川柳句会ビー面 2024年9月
匿名互評の川柳句会の選評と投句一覧。目次に無記名の句一覧があるため、無記名句一覧の仮想体験も可能。(2024年9月参加者*ササキリユウイチ・スズキ皐月・公共プール・南雲ゆゆ・城崎ララ・太代祐一・西脇祥貴・雨月茄子春・小野寺里穂・黒澤多生、10人)
本当は一人もチャリで来なかった
みなそこもまちがい電話に共鳴す
本当にきらいな人をすべる皿
南十字が狙うカニカマ
鳥貴族、星屑たちが、飲んでいる
おれら死屍おれらルイルイ午后の浜辺に
アニサキスのaiを発揮しているね
家が火事。ぼくらは白球を追った
バルスではなく手続きで壊す
多重露光の隙間で傾かす
宵ふけてなかぞらにうくハローマックは
「厄年」とアドバルーンが揺れている
Wi-Fiの切り傷なんかたのしそう
ギロチンにXァ時間タイムの模写をする
フロントガラス 黒の靴下 青年誌
語るに顎。ただ、音だ。
日暮を恐れ連泊の涎は凍る
二本少ない川の字で、寝た
可食部変更〆切るからまって
数万行後 有終の舌ファミコン
大阪よ立たないしゃもじ立つしゃもじ
蝉のブローチ 永遠はこれ
青が雲電子回路が強姦魔
寄せ書きされてみづうみも痒かった
エンケンできみの痛みを消したげる
ダメ押しでも放っとけよ閃光
三子以降直喩の国のお姫様
満月の声真似みんな寝たようだ
トラックの枝に庭師がよく跳ねる
渾身のいちまでくぼむ銀世界
川だったなら納得ね、軟らかい
あっちこっちにコピペした舌
大丈夫ではないひとのお米つぶ
父を産む父に野生のベルマーク
せせらぎの辞典は軋む舟である
誕生日としてあなたに訪れる
愛をゴージャスにしておく見つけてよ
アンパンがデカくてこわい3時間
クリムトのクロール 歯朶を手放す目
目の敵でも刺身とか買えるんだ
本当は一人もチャリで来なかった
「チャリで来た」プリクラが元ネタだと思うけど、そのネタ抜きでも通用する諧謔が感じられるのは、「チャリ」という語自身がもつ面白さゆえ。
────────南雲ゆゆ
寂しそうな句だ。祭りのあとみたい。その寂しさが好きです
────────城崎ララ
ということはまず、何人かが「チャリで来た。」と言ったらしい。でも本当は、じゃあ、どうだったんだろう、という。別の手段で来たのかな、というかんがえの背後から、夜の帳のようにずあーっと押し寄せる不安感がある……「本当は」「一人も」「来なかった」、が、本当なのではないでしょうか。じゃあ来たと思っていたあの人たちは、何? 「記憶にはない少年が不意にくる/石部明」に近い闇のにおい。読めば読むほど重たく沈んでいく、「本当」。
────────西脇祥貴
こういう句は後半にスッと置かれているとおもしろさが強まると思う。
────────雨月茄子春
みなそこもまちがい電話に共鳴す
共鳴す、の終わり方が自分は乗れなかった。最後だけ硬いと思う。
────────雨月茄子春
リトルマーメイドの世界? みなそこで電話に出たら、まちがい電話だったと。空気・気流のない世界なので、共鳴の感じられ方がより物質的にはなります。そうなると考えるべきは助詞「も」の呼んでくるものと、共鳴のもとがまちがい電話に限られていること。前者はたとえば藻とか岩とか小海老とかも共鳴してるんだなあ、とか想像できる。でも後者は、じゃあまちがい電話じゃなければみなそこは共鳴しないのか、それ以外とまちがい電話の差とは? あるいはこの電話の置かれている場所周辺の土壌要件によるのか? ……などと、あまりよくない方に掘れてしまうのでちょっとそれは止めておきます。ただ、まちがい電話のかかってきたある一時のこと、としておくほうが無難そうです。まちがい電話に内在する、共鳴の力みたいな。
────────西脇祥貴
本当にきらいな人をすべる皿
滑る/統べる。人の肌を滑る皿を思い浮かべた。肌から滑り落ちると、皿は割れてしまうだろう。けれど落ちないような位置を維持しながら、人の姿勢も調整しながら滑っている、皿は統制する。
────────南雲ゆゆ
滑る、統べるの両方ともに当てはまる「すべる」が人間に働きかけてるように見えて、無機物のシンギュラリティを感じた
────────黒澤多生
「本当にきらいな人」という言い方が平凡なようで、直接的な名指しではないため日常では使わない言い回しな気がする。それを皿の上でに並べる画がシュールで面白い。
────────小野寺里穂
滑るで読んだ。本当にきらいっていう強い意思が提示され、素朴すぎて面食らった。その人をきらってるのは、皿?っぽい。寝そべってる人?のうえを皿が滑っていく変な景で十分たのしい。
────────公共プール
滑る? 統べる? たぶん滑る読みが優勢なんじゃないでしょうか。だとすると回転寿司かな、と思ったり、いろんな人の手から次々滑り抜けるポルターガイストなシーンを思い浮かべたり。いずれにせよ、皿にないはずの意志みたいなものを想像させられます。それを一通り想像し切ったあと、そっと統べるに取り替えてみると、この魔性の調度のおそろしさが目前に立ち現れるような。ある意味、手にしようとした人たちの手を次々と滑って渡り歩く呪いの皿のようにも見え、呪いの皿をこう捉える見方があるのか、とは思いました。
────────西脇祥貴
滑ると統べるで読みブレねらうところが憎いっす。
────────雨月茄子春
「すべる」には滑る/統べるのおよそどちらかが該当すると思うのだが、ひらがなに開かず、字を定めて硬質にしたほうが迫力が出る句なのではないかと感じた。逆に言えば、開いたことで印象が和らいだ句。好みにもよるかも。
────────城崎ララ
南十字が狙うカニカマ
食いしん坊! あらためて調べると南十字、日本から見えないんですね。知らなんだ。南天には南極星がないので、航海する人は南十字を目安にした、と……そいつがカニカマをねらっている、と……。これはカニカマを机の上に置いて読むとおもしろいかな。一個のカニカマに見えざる天上から寄せられる、食欲の視線……この視線への気づきのおもしろさかも。じゃなきゃほぼカニカマ。
