1章 今社会はどうなっているのか~地球温暖化、出生率、政治パーティ券~
1項 産業が変わるか、教育が変わるか、それとも競争力の無い国になるか
「産業構造改革」について例となるのは、アメリカと中国と言えます。アプローチは違えど、どちらも「機能」「帰結」は同じと言える。それは、ゾンビ企業・産業を正しく衰退させ、世界で勝てる新しい企業・産業を作ろうというものです。
アメリカを例にあげると、ピーターティールが『ピーター・ティール 世界を手にした「反逆の起業家」の野望』で言っているように、産業をつくっていくには当然国・政府の資金が必要です。鉄道も、原子力(マンハッタン計画)も、月にいく(アポロ計画、その後spaceX)のも国の支援があって成り立ってきました。また数々のインターネット企業を輩出したロサンゼルス(L.A.)でも、大学・州・起業家・投資家の小さなエコシステムの中で、支援、切磋琢磨し合い産業を作ってきた例と言えます。
一方中国では、国からの縦の命令で、大連、杭州、深圳と地域ごとの開発が進められ、そこで「世界の工場」として、洋服、iPhoneなどの製造を引き受け、国際競争力を高めてきました。
ある意味で、トマピケティが言うように、この時代(産業革命〜インターネット革命)が異例で、そのほかの時代と今後も、通常の資本主義のようにr<g(returnがgrowthより大きい)、つまり資本家・投資家の方が起業家より儲かる(ので格差は減りにくい)と言えるのかもしれません。
しかし、ピケティの論に与するのも、中国・アメリカの例を奇跡と捉えるのも1つですが、その中間に位置する戦略で成功しているのが、ドイツといえます。高い成長率を保ち、結果最低賃金も世界の中でTOP水準に高く(12ユーロ、おおよそ1900円)あります。
日本はというと、先日(2023年暮れ〜)のパーティー券問題に見られるように「ずる」をしてでも生き残ろうとする企業(大企業と中小企業)が、政治家にお金を渡し、本当は淘汰されるべき企業が生き残り、結果生産性が上がらず、賃金も過去30年横ばいになっています。「保護すべき会社とは何か?」の議論がおざなりになったまま、ただ気脈を通じる企業だけが生き残り、生産性が低いままに止まる、これが日本の負けパターンと思われます。
(*ちなみにアメリカも、人口の60%相当の方が過去25年賃金が変わら無いのに、トータルで見て平均賃金があがっているように見えるのは、上位1%の方の収入が史上最高に伸長した数字のトリックと言われれいます。)
このように、日本はまず産業構造改革ができない(唯一のチャンスのそういうずるをする政治家を排除する選挙への参加率が低いので)。加えて、出来たとしてもどう分配するか、次の産業や事業、無形資産への投資や、タックスヘブンに逃げず、脱税もせず、高い法人税(中央大学・富岡幸雄教授によると実際に支払い金額は驚くほど少ないようです)を、国の教育費、福祉に生かしてもらえるように収めてもらえるかは、多分に変数が多く難しいと感じています。
それでは教育を変えたらいいのではないか?
なぜ変えるかというと、①情操教育の結果、ずるをしている人を選ばない、人の痛みが自分の痛みとして感じられる個人を育てることとによって、投票に参加し正しい人を選べる可能性が上げるため。②個人別生産性がOECD 加盟 38 カ国中 31 位を受けて、生産性向上をし、賃金を上げられるようにするため。と考えています。
では教育をどう変えるか?
