川柳句会ビー面 2024年5月
匿名互評の川柳句会の選評と投句一覧。目次に無記名の句一覧があるため、無記名句一覧の仮想体験も可能。
フェチ過ぎた
すてられた間たちの為のクォ・ヴァディス
はい誤謬発見お前ん家江戸城
うれしくて揉みしだかれて初日の出
恐竜の虫歯は今も照れている
手がセレブなの
姪っ子を社会のひじと罵った
名付けを逃れて仏滅を掘る
セクシーあんたたちセクシー
ふざけよう(もえよ肺! もえよすずしく!)
どれを選んでも花の手、掴めない
誓約も石の仲間と言うけれど
冥土の土産は砂キーホルダー
命名はばねゴミの一存なのさ
数独のように整理するアルバム
家のおばけずっと玄関あいてる
母にはならんと菜箸で描く
プリケツに剃り込み入れたヤンキー犬
ナクバ われわれにもう鶴は食えない
いつまでもふにゃふにゃしていましたとさ
フェイクグリーンも言葉の文も金次第
オーロラのこちらで長く待ちました
レースで巻かれた骨壷を食み
棒付きのアイスを想像したら負け
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フェチ過ぎた
最初にこれは笑うでしょうよ
────────────────公共プール
今回短律多めでたのしい。ただ短律の場合その後ろに定型があるかどうかが重要だとこの間川合さんから教わった、ので、短律句をそういう目で見てみることにする。これは……定型だと思った。5音というだけでなく、この5音があることで、音のないあと12音分の余白を保有できている感じがある、という点でそう思った。ほんとのこと言うと、フェチに過ぎるも何もないんですけど(オシリペンペンズ「サイケにやりすぎ無し」とほぼ同義)、フェチと世間のあいだを折衝するときにはどうしても度合いを鑑みないといけない。ちょっとフェチのある側からの優越感が見える気もしてしまうけれど、その配慮そのものの感覚は大事だと思う。迷惑はかけないように。
────────────────西脇祥貴
短か過ぎた
────────────────ササキリ ユウイチ
すてられた間たちの為のクォ・ヴァディス
なんか悩んじゃった。この句自体がフィラーだ。
────────────────ササキリ ユウイチ
最近のドラマ、間が切ってあるところがあまりにばればれなこと多くないですか。
────────────────西脇祥貴
はい誤謬発見お前ん家江戸城
言い方とかすごいいじわるなんだけど結果が江戸城ですこし笑ってしまいます。江戸城のスケールで笑ってしまったけど、意外とそこそこの悪口なのかもしれない、とも思う。
────────────────スズキ皐月
速い。誤謬の発見から決めつけまでの速さ。兵頭全郎さん「たぶん彼女はスパイだけれどプードル」くらい速い。速さは川柳の大いなる魅力だったなって再確認。そしてもうひとつ、江戸城を決定づける要素が「誤謬」であるという認識。ここなんだろうなと思った。江戸城。徳川家から始まって宮家へ、というもうドラマにしてもデカすぎて引き受けきれないもの・歴史をすべて引き受けて(いまも)建つ城。ロラン・バルト先生いわく、都市(しかも首都!)の空虚な中心、中心の空虚。これを決定づけられる概念としたこと、そしてその根拠になるものとして「誤謬」を取って来られたこと、どちらも単純にすごいと思った。ものすごく納得してしまった……。そしてさらに言うなら、その発見をそのまま句にせず、そうした根拠づけが知れ渡った世間での、おそらくふざけたじゃれ合いの中で出た台詞のかたちで、句にしたこと。ここまで含めてよくやるな……と思った。そしてたぶん、これだけのことが計算ずくで出たんでなく、冒頭の速力から生まれているがゆえのこの読み味。特選にしたかった。特選句がなければ特選にしてました。
────────────────西脇祥貴
うれしくて揉みしだかれて初日の出
こうして見ると、「揉みしだかれて」の見えない目的語って、こんなに密接な関連があって見えてくるものだなあと思いますよね。おっぱいの話です。から揚げかな。うれしくて、がよりそう思わせるのかな。そのうえ「初日の出」って。バイアスが決め込んでくるイメージを逃れるのがかなり困難な語の選択。がんばって逃れようともしてみましたけど、なにをがんばってるんだろうという気もしてきて。各自すきな目的語を代入する楽しみの句かな。あー、でも「しだ『かれ』」るんだものな。やっぱり逃れるのは相当難しい。どうしたかったんだろう。