────────西脇祥貴
カニカマはうますぎたと思います。うますぎて、逆に作為の手が見えるところが僕はベットできない点です。
────────雨月茄子春
鳥貴族、星屑たちが、飲んでいる
要らなすぎる「、」のダメ押しに流石に笑ってしまいました。でもこのおもしろさって一枚目のメタだと思って、腰をどっかりと下ろして考えたときに、「鳥貴族星屑たちが飲んでいる」の絶望的なダサさが二枚目、三枚目のメタだなと確信して、この句は推せると思いました。
────────雨月茄子春
もう一度点棒計算したかった/雨月茄子春 を超えていないと思い直した。それが説得力を持っていないとしたら、「夏の終わりのハーモニー」の、「星屑のあいだをゆれながら」はどうか、という問い方もできる。
────────ササキリ ユウイチ
下北沢でしょうか(鳥貴族下北沢店の実在確認済)。星屑は美化し過ぎにしても、この句で涙する一定数の読み手は想定できる気がします。下北沢に縁のない身からすると……とはなりますが。下北沢を離れましょう。おもしろいのは読点で、これで5・7・5が分裂していることで句全体もくず、というか部分の寄せ集めであることがなんとなく感じられ、星屑の屑の部分の強化につながっています。ただ5・7・5のあいだに入れるのはちょっとそのまま過ぎる気もしました。あんまり増やしてもだめだけど、もう少し読点多めでもいいかも。するとほら、読点で区切られた各部分に部分の数だけテーブルが幻視され、星屑たちの悲喜交々が、より多重な演奏をなして人生を描き出す――かも。いっそトリキのキャッチコピーっぽいか。
────────西脇祥貴
鳥貴族の酔っ払いが「ここで一句」したら、こんな感じの句でこんな読み方をするんじゃなかろうか。
────────南雲ゆゆ
おれら死屍おれらルイルイ午后の浜辺に
ちょっと気になるフレーズ、リズムでした。
────────雨月茄子春
作者コメント
ほとんど虎に翼でやんなっちゃう
────────西脇祥貴
アニサキスのaiを発揮しているね
エーアイ、ではなくアイ、でいいのかな。アニサキスにはふたつのaiがある(アニ(ani)サキ(saki)ス)。母音だけで読んだらaiaiu。だったらどうなんだという話ですが、これはaiから愛とかを呼ぶよりも、アニサキスに内蔵されたai音が導くなにかしらがあって、それが発揮(hakki、ここもai!)されているという読みの方がおもしろそうです。音そのものに意味がある、という仏教典翻訳みたいな思想が息づいているのを、こともあろうにアニサキスを題材に取り上げてみた句。アニサキスの軽みと生活感は好対照でしょう。で、アニサキスのaiには、どんな言霊が宿っているんでしょうね。
────────西脇祥貴
「ね」で友達みたいに肩を組んできてびっくりしてしまった。
────────雨月茄子春
家が火事。ぼくらは白球を追った
ジュブナイル感がとてもあります
────────黒澤多生
状況としてはとてつもなくあり得ない寄りの状況ではあるのだけど、奇跡ってそういうものなんだろうな。火事の中で白球を追うのは理屈つけて想定することはできるのだけど、ただ火事+白球くらいの認識をすると切ない感動を呼んでくる。良い句だと思います。
────────スズキ皐月
火球が再生されるのはどうしてだろう。
────────雨月茄子春
句点の前後で驚くほどシーンがぶつ切れていて、その無神経度合いにぞっとさせられる。のですが、これは句点があまりうまく働いていないような。なにかここに区切りの記号が欲しい気持ちは分かれど、句点では意味が付きすぎる気がします。かといってそう、無いとつながりすぎるんだよな……。あと句点前後が意外に飛躍してないのをどうとらえるか。飛躍なのかな、白球がくじ引きのはずれの玉だとすると、付いてくる意味もあるような……。
────────西脇祥貴
バルスではなく手続きで壊す
夢と現実の区別をつけるという言い方がある。手続きの現実感はまさにそれ。現実にあるこの句は読み手の納得を得る句だが、ラピュタの世界にこの句があればきっと怖さも得るだろう。
────────城崎ララ
「バルス」と「手続き」の比較。一方は呪文でもう一方は緻密な手立てがある。しかし導かれるのは破壊。そのチグハグさのバランスがいいと思った。
────────小野寺里穂
句全体に固さがあってそれが意味の面にも良い作用を与えてる。冒険っぽさは無くなるけど、あの空に浮かぶ城を手続きで壊すとなるとリーガルドラマっぽくなってそれはそれで面白いかもしれない。
────────スズキ皐月
言いたいことはいいと思った。おれもよくそう思うことがあります。ことばの力は偉大なれど、あれはラピュタの時代の話。いまあそこまで力を持ったことばは、たとえあったにしても、そのことばを受け止める側の神経がぼやけてしまっているので、力を発揮し切れないでしょう。だから手続き。手続きを極めて確実に壊す。その努力もバルスと同時に必要だよな、と思います。ほんと。だから好きな方の句なんですけど、下の句の5・3の音の割り振りが野暮ったく……早く5を読んだとしても、手続きがもとから野暮ったいので逃げきれない感じがしました。欲深い選者になってしまった。
────────西脇祥貴
空き家問題は行政の悩みの種ですもんね。
────────南雲ゆゆ
多重露光の隙間で傾かす
これははっきり納得の光景だとおもう。多重露光の原則な気がする。光景に対して、光景を重ねるとき、かならず水平面はずれている。だからこそ、私は当たり前だとさえ考えてしまいました。光景の重なりが平行であるはすがない、確かに傾いているだろう!と。だが、それはあとに思い直したが、それは知識で読んでいるという、恥ずかしいことだと考えた。それは、「隙間」と言う言葉を無視しているからだ。レンズは円形の景色を移しているのに、センサーと内部処理は、矩形状のものに圧縮してしまう。隙間は、しっかり考えれば、おそらくこの世にはまだ知られていないか、こうした言い方が正しければ、"光を浴びていなかったのだ、その角度も、その強度もしらず……"。
