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川柳句会ビー面 2023年12月

匿名互評の川柳句会の選評と投句一覧。目次に無記名の句一覧があるため、無記名句一覧の仮想体験も可能。

  1. はんたいはんたいあなたのはんたいへん

  2. 空港を減らしても眠れない夜

  3. ミナミコアリクイに背中を掻いてほしい時もあるし

  4. つけおきで誕生日がぶれる

  5. 胸元に蛸がしまってある喪服

  6. 同じ動きと と ととと フレーム外  へ

  7. どなたにも固結び固結び。いいね。

  8. 昼なのに砂で作った電車がいくよ

  9. 胃袋を掴むそれから みぎ ひだり

  10. のど飴の駐車技術も偏れば

  11. 文中にない鱗で応えなさい

  12. ちがうんだこれは真夜中の雨乞い

  13. もっともふもふ ぎょっとぎょふぎょふ

  14. 干支に足りないササキリ ユウイチ

  15. ポイフルは空元気の味がする

  16. 空を飛ぶしくみくらくらする遊び

  17. まなじりに嘘つき専用のお涙

  18. リードの先の風景覗かれた

  19. 違うちがわないんだブロンドに誓って

  20. 相続の音を壊して戻る声

  21. おかえりと声が孵って滲む空

  22. この星だとげきりんをおすのうまい

  23. しっとりと自分を厭う化粧水

  24. セーターよく見たら食えんな

  25. 奴隷ですか? 一等目が良いのに

  26. 浴槽に折り畳まれてゆく会話

  27. ふたつの戦争にせものの雪の美しさ

  28. 輪郭のすぽんと嵌まる黒い海

  29. テレポーテーションにはフライドポテト

  30. ベランダの猫が来るまで回顧する

  31. あなたとは現代の寓話でいたい

  32. もらい電話で祝ってくれたまた明日ね

  33. 初霜の省略された踊り場を足す

  34. 隆起しております。ぼんさいのせんていに

  35. ドレミファソラシとめどない美辞麗句

  36. 燻されている更地の聖地

  37. すべては仮の手に入らない

  38. 口笛を上達させて崖へ、崖へ

  39. 46,000,000,000尾の自尊心

  40. ど田舎にわななく敬語消化液

  41. 河童の血搾って祈る密告者

  42. のこりも抜けてパーティーはほっとした

  43. スワン家のほうへと目出し帽でゆく

  44. 亡命の扉へバニラエッセンス

  45. しゃしゅじゃじぇけものしいかしゃかるか

  46. 献立は負けヒロインの汗だわな

  47. 冬の光をかどわかし脱税もする

  48. 鍵穴に伏した晴れ着の明太子

  49. 上映されないシーンで昼寝

  50. 中指と顳顬の神曲な関係



はんたいはんたいあなたのはんたいへん

はん(班)、はんたい、たいへん、と読めるあたりに狙いは感じたが、そこからの広がりが足りないと思う。
──────海馬
誤読を誘いそうな並びと口に出した時の良さと一人遊び感がある。「あなた」とあるけど一人遊び感。幼い子どもがおもちゃを触りながら唱える感じで。ホラーっぽい。
──────スズキ皐月
どう区切るか……あなたの班大変? あなたの反対変? あなたの反対篇? 「あなた」でいきなりくっきりするのはわかるのですが、主流な読みにしたいであろう「あなたの反対変」に気づくのに数日かかったので、もう少し誘導があってもいいかもと思いました。
──────西脇祥貴

空港を減らしても眠れない夜

あらゆるものの行き交う場所、何かと何かが絶えず出会い別れる場所である空港(当然騒々しい)。それらを減らしても、いや減らしたからこそなかなか眠りにつけない夜というものもあるのかもしれない。シンプルだけど気になった句。
──────太代祐一
空港が減らないから眠れない。でも減らしても眠れない。眠れないのは誰だろう。誰、というよりは「空港を減らしても眠れない夜」という現象を示しているように思える。
──────南雲ゆゆ
「空港」と「夜」が近すぎる気がした。
──────海馬
おもしろみもあるけど、かなり理屈にかなってる。
──────スズキ皐月
泉谷しげるの同名曲が流れるためファンクな諦めがただようものの、全体に筋は通った句です。
──────西脇祥貴
きれいな夜景。詩的すぎる
──────公共プール
よさそうな感じする
──────雨月茄子春

ミナミコアリクイに背中を掻いてほしい時もあるし

口調がおもしろかったです。なんでむすっとしてるんだろう。
──────雨月茄子春
わかる
──────公共プール
ミナミコアリクイの立ち上がる姿を思うと背中掻くことができそうと共感。最後の接続助詞もいろいろな可能性につながって楽しい。仮に「アリクイの背中も掻いてあげたい」なら微笑ましいけど、この句は拒絶の雰囲気も持っていて、そこが独特な魅力になってる。
──────スズキ皐月
ヌーの背中を掻いてやりたい時もあるよね〜
──────城崎ララ
あぶらだこさんの、"翌日"……「青い太陽はどこにでもいるし/宇宙のように生きたいと思うし」の遠い続編のような句。この境地まで来たらいよいよ解脱も目の前。ただ一句で見ようと思うともう一味ほしいような。
──────西脇祥貴
カワイイ狙い(露骨)。
──────海馬

つけおきで誕生日がぶれる

すごいぶれ感。長いこと放っておかれたせいで楽しみだったはずの誕生日が台無しになった感じ。つけおきは、本来綺麗にするためにする必要な良い効果のあることなのに、ぶれるなんて言うから悪いことみたいになる。ハイターとワイドハイター間違えて服を駄目にしてしまったような悲しさ。ただ、この句からは主体が自らそうしてしまったような諦観も感じられる。もしかして、もう誕生日のこと嫌になってるのでは。つけおきの投げやりな感じはどこからくるんだろう。句の中に作中主体が現れないことで、むしろ主観の句になっているような印象を受けた。
──────城崎ララ
字足らずの効果がよく分からず。
──────海馬
切らずに14音一気に読みたい。短いけど助詞がしっかり軸になっている感じがあって、意味よりも先に感情が伝わってくる。
──────スズキ皐月
洗濯? 結構理にかなったことを言っているような。
──────西脇祥貴
かぶれる、だったら特選だったかも
──────公共プール
最初は「誕生日がぶれる」だけだったんですが、短律で勝負する芸?の持続可能性を考えた時に、今回は短律goする句ではないと判断して上五をつけることにしました。
──────南雲ゆゆ

胸元に蛸がしまってある喪服

ぬめぬめとうごめく蛸を胸元にしまいながら葬儀に参列する人って、かぶき者というには不気味すぎる異端さがある。喪服を着て参列する程度には社会性を持ち合わせているのに、という点がさらに不気味を加速させる。最初は洋服で想像してたけど、よく考えたら和服で捉えたほうがしっくり来る。和服なら隠せる余地がありそう。蛸もそんな場所にしまわれたら墨を吐くはずだけど、喪服だから気づかれない。捕らわれて助けを求めているのに気づいてもらえない辛さが、もしかしたら喪服を着ている人物の感情とリンクしているのかもしれない。儀式とか一族とかに縛られているけど従うしかない現状にあるとすれば、胸元に蛸をしまうのは自傷行為だ。血の代わりに墨が着物と肌を汚していく。汚れを拭うことも洗うため室外へ出ることもせずに。
──────南雲ゆゆ
昔風に装った句で、文体も古川柳を思わせる。ただし、「蛸」が簡単にメタファーとして解消されないことで、そうしたスタイルの選択についての現代的意識が表現されている。性的な解読への誘いはあくまで誘いに過ぎないだろう。
──────海馬
喪服の黒のべったりした感じと、赤い蛸の、(差し色のような、)張り付き具合が、なかなか良いのではないかと思う。あなたが神妙な面持ちで立っていなければいけない葬儀場で、胸元の蛸を気にしてあわあわと汗をかいている様には喜びがあると思うんだよね。
──────雨月茄子春
語順でちょっと説明的に見えるけど、蛸の効果は絶大です。ク・リトル・リトル葬祭?
──────西脇祥貴
タコかわいいし景がきれい。
──────公共プール