────────────────西脇祥貴
恐竜の虫歯は今も照れている
恐竜は絶滅したけれど「今も」現在進行形で照れているということポイントか。虫歯自身が照れていると読めるところも面白い。恐竜は歯の1本1本が大きいので虫歯が目立つのかもしれない。恐竜は強いイメージだけれども、虫歯の痛みに耐えかねてめそめそしていた記憶が今もなお、強く持続しているのかもしれない。化石になっても照れてたっていいよね。
────────────────小野寺里穂
博物館で吊られていたり並んでいる恐竜の頭の骨なんかにも、もしかしたら虫歯のものもあるかもしれない。この句の面白いのは「今も」のところで恐竜の生きていた頃からながーい時間を恐竜と虫歯が共生していたことを想像させて恐竜の人生(恐竜生?)まで考えさせられる。
────────────────スズキ皐月
確かにその虫歯だけ居心地わるそうでヘラヘラしてそう。化石が発掘されて調査されて数億年を経て指摘されたらお茶を濁すしかない。こういう美しさが川柳の魅力だと思う
────────────────公共プール
自己都合なので申し訳ないんですが、へこんでて。そんないまの心には、こういう理屈がとてもあったかいです。恐竜に虫歯があったこと。それもいまや化石だろうに、さも現在の話のようにそれを語ること。そのうえ念を押すように「今も」と付けて示すのが「照れている」だということ。今月はこの句がとてもあったかかった。あったか賞を個人的に差し上げたい。寒暖差が鬼のような今月だからこそ。
────────────────西脇祥貴
気になる句でした。ちょっとあざとすぎるかな。
────────────────雨月茄子春
手がセレブなの
音から語を呼ぶ感じはおもしろいと思いました。
────────────────雨月茄子春
手タレだ
────────────────城崎ララ
短律、ひとりの人が出してるのか、何人かが混ぜてるのか……。どっちにしてもすごい回だなあと思っています。そしてこの句。これは……西脇の感覚からするとやや定型をはみだしてるように思える……。「なの」が。7音ではあるけれど、第二文型がかっちり決まっているうえに「なの」はやや長い気がしました。そこでショックがやや逃がされてしまっているような。ただ短いだけあって「セレブ」の深さは増してます。原義のcelebrity、関連してcelebrate、そしてその成立する背後に折り重なる死屍累々が見える。それを引き出せてはいると思う。
────────────────西脇祥貴
姪っ子を社会のひじと罵った
「社会のひじ」が具体的にどのような役割なのかを想像して楽しんだ。ひじは腕を曲げるためになくてはならない部位だけれども、目立つ部位とは言えないだろう。そもそも、罵るからには「社会のひじ」にはネガティヴなイメージを語り手は持っているはずだが、いまいち伝わらない。その伝わらなさが面白いと思った。なぜ罵られているのかわからないままに罵りを受けている姪っ子の困り顔が見える。社会のひじにはなるな!
────────────────小野寺里穂
やっぱりへこんでいると理屈のほど良い句に惹かれる……妙な現象……。ほんっとほどよいですね、「社会のひじ」という罵倒。これはねえ、罵った人の氏育ちまで見えそうです。ひじってさあ(ってさあ?)、生きてくうえでどんだけ大事だかあんた分かってないよね? いっぺん一日ひじ曲げずに暮らしてごらんよ、できやしないから。絶対に。誰の助けよりも先にひじの助けを求めたくなるに決まってる、吠え面かくのがもう見える。そういう想像力の働かないやつが、こんな無責任な罵り方ができるんだ。すごい人物描写。これは言われたことのある人がつくったに違いない。悔しかったろうね、いろんな意味で。でもちゃんと報いているよ、あなたのこの句が。
────────────────西脇祥貴
お前は社会のひじだ!ってことですよね。罵りつつ、仲が良さげで良きかなと思います。でもなんだか淡白すぎる気がしました。「罵った」にはもう一歩ありそう感ある。
────────────────雨月茄子春
名付けを逃れて仏滅を掘る