────────ササキリ ユウイチ
最初スルーして、その後多重露光を調べたほうがいいかも、と思い再読しました。ああ、白夜の日の太陽のうごきを、一枚の写真に収めるやつか……カメラは動かさず、同じ感光紙に何度か光を入れる。その入れるときと入れるときの隙間、ってことでしょうか。それは読めそうだとして、問題はその後の傾かす。目的語なしはここではちょっとぼんやりしすぎるような。カメラ本体を、なのか、それ以外の、むしろ世界の方を、とかなのか。おもしろくなりそうですけどもう一歩ほしかった。
────────西脇祥貴
良さそうな句。気になりました。
────────雨月茄子春
宵ふけてなかぞらにうくハローマックは
こないだもどっかで見たな、ハローマック。二十代の人は御存じなのでしょうか、あのでかいライオンの看板を。天井の低い店内を。おもちゃしかないおもちゃ屋を。流行ってるんでしょうかハローマック? しかしこの使い方はいい感じ。はじめ句末の「は」はどうかな、と思ったけど、なかぞらにうく感の足しになってると思えて来ました。あれだけ大きなものがうく、しかも宵ふけた時間帯&なかぞら→ともに半端なゾーンに。この半端さが、ふけてなかぞらにうく、のひらがな表記、ハローマックの選択、そして句末の「は」まで徹底されているのがよくできてると思いました。しかも調べたらハローマックって、靴流通センターの不採算を返上するために、ファミコンブームに乗っておもちゃ事業を始めたことでできた業態でした。存在がすでに半端だった!! なかぞらにうくポテンシャルはあったわけだ、これ知っててこの句になったのかな……。ちなみにぼくが思い浮かべているのは、実家近くにあった、田んぼの真ん中を突っ切る広い道路沿い、田んぼに囲まれ淡くひかっていたハローマックなのですが、そういう具体的なハローマックが脳内にあるかどうかも、評価に大きく関わりそう。むずかしいですね、ハローマック。
────────西脇祥貴
「厄年」とアドバルーンが揺れている
うれしい気持ちになった。「厄年」と書かれたアドバルーンを神社が浮かべて、青空に厄年バルーンが浮いている景を想像した。あり得るかも?と思わせてくれる写生の間抜けさが美しいと思った
────────公共プール
「厄年」はアドバルーンの台詞だろうか。怪異だ。
────────南雲ゆゆ
Wi-Fiの切り傷なんかたのしそう
カズレーザーさんのギャグ、虚空をいきなり横薙ぎにつかみ取って、「つかまえた、Wi-Fi!」を思い出しました。フライングフィッシュみたいなことなのかな。とするとWi-Fiを握るジェスチャーも相まって、細長い形状のWi-Fiが肌のそばを音速で通過するときできる切り傷のことが思われました。かまいたちと同じ原理か。いやだとしたら相当大変じゃないWi-Fi、飛んでる空間内にいる人みんな傷だらけ。でも、「なんかたのしそう」。この無責任さ。電波による身体への害、みたいなシリアスなことともつなげられなくはないけれど、ちょっと不謹慎でも、その前の想像のおもしろさのほうを取ってみる。それはたしかに川柳だよな、と思っちゃったから並選入れます。でもだいぶゆるいですね、「なんかたのしそう」。あるいは切り傷なんか/たのしそう、と切って、擬傷の言訳としてWi-Fiを引っ張り出してきてるとも読めそう。これもシリアスの前のおもしろさだと言えそうです。じつは三要素が備わっていると言える句。
────────西脇祥貴
言われてみれば切り傷から血が滴ってるシーンに見える。
────────南雲ゆゆ
ギロチンにXァ時間の模写をする
「Xァ時間」が本当にわからなくて、ギロチンもわけわかんないくらい怖い器具だし、時間の模写もわけわかんなくて、で、ずっとわけわかんないところが良いと思った。ギロチンのスラッシュ感を、Xとか模写(モシャ)の音が強めてる。「Xァ時間」、声に出すと「イクサァタイム」になるところ、ライオンの欠伸っぽい。初見で変だなと思って、ずっと変であり続けたので、特選にしてみました。
────────雨月茄子春
Xァ時間とは(笑)
────────南雲ゆゆ
そも読めやしねえ。X(クサ)ァ時間(タイム)? あるいは変数として、単一の音を当てるのを拒んでる? 拒まれると近寄りたくなるたちだから読もうとしちゃう。とりあえずXァ時間は置いといても、「ギロチンに」「模写をする」が結構いい感じです。特に「に」が。ギロチンに絵を描くってもうアートじゃないですか、デュシャンの、あれはサインだけだけど「泉」とか。あのサインだって偽名だとすればもうサインじゃなくて、絵を描いてるようなものだし(?)。その動作の光景だけでかなりぐっとくるところへ、うーん、やはりかんがえねばならんか、「Xァ時間」。いちおう検索しましたが出ず。造語、なのだとしてもかなりレートが高い……。かつて「チャイヶ一……」をやったササキリさんを思い起こすのは簡単ですが、だったとしてまたここ? とはなる。もうビー面はここは通り過ぎたものだと思ってた、それより「ギロチンに」「模写をする」なんてとてもおいしい取り合わせを見つけたのだから、ここを生かしてほしいと思ってしまった。うーん、でもそういうおいしい取り合わせのおいしさがかつての比でない、ということを鑑みれば、これも進歩した句、なのか……? 台無しなのか進歩なのか、他の方の評を待ちます。
────────西脇祥貴
フロントガラス 黒の靴下 青年誌
大変好意的に捉えた。575の間を開けるのにもうんざり、それを踏襲した現代川柳の羅列にもうんざりだ!ふざけやがって、とさえ思う。むろん、それは半分冗談だ。私はこの句の「青」が好きだ。
────────ササキリ ユウイチ