同じ動きと と ととと フレーム外  へ

評をするのにいちばん困った、それと同時に、あれこれ考えるのに楽しかった句を特選とした。「と」は助詞の「と」であり、擬音語の「と(とと)」であり、また「フレーム」に映像として捉えられた何らかの動きをするもの(人?)でもある。「同じ動き」という語からは将棋の「と金」もイメージとして浮かぶ。こうした多重構造により句の中にしかない動きならざる動きを読者に植え付けながら、「フレーム外」へと「と」を「ととと」と放逐する。〈内/外〉の二項対立から、さまざまな文脈の事象についてのメタファーとして読めるが、文脈へとは還元されず、この句はこの句として保たれるだろう。こうした句にもっとも川柳らしさを感じる。川柳らしさとは、通常の言葉の文脈を用いながら、そうした文脈において言葉が係留される「意味」とは外れた何かを露呈させることだと考えている。この句の「と」はまさにそれで、フレームの指定とそこを外れてゆく動きは、川柳性そのものの表現ともとれる。
──────海馬
こっけい、滑稽!にほんごであそぼ、だよね。と、ほど馬鹿らしい形はない!と思った。
──────ササキリ ユウイチ
文字が文章のあるべきところに無いこと、空白でずらされていることもひとつの「フレーム外」か。でも「と」という字は左へ這いずっているようにも見えて、崩されている文章なのだが正しい形に戻ろうとしている力も感じる。
──────スズキ皐月
視覚の句で、と、が押し出される人間に見えます。横書き専用かな。
──────西脇祥貴
デザインあ、じゃん。おもろい
──────公共プール

どなたにも固結び固結び。いいね。

あなたが現在進行形で固結びを続けていることを喜んでいる。せっせと額に汗して、靴紐を、本当は蝶結びにしなければならない靴紐を、固結びしているのだと思う。その徒労と、あなた本人の、他者の役に立っているという充足感の先にある悲しい結末を、どうして愛でずにいられる?と思うんだよね。
──────雨月茄子春
人間関係について、結び=いいね、はそのまま?
──────海馬
固結びという字の固さが文章の真ん中にあるのがいい。
──────スズキ皐月
念押しのいいねでいいんでしょうか。なにかのレクチャーのようで、だとすると気になるのは「どなた」の丁寧さと「固結び」の選択ですが、固結び、がかなり口の動く音なので、よりお堅い印象になるのはおもしろいです。
──────西脇祥貴

昼なのに砂で作った電車がいくよ

「春なのに」の時間指定がぴんと来ず。「砂で」以降面白いので可能性は感じる。
──────海馬
かわいい
──────公共プール
ちょっとなのにが弱い? 昼は砂じゃない=鉄とかの電車が行く、夜は砂で作った電車が行く、というような前提があるんでしょうか。
──────西脇祥貴

胃袋を掴むそれから みぎ ひだり

うまい。読みかえさせるダブルミーニングと落ちが魅力的。美味しい料理での求愛行動かとおもったあとにいきなり二発殴られる?のだから、もしかしたら本当に胃袋を抜き取られてすでに殺されちゃっている。胃袋を掴む8音+それからみぎひだり9音と読んだから上記の印象になったのだけど、前半の漢字表記と後半のひらがな表記からもそれを意図したのだと思う。横書のおかげもあるが、二か所の空白も「みぎ」「ひだり」の拳が飛んでくる感じがした。恋愛の暴力性や闘争の一面を示しているのおもろい。
──────公共プール
引き裂いちゃった…………と思わず口を覆ったりした。胃袋を掴むって考えてみれば物騒な言い方。慣用句って時々野蛮ですね
──────城崎ララ
「胃袋を掴む」という表現は恋愛対象にある相手に対して使われることが多いが、この句は直接掴んで右に左に揺さぶるらしい。痛快。慣用句から常識の外へ読み手を突き放す手つきは他にもあるが、「みぎ ひだり」というありふれた言い回しでの飛躍が、この句のポイントだと思う。
──────小野寺里穂
恋愛→結婚の流れの中でよく言われる、バイアスに満ちた箴言。これは後半の空白がその解体にかなり功を奏しています。冷静になるための間。その後に示される「みぎ ひだり」。何を確かめたのでしょうか。そもそもの、恋愛以前のもろもろを確認したように思えます。その仕組みは、ほんとうに主体にとってふさわしいものか? 冷静な疑い。この落差と、ぶつ切れになった後読み手がいつもの現実に放りだされるその勢いが、読み手の視界を変えてくれそうです。
──────西脇祥貴
「みぎ ひだり」がリズム的に流れすぎ。逆の「ひだり みぎ」のほうが好み。
──────海馬
怖いことをしているんだけど、丁寧な言い回しからとても大事な行為な気がしてくる。胃袋を掴むは私的な関係の言い回しなんだけど、とても公的な雰囲気が。
──────スズキ皐月
お気に入り
──────雨月茄子春

のど飴の駐車技術も偏れば

転がるパイン飴はタイヤだしパイン飴は転がるがのど飴ではないなと気づいた。車の比喩かと思ったけどのど飴はドロップスほどカラバリ豊かじゃないので違うかも知れない。龍角散は駐車が上手そう。
──────城崎ララ
ずらそうとしているわりに、語感などがみんな同じほうを向いているような。
──────海馬
のど飴は駐車が下手そうだから確かに偏っているのかもしれない。「も」や「ば」で世界に広がりも見えてくるのも面白い。
──────スズキ皐月
見事にばらばら。終わりもぶつ切れ。宙に浮いた句としては好きですけど、先月のササキリさんのむにむに句の後では、もっとやれ! というエールを送る余地がまだあります。
──────西脇祥貴

文中にない鱗で応えなさい

文中どころか肉体にも部屋にも鱗はない。でもこう言われると応えられる気がしてくる不思議。命令形のパワーって読み手にも移るんですね。
──────スズキ皐月
国語の問題のような言い回しだが、「答えなさい」ではなく「応えなさい」ということだから、何らかの振る舞いが求められているはずだ。鱗は動物の表皮を覆い、外界の刺激から身を守るもの。身体的な要請を感じる。
──────小野寺里穂
額縁と絵の関係が正直過ぎるような。「文中」も書き換えて、額縁を歪めてみてはどうか。
──────海馬
答えなさいの方が良かったかも。
──────西脇祥貴

ちがうんだこれは真夜中の雨乞い

「ちがうんだ」と否定しなくてもよさそう。「ちがうんだ」を言いたいとしたら、後ろが弱い。
──────海馬
見られちゃった言い訳でおもしろい。真夜中のほかにも早朝、正午などの雨乞いのバリエーションがあるんかな
──────公共プール
「ちがうんだ」とあることでこの句が嘘の発話であるという前提を刷り込まれた。でもこの嘘をつくシチュエーションみたいなのはまったく見当がつかなくて、ただコミカルさが伝わってくるのが良い。
──────スズキ皐月
弁明したほうがいいけど、まあしなくてもいいんじゃないのバランスに話がいってしまうのを見たくないかもしれない。
──────ササキリ ユウイチ
こうげつきゅんが「今月は並びがいい」とツイートしているのを見て、このへんからかな……と思いました。このあとの13.がリズム・音重視の呪文系の句で雨乞いを受けており、さらに14.で個人名も個人名、ササキリさんが登場するに至って混迷のゲートが開かれる。さらには15.16.と空の字でつながるなどリンクが多い。全体にストーリーがあるかのようで参加者はたいへんお得な気持ちです。句に戻ると、ちがうんだ、で想起される結末の裏を張る(ちがうもなにも、それもなに?)つくりがかっちりしたうえに、真夜中の雨乞いの好奇心をそそるパワーが魅力です。
──────西脇祥貴
「昼なのに砂で作った電車がいくよ」「 違うちがわないんだブロンドに誓って」に挟まれていい位置にいますね。面白い!
──────城崎ララ

もっともふもふ ぎょっとぎょふぎょふ

たしかにそうなるよね。一見かわいい句の顔をしているけど、「ぎょふ」は漁夫の利を想起させて警戒を解いてはいけない気もしてくる。
──────スズキ皐月
もふもふまでなら癒し満載のかわいい句だけどぎょふぎょふが邪悪。ニチアサの悪の怪人のテーマソングにありそう。突然出てきてみんなをぎょっとさせながら漁夫の利を得る悪い奴。悪の怪人ぎょふ。頭は魚。語呂が良いところまでニチアサ感に溢れている。おまけに77。かっこいいぜ。
──────城崎ララ
うん、好きだよ。好きだってば……。ぜったい口に出すもんこんなん。生活の中で使える場面を探しちゃうもん。キャッチコピーじゃん! という批判にちゃぶ台を返す如く七七だし。ぎょふを強引に漁夫に変換してみるとむろんすぐ漁夫の利に接続出来て、たちまち現在の漁夫の利狙いだらけの地獄をロンギヌスの槍が降ってくる角度で切り裂く句になっちゃうし。川柳句会ビー面、丸二年やって来てこの境地、と考えると、なんだかしみじみしちゃった。まだ行けそうだね。しみじみしたのでお年玉として並選入れておきます。今年もよろしくね。(海馬さんだったら爆笑しながらもう一点入れます)
──────西脇祥貴
「ぎょっと」ももっと意味の通らない副詞っぽい語にしてはどうか。
──────海馬
結構好きな感じに作れた
──────雨月茄子春