4・4・5・2のリズムはやや重たいけれど、たしかに仏滅って掘りつくされていない感じがする。六曜が全体として。当たり前になりすぎている。当たり前になりすぎてしまったものをもう一度掘り返すにあたって、名前を逃れるのは第一歩だと思う。『もののけ姫』じゃないけど。このあたりの理屈は確か。鍵は案外名付けを逃れるほうなのかもしれない。仏滅の核にはほんとうはなにがあるのか。どういう願いや、虚栄や、欲や、嫉妬や、猜疑や、光があるのか。あったのか。道は長くつらいと思う、でもぼくはその道を選ぶあなたにずっと味方する。行ってらっしゃい気をつけて、ぜったいにまた会おうね。
────────────────西脇祥貴
初見殺しのことわざ「あつものにこりてなますをふく」を5段階進化させた未来にこの句はありそう。
────────────────雨月茄子春
セクシーあんたたちセクシー
こういうシンプルな繰り返しは誰が言うかでおもしろみが変わるから、なおのことおもしろい。普段は厳しいスナックのママが漏らした喝采ともとれるし、新しい小泉進次郎構文ともとれる。それに454の音も挑戦的で魅力的。おれもこういう軽く掴み所のない、無責任な放言みたいな言葉を垂れ流して愚にもつかない生をおくりたいです。頓首漫漫
────────────────公共プール
川柳5/7/5ではない論者なので、57/5とか5/75とかの2ブロック構成とかが良いと思うのだけど、これはそこに自覚的でいじってるので良いと思う。3ブロック川柳はもっといじられていい。
────────────────雨月茄子春
これも……ちょっと定型には余る気がする……。セクシーを重ねるのはやや間を詰める働きもあっていいんですけど、あんたたち、が思ったより長いのかも……。でもセクシーもむずかしいのは、その意味するところがだいぶぼんやりすること。マサルさんからセクシー女優(いまだこの改名にはなんの意義があったのかまったく分からない)まで。プリンスからシーラ・ナ・ギグまで。どこの熱さで言っているのかがはっきりしないのはもったいないかも。セクシーは、深い。
────────────────西脇祥貴
ふざけよう(もえよ肺! もえよすずしく!)
Fuck youの代わりのおまじないです
────────────────西脇祥貴
どれを選んでも花の手、掴めない
「どれ」っていったい何を指しているのだろうと、初読に疑問を抱かせる時点で、読者である僕はこの句の術中にはめられた感じがして、すこし悔しい。「どれ」って何らかの事物、というより眼前に広がる多様な選択肢のことをいっている気がしてきた。どんな選択肢を選んだとしても、けっきょくは花の手、掴んでしまっては花は折れてしまうから、希求することは叶わないのだ。
────────────────太代祐一
すごい断絶がこんな短い一行の中にある、どうしちゃったの、どうして「どれを選んでも花」の裏にある地獄に気づいてしまったの、気づかなくてよかったのに、ぼくはともかく、あなたは気づかなくてよかった、それを素直に掴んでくれればよかった、気づいて生きながら地獄を歩く羽目になる人間はそんなに多くなくていいのに、ぼくがあなたを呼んでしまったのかな、ほんとうにごめん、否定はできない、地獄の道連れがほしいとかけらも思ったことがないなんて言えない、だからってあなたが、あなたがこっちに来ることはなかった、ぼくが押し上げるつもりだった、あなたの前に、花を、それをあなたに掴ませるために、あなたが幸福ならそれでよかった、それだけで、地獄もわりと、わるくはなかったのに、ほんとうにごめん、どんな意思に基づく偏りもいつかくずれてしまうことを、また自分だけはだいじょうぶだと思い過ごしてしまった、だめだった、あなたひとりなら、せめてあなたひとりはと思ったそのことがだめだった、ほんとうにごめん、だからどうか掴んでくれ、この花は掴んでくれ、この花だけはだいじょうぶだから、この花にかぎっては、ぜんぶぼくの責任だから、だいじょうぶだから、だから、これを掴んで、あなたはわらっててくれ、幸福でいてくれ、たのむ、あなたまでこっちに来るなんてそんな無惨なこといわないでくれ
────────────────西脇祥貴
花のからだにある手なのか、手が花で出来ているのか、迷ってしまう。どちらかと言えば後者でイメージした。選ぶことには成功しているのに、掴むことはできない。もどかしさや悔しさが伝わってくる。雑な言い方にはなるけど人生みたいなものを感じさせる良い句だと思った。
────────────────スズキ皐月
ラスサビへの盛り上がりかたがヨイ!
