川柳句会ビー面 2024年4月
匿名互評の川柳句会の選評と投句一覧。目次に無記名の句一覧があるため、無記名句一覧の仮想体験も可能。
春って躍るわたしの島かぴかぴゆるしえないくちびる
芥場の条件に鏡花を付せば
なけなしの遺跡を持って帰りたい
時代のうねりで米を研ぐ
どうしても主任の子機を使いたい
白波の最初のゆらぎを語り継ぐ
警察が来て野球部に当たりだす
どこまでも一人の同じ屋根の下
ひとつの鏡ふたつの薊
返せわたしの頭の余白
こうぜんの秘密をぼくらもひろめよう
打撲傷みちのくの荷のほどけなさ
ポケットに魚をいれて息がつまった
起きがけにスキャンされたらきみの顔
洗剤にざわつく脳を仕切られて
「知っている親と知らない親」やんけ
死ぬほどの長さを誇るイヤな春
雌の波よい感情のサンプリング
金太郎飴に棲みつく希死念慮
にんげんのかおの耳よりすながながれいで
諷喩法 ぱら と浮腫むよ洗面器
裸体ねじれプロジェクションマッピング
春の悪意はみな黄色
飛行機のない空港を走る犬
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春って躍るわたしの島かぴかぴゆるしえないくちびる
何回でも斉唱したい。長いわりにリズム良く読めるなあと思って、音数を数えたら7・10・10。中十と下十で音数を揃えることで、楽曲の同じメロディを2回続けるところっぽい。全体なら27で、むしろ31に近い。川柳の定型を大きく外れた長さの特質が、散文的ではなく、短歌的。
──────────────────南雲ゆゆ
春って躍る わたしの島 かぴかぴゆるしえないくちびる で区切るべきかどうか。ばらけてて難しい。「春って躍るわたしの島」なら読みようがあるけれど、「かぴかぴ〜」が続いてくるのがわからなかった。どういう要素として付いているのか?他の方の選評を読みたい
──────────────────城崎ララ
これは西脇さんの句であると初見で思い、川柳諸島がらぱごすに訪れた春に踊り、少しセンチメンタルなる動物を想像した。その隣で微笑むララさんも。長いけどテンション高く一息で言っているので川柳だと思う。
──────────────────小野寺里穂
うそ……トップバッターの句じゃないでしょ……夏雲……。
──────────────────西脇祥貴
芥場の条件に鏡花を付せば
凝ってるなあ……。あくたば、って読めるけど、そういう言い方あるんだ……。鏡花から戻って芥川のこと思い出しちゃうけど、だから? というくらい本件とはかかわりござらん気がする。せいぜいその生涯のなんとなくなグレーみをかぶせるくらいで、でもそれも芥場の中に含まれてる気もする。で、その指定条件として「鏡花」。泉、と取るより前に、そういう花があるのか、と思わされてしまう。そういう断定の力がみょーに句全体に働いている。そしてこの句はあくまで、仮定の前半のみである。偉大なる半身。その偉大さに免じて並……としたいところですが、うーん、もう何例か見たい。
──────────────────西脇祥貴
なけなしの遺跡を持って帰りたい
なけなしって、自分のものが少ないことを形容する語じゃなかったっけ? と思うと生じるねじれ。だとすると、遺跡はすでに自分の所有物のはずなのに、持って帰りたいという。いまはだれかから借りてるのかな? ……という読みはそうか、「持って帰りたい」でひとつにしてたからそうなるのか。持って/帰りたいで切れば意味は通る。けどこの読み味は、持って帰りたいまで一息の感じがする……そうか、自分のなけなしの遺跡なのに、なんらかの事情が持って帰ることを許さない、だから持って帰りたい、って切実さか! それなら遺跡にも相当の重みが出て来る。古い建物としての遺跡、とも言えるし、新しいものでも例えば爆撃を受けて、跡形もなくなってしまえばそれは遺跡と言いうる。持って帰る、という言い方のせいか、遺跡=持ち帰れるサイズ、たとえば破片とか、そういうもののイメージが湧く。持って帰りたい、ということは帰れない、帰る先がない。ううむ。いろいろな事象が重なってきますね。現代川柳はいちおう現代口語でやる川柳、ということになっているらしいけれど、現代口語でもっと表現されるべきなのにされて来なかったことを表現した、それも軽みと穿ちを忘れずにした、という意味で、かなり強い川柳になっているのでは。これはまだまだ読み込み甲斐があると思うし、読み込み甲斐があることが果たして幸せなのかどうかというアンビヴァレントな気持ちさえ生まれてしまう……とりあえず、手の中の遺跡の重さ、手触りを味わい尽くすまで読むしかなさそう。でもそんな日来るのかな? 特選です。
──────────────────西脇祥貴
そう思う。なけなしの遺跡、なけなしの……なけなしっていう言葉にどうしてこんなに惜しさを感じるのだろう。それが奪われないように、無に期してしまうことのないようにって思う。そんなことになるくらいなら持って帰りたいよね。わかる。
──────────────────城崎ララ
持って帰ってほしかった
──────────────────公共プール
時代のうねりで米を研ぐ
スケールの大小が途方もなくておもしろかったです。しかしこの七七は……あるある探検隊のリズムですね?