干支に足りないササキリ ユウイチ

未だに干支言えない時があるから足りないことはない。でも「ササキリユウイチ」は干支の読み上げのリズムに合わせることができそう。
──────スズキ皐月
ワロタ
──────公共プール
干支に追加されるまでいったとて、真ん中の半角の空白は、特別理由はなく、なくなると思う
──────ササキリ ユウイチ
居心地悪いだろうな。いや、案外うまくやるかササキリさんなら。人たらしだから。たらしの手管は応用が利く。しかしここに来て効いてくるカナ表記と半角スペース。人間というよりジャンル感。ササキリ ユウイチ要素、という読みもできましょうが、物理的にササキリさんを十二匹の中に放り込む方が絵面としてやっぱり面白いです。そうこうしているうちに戌、おまえもうササキリさんの掌の上じゃないか。
──────西脇祥貴
年末年始のごあいさつ。
──────海馬

ポイフルは空元気の味がする

どぎつくカラフルな粒のポイフルは、確かに「空元気」とイメージがだぶる。箱を振ったときのカチャカチャした音や、安っぽい音、商品名もすべてこのイメージを喚起するのに効いている。現代のひとつの断片の感覚的把握。
──────海馬
あの甘さ、あのカラーリング、空元気の味という表現が納得へストンと落ちた。音の足りなさは気になったけど、それでも納得が強い。
──────スズキ皐月
ポイフルのことを好きな人なんかいないだろ、とまず思っていて、この感覚を刺激してきている句だと認識。ポイフルを消費している状態が、あの味が、空元気だと断言してくれるなら、なるほど、納得がいくものだ!ポイフルが少なくとも、なぜ存在しているのかがよくわかった。
──────ササキリ ユウイチ
味、というより食感も込みかな。とりあえず読んだ誰もがすぐ脳内でポイフルを噛むだろう、と想像できるのが楽しいです。リーダビリティの高さに、なんか勝手に反省させられました。
──────西脇祥貴
宅飲み中にしばらくこの話をしてたことがある
──────雨月茄子春

空を飛ぶしくみくらくらする遊び

「しくしく」「くらくら」「らくらく」「するする」という複数のオノマトペが織り込まれていること、「飛ぶ」「遊び」の押韻が素晴らしい。
──────小野寺里穂
Lucy In The Sky With Diamondsの高揚があった。あなたが意識的に、「しくみ」「遊び」で韻を踏めるのは、まだ遊びきれていないからだけど、それはまだ戻れるということの証左でもあると思う。そのくらいの遊びがちょうどいいと思うんだよね。
──────雨月茄子春
「遊び」という言葉の広さに一瞬立ち止まった。それでも「空を飛ぶしくみくらくら」は気持ちがいい。特に「くみくらくら」は口に出すと心地いい。
──────スズキ皐月
ひらがな部分が最初、多少読みにくいか。空を飛ぶし、まで目が行ってしまって、あ、しくみか、と戻りました。でもそれも意図的かという気もして、しく=死苦、くらく=苦楽などと読み取り始めるともう止まらず、みく=初音? とからくら=羅睺羅? とか好き勝手遊んでしまいました。たぶんそこまではやり過ぎだと思いつつ、ひらがな表記の麻薬性に年始からはまりそうになりました。とここまで書いて、句そのものがトリップ感についてだと気づき戦慄しています。大麻、ダメ、ゼッタイ。
──────西脇祥貴
冬はねむたい。
──────海馬

まなじりに嘘つき専用のお涙

ていねいに説明しすぎでは。
──────海馬
まなじりの涙の嘘っぽさ。役者にしてもとりあえずは目じりから涙を流す。目頭からも涙が出ていたら本当っぽいがそれはオーバーな表現かもしれない。
──────スズキ皐月
「お」、いいですね! せか川で言っていた人称の話のように、涙に「お」が付くだけでとたんに紐づく情報たち。そう考えると「嘘つき専用」の説明は余分かな、と見えるものの、用途としての専用ではなく、嘘つきという人種専用(シャア専用みたいな)と受け取ると、売り物感が出てきておもしろいです。闇ルートで取引されるんだろうな、お涙。末端価格高騰してそう。しかしこの句の通りとすれば、その他の涙と見分けがつく、ということ? 看破されているようでは「専用」のありがたみもないような。でもどこで見分けるのかな。……という具合に、興味の惹かれる句でした。
──────西脇祥貴

リードの先の風景覗かれた

20メートルくらい伸びるリードで犬を散歩させてる人いますよね(あれほんとなんなんだろう……)。あれくらい伸びてると、もはや犬と飼い主の目が捉えている風景は全く異なるもので。他の人が犬と鉢合わせて、その一部始終を20メートル後方から飼い主が眺めるとき「リードの先の風景覗かれた」状況になりそうですね。道端の草花や電柱の看板や剪定中のお家など、20メートルぶん先に犬が見ている風景を、後追いで飼い主が見ていく。一人と一匹の定番コース。そこに第三者が出現して定番が崩される、という日常。
──────南雲ゆゆ
「風景覗かれた」の助詞抜きに、スピードと、焦りと、わくわくが詰まっている。あなたはこの句で「ガラス玉ひとつ落とされた」の助詞抜きのすごさを再確認させる。この場面はジョジョのワンシーンのようでおもしろい。つまり、“ジョセフ・ジョースター!きさま!見ているなッ!”
──────雨月茄子春
リード……。手綱の? 管楽器の? 盗塁の? ルー? ジミー? ジム? と多様な可能性が首をもたげますが、それ以降の導きを合わせてみると(ここで急に頭が詠み手にスウィッチ)、手綱がいいかな、と思いました。手に持ったリードの先には、本来なら犬、あるいはそれに類するなんらかの動物がいるはずですが、そうして括られた対象ではなく、風景の方に問題意識を置く。そこで意外に思わせつつ、読み手の風景への想像が追い付かないうちに、「覗かれた」という不穏を差し込む。この速さが読み手にはストレスとなって、気味のわるさが増します。気味のわるさで言えば音数もそうで、16音。半端なところで切れているので、覗き込む他者の暴力的な介入により、この先の風景が断ち切られたように感じられます。このような先のなさへの違和感・不穏に取り囲まれながらしかし気づくわけです……え、そもそもわれわれずっと、なにかにリードされてたの? そんな、ずっと気づかずにいた自分たちをリードする存在の大きさ、しかもそれがなにかは、風景のことしか言ってくれないせいで全く見えず、ただ巨大な空虚としか把握できないさらなる不穏。もっと言うなら、手綱を握っている以上まだ引っ張られていくしかない不穏も重ねて襲ってきます。短いがゆえに次々生まれ、重なるイメージ。その喚起力の強さに並選です。
──────西脇祥貴
「リード」がどの意味で使われているのか、あいまい。
──────海馬
リードされたさきで覗きの眼差しとぶつかっておもしろい。こういう運動がおこせるのは上手いと思ったが、犬の散歩動画をSNSでアップしたときの写生とも思える。
──────公共プール
視線の動きがわかるなぁと読んでいたら突然の「覗かれた」。とてもホラーな気がする。
──────スズキ皐月

違うちがわないんだブロンドに誓って

「ブロンド」で何を指しているのかなあ。少なくとも方向性が分かれば。
──────海馬
音の気持ち良さがある。ただ「違う」のか「ちがわない」のかで迷ってしまう。
──────スズキ皐月
ちがうんだ句のあとでよかった。ブロンド、の四音以外はまとめてできました。
──────西脇祥貴