────────────────雨月茄子春
誓約も石の仲間と言うけれど
誓約という堅い契りが、石を連想させるのか。言いさしの軽さと相まって耳に残る。
────────────────小野寺里穂
こういう、前提をむりやりねじ込んでくる方法は好みなのだけど、この句はうまくいってない気がした。「誓約も石の仲間」って語が重いのかな。身構えちゃって、前提共有のターンでキャンセルかかった感じ。です。
────────────────雨月茄子春
言うかなあ……問題がある。ひとえに「言うけれど」のせいで問題は生まれている。そういうむずかしさが定型表現にはある、ものの、「誓約も石の仲間」は箴言みがかなりあって素敵。ただ、ちょっと、もうありそうな感じもした(ないけど)。誓約と石がわりと近いせいかも。
────────────────西脇祥貴
冥土の土産は砂キーホルダー
良い句だね、胸を張ってる。土→土→砂→掘る、の運び方が不可視の背骨になってるのかな。……あれ?これ、瓶詰めの砂じゃない気がするね。狐火みたいな、蚊柱みたいな、砂がキーホルダーになってる感じ……それが通じるのはこれが冥土産だから、かな?冥土では穢土の道理は通らないんだね。ありがとう、教えてくれて。
────────────────雨月茄子春
絶妙にありそうライン。冥土の土産って死ぬ前に得るものだけど、この句ではなんか冥土から戻ってきてる感じがする。「冥土に行ってきましたクッキー」とかありそう。砂丘の砂キーホルダーの亜種っぽいし、冥土って砂丘なんかなあ。
────────────────城崎ララ
4・4の定番リズムではいはい耳なじみ耳なじみ、と思わせたところへ「砂」。このぶち壊しが効いていて、結局全体にはいい感じの読み味で読み上げられるのがおもしろい。し、そういうへんな脱臼リズムに句の内容が添ってるのもおもしろい。リズムの上では「冥途の土産は砂/キーホルダー」となるけれど、意味で取っていくとどうしたって「砂キーホルダー」になる。ここはとても不思議。そして「砂キーホルダー」。不思議。星の砂詰めたやつ、とかそういうロマンをちっとも感じさせない。冥途の土産なんてその程度のものなのかな、っていま気づいたんですけど、冥途の土産って冥途を行ってあの世へもっていく土産、っていう意味ですよね。これ本来の意味と逆じゃないか。だって仮に伊勢の土産、とかしたら、それは伊勢で買って持って帰って来た土産じゃない。どうして冥途のときだけベクトルが逆になるんだ? 冥途が場所でなくて道行だから? うわあ関係ないのにすごく気になる。でそういう妙な磁場にもたしかに耐えそうなのが「砂キーホルダー」。まいりました。
────────────────西脇祥貴
命名はばねゴミの一存なのさ
おおきなササキリみ。でもやっぱり先月くらいから指摘のある通り、ササキリさんだとしても読み手に寄ってきてくれているような気がする(違ったらごめんなさい)。ジョスクールは意識されていて、「命名は~の一存なのさ」というやや特殊ながら納得は行く型の~に何を入れるか、でできている(にしても……「なのさ」……花輪くん……? あとにナチュラルに「そうだろ?」を付けられるという点でも、ササキリみはつよいと言える)。そこへ、「ばねゴミ」。あるのかなこの語、と思ったらまあないんですけど、いやひょっとしたら業界内ではあるかもしれないんですけど、この未知のような既知のようなの間を行く名詞の設定。これが絶妙だと思いました。ばねゴミ。なんか意地の悪いあだ名みたい。げろしゃぶみたいな。海外の児童文学で、口の悪いガキ大将みたいのがひ弱な主人公につけそうな感じがある。とすればばねゴミはそんなに悪いやつではなくなるし、この句もなにかの決め台詞のように見えてくる。友情が見える。誓いが見える。そういうあわいつながりを大切にしながらやっていきたいと、おれは常々思っているのさ。そうだろ?