①市民として正しい政治家を選ぶ普通の国民を育てる
ひとつに、「みんなで仲良く」もとっくに廃止しており(そもそも宗教など多様なので)「仲良く出来ない人とどのように付き合っていくか(agree with disagreement)」の心を養っていきます。
ふたつに、自己尊厳の獲得。他者承認を求め続けるところから卒業し、自己承認・他者承認・他者貢献(アドラー心理学の座組み)を通し、自己を超えてまずそもそも政治に関心を持ち(自分が幸福でないと他者へ関心が向かない)、政治的な議論が日常で普通に行われるようにすることが大切に感じます。なぜなら、このような価値観の問い(政治・恋愛・生き方)は、仲間との議論を通して、自己検証ができ、極端な思想や発想にならず釣られない、中庸の立場をとれるようにレベルアップできると思うからです。欧州の友人と話して感じることは、まず政治の話を普通のテンションで(互いの人格を否定するのでなく他が二位に作り上げる形で)対話するのがとても印象的でした。(自己承認が低くても政治的議論をすることが可能であれば良いか、というとそれは回答が難しく、なぜなら未熟な状態で議論に参加すると「フック理論」=極端な政治宣言に加担し溜飲を下げる行動があり得るからです。なので、自己承認⇨(他者承認)⇨政治参加が望ましいと考えます。)
②産業としてgiftedのようにオタク気質を深める、もしくはそのオタクをオーガナイズ・マネジメントできる人材を育てる
世界の潮流では、画一的な教育を第1次~2次対戦時期に廃止し、個人の素養を伸ばす教育へシフトしています。例えば日本だと全員参加必須の体育も、イギリスでは希望しなければ受けなくてよく、代わりに芸術などの授業を受けられます。(逆も然り)
平均的な労働者を育てる分では現在の記憶型x全般的な教育も意味をなしていたかもしれませんが、平均的なことができる人も一定数必要な一方で、そうでない挑戦が出来る機会(いろいろなことに気付く機会、試す機会、反省する機会)はとても効果的と考えます。
また、オーガナイズ出来る人材に関して補足しますと、例えば多くの人に関わる意思決定の場で、giftedな人材が意思決定まで担うのは酷・難しい場合もあり、その場合には欧州で行われている市民会議のようなものや、会議の場が重要になると思います。そこで重要なのは、その場を回せる(共感し、論点を明らかにし、進行できる)facilitaterの役目ができる人材が、giftedの知見と、市民・会社員の思いを組み合わせることが、必要になると考えております。
今、日本の教育は文部科学省が設定した教科書を、教師の意見は関係なく、「〜までに〜までできるようになること」だけが主眼に置かれています。そのアンチテーゼとして、素晴らしい取り組みを思想を持って運営されている学校も増えておりますが、全体として教育者側も、受け手側も、個人(や家族、会社)のリソースに依存し健闘している状況であり、大きな変更は今後も見通しが経っておりません。
結論、出口側の産業も変えることができず、(上記のような)入口側の教育も特に変わるつもりはない、と言う中で、ますます個人別生産性は落ちていくと思います。
豊かな文化・社会があるから大丈夫、でしょうか。そうです、社会が豊かであれば、生産性なんて気にしなくても人々は(当分は)幸せに生きていけます。その例は沖縄に見られます。失業率などは47都道府県で(一番)高いのですが、自己尊厳・幸福度は高止まりしています。ただ他の地域では社会資本すら、他国に比べ悲惨な状態と言えます。(自殺率、「自分は価値ある人間だと思うか?」「社会のみんなは仲間だと感じるか?」などのアンケート調査による)
そう言ったものを社会資本(ソーシャルキャピタル)と言います。社会資本・社会指標については、別で記述します。
2項 つまらない日常:私から阻害された現代人は、生きる意味を見出すため、友達と韓国hiphopを踊り、トー横に居座り、この世界の外側に行こうと試みる
日常がつまらなくなったのはいつからでしょうか?幸福であることを1つの反対指標とするなら、実はずっと前からつまらないんです。(先進国でここ30年、幸福度は上がっていない)
一方で子供の目、もしくは例えばインドネシアの若者たちの目はどうでしょうか?前者にとって世界は新しく輝いて見え、後者にとって世界は死と隣り合わせゆえに、生きている自体が幸せと感じられているように思います。
死と離れていき、安全・安心・便利・快適になったゆえに、不幸になった(少なくとも幸せではなくなった)。この矛盾が現代社会です。