相続の音を壊して戻る声

「相続」で示されるわずらわしい人間・社会関係を「壊す」は単純すぎるかと最初は感じたが、「音」と「声」の対比が効いていると思った。「声」をしっかり持ち帰ることができればよいのだが。
──────海馬
この句の訳のわからなさは、音声という二次熟語が現にあることからきていると思う。この句において、「声」は「相続の音を壊して」、ついで「戻」ってきた、というだけの出来事が起きているにすぎない。何も訳がわからないはずはないのだが、やはり、声が音を壊し、戻ることは基本的にはありえない。相続とは、音声と肩を組み合ったシステムでもある。
──────ササキリ ユウイチ
難しい印象はあるが、音や声にソリッドなイメージを持てるのは面白いと思った。
──────スズキ皐月
相続といえば揉める。揉めない相続というのをほぼ聞きません。ふだんいい具合に背中向けあっている血族たちが、全員一点=財産を見てメンチ切りあわなければならない緊張状態。その音とは? という点に公案のような魅力があります。が、以下の部分は、ぎりぎりのところで4つのコロケーションなき組み合わせになっていない状態、という印象でした。音≒声、なところといい、微妙なところでつなげられてしまうというか。切実ななにかがあるような気配はしますが、いっそもっとバラバラなほうが、何らかの効果が出た気がします。それこそ壊す効果が。
──────西脇祥貴

おかえりと声が孵って滲む空

涙が出たのかしら、と解読してしまうとセンチメンタル過ぎるような。
──────海馬
「おかえり」というワードひとつで場面を想像できるのは強みな気がする。滲む空も主観的で作中主体の表情をコントロールできている。
──────スズキ皐月
ここも並びが声の句つづき。夏雲効果ですね。声が卵生というのも、孵る時の音がおかえり、というのも面白いんですけど、ここの面白さが強いだけに、着地が滲む空でよかったのか、だけ気になりました。景としては滲む感じがいいのはわかるんですけど、それがもっとよく見える見せ方があるような……。
──────西脇祥貴

この星だとげきりんをおすのうまい

川柳読みへ。げきりんをおすのなんかとんでもない!まずふれるのがあの星、この星は、もう"この星(川柳読みのあなたがいるそこ)"ではないので、まず星を転々とした後ということは了解してほしい。
──────ササキリ ユウイチ
「逆鱗」は「触れる」ものだろうと読者は考える。そうした通常の文脈がひらがなの中に溶解していき、その茫洋とした印象が「この星」という現実にはありえない大雑把な把握とうまいバランスで支え合っている。
──────海馬
怒らせないように逆鱗に触れるのか、それとも簡単に怒らせることができるのか、どちらともとれる。ひらがなにしたことで掴みどころのないイメージになって不気味さもある。
──────スズキ皐月
げきりんっておすんだ……という気付き。そして人を怒らせがちな人っていて、その特性もこういう言い方できるのか―と感心。さらに、では、よその星では……? と意地悪なことも言いたくなる。ひらがながちょっと多いか、もう少し漢字でもいいかも。なぜかまいが舞とか米に変換されちゃったりして。
──────西脇祥貴

しっとりと自分を厭う化粧水

ドラッグストアで化粧水のラベルを見るとたいてい「しっとりタイプ」「さっぱりタイプ」がありますよね。しっとりのほうが粘性があり、保湿効果が高いイメージ。しっとり化粧水を塗りながら披講してみたのですが、しっとり化粧水を塗りたくってるときの「何やってんだろう」感が強調される気がしました。私はスキンケアが好きなほうの人間ですが、工程にひとつも不満がないというわけではないです。化粧水を塗る作業ひとつとっても、「手を拭かないといけなくてだるいなあ、かといってコットン買うのも手間だしなあ」という感情が発生しているわけです。潤いの裏にはベタつきがあるわけで、「しっとり」のベタつき部分の感情にスポットが当てられています。ところで、「しっとり」ってなんかむかつく言葉だな……と心のどこかで思っていて、そうした「好きでスキンケアやってるんだ」という自己肯定に普段は覆い隠された負の感情を引っ張ってくれたなあと嬉しくなりました。
──────南雲ゆゆ
厭う、で切れるのか切れないのか。化粧水を使っているときの気持ちが分からず、選べず。「しっとりと」が分からないけど面白いに行くのを阻んでいる気がする。
──────海馬
「しっとり」は化粧水に近い言葉だが、それが化粧水の自己嫌悪にも付くというのは面白いと思った。
──────スズキ皐月
「いたわる」を若干音の近い「厭う」に変えたとたん、ものすごく後味の悪いキャッチコピーに。スムーズ過ぎる見た目ではありますが、これもう少し時間をかけて味わう必要がありそうです。化粧水をつけるときの肌を押さえる動作、湿気を伴うその動作の触感を十分反復したうえで「自分を厭う」に臨まないといけない……という直感はあるのですが、時間的にここまで。
──────西脇祥貴

セーターよく見たら食えんな

よく見なくても気づいて欲しい。ツッコミを入れたくなる面白さ。
──────スズキ皐月
狙いと音数の外し方は合っている気がした。「セーター」のところにけっこう何でも入りそう。たとえば「ワンピース」を入れた場合にくらべて、原句がより面白い理由がつかめず。
──────海馬
ダサセーター?を近づいてみたらめちゃくちゃ緻密でグロいのかな
──────公共プール
食えん、の判断の前によく見たえらさ。そんなセーターよく見ないから。えらい! まかり間違ってこういう句に特選入れそうな自分が怖ろしい。
──────西脇祥貴
回文みたいな口調だな、なんだか
──────雨月茄子春

奴隷ですか? 一等目が良いのに

「一等」は「他に比べて一番よい」という意味だろう。最初、「一等目」と続いている読みにくさをひらがなに開いて解消してはどうかと考えたが、「奴隷」という思い(いや、概念になって軽い?)語との対応では漢字のほうがよいのだなと納得した。
──────海馬
早口の七七で読みました。一等目、で一つの単語に見えてしまうのがひっかかりますが、なにかのシーンの切り抜きとしてはいいところを切り抜いていると思います。それはこのシーンがいいシーン、という意味ではなくて、切り抜くだけの違和感を感じるシーンとしてふさわしい、の意味。違和感が生きのいいまま切り抜かれている。内容というよりその違和感の鮮度で気になった句でした。
──────西脇祥貴

浴槽に折り畳まれてゆく会話

子供と親がお風呂に浸かりながら色々な会話をする。折りたたみの仕切り板で蓋をしながら会話を続けている。そんな光景とリンクしていて、一見して日常をそのまま描写したように見えるのが不思議です。浴槽で花開いた会話の余韻が、浴室という空間に閉じ込められている。会話の主体は脱衣所に移っている一方で、視点は浴室にあるところが面白いです。浴室の静けさがいっそう強調されます。
──────南雲ゆゆ
浴槽のサイズ感がすごく良い。それに「会話」とあるけど浴槽はだいたいひとりなので、「折り畳まれ」が内省的な意味を持ってくる。
──────スズキ皐月
浴槽と会話のイメージは仲睦まじい関係だったりセクシャルなイメージがもたらされるけれど、折り畳まれてという言葉とは相性がいいのか悪いのかわからず、にんげんの存在感が薄くなっているようでちょっと不気味。こう感じるのは、会話が薄くて広がっているという表象とそれが今まさに小さな塊に丁寧に変化させられていくのも私にはあまり馴染みがないこともかかわってるのかも。通常の浴槽が一時的にしか液体や人体がそこに無いはずで、留まって堆積していくものは埃くらいなものだから汚れて廃れていくみたいだ。
──────公共プール
意外なことを書こうとしている見えて、イメージ的にありそうな流れ、ありがちなオチのような。
──────海馬
浴槽の指定が要の句。ちょうどM-1決勝マユリカさんのネタに「冬になると浴槽でおでん作る」というパンチラインがあったばかりなので、なみなみと満たされただし汁の中へ会話が折りたたまれる様子が強く浮かびました。住だけでなく食もひびいてくる感じ。会話の内容にもそういう機微が書き込まれているのかな、と膨らませました。が、そんなことより居間で延々続く会話がつらつらつらーっと風呂場へ伸びて行って、延々ぱたぱた浴槽に折り畳まっていくGIFアニメだと思うとずっと見てると思う。
──────西脇祥貴