────────────────西脇祥貴
口調は良いのですけど、音が良くないです。と思います。
────────────────雨月茄子春
数独のように整理するアルバム
数独、実はあんまりやったことなくて、数独に対する理解度が浅いのだけれど、各マスの関係性から任意の数字が当該のマスに書き込めるか推理していく作業、ってところまではなんとなくわかっているつもり。直喩ってやっぱり使いこなすのむずかしくて、でもこの句はばっちしハマっている感じ。数独のマス目の形と、アルバムに収められている写真の四角の感じがオーバーラップする。数独を解くように頭を悩ませつつ、でもサクサクと作業的にアルバム整理するこの句の人のパーソナリティがうかがえてくるのが興味深い。
────────────────太代祐一
老いらくの楽しみ、数独。そんなキャッチコピーはありませんが、数独、当方では新聞に載っていることもあって、おじいちゃまおばあちゃまの脳トレ資材としての印象が強いです。だとするとアルバムの整理とはかなり近い……。ただ、「同じ数字を一列の上に並べない」、という数独の唯一にして厳密なルールのことを思うと、楽しいはずのアルバム整理にそれが適用される脅威は感じられます。あるいは膨大なむなしさ。この世に一人残されてするアルバム整理のような。だとしたらあんまりかなしすぎる。
────────────────西脇祥貴
家のおばけずっと玄関あいてる
日本だけでも毎年たくさんの家が建っては壊されていて、その中には未練のあるお家もあるのだと思う。その家が玄関を開けて待っている。もう少し誰かに暮らして欲しいのかもしれない。怖さより可愛さが勝る。「ずっと玄関あいてる」の素朴な言い方もどこか寂し気で読んでいてすっと心に入ってくる感じがした。
────────────────スズキ皐月
素直に言わせてほしい。ほんとうに意味がわからない。おばけっていう日本語のせいなのかな。てにをはがない。結果はあるが最近原因がない。私は川柳を因果や同格の観点から読み過ぎていたかもしれないと反省していた、する、するだろう。(ここまで書いて終わりとしていたが、そうだ、句の話をしよう!)最初はずっと玄関が開いているような不可解な部分をおばけに預けて流してしまっていた。そうした一瞬の不可解さを、おばけなんかで回収するのは無理がある。何の関係もないじゃないか。ある家に特有のおばけがいることは、わかる(家のおばけ)。ずっとあいてる玄関というわけではなく、ずっと玄関あいてる、によって、家が"自分の"家であることも少しわかってくる。ずっとあいてる玄関だと、おばけを出してあげるみたいで意味が通りすぎていたかもね。ずっと玄関あいてる……まじでなんなんだ……。
────────────────ササキリ ユウイチ
バランス感覚がいいと思う。「ずっと」が浮いてないのがスゴい、ね!
────────────────雨月茄子春
家のおばけ。慣れ親しんでいる感じ。おばけは玄関を通らずに家の中に入って来れそうだけど、家のおばけのために玄関を開けておいてあげるやさしさか。
────────────────小野寺里穂
家のおばけ描写句。そんなジャンルを一句にして作ってしまったあなたはすごい。まず「家のおばけ」だけではフォルムに無限の可能性があるところ、「玄関あいてる」であ! 家のかたちしたおばけだ! とこれはおそらく万人に悟らせるであろう手際のあざやかさ。そして戻ってみると玄関は口のようでもあり、ぽかーんと口を開けっぱなしにしているおばけの愛らしさが急上昇。しかも「ずっと」だよ?! サンリオだよこんなの! いまちょうど『はじ川』の佐藤みさ子さんのところを読んだばかりだから、「空席にくうせきさんがうずくまる」とか思い出してキャラ川柳! ともなってる。でもサンリオだとして、だとしてだ、「ずっと玄関あいてる」には、ぜったい設定があるはずなんだ……ずっと帰ってこない誰かを待ってる、とか。今月の西脇はメンタルのせいで全体におセンチな読みをしがちですが、そういう、気持ちのいろんな時点でのわずかな揺れ、を大事にするのが川柳だと思ってるって最近気づいたから、こう読めるところは大事にしたいと思ってる。各々なぜずっと玄関あいてるのか、考えてみような。
────────────────西脇祥貴
母にはならんと菜箸で描く
「産まない」という決意は何故か台所が似合うイメージがある。どこから結びついたのかはわからないけど。この句も台所だ。「ならん」のぶっきらぼうな言い方は菜箸に集中している様とイラつきを同時に伝えていてとてもリアルに感覚を共有してくる句だと思った。
────────────────スズキ皐月
語として、母と菜箸が並べられたときの引力を否応にも感じてしまった。ほんとうはそんなの当たり前じゃないのにね。「母にはならん」という力強い決意を、本来なにかを描くための道具ではない菜箸によって描くとき、既成の価値観へのささやかな抵抗ではないのだけれど、透きとおった苛立ちのようなものをこの句から感じることができた。
────────────────太代祐一
なんか昔の川柳本で引用されててもおかしくない不思議さがある。割烹着着てる?