──────────────────雨月茄子春
壮大なフレーズのあとに何が続くかと思ったら「米を研ぐ」という身近な動作が来て、それらが喧嘩しないで違和感なく一句にまとまっているのはすごいと思った。なんとなくだけれどニュアンスもわかる気がして、でもそれは言葉にしたとたん無粋になる気がする。とにかく時代のうねりで米を研ぐんだ! と言いたい、声を大にして。
──────────────────太代祐一
壮大な世界観が良い。日本史で稲作を習う時に紹介されたい句。
──────────────────南雲ゆゆ
水は普通透明で米でとぎ汁は白濁するけれど、時代の色は何色なんでしょうね。時代と水のイメージは「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」なんかが響いてくる。うねりとして波の勢いが大きいのか釜のサイズで小さいのかわからないこともコップの嵐っぽいし、米をとぐ生活感の強さがうまい。そして、時代の質そのものが何より大事なはずなのに語られないものだから、8•5の気持ち悪い音にもうまく調和して、この意味や内容だからこの気持ち悪さがうまく機能してる気がする
──────────────────公共プール
研げそうぐあいとフレーズのポップさでつよい句。『悪魔が来たりて笛を吹く』みたいな。これを奴隷の韻律と呼んでもいいけど、韻律が奴隷だろうが中身がパンクスなら関係なくね? と思う。生活禅、すなわちパンクス。ただそうなってくると「時代のうねり」の手垢付き感がむずかしく、米を研ぐ、との取り合わせならまあ想定内かな、とも思えてしまいました。真逆はかえって近い、の範囲のような。
──────────────────西脇祥貴
川柳とキャッチコピーの境界をうまくついている。
──────────────────小野寺里穂
どうしても主任の子機を使いたい
動機が謎すぎて印象に残った。子供たちが大人の使っている道具を使いたがる状況はあるかもしれないけれど、それにしては幼いし……とここまで書いて、いや、幼くったっていいじゃないか川柳の中だもの! と妙に開き直る自分だった。
──────────────────太代祐一
笑うわこんなん! へんなロマンス! なんか好きすぎて並に入れますけど、年内にはこういう句に特選入れられるようになりたい。いや、ほんとでき上がってていじりようがない、この形のまま出てきたんだろうな、という気がひしひしとする句。これぞ人間諷詠なんじゃないでしょうか。披講されるとさらに強そう、沸く場内まで見えます。細かく言うと野暮になりそうなので、ここまで。あー、でもちょっとは言いたいな、「どうしても~たい」という盤石の構造を選んでおいて、使う語句で「主任の子機」とずらす。このバランスの妙に尽きると思う。二三川さんが言っていた川柳のジョスクールだ。これは決まってます。てか主任の子機ということば、ここまで奥行きがあるとは……。
──────────────────西脇祥貴
「主任の子機を使いたい」気持ちはわからないけど、それに「どうしても」が付くと気持ちがわかる気がする。誰にでもどうしても〇〇したい気持ちがあるからかな。リアルな句だと思う。
──────────────────スズキ皐月
よしたほうが良い。あなたが主任より上の役職でない限りは。
──────────────────城崎ララ
好きなナンセンスさでした。子機がしょぼくて、しょぼいものをどうしても使いたくて、そこが妙と思います。
──────────────────雨月茄子春
白波の最初のゆらぎを語り継ぐ
ポエジーがあってよろしい
──────────────────雨月茄子春
中八が気になるといえば気になるけれど、言おうとしていることの大ロマンぶりからどうしても目が離せません。いい話……。だからこそ余計中八が……でもゆらぎ、ですよね。ゆれ、とかじゃない。ゆらぎ、の三音分の時間が必要な現象のこと、その三音分の時間に受けた印象のことは、語り継ぎたい。いやほんとは語り継ぐもなにも、白波の最初の頃にことばがあったかどうか。つまりこの句全体が「大嘘」。それは大きなロマン。そして語り継ぐことで接続されるロマン。……でももちろん、あの津波のことも思い出させます。こちらに振るとちょっと意味が通り過ぎるところ、「最初」の意味を三月に限定させないことで、ロマンというか、おおーきな自然のサイクルのことも導ける句だと思いました。
──────────────────西脇祥貴
警察が来て野球部に当たりだす