ゆゆママ(南雲さんの御母堂)が『川柳EXPO2024』を読んでくださったそうで、こえのビー面南雲さん回の時そのご感想を一部教えてもらったんですけど、「一見関連のない単語を並べて悦に入っているのみの作品はよろしくない」、という辛辣に過ぎるやろということばがあり、背筋がしゃきっとしたことを思い出しました。やりたい気持ちはわかる。そしてその気持ちがわかると言うことは、おそらくこのパターンの句はもう相当数存在する。順列組み合わせで当たりを引こうとするならそれはもう半分バクチで、川柳として面白がられようとするならバクチの割合をどこまで押さえ込めるか、工夫が必要になってくると思う。し、その努力はして損はないと西脇は思います。そんなん気にすんなって人もいると思うけど。成立しちゃう、ほぼ575に読める音型で単語並べたら、川柳として。だからその先のハードルはぐんとあがるし、この句はそのハードルを越えられてはないと思った。順接すぎる。一字空けに従ってモノそれぞれを並べてみたとしても、手術台の上のミシンと蝙蝠傘にさえ届けていないと思う。がんばれば、靴下の色からなにかを読み出せるかもしれないけど、ちょっと無理を感じる。抜きすぎだと思う。
────────西脇祥貴
河川敷で括れそうなところが逆にマイナスと思うけど、試みがいいと思う。
────────雨月茄子春
語るに顎。ただ、音だ。
そう思う。「語るに落ちる」の「落ちる」が、「顎。ただ、音だ。」に差し替えられて、落ちるよりも克明に、その欠落が、落ちている。
────────雨月茄子春
全てのことばが「ただ、音」であるはずだという前提に立ったうえで、「顎」ということばを発話するときの顔の全体の動きは「顎」というからだの一部に密接に重なり合っているように感じる。音と動きと意味の一致。句読点はビジュアル的にも、発話のタイミングを測るうえでもこの句においてうまく機能していると思う(演技っぽすぎる一歩手前で踏みとどまっている)。
────────小野寺里穂
「かたるにあぎと。ただ、おとだ。」でジュニーク。なんか回文っぽく見えるのぼくだけでしょうか。回文じゃないけど。これは句の言うとおり、「ただ、音」なのかも。ただ、音をたのしめばいいもの。そういうシリーズは構想できそう。だけどだったとしてこの句のみで見ると、そういう連作のはじめとしての自己言及が過ぎる気がして、新たな連作の可能性にみずから身を投げてしまっているように思えます。そこまでしなくていい。後が続けばそうもみえなくなるんでしょうけど。むずかしいね。
────────西脇祥貴
ひとが喋っているのを見ているみたいな句。ただ、見ているだけという感じがする。
────────城崎ララ
これが誰の句かわからない。たとえば、西脇さんだとして、そんな短くする必要はないと考えた。まあ、誰が作ったか、そんなことは関係ないが。
────────ササキリ ユウイチ
スマホでカタルニア語が語るに顎と誤変換された。選句期間になって知ったが、一般にはカタルーニャもしくはカタロニアらしい。言葉遊びに気付かれないかも。母校では「カタルニア語」として開講されていたので、そのほうが親しみやすく、それも個性かな?と思って肯定的に捉えてみる。
────────南雲ゆゆ
日暮を恐れ連泊の涎は凍る
全体的に、特に後半の要素が多いように思った。
────────南雲ゆゆ
この句だけは、はっきりササキリだとバレているんじゃないかと推察します。
────────ササキリ ユウイチ
二本少ない川の字で、寝た
「二本少ない川の字」という発想は伝統句会でも人気が出そう。親元を離れた学生とも、家庭を持つ人生を想像する独身とも、配偶者と子を亡くした人とも取れる。で→ねの口の動きがスムーズにいかないので、「、」で一拍置かせる演出が功を奏してると思う。
────────南雲ゆゆ
こういうシンプルさがよい。おもしろだけじゃなくて社会風刺にもなってる。
────────公共プール
「ひとりじゃん」とか「Iじゃん」みたいなツッコミを待っている句でそこは素直に面白かった。読点はちょっと邪魔な気もする。
────────スズキ皐月
読点いるかな……個人的にはない方が好きだけど(なくても意図の存在は感じるし、ここで切って読ませることはできる)。つまり一人寝ですよね。そうじゃない場合はややこしいけど、それが伝わればいいなら読点はなくてもよさそう。あるいはあえてあるとして、その意味を掘っていくなら……なんでしょう。寝た、がじつは主体の動作じゃなくて、だれかに二本少ない川の字のことを説明していて、その相手が寝落ちした、ということ? あるいは一人寝のさみしさが読点の間のところで、いったん極まったか。そういう読点の使い方、どうなんでしょう……。
────────西脇祥貴
可食部変更〆切るからまって
しばらく「〆切るから/まって」と読んでたのですが、縦書き出力で見直しててはじめて「〆切る/からまって」があるのに気が付きました。この揺れ、避けたい揺れかな……。ともあれ中身は可食部変更を申請するものがあって、というかそもそも食べられるものの方から可食部を申請できる前提があって、その変更を〆切るタイミングのこと。前者の切り方だと申請を受け付ける側(神?)がなにかよそごとをしているか、誰かに呼ばれて、あ、じゃあ先〆切っちゃうからちょっとまって~、みたいなノリでつぶやいた言葉と取れ、後者なら〆切る際になんらかのからまりが生じたもよう。うーん。そう解いても前者がいいかな、「からまって」はことの複雑さを示すのに便利すぎる気がする。ただ揺れるからもちろんどちらもあり得、そう思うと前半可食部変更〆切るのおもしろさが後半ぶれてしまうのがもったいないと思いました。
────────西脇祥貴
数万行後 有終の舌ファミコン
40行に渡って川柳が並ぶ今月のビー面。見えていないだけで、実は存在する「その下」にも川柳は続いているとしたら……?無限に続いてるわけではなく、終わりがあること、数万行後という設定が句のリアリティをあげている。舌ファミコンは分からないけど、響きがなんか良い。
────────南雲ゆゆ
美を舌ファミコンにしてくれてありがとう!だいすきだ!さっさと全部かえてしまえ、数万行もいらん!いらんことなどわかってるんでしょう?川柳なんだ。数万行後は完全に嘘で、もはや数万行すら美と同じくその莫大さを失っている!