例えばアイドルを追っかけることについて、私はあまり意味がわからないと高を括っていたのですが、わからない自分の(人生への)切実さが足りないとも思えました。アイドルだけでなく、スポーツ(やゲーム)はその前から多くの人にとっての癒しの場のように思います。
人は不思議な能力があって、見ている対象に同化して興奮したり、実際にそのスポーツをやっている時と同じ脳みその部位が活性化されると言われています。『世の初めから隠されていること』のルネ・ジラールがいう「模倣(と競争)・ミメーシス」は、人類の生き残り戦略として採用された(採用された種しか生き残らなかった)ので、見ることで予習・学び、臨場的に体験して、自分が実行する番に備えたと考えられます。
アイドルの場合、応援(共体験)と所有(グッズを集めるなど)の両方はあると思いますが、いずれにせよつまらない日常に呼応する形で発展してきています。
昨今では、仲間と好きな曲を踊る、というように、より能動的に取り戻しにいく動きがあります。
2023~2024年、話題になっているのは、トー横に居座る人々(トー横キッズ)です。彼らは家庭に居場所がなく、切実に社会からの逃走を求める、と言われています。ただ注意したいのはそういう方もいると思いますが、多くの場合、日常がつまらないのできている場合もあります。なので難しいのは、かわいそうな個人、政府や社会福祉がしっかり管轄・ケアしてあげないと・・というふうに手を差し伸べることが、彼女たちにとって日常がつまらないことは変わらない、から上手くいかない(意図した帰結をもたらさない)可能性があることです。
つまらなさを回避するには、明日死ぬかもしれない(あり得ることですが)と考え、イマ・ココを取り戻す態度が改めて必要です。改めてと言ったのは、もともと人類はそうだったのを、近代になり「今<未来」と「過去⇨今」の座組みで、過去と未来にがんじがらめに規定されている、と思ってしまっているからです。
こういう観点は、学問や、自己啓発(アウェアネス・トレーニング)でも気付けますが、文学や映画の役割・機能と言えます。次にその話をします。
3項 映画や文学による癒し「元々世界はこうだったんだ」
「世界は元々こうだったんだ」という気づき、気づくことによる癒し
さて、先ほど、文学と役割・機能の話をしました。私たちは、もともとお祭り、祝祭を通して「世界はもともとこうだった(輝いている)」と確認してきましたが、今ではお祭りも下火の中、文学、映画、ディズニーランドなどがその機能を担っていると思います。ちなみにオリエンタルランドは2024年3期は過去最高収益になると見通しております。
ディズニーランドは詳しい方がいると思うので、ここではまず村上春樹を、次に映画を取り上げたいと思います。
村上春樹は、ご存知の通り、日本のみならず世界で読まれる現存する作家で、ノーベル文学賞に最も近い日本人です。彼の小説の構成は、大まかに、主人公は社会でうまくいっていない(幸福でも不幸でもない)⇨(主人公含む)誰かが何かを失ったり、探したりする⇨主人公は冒険に出て、一角の人物に成長する(ビルディングス・ロマン『感情教育』の流れ)⇨イマココの価値を再評価する(しようとする)、という流れだと理解しております。
中でも私が日本語版・英語版・日本語オーディブル・英語オーディブルと楽しんだのは、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』です。多くが語られ、ここでもネタバレをしますのでご容赦下さい。
ここでは中身の詳細でなく最後の部分、主人公(ハードボイルドワンダーランドの方)が(暗い地下から)社会に戻ってきた時を紹介します。彼は、今で言う税理士・会計士のような仕事をし、現在33歳くらい、40歳くらいまで頑張れば今後は安泰なので、好きでも嫌いでもないけど、少し誇りの持てるこの仕事をしている人間です。妻(と猫)に逃げられ、気ままに一人で暮らしています。
しかし物語が進むうち、ガイドとしての「太った娘」(彼女はサンドイッチを美味しく作り、銃を上手に扱います)に誘われ、東京の地下を深く冒険することになり、そこで自分の余命がいくばくもないこと(確か2日間程度)であることを知らされます。彼の計算能力と引き換えに、命が縮んでしまったようでした。
ちなみに、その世界では”音消し”と言う技術もあり、世界中から音がなくなってしまう可能性も示唆されていました。
彼は、地下から戻ると、(外は雨でしたが)風呂に入り、着替え、Paul Stuartでスーツとシャツ・ネクタイを新調し、バーに行きます。雨は止みました。床屋に行き、レンタルビデオ屋さんにも行きます。確かここで、彼女のような子(図書館の司書さん)と食事に行きデートに行きます。
最終日の朝、彼は悟ります。世界に、音があることに初めて安心します(厳密にはこのシーンでは安心するのではないのですが)。