ふたつの戦争にせものの雪の美しさ

ほんものの雪は天から降って来る。人間の都合に合わせて量やタイミングを調整することはできない。天の凶器であって、美しいとは限らない。雪が降るとき、その場所にはミサイルも降り注ぐ。「雪は天からの贈り物だ」と鑑賞する余裕はないだろう。しかしにせものの雪は人を喜ばせるために生まれる。スキーを楽しむために人工雪が撒かれ、おしゃれを楽しむために結晶の模様が織り込まれる。一般的に、にせものよりほんもののほうが好ましい。しかし戦争も、戦争に使われる凶器も、そして雪も、にせもののほうが良い。
──────南雲ゆゆ
年末だからふたつの戦争ってウクライナとロシア、イスラエルとハマスの戦争をすぐ想像したけど、じゃあ他の紛争や戦闘って無いかといえば、ある。にせものの雪っていえばスノードームを連想してそれも美しいのだけど、前半のふたつじゃない感を引きずってしまい乗りきれなかった。
──────公共プール
ふたつの戦争で時事詠だなと受け取った。にせものの雪が難しい。にせものの方が詩情はあるけど。
──────スズキ皐月
いま読むとすれば、ウクライナとパレスチナの状況のことを言うのでしょうが、そう受け止めた途端、あれを戦争と呼んでいいのか、ただの侵略じゃないのか、という疑問が生じ、同時にかなしいけど今の地球上に、そういう戦争状態は本当にこのふたつきりだろうか、という疑問もわいてきます。その状態で読む後半部分は、ちょっときれいすぎやしないかな、と思ってしまいました。いま、から外して、普遍的なところに浮かせたらまだ……いや、それでもまだきれいすぎるかな……。にせものの、に読み甲斐がある気もするんですけど……にせものだからこその美しさを、二つの戦争に折り返す、みたいな。そういう戦争の宣伝ぶりを揶揄した、と言えなくもないですが、だいぶ遠くなっちゃう気もしました。
──────西脇祥貴
戦争という現実があまりにも分かりやすくあり、その今についてどう書くか。
──────海馬

輪郭のすぽんと嵌まる黒い海

海に輪郭は難しいけど、そこを「すぽん」で無理を通した気持ち良さがある。黒い海という限定もいいのかもしれない。
──────スズキ皐月
海が嵌まるんじゃなくて、輪郭が嵌まるのか……本来不定形な生命のはずの海が、輪郭に合わせた形にぎゅっと狭まり固まってしまう。そこへどこからか輪郭が飛んできて、すぽんと嵌まる。だれがつくった輪郭? どこから来た輪郭? どういう歴史が、どういう思想が、どういう本性がそれをいつの間にかつくってしまったのか。ひょっとして海の方が、その輪郭のことを慮って(忖度←時勢に圧し潰されたことば!)縮んだのでは? 黒い海は黒海のことにかぎらず、こういった経緯が、作者をして海を黒く見せているのでは。そう考えると海の黒がいっそうくろぐろとして、生命の安否が気にかかります。今、目の前で、なにかが殺されようとしているようすの実況中継、その1シーン。サイケな描き方が、かえってことの深刻さを強調しています。怖い。
──────西脇祥貴
「何が」を省略してどうか、ということですが、そこを様々に想像させるには全体的に単純すぎるかと。輪郭、すぽん、嵌まる、で意味・イメージが重なり過ぎている。
──────海馬

テレポーテーションにはフライドポテト

助詞「には」以外はカタカナで占められた句。当初、その軽さがどうかと思ったが、「テレポーテーション」と「フライドポテト」の双方の軽さがあり、そこを徹底しているのがよいと感じた。初のテレポーテーション実験があれば、確かにフライドポテトを送るぐらいがちょうどよい気がする。
──────海馬
映画を観る時にポップコーンを食べるみたいな話だと受け取った。でもテレポーテーションは一瞬だからなぁ…とにやにやしてしまう。
──────スズキ皐月
17音か……。という点だけはコメントしとかなきゃな……と思って書き始めたものの、すさまじい脱力ぶり。13.とか24.とか、同じ人かな、と思いつつ、違うひとであってほしいな、と願ったり。願ってどうする。あと突けるところとしてはフライドポテト、アメリカンな食べ物だとしてここから資本主義的な行き過ぎたパワーを導くこともできるかな、とは思ったものの、いや、別にアメリカに限らないか……。やや断言であり、断言ではないところが惜しい気がします。
──────西脇祥貴
「非常口にはグリーンカレー/暮田真名」のオマージュ。ちなみに続くキャッチコピーは「おいも若きも」
──────公共プール

ベランダの猫が来るまで回顧する

「ベランダの猫」とはベランダにいつも来る猫のことかなあと読んで、この読みの手間が句をまどろっこしいものにしていると思った。「ベランダに」でよいのでは。
──────海馬
猫が来るかどうかはとても不確定なことで、それを信じているところ、信じられるだけの経験の蓄積を感じられるのは面白ポイントだと思う。
──────スズキ皐月
ベランダの猫、という通称がわかりみ深いです。なのに取り出して吟味するとへんな日本語というあたりに、猫が猫であるところの猫性が現れているようです。そのもんやり感を句全体に及ばせつつ回顧のことまで考えると、回顧する対象と回顧する思考のスケールが広がるよう。回顧と猫の相性がいいのかな。
──────西脇祥貴

あなたとは現代の寓話でいたい

自他の関係性を言い表すのに、これほどまでに洗練された17音を他に知らない。「現代の寓話」とは、きっと既存の枠組みでは到底語りえない混沌に違いない(そうであってほしい)。
──────小野寺里穂
なんだろう、ここで出てきた「現代の寓話」がいいものだとは思えない……この句の場面に、悲恋のイメージを持ってしまう。うーん、なんか恋愛に落とし込んでしまったけど、それって「あなたとは○○の関係性でいたい」みたいな定型句が先行するからなんかな。寓話、つまり教訓話だけど、「あなたとは寓話的関係性でいたいのです」……っていう。しかも近代とかじゃなくて、現代の、寓話。現代の悲恋ってことだよね。資産形成とかさー、キャリアとかさー、それに戦争、災害、なんかもう俺むりだわーって思ったら、結構この句苦しくなってきて、ここ数日思い出すこと多かったんだー。それっていい句ってことなんじゃないかなーって思うんだよね。
──────雨月茄子春
たいていの事物は寓話になれるよなぁと思いつつ、寓話でいたいという気持ちがなんだか面白いきがしてきて気になる句だった。
──────スズキ皐月
昔こういう絶交話をしたことがあってなつかしくなっちゃった。「あなた」と語りかけられる読者の私(たち)の優しさと知性と胆力が試される。言う側のほうも賭けだから。
──────公共プール
ぱっと見でもう良かったです。ただ、よ過ぎるか? と思ったのも事実。決まり過ぎているというか。点は集まりそうだし、川柳見慣れてない人のこともはっとさせられそう。あなた、で示した関係性を、「現代の寓話」という、言い回しとしてはどこかうすっぺらい、でも寓話である以上は深みのありそうに思わせる表現で規定する。直球の謎があり、それはそれで魅力なのですが、ビー面の場ではどうしても「寓話と合成したわたし、アレルゲン/小野寺里穂」が思い出されてしまう。この句における寓話の使い倒されぶりからすれば、スマート過ぎかな……というのが最後まで引っかかりました。
──────西脇祥貴
「あなたとは~でいたい」の強い磁場を異化するには、「現代の寓話」は弱いような。
──────海馬

もらい電話で祝ってくれたまた明日ね

「もらい電話」という語があるのかなあと一応検索してみると、そういう語は一般には使われていないようだ。ただ、誰かが受けた電話をとなりにいる人に手渡して話させる(あるいはさせられる)というのはあり、その体験にはちょっともらい事故っぽい味もある。それを「もらい電話」というのは言い得て妙である。
──────海馬
「また明日」なのに電話で祝うあたりがいじらしい。「もらい電話」のもらいでリズムを整える感じもうまいなぁと感じた。
──────スズキ皐月
77で完結してるところに、しかもその77がいい水準で入ってきているところに、「また明日ね」か~。って思う。期待を付け足してきた。あふれんばかりの。友達の家に行って、楽しかったけど帰んなきゃならなくて、そのときの「また明日ね」って本気だった。あたしたちって本気だった。の、「また明日ね」でしょう!
──────雨月茄子春
もらい電話?? もらい事故のもらいと同じ用法?? だとすると、自分は動いていないのに、電話の方がやって来る状態……って、電話ってそういうものでは? ただこういう意味読解が野暮に思えるくらい、「もらい電話」の字面に面白さがあります。というかむしろこの句の面白さのすべてはそこにある、というような句。やっぱもらい事故のような、予期しない被害みたいなニュアンスを乗せて読むべきか……。
──────西脇祥貴