────────ササキリ ユウイチ
舌ファミコン、をビー面に置いておきたかった。
────────西脇祥貴
大阪よ立たないしゃもじ立つしゃもじ
倉本朝世さんの、千あれば千の夕焼け哺乳瓶(『硝子を運ぶ』所収)という句を思い出しました。瞳や指の数を示すことで集団全体を把握させる書き方は見かけますが、まさか立たないしゃもじを引っ張ってくるとは。手柄です。「大阪よ」で大きく振りかぶっておいてしゃもじの抜け感で駆け抜けていくのは見事です。どうでしょう、立たないしゃもじと立つしゃもじだったら圧倒的に立つしゃもじのほうがマイノリティーなんだろうな。ここまで書いて、ああなんだ、多様性の読みも成り立つかもしれないと気付いたけど深読みかもしれません。とにかく豊かな句だと思います。
────────太代祐一
しゃもじがとてもはまってる。大阪は天下の台所だからかな。立たないしゃもじはそれは普通のしゃもじなんだけど、それを使う家庭もあるわけで、大阪のいろいろな家庭を想像させる。シンプルだけど魅力的。
────────スズキ皐月
なんか俳句っぽいなあと思って、そう、さっき風呂入ってて気づいたんですけど、俳句と川柳の差って、前提として確保される空間の大きさの違いかなと思った。俳句は前提として、句で表現されるだろうことがらの前にあらかじめ確保されているスペースが大きい。天井も高いし奥行きも深い。そういう空間があったうえで、一点の現象にフォーカスする動きを、広大な空間(≒森羅万象)とあわせて把握するのが俳句。で川柳はまずことがら。ことがらを描き出すことでその背景、展開、あるいは混乱への導線をそこ=ことがら、ことがらを表すためのことば、それらことばのつながりなどからいくつも生やさせて、導線をつぎつぎアクティブにさせていくことで、結果大きな空間をうしろに見ることになるのが川柳。……どうでしょう。そういう分け方でかんがえると、順序から俳句っぽいなと思った、という話でした。大阪だし。詠嘆してるし。しゃもじにフォーカスするし。でもこれって一句内のどこに目を付けて読み出すかで変わって、しゃもじから始めたら川柳だなー、とも思いました。そんな程度の違いなんじゃないでしょうか俳句と川柳。しらんけど。とすればしゃもじが句内で立ててある(卓立のほう)度合いの方が強そうなので、川柳なのかな。だとしたら伝統句の匂いを汲んだおもしろさがあっていいと思う。とぼけてるし。大阪の人が読んだらどう思うかな、というのだけ気になる。
────────西脇祥貴
蝉のブローチ 永遠はこれ
私は蝉が大嫌いだ、あの目が。おそらく、ブローチであれば、あの目が光った石かなんかに当てはめられているんだろう。蝉の刹那、蝉がすぐ死ぬこと、そこには甚大な同情があり、嘲りがあるだろう。だからこそ、永遠が光っていると感じた。
────────ササキリ ユウイチ
この語り方は相当雨月さんっぽい。無邪気、つぶやき、からの反射される普遍、あたりでとらえられる雨月さんの川柳の特徴があるとして(それだけじゃないけど)、かなりそのキャラクターに引かれてしまう。雨月さんじゃなかった場合、名前が出た後それでひょっとしたら損することがあるかもしれない。雨月さんだった場合、ちょっとシグネチャーすぎて見えるかもしれない。はい、作者当てゲームおわり。いい句だと思います。作者当てゲームなんかしてるよりちゃんといいところを言いたくなるくらい。オニヤンマのブローチが虫よけになるって流行ってるそうなんですけど、これは蝉。ぬけがら、と読みそうですけどあくまで「蝉」。色合いも密度もちがうからここは書かれている通り蝉で行きたい。ぬけがらだと、語り方はやや面白いけれど内容があまりに素直すぎるし、そういう挑戦だとしても、もう少しその内容は疑った方がいいと思う。で、短命、っても地上での期間だけの話ですけど、の蝉に対して「永遠」をぶつけ、しかも「これ」だと言ってしまう。これ蝉を永遠って言ってるんじゃなくて、蝉の「ブローチ」、あるいは蝉のブローチを身につけることを永遠だって言ってるんですよね。概念の通販番組みたい。と思うと途端に蝉と永遠の対比が効いてくる。うそお、ってなる、そこに面白みを感じつつ、断定的に永遠を持たされた蝉のブローチがどんなにきれいか想像することになる。ちっちゃな永遠。川柳に合う永遠のサイズってこんなものかも、と思わせてくれたのがすてきだと思った。
────────西脇祥貴
「これ」という限定の対象が、永遠を受け切れてるのが勿体無いかも。蝉のブローチってそもそも永遠だもの。
────────雨月茄子春
青が雲電子回路が強姦魔
AがBの問答体ふたつでできた句。と分けてしまうと、15.の句のようにゆゆママの視線が気になってしまう。四つの事柄の順列組み合わせに見えてしまう。この弱みをどうやって越えるか、の工夫はでもこちらの句には見られて、それが青と雲、電子回路と強姦魔各ペアの間の飛躍。これがあるおかげで、導線が句の外に伸びていってる。ゆゆママにはこの点でとりあえずご納得いただけるでしょう。あとはふたつの「が」。これが各要素をどうやって生かしあっているか、ですが……そこを読む句でもないのかもしれない。単に飛躍と飛躍をああでもないこうでもないとひねくり回すのがいちばんいいのかも。
────────西脇祥貴
寄せ書きされてみづうみも痒かった
『川柳アンソロジー みずうみ 』(田畑書店)に並べられていてもかなりいい句なのではと思った。水の句を自分も書いてきたし他の人の句も注意して読んできたが、この句はみずうみのキャラ化≒擬人化に成功している。大きな水のかたまりに「寄せ書き」というチョイスも絶妙だ。「みずうみも」(わたしも)という共感、背中の端の方が痒い。
────────小野寺里穂
湖を「みづうみ」と表記するのは詩歌を始めてから出会った。みづうみは色んな詩人に書かれている。「痒かった」は紙に書かれたときっぽいのに対して、今はスマホやPCで書かれることも多い。そうすると、この句は「みづうみ」による懐古になる。
────────南雲ゆゆ
寄せ書きって痒そう!わかる。おまけにいろんな人が書くから、それぞれの筆跡や筆圧で具合も違うし……むず痒さもありそうだし、照れ臭さもありそうだし。みづうみに寄せ書きしていったのは誰なんだろう、風?日差し?季節の折々?