そして、世界がこれほど愛おしいこと、たくさんの愛すべきことを(カタツムリ含め)与えてくれ、生がこれほど尊いことを知ります。彼はビールを1ダースほど買い込み、日比谷公園の原っぱで(月曜日)寝転びながら飲み、最後の時を静かに迎えようとします。
何が言いたいかというと、ここまで経ないと人はこの社会に美しさを感じられない、と言うことです。我々は普通に、デートをし、散歩をし、散髪をしますが、実はその全ては輝いているものと言えます。少なくとも、世界が今日・明日終わる彼にとっては、ですが。
逆説として、先に申し上げたインドネシアの若者のように、死が触れられるほど近くにあり、また死を宣告されたからこそ、生が輝いたのでした。
私は読んだ時に、この比喩・物語に吸い込まれ、深く感動したことを覚えています。そして、死を追体験した今(読んだ後)、世界(社会の外にあるものが世界)への眼差しが大きく変わりました。世界は自明で、自明が故に価値がない、と言う認識に傷をつけていただきました。
これが文学(アート)の役割だと感じます。
一方、ディズニーランドは、認識を変えると言うより、「その世界にいるときだけ、世界と触れられる(ような気がする、なぜなら人工物なので)」と言う点で、リピートを求められる仕組み・レクリエーションである、と言う違いがあります。
4項 温暖化に関する筆者の構え
世界、といえば、温暖化は世界の課題です。色々な社会の外側にある世界、が社会の営みによって毀損され、元に戻らなくなる臨界点(tipping(critical) point / planetary boundaries)があり、7つの項目のうちいくつかはすでにそれを超えている点がポイントです。
皆さんも深くご理解のある通り、国連環境計画と世界気象機関が設立した気候変動評価機関・気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6次レポート(20203年)で、「地球温暖化は人類の営為によるものということに疑いがない」と結論づけがなされました。
国連が国家レベルでの対応(算定・目標設定・そのための手法・結果報告)を求め、世界の各イニシアチブが企業に向け規制を働きかけています。
市民の間では、グレタ・トゥーンベリさんを筆頭に世界へ働きかけています。
目標としているのは、産業革命前に比べ、1.5度上昇まで、最悪でも2.0度上昇までを許容と見なし、そのために「2050年までに脱炭素社会を目指し50%〜100%の削減」を訴える政策をとっていますが、コロナ・リーマンのような経済の停滞(による温室効果ガスの削減)を持ってしても、温室効果ガス数%の削減率しか達成できない中では、絵に描いた餅としか思えません。
ではどうしたらいいのか?
イーロン・マスク、ビル・ゲイツも賞賛するウィリアム・マッカスキル著『〈効果的な利他主義〉宣言!』にあるように、自分が得意なことをして稼ぎ、その資金で環境保護活動を支援することが推奨されています。ただし、矛盾点はこの「自分が得意なこと」がたとえば石油の採掘などだった場合に矛盾してしまうことです。
もう1つは、科学技術・テクノロジー、イノベーションを作り出せる人材の育成です。先ほど申し上げたgiftedになります。減らすことが難しければ、テックで減らせるようにしよう(人は変えられないけど、結果は変えられる)、というものです。クライメートテック産業がここ数年盛んになっていますが、そのエコシステム、支援を地域、世界でおこなっていくことが、もう1つできることになると言えます。
科学者に任せていいのか?
科学者は当然最重要パーソンになると思いますが、理解者・支援者・実働者・啓蒙者など多くの役回りが必要になります。問題意識を持つあなたが、まず正しい情報を整理し、どこかの役目・働きかけを始めること、あなたから始めることが大切です。
5項 出生率を上げないと内需8割の日本の産業(消費)、またサービス提供(生産)も破綻するが、出生率の政策は的を得ているか
先進国で進む出生率の問題は、唯一フランスだけが正解を出しているようです。
そこで取られている施策のポイントは、
「家族の形を問わないこと、問わないでも保護が受けられること」
にあると考えられます。
どのような形にせよ、産んでくれることを推進し、その意思表示としてのGDP比率の教育支援は、3.6%、日本の1.7%の約2倍です。
ちなみに他国の対策例では、
・アメリカでは女性のキャリアに不利がないようにaffrimative actionが取られている(かつ男性の育児への参加が当然である)
・フィンランドでは自治体で育てる工夫