初霜の省略された踊り場を足す

「初霜」という季語が入っているが、それをすぐに打ち消すことで、俳句の技法を否定的に活用している。また、「省略」=「引く」と、最後の「足す」で意味の押し引きがあり、具体的な要素が「踊り場」しかない句を成立させている。
──────海馬
初霜をそういう目で見たことなかったので発想がまず面白い。省略された理由とか本来はないんだけどそこを考えてしまう面白さもある。さらに「足す」ことにも驚く。良い句だとおもいました。
──────スズキ皐月
初霜の省略された/踊り場を足す、と大きく分けられる読み心地。長いような、ちょうどいいような。初霜の省略された踊り場……ってようは踊り場なんだと思うんですけど、なくなったものを書くことであらしめる、というやつで、初霜の残響だけ踊り場に重ねてあります。新年の句なのかな。そういう細部も気になる一方、踊り場を足す、という結構暴力的な動作も見逃せません。どこへ足すんだろう。例によって、現代川柳の前句=現代社会へかな。だとするとかなりいいヴァイブス。詩的土木工事という感じで。並選入れておきますね。
──────西脇祥貴

隆起しております。ぼんさいのせんていに

ギャグマンガのワンシーンでこういう口調ってある気がする。丁寧なのに何もわかんねえぞ!!!っていう、そういう突っ込みさせたらもうギャグマンガって勝ちだから。たぶん。連載、勝ち取ってください。ちゃおとか、少女コミックの雑誌のギャグマンガです。
──────雨月茄子春
要らない報告。に加えて、メッセージにかける秘密が、たかだか剪定/選定の剪定寄りにかけられた程度の開き。が、この要らない報告に意義深さ、あるいは教訓を与える作用をもたらすこともあるのだろうが、ここでは、後半の意味不明さにあっけに取られた読み手が、かえって「隆起」という動きのイメージに、目的語でもなんでもない、一応は秘密にされている「ぼんさい」から、植物が託されてしまうというぼんようさに注意を向けてみたい。
──────ササキリ ユウイチ
ひらがな表記がどのぐらい効いているのか。
──────海馬
今回数句いい軽さの句があって、これもその句のひとつなのですが、これはややえろがフックになっているようです。隆起。いや、隆起でややえろって中学生かって言わないで。そのあとのひらがな部分も合わせてみると、ね、ほら、あへ感が……。だめだ。ここから井口くんのせいにします。こないだ井口くんが出てたテレビの中で、振り返りつつえろく聞こえることばを言う、っていうコーナーがあったんです。そこで井口くん「はつがつお」っつって超ファインプレーだったんですけど、何を言いたいかって句中の単語のうち二つがこのえろく聞こえることばに類するのではってこと。「隆起」と「ぼんさい」。もっと言うなら、わざわざ「しております」っていうのもそういうねらいがありそうだし、流れに乗って「せんてい」も、そういう隠語に見えなくもなくなってくる。真正面からいけば当然「盆栽の剪定」ですが、「凡才」とか「選定」とか「船底」も出て来て、なかでも「凡」、ここに、ややえろが……。もうやめます。でもこういうやらしい好奇心をそそる句ではあったので、これだけ書いてしまいました。川柳ごめんなさい。あ、予選です。
──────西脇祥貴

ドレミファソラシとめどない美辞麗句

7・5・5にもなるのだろうけど、最初の音階につられて一気に読み上げたくなる面白さがある。美辞麗句も音階と相性がいい気がしていて、そこの面白さもある。良い句だと思った。
──────スズキ皐月
語感がよく、またリズムもよい。ドレミファ……と口ずさんでいたら、後半で畳み掛けるような「とめどない美辞麗句」。緩急が面白い。心地よいものから美辞麗句の居心地の悪さに転換するのも愉快。
──────城崎ララ
音楽‐美辞麗句、では意味が重なりすぎ。美辞麗句が「とめどない」のも当然といえば当然。
──────海馬
17音! ドレミファソラシの上昇音形にとめどなさが含まれているという発見です。美辞麗句を浴びたときの心の状態に、いわゆる陳腐な上昇音形がぴったり、というのはなんとなくわかります。美辞麗句あふれる社会状況を音に変えて納得させる、という意味では、目で見る句というより耳で聞く句なのかもしれません。
──────西脇祥貴

燻されている更地の聖地

直球で現状を書き出した句、のはずがそう思えない、なにか一ひねり川柳の力が加わっている気がするのは、おそらく「更地の」のせい。一見して思い浮かぶ聖地エルサレムは、どうひいき目に見ても現在更地ではない。それが句中では、もう圧倒的な暴力でもって更地にされている(最悪の未来!)。ここがこの句で一番恐ろしいところ。しかもそれが自然に読み飛ばせるような配慮さえ見える――されてのさ、更地のさ、聖地のせのs音のすべるようなリズム、かつ七七では本来読みやすすぎるゆえ避けられる「下七4音・3音」の配置——ところに、なにかが感じられます。読み飛ばす、そう、どんな惨事も他人事として流す、われわれの手慣れたスキル。読み飛ばさせることでその慣例を再現させ、その彼方に「更地の聖地」という絶望を配することにより、警告を発している句なのではないでしょうか。読もうとしても読もうとしても、s音が句をすり抜けさせてしまう。繰り返し、繰り返し読むことで、脳内に蓄積されるイメージ=更地の聖地。こうして何度も何度も刷り込むことでしか、本当の危機感を覚えることはできないのかもしれませんね。こちらの現実に、句から働きかけてくる句、という点で、今回はこちらを特選にします。
──────西脇祥貴
戦争についてコメントする意志は買うが、これでは光景を説明しているだけで、また光景そのもののインパクトも伝え得ていないのでは。
──────海馬
「更地」のおかげで何もない感が強くあり、何もないけど「聖地」って気持ちになる場所は結構ある気がするので納得感がある。燻すのも気持ちいい。
──────スズキ皐月

すべては仮の手に入らない

平易な語彙しか使っていないのに混乱を仕掛けてくる句。どうして混乱するのかと言えば、私が言葉を分かっているようで分かってないからですね。「すべて」とは?「仮」とは?そのことが結局分かってなくて、そこで疑問にからめとられて、天高く浮かぶこの句を仰ぎ見ることしかできない。この句を理解しようと思って、対義語を挿入して「一部は仮の手に入る」「すべては本物の手に入る」等の文章を作ってみたはいいけど、やっぱり「すべて」とは?「仮」とは?という問いに行きつくだけでした。根本的な意味読解ができない句。垂れて来た糸に掴みかかったら「四次元の糸です」と言われた気分。確かに見えているのに、存在する次元が違う。
──────南雲ゆゆ
自分が普段所有していると思っているものは、思い込みに過ぎず、仮には手に入らないものだと転回してみると、身の回りが輝きを増すようだ。
──────太代祐一
気になる句。仮のさえなければそりゃそうだよねで終わるところを、仮のなんて入れたので仮の手……!?という疑問と驚きが発生する。仮の手、なんだろう。この世のすべては仮初とか思ってる感じ?虚無主義?この仮のがどこにかかるかでまた読み方も変わる句。(仮の)手?それとも(仮の)手に入らない?あるいはすべては(仮の)?どのみち無力感との闘いになりそうな句。
──────城崎ララ
「仮の手」ということは「真の手」もあるということだが、この設定に無理があり、また無理を通す工夫が残りの部分にないと思った。
──────海馬
本当は手に入るということなのかな。「仮の」とすることで少し斜に構えている感は出るけど、「嘘の」とするほど強い感じでもなく、あくまで自己言及という印象になっている。
──────スズキ皐月
二重の意味を乗せてみていますが、どうかな。
──────西脇祥貴

口笛を上達させて崖へ、崖へ

おだてて調子に乗らせて気づいたら崖のぎりぎりにいつの間にか立っているという恐ろしさ。でも案外日常茶飯事かも。
──────太代祐一
社会的文脈のある句として読んだ。「上達」、上手くなることは、特定の文脈のなかでの効率をよくすることだ。おそらく、現代ではそれはとても危うい。上手くやりおおせることで外部との文脈との連結を失い、私たちは破滅へと向かっていく。
──────海馬
口笛ではあるのだが、ハーメルンっぽさを感じるのは「崖へ、崖へ」と繰り返したことによって多数っぽさを出したからだろう。そう思うと崖へ向かっているのもそうなのだが、口笛にも悪意のようなものを感じ取ることができる。上達というのもネガティブな感情から来る執念の様相になる。
──────スズキ皐月
呼びかけ二回、というと、川合さんでおなじみ「虎よ! 虎よ!」とか「アブサロム! アブサロム!」とかを思い出します。口笛、というと夜中に吹けば蛇が出る、といったように何かを呼び出す音。それを上達させて崖へ……というあたりで、ハーメルンの笛吹き男にたどりつきました。もはや楽器を買う金もない笛吹き男。あるいは、楽器で呼べるものと口笛で呼べるものの差。口笛で集まってくるものとは……の謎が不穏さを呼んで、巨大な死の接近を予感させます。まあ、いずれにしても、レミング。世界の涯まで連れてって!
──────西脇祥貴
こういう因果がないところの組み合わせ、にプラスして連呼、いかがだろうか
──────雨月茄子春