────────城崎ララ
みづうみ、の表記は気になるものの(ず、じゃだめ?)、みづうみに寄せ書きする、しかもされた側の感覚も語る、というふたつの大きなひねりが効いていて、スケールの大きいいい句だなと思いました。みづうみも同窓生なのかな。でもみづうみには手がないから、じゃみんなでみづうみに寄せ書きしちゃおうぜ、みたいな。寄せ書きだからたぶん別れの季節ですよね。みづうみが無くなっちゃうのか、ほかのみんなが散り散りになるのか。あーしかしいいですね、「痒かった」。この着地ほんとすてき。話がファンタジーじみそうなところを、ここで体の感覚に結び付けることでふわふわしすぎないようにできてる。それから「も」も効いてて、寄せ書きしたひとたちの中にもなにかしらむず痒いものがあるんだろうな、そんな気持ちでお別れするんだろうな、という背景が見えてきます。これから地獄がみんなの前に立ちはだかるかもしれない。でもこの痒さでみんなとみづうみはつながっている。具体的にどこかのみづうみを代入するとなお強い句になりそうな予感も含めて評価させていただきました。
────────西脇祥貴
気になる句でした。
────────雨月茄子春
エンケンできみの痛みを消したげる
エンケンってもう遠藤憲一さん一択ですか? 遠藤賢司さんもまだ入りますか? とするとだいぶ句はまっすぐ、報告句じゃん……となるんですけど、エンケンを、キャラクターとか、薬の名前みたいなものに取って、なんだろう、エンケン……というたのしみは残されているのでは。
────────西脇祥貴
ダメ押しでも放っとけよ閃光
三子以降直喩の国のお姫様
「じゃあ長子と二子はどうなん」待ち。
────────西脇祥貴
満月の声真似みんな寝たようだ
状況設定が美しい。非人間の声真似に対する周囲の反応が描かれているという点で孟嘗君の故事を彷彿とさせる。何も起きていないので、オチとしては清少納言の方に近い。
────────南雲ゆゆ
わるくないです。みんな寝たようだ、の収め方にもっとやれそうなかんじはするものの、「満月の声真似」はいい。Eテレだと満月は当然のごとくしゃべるけれど、ああいうすぐ結び付く声のことはあまり考えなかった。それってどんな声だろう、が余白のままちゃんとこちらに届いてきました=想像の余地がある。真似、がいいのかな。直接声のことを言うんでなくて、真似を挟んでる=もとはどんな声か+どう真似するかのグラデーションがあるので、余地をちゃんと取っておけるように思えます。だからこそ、みんな寝たようだは……やや安易か……。
────────西脇祥貴
トラックの枝に庭師がよく跳ねる
荷台なのかな。なんか省略がギュンギュン効いていて、精読じゃなくて上滑りさせて読むと景がばちっとわかるのが良いとこだと思った。
────────雨月茄子春
トラックの荷台に積まれた枝の上で跳ねる庭師/庭師が跳ねるのに合わせて跳ねる枝、双方を想像した。きっと庭師の手によって伐採された枝だろうが、その関係性ものともぶち壊すような飛躍の仕方が目を引く。またトラックも自ら跳ねている。
────────小野寺里穂
トラック側に枝があるんだ、という転換が面白いですね。
────────南雲ゆゆ
渾身のいちまでくぼむ銀世界
川だったなら納得ね、軟らかい
575。小野寺さんの過去句にありそうな語り方。でもちょっとこれは比べずに見ていきたい。まず「川だったなら」。ということはその前に置かれている未知のなにかは、どうやら一見川とは見えないなにからしい。……川は一見で川と分かるはず、その点でこの「だったなら納得ね」は、相当器のでかい納得になる。そして「軟らかい」。主体はこのなにかの軟らかさを、五感のうちどれでつかんだんだろう。ふつうは触覚のはずだけど、ひょっとしたら視覚かもしれないし聴覚、嗅覚かもしれない。でもなぜか、これは触覚での把握で、しかもなんだか、目が見えないひとの反応のように思えてくる。ヘレン・ケラーを引きずりすぎかもだけど、軟らかさでもって川だと判別できるほど軟らかさの微妙に冴えている、というところからそうなんじゃないかと思った。だいたいどんな軟らかさだ、川だと納得できるような軟らかさって? べつにそれこそwaterでもいいはずなのに、この主体はそれが川だ、と納得できてしまっている。この非常に人間離れした微妙がパッケージングされた句として、まだ掘り進むことができそうな句だと思う。まだまだ神秘の詰まった句、として今回特選にします。
────────西脇祥貴
あっちこっちにコピペした舌
先月の「落ちてるベロはしまっちゃおうね/公共プール」をどうしても思い出してしまう。思い出してしまうと比べてしまう。差はもちろんある。あちらはもう落ちてる=ことが済んだ後だし、したじゃなくベロだ。引き換えこちらはまだ落ちる前の可能性があり、舌とベロの差として、近さが異なる。舌は生物学的にいう部位そのものの呼称と聞こえ、ベロとなると、自分にも付いているあの部分、と聞こえる。そういう意味で、この句の方がまだ他人事だ。したした、という句末の音の重なりはおもしろいけど、これはうーん、伝聞でやったかなあというときの空っぽさをどうしても感じてしまう。
────────西脇祥貴
大丈夫ではないひとのお米つぶ
何が大丈夫じゃないの? というところに一個フックがあるのは言わずもがな、そんな慌てふためいている? ひとの襟元にお米粒がついているのは滑稽ですよね。「大丈夫ではない」が違う意味であっても、焦点がお米つぶに合わせられるのは、いやそこを見ている場合じゃないよとツッコミをいれたくなります。