など各国・各自治体の施策が見られます。ちなみにフランスは2010年の2.03を山として、また下がってきていることは補足しておきたいと思います。
日本の場合、出生率以前に問題は、未婚化・晩婚化であると言えます。そして、それ以前の恋愛・性愛からの退却です。
恋愛・性愛からの退却では、キャラを演じ仲間でいることを第一優先に、”過剰”(過剰でイタイからこそ恋愛なのに)なことである恋愛からは一線を引く(イタイやつに思われたくない)があると宮台先生は喝破します。恋愛はかつてのような自由競争でなく、芸人のお座席芸の様に、みんなが良いとするカップル(釣り合っている、美男美女である)の特権に成り上がってしまい、そうでない多くの人は空気を壊さないように、あくまでも契約上の関係(互いにガチにならない、互いに相手を拘束する権利を持つなど)として履行されます。当然それは恋愛でなく契約の1つなので、恋愛が本来持つ社会の外に(「世界はもともとこうだった」「世界は美しい」)にたどり着かず、ただ面倒ないかに契約不履行を隠れて行うか、不履行でないかを確認し続けるゲームになっている、との見立てです。
先に申し上げた様に、恋愛も政治も、イタイ思い(自分の勘違いや、盲目を恥じること)を通して”だけ”成熟することが可能です。それを過剰に避ける中で、それを気づかせてくれる友人との会話もない中で(親しいやつほど話さない)、成熟せず、周りから見て恥ずかしくない彼/彼女を探し、全くつまらないので、恋愛から遠のき、アイドル、ゲームなどに投資することになっていくようです。
結婚からの退却はそれ以上に難しく、上野千鶴子先生がおっしゃったように「家庭に恋愛は持ち込まない」形で、互いにスペック、タイミングで選び(その代表が20代のマッチングアプリ利用率は80%)、キャリアプラン・ライフプランの中でプラスであれば結婚することになります。つまり打算ですので、必然的にハイスペック(人口の25%くらい)はすぐに売り切れ、残りの75%が早期の結婚を避ける方向になり、生涯未婚率は男性28%女性17%程度になっています。
ただしこれは日本だけでなく、アメリカやドイツも同様に上昇しております。
ここまで話してきましたが、重要な点は「この社会を存続させたいか」「この社会・世界を我が子達に経験させたいか」この2つの問いに対し、yes/noも潜在的に意思決定に影響していると考えています。皆様はどうでしょうか?
参考:総務省統計局「 令和2年(2020)国勢調査結果」
6項 アテンションエコノミー
現在注意をめぐる企業の争いが起きています。テレビ、雑誌などからインターネットに代わって久しいですが(初代iPhone日本2008年)、現在以下に視聴者の注意を引くか(頻度、滞留時間など)=そのメディア・サービスの価値とされています。例えばfacebookは世界で20億人の人に平均して40分ほど/日(2022年)使われていると言われています。
ここで、アテンションエコノミーの趨勢を語りたいのでなく、「孤独」について言及したいと考えています。
まずyoutube『世界をわかりやすく – Kurzgesagt「孤独感」』をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=Vp_GDh1yQ-4
この"孤独"は他人事ではありません。むしろ孤独死などの問題は日本が課題先進国と言えます。
動画の通り、孤独が心身に及ぼす悪影響は、タバコ一箱分に相当するほど、具体的なダメージを伴うものです。
人は孤独を感じると、それを「退屈」と呼び替えます。その問題のすり替えこそ問題です。退屈ならば穴を埋めればいい(ニーズ)と、アテンションエコノミーとの受給が一致します。皆様ご経験あるように、これは問題の本質を捉えた解決策でないので、一生続きますし、ふと我に帰った際に虚しさが残ります。(孤独の再表出)
1つ処方箋をお伝えすると頭で大切な人や、思い出を思い出すだけで、だいぶん救われます。それ以上に日々「絆コスト」を払い、連絡をしたりできるはずです。
では、なぜそれも億劫なのか。これはアドラーのいう自己尊厳に関わる話になります。
7項 日本固有の問題と背景、社会指標について:日本の自殺率、「自分は価値があるか」、帰属意識の低さ、など
自己尊厳に言及しました。よくある統計から説明します。「自分は価値のある存在だと思うか」アメリカ・中国では8割がyesに対して、日本では7割がno。
もちろん文化、生育環境(自己主張の程度)も影響があるかもしれないですが、謙遜し、かつ自己尊厳が高いことはもちろん可能です。問題なのは、「他人の顔色を伺え」、「負け組になるな」というメッセージが、自己尊厳が確立される以前から、他者承認を求めてしまう志向を育ててしまうことです。