46,000,000,000尾の自尊心

46,000,000,000とはなかなか大きいなあと思って、もう一度読み返したら、番号と合わせて39,46,000,000,000に見えて、「増えてる!」とビビり泣きました。バイバイン的な終わりのない増殖を見ているようです。一尾一尾に自我があるところが、この句をより不気味に仕立てています。
──────南雲ゆゆ
46,000,000,000=460億という数字が何を示すととるか。例えば、以下のニュースからバイデン政権が決めたウクライナ向け追加軍事支援の額だとしてみる。すると「尾」は魚、それに形が似たロケットに姿を変えるだろう。このように具体的な文脈も示唆しつつ、根本には数字に還元される現在の世界の価値観がある。この「自尊心」は批判的に見なければならない。https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-06-14/RW86LET0AFB401
──────海馬
それだけのエビが自尊心を持って生きていると思うとエビの漁獲とかが非常に残酷さを増す。悲しみとかより自尊心にしたのはすごい。よりグロテスク。
──────スズキ皐月
桁の多い数字の句ってそういえば見たことないかも、と思ってやりました。いちおう17音です。
──────西脇祥貴

ど田舎にわななく敬語消化液

ど田舎と敬語の取り合わせも面白いし、敬語消化液という造語もおもしろい。過度な敬語を摂取しすぎて消化しているのか、それとも敬語を出せずため込んで消化しているのか考えが広がる。
──────スズキ皐月
「ど田舎」についての意識(あるいはステレオタイプ)が句で十分ほぐれるまでいっていないと思う。
──────海馬
敬語消化液(さいしょ圭伍消化液、って変換されて焦りました)の重さ……。ヤンキー蔓延傾向を言い換えてのこと? それでいうとど田舎に限らないんじゃないかな、という気もしつつ、いやいや今日び全国ど田舎みたいなもんだから、と思うにつけてもど田舎、と制限することはないかなと思いました。しかし改めておもしろいですねど田舎って日本語。敬語消化液と合わせてふたつもおもしろい日本語が入った句。であればこそ、筋道の引っ掛かりが気になりました。
──────西脇祥貴

河童の血搾って祈る密告者

「Xの血搾って祈る密告者」のXに何を代入するか。「河童」というのはちょうどよい現実との距離感を句にもたらしてくれそう。「河童」を中心に読むとしたら、兵頭全郎に「水面をゆがむ光と河童文学」を含む「河童」連作があり、そこに入るレベルには至っていない句だとは思う。
──────海馬
河童が絶妙だと思った。なんだか同情できそうで、ひどい悪さをする河童もいるから血を搾ることを是としそうな気もしてくる。密告者の密告属性は少し難しかった。
──────スズキ皐月
これもまたはじ川にありそうなんですけど、これは三章っぽいですね……ことばの濃さとドラマの濃さゆえでしょうか。枡野浩一さんが全盛期の頃、入門書に「旧仮名を使うのはコスプレ」と書かれていたのを思い出しました。でも川柳の場合、それありだと思う。それを突き詰めるのも面白いと思う。betcover!!さんがこの令和に至って任侠映画の世界に目覚めたのと同じように、いまやる意味というのがあると思う。ちょっとまとめて見たい欲が出てしまったので今回は予選ですが、作者さん、よろしければこの方向追及されてみてはいかがでしょうか。
──────西脇祥貴

のこりも抜けてパーティーはほっとした

「パーティー」は飲み食い・会話のパーティーではなく、ファンタジーの勇者・魔法使い・僧侶などが入った一団を指すと読んだ。「のこり」は誰か、「のこり」の前にいたのは、と想像はつづくが、ご都合主義、機能主義の世界観でできた物語の雑さをこそ、「ほっとした」パーティーの面々がどこかで認識していると見たい。
──────海馬
パーティが主体。大好きです。宴もたけなわ、ばらばら人は捌けていき、片付けも済んで、照明が落とされて、ようやくパーティはほっと息を吐く。おわったおわった……と思ってることでしょう。人間の方は、お客の去ったあとで主催の人々がホッとしたりしているかも知れないけど、パーティそのものから見るとまだこちらが「のこり」。フレームアウトから更にもうワンフレームの視点。面白い〜!
──────城崎ララ
ドラクエ的なパーティーだと受け取るとわかりやすい。一方で宴会的なパーティーの線も捨てきれない。後者の場合パーティーに生きものっぽさが増してかわいい。ほっとしているパーティーくん、みたいな。
──────スズキ皐月
主語がパーティーなのいいですね! もちろん「~の場」が省略されているなんて野暮な読み方はせず、パーティーの擬人化に全ベットです。散文詩からの抜き出しにも見えますが、だとしてもいい抜き出しぶりだと思います。元の文中では、パーティーが主語とは取れないようになってたかもしれませんね。もちろんパーティーキックバック問題に絡めても良し。キックバック議員がみんな検挙されて、そもそもはなにも悪くなかったはずのパーティーがほっとした、という、パーティー視点の切り込みとも取れましょう。こまっちゃうよねパーティーも。いつも人間が悪いってのにね。あとは時間の経過に耐えられるかどうか。
──────西脇祥貴
みんなも、のほうがよかった。
──────公共プール

スワン家のほうへと目出し帽でゆく

プルーストは詳しくないけど、西洋のちょっと良さげな家に目出し帽で行くと思うととてもコミカル。もちろんこの後の悲劇性の予感もあり、そこが文学らしさを担保している気もする。
──────スズキ皐月
はじ川の一~二章までのどこかに載っていそうな句。ということは中身や飛躍の完成度はある程度高いと思うんですけど、リズムがなんとなくつっかえるのと(散文ぎみ?)それによって目立ってしまうオチのややドヤ感が気になりました。語順次第でまだどうにかできそう。
──────西脇祥貴
目出し帽かぶったことはないけれど。
──────海馬

亡命の扉へバニラエッセンス

バニラエッセンスで香りづけされた亡命の扉。その目的は、後から来る亡命者たちに扉の場所を気づかせるためだろうか。追手も香りをたよりに扉までたどり着くかもしれないが、それが亡命の扉であることまでは気づかない。
──────南雲ゆゆ
亡命の扉からバニラの香りがしたら嬉しいだろうけど、亡命で必死な人は気づかないだろうなぁ。気がつきにくいところまでの心遣いはこの先良いことがあるか悪いことが待っているか半々くらいの不安さを心中に起こさせる。
──────スズキ皐月
「亡命の扉」の「の」がぼんやりし過ぎか。助詞「の」は便利だが、その分、句を弱くする。
──────海馬
発想はいい、扉の大きさに対して使用単位が滴のバニラエッセンスを対比させるの、無力さの対比が卵と壁くらいいいです。香りづきますし。お菓子分野のことばへの飛躍もいい。17で読むというより二部に分けて(亡命の扉へ/バニラエッセンス)読む方がスムーズ、ですが、それだけ配慮があったうえでもなお、バニラエッセンスが重いか……。いい着地なんですけど、あまりに音数を食い過ぎているように見えました。耳で聞くとちょうど良いかもしれません。
──────西脇祥貴

しゃしゅじゃじぇけものしいかしゃかるか

ぐびゃら岳の領域だ……。ぐびゃら岳以降にぐびゃら岳方面の表記の冒険をしたことそれ自体は大拍手です。それがビー面に出たこともめっちゃうれしい。進歩も見られます、まったく意味の取りようのない14音の文面を、真ん中にひとつだけ読み取れる単語「けもの」だけをジョイントにしてつないでいる(これはひらがなばかりなのにちゃんと「けもの」で抜き出せる不思議……)。しかも音数は異なるものの、「しゃしゅじゃじぇ」と「しいかしゃかるか」の小文字まで数えた文字数を揃えることで、句全体が「けもの」を中心点とした対称のかたちになっている。これらが妙な規律を生んで、この句をなんらかの意図の込められた文字列らしい、と見せることに成功しています。音も面白いですし。しゃかるか、ってゴリラズみたい。川柳だからこそ句らしいと見せられるものを示した、という意味で、この句はまさしく川柳だ、と言われねばならないでしょう。ただ、ぐびゃら岳の野蛮さに比べてこれだけ仕組みを読み取れることが果たして進歩なのか、という疑いの眼は持っておかないと……という気がしています。ぎりぎり並選入れておきます。お年玉です。
──────西脇祥貴
クイズなのかなあ。解けませんでした。川柳はクイズなのか(古川柳からそういう側面はあるのですが)。
──────海馬
これはわからない。わからなすぎ。「けものしい」から何か読み取るにしても、フックが少なすぎる気がする。77句ですが読めなかった。他の方の評を楽しみにしてます。
──────城崎ララ
難しかった。ただ「けもの」「しいか」「しゃかるか」の部分が頭の中でつながりそうな雰囲気を出してきていて、そこの心地よさみたいなのはあった。
──────スズキ皐月