────────太代祐一
父を産む父に野生のベルマーク
社会の構造の話をしているのかなと、それを十七音でこんなに鋭利に切り抜けるんだとびっくりしました。逆に、みっちり意味で満たされている句でもある気がして、そこは難しいと思わされたりもしました。
────────太代祐一
今はどうなのか知らないが、ベルマーク集計係は、PTAで役職につきたくない母親たちにとって人気の係だった。「父を産む父」という家父長制の再生産を暗示したうえで「ベルマーク」と来れば、それは母親の象徴だろう。とすると、「野生の」で形容することは、一読では飲みきれないところがあったので予選とした。
────────南雲ゆゆ
父はあんまいいように使えないです。
────────西脇祥貴
せせらぎの辞典は軋む舟である
きめ細かやかな反転を感じた。軋む船の辞典はせせらぎのはずが、その反転なのだ。私はあまりコペルニクス的転回にしても、あるいは遡ってプトレマイオス的反革命にせよ、それが対象にするのは、ただ星である、という不満がある。まずもって、前提から全く別の世界にいく(船→せせらぎ)、そしてその上でせせらぎから船にいくのだ。集合の表象が、全くもって反転している。
────────ササキリ ユウイチ
そう思う。辞典が良い。隙がない。
────────雨月茄子春
せせらぎの辞典。語彙の辞典?軋む舟が良い。どこで聞いたのだろう。その音を参照しながらせせらぎはせせらぎになっていくのだろうか。水辺の見ていたものが思い浮かぶような句。好きです。
────────城崎ララ
『舟を編む』はよほどしっかり話ができているんでしょうね。映画もやりドラマにもなり。池田エライザさん魅力的すぎです。そんなことより家にある『舟を編む』読めよという話でした。閑話休題。575かつ問答体。しかしこの舟は軋むらしい。舟=辞典と取るならそれはやや不安にも思えますが、使っていると軋む音まで聞こえる辞典、と取れば、いかにも実用的かつともに波乱を泳ぎ切る仲間、という近さにつながるのではないでしょうか。ちなみにみゆきさん畢生の大名曲"二隻の舟"には、「敢えなくわたしが波に砕ける日には/どこかでおまえの舟がかすかにきしむだろう」との歌詞があります。舟は一艘だけできしまない、外からのなにかがあってきしむ。せせらぎの辞典にはたえず、そういった外的要因が働いているのかもしれません。……せせらぎの辞典? なんだそれ?? わからないけど魅力的。そしてそれが軋む、ということについて回る世の中のあらゆる不穏を背負っていることに、どうしようもないうつくしさを感じてしまう。ほんとうにせせらぎの辞典は、軋むのだろうと思える。
────────西脇祥貴
誕生日としてあなたに訪れる
一目惚れです。「〜としてあなたに訪れる」は運命的で宿命的。良くも悪くも避けられないものとの邂逅を告げるよう。さらにはそれが誕生日とは!構造の妙として、誕生日そのものもまた良くも悪くも避けられないものなので、後半と重なり合い、より強烈に迫ってくる感じがする。この句で訪れたものが何か、その吉凶は読み手に委ねられていると思うのだけど、良い句だと感じた。
────────城崎ララ
良い句。たぶん「として」が良い。欠点がないと言わせる句で、私にとっては選評で長々と話すことがないタイプだ。が、とても良い句だと思っています。
────────南雲ゆゆ
なにが? 主体が? あるいは想像もつかないべつのなにかが……やり出すと深みにはまるのでやめておきます。たとえばうまくないけど、この句の頭に「神の恩寵は」とかつけてみるとあー、って思えてしまう。なにが問題の間口を広げてあるのはいいとして、そこがちょっと広げすぎになっている気がする。多く出るであろう読みとして、主語を隠れた「わたし」にしてしまう、わたしが贈り物! みたいなのろけ句に読まれてしまうおそれも残っている。のは、気になりました。
────────西脇祥貴
愛をゴージャスにしておく見つけてよ
悪くない投球って感じなんですけど、やはり愛はゴージャスなので、それをさらにゴージャスにしたあとの要望が見つけてよなのが、理に収まったなという結論に至らせました。
────────雨月茄子春
アンパンがデカくてこわい3時間
キャッチコピーとして小気味よい。3時間も間が保つアンパンのデカさ。そして3時間のリアクション。
────────黒澤多生
「3時間」という時間の指定が効いていたので並選にいただきました。アンパンがデカくてこわいのも間が抜けていて面白いです。どれくらいの大きさなんでしょうか。それにしても3時間は長くないですか。すごい気になる句です。
────────太代祐一
あんぱんには、小野寺里穂の強い句がある。(葬式の帰りに買ったあまいパン/小野寺里穂) だがデラリホの句がアンパンでなかったことは驚きである。さて、なぜあんぱんでなかったのかと考えれば、それはドラえもんが川柳で好まれるように、そしてアンパンマンの顔が濡れて交換するあの馬鹿らしさをなかなか超えられないように、すでにしてアンパンは狂気なのだ。とすると、その狂気を超えるためには、一体どうすればいいか。まさに、それはアンパンマンのアニメよりは長く、しかも映画よりも長くすることしかないのだ!3時間。そう、3時間、十分だろう。
────────ササキリ ユウイチ
アンパンマンの映画を観に行った人の生活詠として読めるのが面白い。ただ、アンパンマン映画は三時間もやってない。
────────南雲ゆゆ