なんか日記の一部みたい。す終わりの平熱がそう見せるのかな。○月×日 警察が来て野球部に当たりだす。以上。みたいな。そういう、実際の関係をなにもしらない位置から見て書き出しただけのように見える。ただこれ、いまだから、野球部だからそう見えるのであって、これがラグビー部とか、アメフト部になったとたん、現実に強く接続されてしまう。そういう意味ではぎりぎりに立っている句、来年あたりにはもう新聞柳壇に載るような時事句になっているかも。だからいまのうちに評価しときたくて並選にします。関係ない位置からの句だとしたら結構おもしろいんですもの。関係があって当たっているのか、関係なくて当たっているのか。あるいはそういう複雑ささえなくて、ただただじゃれあって当て身をくらわせているだけなのか。うーん、にしても警察は物騒かも。でも警察くらい物騒だから距離感の平熱が引き立っているんだと思う。
──────────────────西脇祥貴
警察がボールみたい。打球を「強烈な当たり」と呼んだりするし。野球チームをナインとも呼ぶけど、警察の八つ当たりだとするなら一人はセーフだったかもしれないね
──────────────────公共プール
どこまでも一人の同じ屋根の下
現代で好き。みんな寂しくて心地よいひとり。
──────────────────城崎ララ
雰囲気がいいな、川柳が得意な生活感の圧縮ぶりがある気がする。と思って読んでいるとあれ、案外意味が通らないな、「一人の同じ屋根の下」……。同じ一人の屋根の下、ならすっと抜けるんですけど。どこまでもがどこにかかるかなのかな。どこまでも一人、かつ同じ屋根の下で、果てのない孤独を言いたかったのかな。でもそれを句にして出してる距離感が、そこまでそういう孤独を深刻にさせない。そういうものだ、という達観、みたいな……。でも説教くさくはない。同じ一人の屋根の下よりも、むしろこっちの方が説得力ある気がしてきた。何度も読んで、何度も屋根の列を目で追って、そのうちはまるところが出てきそうな句。
──────────────────西脇祥貴
ひとつの鏡ふたつの薊
季節に合わせて。
──────────────────西脇祥貴
返せわたしの頭の余白
詳細はわからなくても、ここまで強く言われると面白くなる。3・4・4・3の迫るようなリズムが、主体の顔からギチギチに詰まっている頭の中へ向かっていくこの句にあっている。初読でその迫力にやられました。
──────────────────スズキ皐月
社会詠にしないで読んだ方がいいと思った。もうただこの句の言うとおりの景を想像する方が。あまりに言いたいこと過ぎる。もちろんそれを句にすることになんのわるいこともない、ただこういう仕事は、たぶんもっといい、もっと刺さる前例がたくさんある。もし川柳になかったとしても、たぶん音楽の上でこういうことを言ったバンドはいくらかいると思う。そのうえでなおこれをやるとしたら、うーん、せめて連作の中で、か。前後の文脈を得ることでかがやくことはあるかも。この句だけだと、ちょっとぼんやり見えてしまう。
──────────────────西脇祥貴
こうぜんの秘密をぼくらもひろめよう
秘密以外を開いているのもあり、幼さが前面に出ている。ねじれていることが多い気もするが、幼い使命感みたいなものを感じて悪い印象はない。
──────────────────スズキ皐月
今田さんっぽいなと思ったのは、やっていることの大事っぷりに比べて落ち着いているように見えたからか。経緯はともかくクラッカーじゃないこれ。こわい正義のプロセス。もう秘密=いまだ開かれていないところ以外ぜんぶひらがなに融けてしまっている、こわい。たまさんの新興宗教の曲のタイトルが全文字ひらがなだったのも思い出しました("あたまのふくれたこどもたち")。
──────────────────西脇祥貴
打撲傷みちのくの荷のほどけなさ
ふつうの?リアル句会でも良い句だと思う。びっくりした。このみちのくの使い方だと、一見して写実っぽいけど寓意が強い写生になると思う。貧しさや重荷や痛みしがらみとか。東北が背負わされてる重荷ともとれるし、東北が日本の重荷ともとれちゃうし。作者にその気がなくても、現実の陸奥とか東北の痛みの引力は強い(と私は少なくとも)ので、みちのくと文字を開いても、東日本橋大震災で絆と言われ続けたほどけない呪いが勝手に寄ってくると思う。
──────────────────公共プール
まず「打撲傷」と言う身体感覚を伴う言葉。「荷」も同様に肩や背中にかかる重さを感じさせる。「みちのく」は主体が土地に根ざした存在であることを示している。一方、接尾辞「さ」は、ほどけないことが客観的評価であることを印象付ける。不可能を意味する語基に客観性が付与されているのがいっそうやるせない。本来なら自分の意思で荷をほどけるはずなのに。
──────────────────南雲ゆゆ
みちのくの傷は打撲傷で(「のよう」ではない)じわじわとした痛みがずっと広がっているよねと思わざるえない説得力がある。歴史的にもほどけず絡まりつく荷。うまくて嫉妬した。