献立は負けヒロインの汗だわな

美味しそうでないのは川柳としてマイナスではないのだけれど。句末の「だわな」のニュアンスが分からなかった。
──────海馬
負けヒロインということばとだわな、の言いようがぴったり、なのですが、改めて調べると負けヒロイン、相当恋愛の仕組みに乗っかったことばだったのですね……。そういう勝ち負け以外のことも含んでるのかと思っていたら、わりに狭い用語だった。でも必ずしもそこまでを容れて読まねばならないものでもないので、と思って読みなおそうとしたけどシンプルきちゃないなこの句。献立が汗って。きちゃなさにも~だわなはわりとマッチするんですけど、このフェチ感がどう評価されるかが鍵なような。個人的には理解はできます。そうか、単なる下ネタから、フェチに進むというのはわかりやすい道だな……。
──────西脇祥貴

冬の光をかどわかし脱税もする

前半の美しくみえて、じつは実質も感覚も欠けている言葉の列によって、「脱税」という熟語が漂白され、意味を失っている気がして面白かった。「脱税」の二字のつくりが同じなのは偶然? 「兑(兌)」部の源を調べると、「口を開けて笑うさま」の象形だそうで、そこににくずき(身体)とのぎへん(穀物)がついている。ここからいい加減な国家論でもでっちあげられそうだが、それは控えておこう。
──────海馬
「脱税もする」が良すぎる。
──────南雲ゆゆ
指のイメージが良い句!
──────雨月茄子春
なんて奴だ、と笑ってしまったのでこれは点を入れさせて頂きます。でもかどわかしと脱税では犯罪のカテゴリーの違いみたいなのを感じていて、「ついでに脱税」というものではない。悪い心が層になってミルフィーユみたいになっていて良い。
──────スズキ皐月
こちらは音数19音でずるずるなように見えるのに、なんだかスムーズ。語順でいけば散文っぽくもあるのにそうならないのは、「冬の光をかどわかし/脱税もする」という頭でっかちなつくりゆえでしょうか。前で溜めるので、後ろを一気に読んでしまえる印象です。で、前が後ろに比べて詩的なのですが、かどわかし、でわずかに世知辛さを引き込んであるのがバランス良く、ふわふわしすぎません。そしてもちろんそのおかげで後へのつなぎもばっちり。句が全体として強いです。がっつり抜ける句だと思います。ビー面だと……どうなんでしょう。
──────西脇祥貴

鍵穴に伏した晴れ着の明太子

奇想。晴れ着の明太子はめちゃくちゃ面白く、かわいさもある一方で明太子のグロテスクっぽさも保っており、面白い気分にさせる。
──────スズキ皐月
意味のずらしは上手くいっている気がする。そこから解放感が出ているかどうかだが、この句の場合、逆に重たくなっている気がする。
──────海馬
鍵、明太子で開けようとしたのかな。。。相当具体的な景の句かつ、ぺた……と横たわる明太子の無力感がせつないです。静止画の句。このまま生成AIにぶち込んで使えそうです。
──────西脇祥貴

上映されないシーンで昼寝

8・7だけでここまで世界観を構築できるとは。限られた上映時間だけでは全てを映し出すことはできないし、またする必要もない。上映されるシーンの外側をうまく想像させる映画は「余白がある」と称賛される。ここではきっと、登場人物がその余白で昼寝しているのだろう。鑑賞者が想像したというよりは、登場人物が昼寝しているようすを言っているように見える。劇中人物が観客に見られることなしに存在しているところが穿ちだと思う。ただ映画鑑賞に伴う感情の動きを描写するのではなく、川柳的に置き換えて見せたのが、この句の面白いポイントなのだ。
──────南雲ゆゆ
撮影中に昼寝をする役者をこっそり映像に収めたということか。ただ、句のつくりからすると、「昼寝」している役者(?)の意識が書かれているようだ。おそらくその油断(「上映されない」から「昼寝」しても大丈夫だろう)のありようが句の内実で、読者としてはこの映像がじゅうぶん上映される可能性がある、というところを感じて優越感をもつ、という読みになるか。
──────海馬
映画の登場人物の昼寝のような気も、観客の昼寝のような気もしてくるが、どちらかと言えば前者がいい。どんなキャラクターにも昼寝のタイミングがあるのかと思おうと愛おしい。
──────スズキ皐月
“走って逃げて……この走って逃げるってことも台本に回り込まれてたんですよ”(漫談「ハッピーバースデー」小松海佑) 上映されるシーン/されないシーンがあって、されないシーンでやっとあなたは昼寝ができる。役から降りて、むき出しになって。でも昼寝は夕方の活動のためにするものだから、完全に降りられるわけではない。その自覚がありながら、昼寝をする。いつか、「上映されないシーン集」で使われる(かもしれない)昼寝を。いつまでも「回り込まれてる」と思う。
──────雨月茄子春
できないことをしている句、ととらえると面白いのでしょうが、見た途端頭に『ニュー・シネマ・パラダイス ディレクターズカット版』が思い出され、相当長い劇場公開されなかった部分も思い出され、そこで寝ちゃうのもまあ、あるかな、となってしまいました。
──────西脇祥貴

中指と顳顬の神曲な関係

わざわざ「中指」と指定したのがまず効いている(逆に、指定に意味がないと読むのもそれぞれの読者の自由だが)。おそらく手書きでは作者も書けないだろう「顳顬」の字を選んだのもうまく言っている(読めない!という読者も当然いるだろうし、その程度の知識のなさは批判するほどでもない、したがってこの句は十分読まれない危険性がある、たぶん作者もそれを少なくとも無意識に前提としている)。句の中心は「神曲な関係」の特に「な」だろう。ダンテの『神曲』だとして、その内容および背景についての知識をどの程度この句は求めているのか。おそらくほぼゼロだろう。したがって、ぼんやりと「中指」と「顳顬」(読める?)の「関係」がなんらかの意味でほのめかされていて、しかも「な」が示すようにその関係(の把握)もいい加減なものだ、と感じるのがこの句の味であると思う。特選次点句。
──────海馬
危険な関係、というタイトルらしいコロケーションを捻じ曲げるにあたって、神曲という曲げ方をしているのが面白かった。神秘さ、要するに文化を引き受ける器が、顳顬しかなかったのか、とは思う。中指と顳顬以外も発見できたんじゃないか?でも、いい曲げ方だったから一票。
──────ササキリ ユウイチ
中指と顳顬の間に関係はありそうな気がするけど、「神曲な関係」となると難しい。でも神曲という土台は活きている気もするが、うまくつかみきれないのが悔しさもある。
──────スズキ皐月
顳顬=こめかみ。神曲でよかったかどうか。
──────西脇祥貴

総評
読み返しながら、まず、面白く読むために単なるノイズになっている要素がある句を予選に入れ、ノイズだと思う点をコメントした。
次に、ノイズに思えた要素が読みの中で解消されて、面白さに転じていった句(つまりマイナス要素がクリアされたもの)を並選、および、特選候補として評をした。
評をしながら、評を書くのがもっとも困難であり、同時に句について考えることを止める気にならなかった句を特選とした(というのは嘘で、特選の句ははやい段階で決まっていた)。
自句を除いた投句のうち3分の1以上を特選・並選に選ぶことになったので、ビー面はやっぱりレベルが高いなと思う。言葉の作品としてしっかり成り立たせようという意志があり(こんなの当然と思うかもしれないが、たいていの句会・大会ではそうではない)、選ばなかった句もそれぞれ、読者に伝わる狙いや面白いところあった。
考えてみると、ビー面の場合は、出した句がすべて公表されるということが緊張感になって、質の担保の一因になっているのだろう。投げっ放しであとは選者に一任の従来の川柳句会・大会の制度の弱さを感じるところである。
──────海馬
10/50句抜きました。
──────雨月茄子春

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