アンパン系B級ホラーのキャッチコピーにありそう(食い物が人を襲うホラージャンルは実在する)。なんですけど、しずかな部屋にただ主体とアンパンの二人きり、おたがい何もできずに過ごす3時間の沈黙だと思うと、3時間の後に起こり得るなにかまで期待させてはくれます。ただ、期待までだったかな。
────────西脇祥貴
クリムトのクロール 歯朶を手放す目
「クリムトのクロール」が好きだった。クリムトがクロールで泳ぐ人を絵に描いたらきっと美しいだろう。そのイメージだけで嬉しくなる。「歯朶を手放す目」は理解は難しいが不思議と「クリムトのクロール」の邪魔にはなってない気がするし、句全体の重心もクリムトの方にある気がする。不思議だし難しいけど惹かれる句だった。
────────スズキ皐月
ごてごてしてるな……と初読で思い、何度目かでいや、こういうの好きだったはずだ、と思い直しました。クリムト、と言われてクリムトの絵を思い浮かべるか、クリムトおじいさんの顔を思い浮かべるかという岐路に立たされることがどれほどあるか分かりませんが、これは絵の方でいいでしょうね。色がきらきら爆発してる方。そのクロール、という時点でだいぶうつくしくはあります。クリ、とクロ、でやや踏んでるのもいい。いや、ここ結構しがめるな。ここが良かったんだ。問題は次だ。歯朶、は「接吻」とかにも垂れ下がる植物とかが見えるのでクリムトの磁場にまだありますが、「を手放す目」、が……こじれさせたかな、と……。だから思ったより素直にいい句である可能性があった句だと思うんですよ。目、が、「手放す目」……素直に、クリムトのクロールの魅力に任せてフロートしていった方が良かった気がする。むずかしいなこの加減……。
────────西脇祥貴
目の敵でも刺身とか買えるんだ
魚を嫌っているんでしょうね。それでも刺身を買っちゃう。「目の敵」って比喩でよく言われるけど実際にそうであるのはなかなか珍しい中で、それに対する主体の嫌味っぽいリアクションが愉快。気になるのは「とか」の部分でここは嫌なぶれになってる気がして読む私の中で要検討になる。それでも笑ったので特選です。
────────スズキ皐月
並選
目の敵にも生活ってありますからね。やさしい川柳ですね。
────────雨月茄子春
嫌味ではなく驚きのほうが勝ったように感じる。鯨かな…… 目の敵って文字で目にするよりも口にしたり聞くことのほうが多いのではないかと思うのですが、こうして文字になるとなかなか強い言葉で驚きがある。
────────城崎ララ
これは目の敵の設定を考え出すと隘路にはまるので、一般的な「目の敵」という概念への感慨として読むのがよさそうです。それだけ疎まれているようなやつでも、いざとなれば刺身を買って帰れるしたたかさはある。てか目の敵、そもそも概念、レッテルのはずだけど、えー夕方狙って刺身買うのとかできるんや……というシンプルな驚きの強度で勝負してる句だとも言えます。
────────西脇祥貴
総評
今回たまたま投句一覧を紙出力し、縦書きで選句しました。期限に迫られてのことでしたが、縦で選句するとなんかいろいろ見えてくるものがあって面白かったので、よろしければ一度お試しください<m(__)m>
────────西脇祥貴
本当は一人もチャリで来なかった (雨月茄子春)2点
みなそこもまちがい電話に共鳴す (公共プール)0点
本当にきらいな人をすべる皿 (太代祐一)5点
南十字が狙うカニカマ (南雲ゆゆ)0点
鳥貴族、星屑たちが、飲んでいる (スズキ皐月)1点
おれら死屍おれらルイルイ午后の浜辺に (西脇祥貴)0点
アニサキスのaiを発揮しているね (小野寺里穂)1点
家が火事。ぼくらは白球を追った (公共プール)2点
バルスではなく手続きで壊す (雨月茄子春)3点
多重露光の隙間で傾かす (小野寺里穂)1点
宵ふけてなかぞらにうくハローマックは (公共プール)1点
「厄年」とアドバルーンが揺れている (スズキ皐月)2点
Wi-Fiの切り傷なんかたのしそう (小野寺里穂)1点
ギロチンにXァ時間(タイム)の模写をする (ササキリ ユウイチ)2点
フロントガラス 黒の靴下 青年誌 (太代祐一)1点
語るに顎。ただ、音だ。 (南雲ゆゆ)2点
日暮を恐れ連泊の涎は凍る (ササキリ ユウイチ)0点
二本少ない川の字で、寝た (雨月茄子春)3点
可食部変更〆切るからまって (黒澤多生)0点
数万行後 有終の舌ファミコン (西脇祥貴)2点
大阪よ立たないしゃもじ立つしゃもじ (南雲ゆゆ)3点
蝉のブローチ 永遠はこれ (城崎ララ)2点
青が雲電子回路が強姦魔 (ササキリ ユウイチ)0点
寄せ書きされてみづうみも痒かった (公共プール)5点
エンケンできみの痛みを消したげる (スズキ皐月)0点
ダメ押しでも放っとけよ閃光 (黒澤多生)0点
三子以降直喩の国のお姫様 (西脇祥貴)0点
満月の声真似みんな寝たようだ (城崎ララ)1点
トラックの枝に庭師がよく跳ねる (太代祐一)2点
渾身のいちまでくぼむ銀世界 (ササキリ ユウイチ)0点
川だったなら納得ね、軟らかい (黒澤多生)2点
あっちこっちにコピペした舌 (小野寺里穂)0点
大丈夫ではないひとのお米つぶ (城崎ララ)1点
父を産む父に野生のベルマーク (西脇祥貴)1点
せせらぎの辞典は軋む舟である (南雲ゆゆ)5点
誕生日としてあなたに訪れる (雨月茄子春)4点
愛をゴージャスにしておく見つけてよ (城崎ララ)0点
アンパンがデカくてこわい3時間 (スズキ皐月)4点
クリムトのクロール 歯朶を手放す目 (太代祐一)1点
目の敵でも刺身とか買えるんだ (黒澤多生)4点