
さてわれわれは裏磐梯高原駅の無料駐車場にクルマを駐め、裏磐梯物産館という土産物の店の裏手から「五色沼自然探勝路」に入りました。この探勝路は片道の行程がわずか1時間ほどで観光客もそこそこ見かける「俗」な道なのですが、しかし足を踏みいれるとおおくの人が驚くことでしょう。信じられないほどに景色が美しいのです。
この高原を復活させた先人をリスペクトする
しかし素晴らしい景色を堪能する前に、ちょっと寄り道をします。探勝路に入ってから10分ほど歩くと、左に「遠藤現夢塚」と書かれた標識があります。裏磐梯を復興させたあの人の墓がここにあるのです。分岐から10分ほど、若干蚊が多く人の気配のない道をたどると、森の中にぽっかりと開けた小さな広場に出ます。目の前には古びた碑があり、現夢さんの人生が書かれています。
しかしお目当ては実は墓碑銘ではないのです。よく周りを見わたしてみましょう。碑の奥の高台に鎮座している巨大な岩の上のほうに、なにかが見えてきます。
そう、巨大な岩の上部が墓石のかたちに彫られているのです。この岩は磐梯山の火口から飛んできた火山岩なのでしょう。地元の人たちは現夢さんをしのんでここに墓を彫ったのではないかと思います。深々と一礼し、そしてきびすを返して元の探勝路へ。
探勝路を進みます。しばらく歩いたところで、前方の景色が真っ青に!いったいなんだろうと思いながら歩を進めると、青すぎるほど青い色の沼が現れます。そのまんまの名前の「青沼」です。北海道の美瑛町に、Macの壁紙になったことで有名な「青い池」がありますが、あれと同じぐらいに真っ青な沼です。
ここから五色沼という名前の通り、いろんな沼が次々と現れます。弁天沼では、真っ青で広い沼の向こうに、山体崩壊して荒々しい双耳峰になってしまった磐梯山を望むことができます。
最後の毘沙門沼をすぎると、山側に少し登って国道459号へ。土産物店やホテルが立ち並んでいます。ここからしばらくは、地味な車道歩きです。裏磐梯という大きな交差点を右に折れて国道から外れ、北へと向かいます。だらだらと続く坂道を1時間ほど登ってうんざりしてきたころ、休暇村裏磐梯キャンプ場の入口を越えたあたりの右側に「中瀬沼探勝路」の標識を見つけましょう。
この探勝路はほんとうに誰もおらず、しかし絶景としか言いようがないスポットが待ち受けている穴場中の穴場です。よし、と歩みを進めようとすると入口にいきなり、今まで見た中でもイチバンデカイと言い切れる巨大な「クマに注意!」の看板が。
若干の不安を感じながら探勝路に踏み込み、道はくねくねとカーブしながら奥へと続いていきます。森は深く、人はいない。そしてわれわれが歩いた9月頭の週末は、信じられないほどの蚊の大群が待ち受けていました。
手を振り回しながら歩き、全身に虫よけスプレーをまとい、それでも10か所以上を刺されながら、そしてクマにも脅えながら歩きます。10分ほど歩くと道は上りにさしかかり、その先に小さな東屋が見えます。ここが先ほども書いた飛びきりの穴場スポットなのです。
東屋に上がり、後ろを振り返れば、どこまでも続く森と湖の混じりあう異世界と、その向こうにそびえ立つ荒れ果てた磐梯山の絶景。これほどの風景が見える場所は、他にはなかなかありません。
蚊に刺されながらたっぷりと風景を楽しみ、さらに歩を進めます。20分ほど歩くと未舗装の車道と合流し、ビースタイルというキャンプ場の案内も見えてきます。やがて桧原湖の水が見えてきます。湖畔にはたくさんのボートが並び、カヤックの講習をしていました。平和な光景です。
キャンプ場を抜けるとすぐに「桧原湖畔探勝路」に入ります。探勝路入口にはまたもクマ注意の古びた看板。湖の景色を楽しみながら、1時間ほど歩けば国道459号に抜け、そこからわずかで裏磐梯高原駅の駐車場です。
帰りには、びっくりするぐらい壮大で立派なホテル裏磐梯レイクリゾートに寄って日帰り温泉。汗を流してさっぱりとし、岐路につきました。
【歩行タイム】
五色沼自然探勝路は、端から端まで歩いて1時間ぐらい。そこから車道を1時間あまり歩けば中瀬沼探勝路の入口。中瀬沼探勝路そのものはわずか30分ほど。桧原湖の湖畔探勝路は全部で90分ぐらい。そしてトータルで4時間あまり。
【難易度(レベル1=初心者でも誰でも〜レベル4=そこそこ難易度高し)】
レベル2=危ないところはありませんが、探勝路の入口などわかりにくいところも多いのでスマホの登山地図アプリなどを見ながら歩きましょう。
【高低差】
小さな登り下りだけで、高低差はほとんどなし。
【足まわり】
雨の後はぬかるんでることもあるので、登山靴のほうが良いでしょう。
【お勧めの季節】
春から夏、秋の終わりまで。冬は積雪があります。ただし夏から秋のはじめにかけては蚊が多いという問題も……。
【官能度】
「すぐそこに異世界がある」
「広大で畏怖がある」
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