────────────────雨月茄子春
4・4・5・2の句がここにも。主張に対して道具が菜箸なのがザ・つかみどころという感じがしてふうむ、と思うけれど、「書く」じゃなくて「描く」なのは気になります。字で書くならかんたんだけど、図、ないしは絵に描くわけで。これがどういう絵になるか、ということへの期待と想像はふくらみます。ただ、にしても、ここに気が付けないと……という気はしてしまいました。
────────────────西脇祥貴
プリケツに剃り込み入れたヤンキー犬
かわいいね
────────────────公共プール
もう。最後犬だからかろうじて救われたようなもの。好みの開陳じゃん。かわいいけどさそりゃ。しかも剃り込み入ってるからって犬がヤンキーとは限らないし! ただ犬を飼ってみたから分かる気持ちとして、犬ならば、犬種を指定してほしかったな、という欲が出ました……なんだこの欲。そういえば川柳ってプードル好きですよね。プードル以外の犬出てくる句もあるのかな。
────────────────西脇祥貴
場の空気によるけど今回はギリ滑った気がします。
────────────────雨月茄子春
ナクバ われわれにもう鶴は食えない
ルネ・マグリット「鳥を食べる少女」+JALの鶴+日の丸+キャピタリズム+イスラエル、なんでしょうけど、もううんざり。
────────────────西脇祥貴
いつまでもふにゃふにゃしていましたとさ
「めでたしめでたし」よりも「ちゃんちゃん」で終わるのが似合う。実際、これで終わる物語が不幸だったり、取り返しのつかない悪い状態であるはずもない。望まれたようには上手くいかなかったかもしれないけど、穏やかさや、ゆるさを肯定する終わり方の決まり文句になるかも知れない。いつまでもふにゃふにゃしてた〜い。
────────────────城崎ララ
投句一覧では重い自句(ナクバ~)のあとにこれが並んでてくれて、ほんと個人的にありがたかったです。ナクバの句がどうなるかわからない気持ちがあったから余計に。そしてそういう個人的な謝意だけでなくいいと思う。「いつまでも~ましたとさ」の鉄板フレームに入るものとして、「ふにゃふにゃ」は相当川柳だと思う。なぜそう思うんでしょう。なにげなく書いたフレームの鉄板さ=堅さの真逆にあることばだからというのもあるし、ふにゃふにゃ、音としても意味としても、さらに字面からしても開いている。おしまいの決まり文句の中にありながら、なにかを外へ漏らしてしまいそうに見える→まだ終わらなそうに見える。このつづくと言わないつづき方のぬるさがポスト現代川柳らしくもあり、またそれ以前に三要素にも適うことで、すでに川柳らしくある。ふにゃふにゃした人の多かった頃(明治~大正? 思い込みです)にははまりにくかったかもだけど、そういう人たちがみんないなくなり、対象化されてしまったいま見ると、ある種凄絶な風も吹いてくる句だと思う。なかなかいつまでも、ふにゃふにゃしてはいられないものだから
────────────────西脇祥貴
あまりにも寸胴すぎる句ではないですか??
────────────────雨月茄子春
フェイクグリーンも言葉の文も金次第
フェイクグリーンは相当そうなのですが言葉の文のほうも金次第なのはウケるし、どこか物悲しさがある。本来地獄の沙汰もって言いたくなるところを言葉の文もに置き換えたのは何かあると思うんですが、ちょっとピンとこなかった。フェイクグリーンが金次第なのは面白かっだ。
────────────────城崎ララ
色のことかと思ったものの、模造の植物のことだったかも……まで思い至ってしまったがために、調べてしまいました。でも色だったにしても、もとより「金次第」ではあるな、と。むしろ金次第ではないものを探すのは、思った以上に難しいのでは。言葉の文(あや、と思っていたけれどおそらく綾の用法が多い、ひょっとしてぶん? ふみ?)も金次第でないとは言いにくいし。
────────────────西脇祥貴
オーロラのこちらで長く待ちました
長く待ちましたに惹かれた句。オーロラを待っていたのではない。オーロラで隔てられるあちらの、何かを待っていた。「オーロラ」「長く」によって間接的になにかスケールが大きなものが描写されている。
────────────────城崎ララ