正確にいうと、他者承認は不要です。自己尊厳(自己承認)だけで大丈夫なのです(アドラー心理学)。ただ、人はこの社会に生まれ幸福に生きるために、他者信頼・他者貢献は必要です。他者からもらうのでなく、他者にあげるスタンスです。
話を戻して、なぜ人と関わるのが億劫なのか、はここから推測できます。(自分の経験から考えても)価値観が多様化し、ますます人が何を考え行動するか予測不能になりました。そうすると、昨日まで友達だった人がなぜか離れ、親切で言ったことに思いがけない憎悪(のようなもの)が帰ってくることがあり得ます。
元々社会(本来の意味で世界、後述します)は予測不可能なので、そんなことでびくともしないのが健全ですが、「他人の顔色を伺い」予定調和の中で生きていくと簡単に自己尊厳が動いてしまいます。人は人、自分は自分(本来の意味での新自由主義)が近代社会の基本ですが、そう振る舞われると意気消沈してしまうのです。
そうすると一層に他者信頼(「人々は味方だ」)から離れ、ましてや他者貢献の機会・動機・勇気を失い、公共・共同体に属している(これも幸福を語る上で重要「共同体感覚」、自分はこの社会に属しているという感覚)感覚を失う・・というループに入っていきます。
結果、自殺率は東ヨーロッパを除いて、日本は一位(韓国が追随)。昨今の”自力救済”系の事件(元総理暗殺)はその際たる表出の例となってしまいました。
ではこの先にどのような未来が待っているのでしょうか?1つのドラマを参考にしたいと思います。
8項 ”今そこにある未来”からの考察、映画が描く近未来から何を学べるか、人格・戦争・難民・政治・ポストトゥルース・気候・銀行・一人一人のせい・what’s next・メディア・死してなお
2019年にyears and yearsという近未来を描いたドラマがイギリスで配信されました。(日本でも観られます)そこではウクライナ戦争のこと、難民問題、身体をこえたインターネット上の生のこと、政治的分断、銀行倒産。視聴者は、当然その展開に驚くものの、それ以上に「全くもって違和感のないこと、あり得そうだと感じること、むしろすでに起きていること」に再度驚くことになる構図といえます。そう、現実がSFや未来を超えて来ているともいえます。
今私たちがそこそこ安心して暮らせる社会は、かように簡単に崩れてしまう事、それも大多数の賛成・賛同を持って、熱狂を持って迎え入れられることが示唆されております。(ちなみに社会学は、この最たる例、「ワイマール憲法下でなぜヒトラーが熱狂的な賛同を持って迎えられたか」の研究から始まったとも言えます。先に解を出すと、ベルサイユ条約(の意図は徹底してドイツを潰すこと、戦争を起こさせないこと)の中で暴力的(とも言えるまで)に財産を奪われ「こんなはずでなかった」と憤った「凋落した中産階級」がこれは誰かの仕業だと責任転嫁・他責化、その構図を捉えたヒトラーが「すべてはユダヤ人のせいであり、我々優れたゲルマン民族は、この(ユダヤ人位よる搾取)というおかしな構図を打破し、取り戻すべき(権利がある)」に賛同したから、と言われています。)
この流れに反抗し、共同体意識、社会を牽引しているのはどこでしょうか?
アメリカでは、今ではグローバルカンパニー、Tesla、Googleなどの私企業、またピーター・ティールなどの私人がその目指したい社会を描き、実現しています。(ピーター・ティールはトランプ支持・参謀としても有名)影響力では、facebookも同様です。彼らは、資本主義上のガバナンスはあるとはいえ、投票で選ばれた訳ではありません。そんな彼らが社会を動かしていることに不安を感じませんか?ただ一方で投票で選ばれた政治家がいつも正しかったでしょうか?
資本主義の前提にあった共感(アダム・スミス)による成り立つ共同体が持ち得なくなる社会で、このように上述した私人・私企業による、テックによる世直し、設計が進みます。
それに対抗するのが、スローフードのイタリアをはじめにする、欧州です。共同体を取り戻す方向で施策をしています。日本の方向性はまだ提示されていません。その間に多くの犠牲が出ているのが現状です。
第1章終わり
ここまで駆け足で「社会はどうなっているのか(主に日本の事例)」を取り扱って参りました。拙速(早急に解を求める事)は禁物です。まずはこのような状況理解を踏まえ、では個人はどうすべきか、会社はどうすべきか、を考えていきたいと思います。
ご一読いただき感謝です。あなたにとって少しでも新しいこと、役に立つことを共有できていれば嬉しいです。ご支援はお気持ちとしてありがたく頂戴し活動に活かさせていただきます。