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哲学カフェ なつやすみ編


哲学対話という楽しみをみつけてから数ヶ月

そろそろ、こどもたちの視点も知りたかった

そこで、夏休みを利用して
親子で参加できる哲学カフェを開いた

やってみると
こども向けの哲学対話のルールを
伝わる言葉で説明することも
こどもに伝わる言葉で対話していくことも
新鮮でもあり、難しくもあった

何事もやってみなくちゃ分からない

問いを決める

この日のテーマを書き出してみた


はじめに今日の問いの候補を書き出してみた
その中で関心が高かったのは
「大人とこどもは何が違う?どちらがいい?」
ということだった

「大人はいいのにこどもはダメなこともあるけど、なぜだろう?」
「遊びと勉強って何が違うんだろう?」

という問いにも関心があるようだった

ちなみに、候補に挙げた問いの一部は
小6の娘と前日に一緒に考えたもので
何を問うかを親子で考える作業も
すでに楽しい時間だった

対話の内容はさておき…

さて、
対話の内容も気になるだろうけど…
伝えたかったことは、別にある

① 言葉の定義が揺らぐ

哲学対話を体験すると日常的に使ってる言葉の定義を崩されることになる
参加者それぞれに捉えていたものが違う事を知る
崩された後、改めて自分で考えるきっかけになる

「大人」って何?いつから大人?
親と子と、大人とこども、それぞれの関係って?
40歳の自分は大人なの?実は子どもなのかも?

当たり前の中に埋もれて気に留めることもなかったことが、ちょっとした違和感を持ち始める
「〇〇だからこうしなきゃいけない」
みたいな固定概念から開放されることもある

自分で考える事ができる、という自由を
感じてもらえるはず!


② 家族との対話が楽しくなる

今回のように親子で哲学対話を体験できて
娘との会話に「哲学対話的な」要素が加わった

メディアからも「大人」「こども」というワードが次々と流れてきて
哲学カフェの後で聞くと
ちょっと気になるようになる

「ママは大人だと思う?」と聞くと
「んー、結構こどもかなー」と言われたりして…
理由を含めて、彼女なりに何かを考えてる様子もおもしろい

他にも
学校には何のために行くんだろうね?
何のために勉強してるんだろうね?
自由ってなんだろうね?
なんでこんなに暑いんだろうね?

そんな
日常の中に転がる素朴な疑問も
抽象的な問いも
大人でも答えを出すのが難しい問いも
哲学対話の優しいルールを意識しておくと
聞くのも話すのも楽しくなる


これも「大人もこどもも対話しよう」
という、今回のサブタイトルに込めた想いでした

少し、対話の内容もご紹介


今回の問いになった「大人とこども」ということ。
自分は大人だと思い込んでたことに気づいた人も
大人とこどもを行き来しながら生きてたんだ!と気づいた人もいた

こどもたちが教えてくれた視点に大人たちは興味津々!
こどもの声を聞きたい!と、こんなに思えた体験も新鮮だった
誰がどんな都合で大人とこどもを分けてるの?
成人、社会人、結婚できる年齢、電車の運賃…色んな場面で大人とこどもを区別してる気がするね
何のため?誰のため?

などなど…いい感じに色々な疑問が増えました

哲学カフェ仲間のムラケンの気づきが
これまたおもしろい!


ではまた、次の哲学カフェで会いましょう

過去の哲学カフェのレポートもあわせてどうぞ


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