オーロラの向こう、と言うときそれは大体彼岸のことを意味する(と思ってたけどちがいますっけ、用例が思いつかないけどなぜかそう思った)。とすればこちらは文字通り此岸。なんて整理してしまうと野暮で仕方ないけれど、言い方の工夫以上のことをここからどう読みだすか……。オーロラがむずかしいとも思う。だいぶ色のついた単語ではあって……。きれいすぎてしまうのがそのままでいいのかな、と思ってしまいました。実感が乗るとちがうんでしょうけど……。
────────────────西脇祥貴
レースで巻かれた骨壷を食み
骨壷食べとる…… 骨壷って確かに布で包んであるし箱に入ってたりするからクッキー缶みたいな気持ちありますよね。巻かれたレースが崩れていないなら大事に持ち帰ったのだろうな。
────────────────城崎ララ
第一印象は白くてかわいい。ただ、骨じゃなくて骨壺を口にしてるあたりがよくわからない。なんで壺?と思ったけど、もしかしたらまだ骨が入っていない未使用品で、レース付きのかわいい壺を作ったか、どこからか手に入れたか、もしくは与えられたのが嬉しかったからかもしれない。そうなると、事の初めは骨壺としてではなくてふつうのかわいい壺を、誰かの死後、骨壺として使おうとしたのかもしれないな。それだと、口にしているのは犬というよりにんげんだし、レースのつながりから赤ちゃんが何もわからず口にしているようにも思えてきた。多くの場合、生殖できる雌と雄が望んで子どもを作るけれど、作られた当人はわけもわからずこの世に産み落とされて、しばらくしたら例外なく死ぬ。この骨壺を食むのは一方的に産み出されるうつし身のおれらみんなという読みもできてしまう。ただ、レース付きの壺は作るのが難しいに違いないから産み出されたほうは気楽でも、産み出すほうは雌も雄も大変な苦労と苦痛があるって思うと、このレースはやっぱり祝福なんです。そんなことも自覚しておきたい句。
────────────────公共プール
4・4・5・2のリズムの句が今回3句。同じひとなのかな。だとするとひとまとまりに並べてみたときまた印象が変わる気がする。けれどごめん、評は句ごとだから句ごとでやらせてもらいますね。これは絵がしっかりしている句。レースは網目が細かいし時間がかかるから、骨壺を巻けるくらいのものとなれば相当の思いがこもっているはず。どんな模様かも気になるところ……図案にも意味がある、その可能性もちゃんと見えてきます。そのレイヤーが、骨壺のレイヤーに重なる。勝手ながら両方白で想像しました。レースはやや温かく、骨壺は冷たい。この温度差の対照の時点でもうつくしいのに、さらにこらえきれずに食んでしまう。いとしさのあまり骨を食う、という話は聞いたことがありますが、骨壺を食む、というのはやや不思議。これひょっとして、骨、入ってないんじゃないかな。からっぽの、来たるべき死に、恍惚としてるんじゃないかな。だとするとけっこうお耽美で浮ついた句にも見えますが、レースを編み、それで巻いた骨壺を食む、というやや曲がった執念の魅力に免じて並選入れておきます(たぶん骨壺がうまいんだとおもう、ロザリオとかならぜったいこうはならない)。
────────────────西脇祥貴
棒付きのアイスを想像したら負け
一番にとるか迷った、と言っておきたかった。想像したら負けって納得できるゲームなんだけど、想像したら負けを持ってきた時点でもう川柳的には勝っている。敗北感を最速で味わえる。いいねえ。棒付きのアイスを必ず想像させることに成功している。強い。
────────────────ササキリ ユウイチ
この句が投句一覧の最後だったんですよ……これは今回の並びの妙だと思った。前23句を全部引き受けてた。23句を読んだうえで、「棒付きのアイスを想像したら負け」。ゴーストバスターズ。マシュマロマンです。そしてね、たぶんぼくだけじゃなく、数人は思ってるとおもうんです、自分の句を読んで、棒付きのアイスを想像してくれる人がいたら、それって最高じゃん、って……。そういう、中の人たちの思考をさえ描き出して、さらには負けって茶化してしまう(負けを突き付けるような言い方ではないと思う、負けー、くらいの軽さ)句だと思いました。いい仕事。で想像するものとしていいんですよ、棒付きのアイス……いかにもアイスアイスしていかにも(いい)チープ、いかにもスウィート。そういう性質のどれを受けるかによって、句の前の前提がいろいろ想像できるのもいい。怖い句にもやさしい句にもなれる、そのうえ今回この場に限ってはメタにも機能している。ちょっとうますぎなので並選にしておきます。