──────────────────小野寺里穂
急なみちのく。急みちのく。急のく。急く。急。キュッ。キュッです。ちがいます。コロケーション破りです。みちのく以降はつながりがあるようにも見えるけれど、これはつながってないんじゃないかな……。つながりを探ろうとするよりそっちの方が面白いと思う。みちのく以降は、北への旅の難所を浮世絵で見るみたいな趣きがありますが、これはたぶんどこまで行っても仮想。仮想だから、打撲傷という肉体的に近い現実につなげることでレンジが広がる。打撲傷のたとえがみちのく以降ともいえる……諷喩!? というよりは凝った説明、という感じか。
──────────────────西脇祥貴
ポケットに魚をいれて息がつまった
魚の息と読むのが当然に見えるけど、だれも魚の息とは言っていない。主体の息かもしれない。この、息が詰まる主体が二つ考えられて、それが息が詰まる、という強い苦しみの感覚でびちっと貼り合わされているのが気になるポイント。あえて、この句のできた前提があるなら知りたくなりました。あったとしたらおそらく、その前提に対してとてもいい距離で川柳になっていると思う。実際、魚を踏まえて思いつけるいかなる例も、仮置きするさえ痛ましい事件ばかり。その痛ましさを言うに、川柳のできるのはこういう距離の取り方、こういう穿ち方なんじゃないかと思った。
──────────────────西脇祥貴
きっと忘れていたんですね、ポケットの中にはビスケットが一つ、入っていたことを。
──────────────────南雲ゆゆ
起きがけにスキャンされたらきみの顔
入れ替わってる〜〜!?自室に顔認証システムが導入されたディストピア世界編。なぜ起きたらスキャンされるのかって言ったら、勝手な解釈だけど、動いてる人間の顔情報を自動的に認識して、誰と誰が親密な関係にあるのか監視するシステムが構築されてる、とか。
──────────────────南雲ゆゆ
何にスキャンされたか、はさておき自分の顔がコンディションで誰かの顔に似ることはあるだろうな。起きてすぐにスキャンされるというシチュが面白くてすこしSFらしさも出ている。
──────────────────スズキ皐月
起きがけだと、わたしの顔がきみの顔になっちゃうってこと? き音がいい感じに配置されてて読みごこちはおもしろいんですけど、スキャンされるというへんな暴力もふくめて、こわいオチの待ってるSFみたいだと思った。みたい、なのがポイント。ちょっと情報がたりないかも。
──────────────────西脇祥貴
私たち入れ替わってる~?ってやつぽくてうけた。
──────────────────公共プール
洗剤にざわつく脳を仕切られて
脳が襞・布のように理解とされたとしても(と書き始めたが、そもそも、脳は思惟の別の名に足り得ないという前提が必要なことに気づいた。ということで、脳が襞・布のように理解されないとすれば、それは生鮮食品や廃棄物として理解されることになろう)、洗剤に何かを仕切る機能はない。と言いたくなるが、汚れがついた対象物の例示である布に浸透し、ある汚れの基たる分子の四方八方に吸着し、ついには分散することによって、洗剤は機能するのだ、と思いなおす。汚れは洗剤と親和し、水と汚れ/洗剤は乳化する。すなわち、水と汚れは仕切られていない。この意味において、洗剤が仕切るものは、布に対する汚れただ一つである。すると、(ざわついていない)脳に対して、ざわつく脳は、洗剤にとって脳の一部分ではもはやなく、脳とは異なる汚れであり、もともとは脳であったその部分を洗剤は仕切るに至る。って感じで、おもしろくなってんだと思います!
──────────────────ササキリ ユウイチ
ゆらゆら帝国さんの歌にありそうなシチュエーションだ……。しかし、洗剤にざわつく脳を/仕切られて、なのか、洗剤にざわつく/脳を仕切られて、なのか? 前者ならゆらゆら帝国さん。後者ならちょっと『火の鳥』っぽい。なんかありましたよね、手術受けてから人間がへんなかたちに見えるようになるみたいな話。そういう既視感は、たしかにある。
──────────────────西脇祥貴
「知っている親と知らない親」やんけ
「まさにあの「」ってやつやな」、の、前提があって話をするときの「」の使い方で、うまいと思う。
──────────────────雨月茄子春
怖くも、可笑しくもない。ただ、その引用みたいな雰囲気はなんなんだ(おもしろい)。
──────────────────ササキリ ユウイチ
有名な文句なのか? と思ってすぐんなわけないやんけときづいた。汎用性高すぎ! ただ「」で括って、しかもやんけ、とか改めて言われると、なにかある気はしてくるな……今回はだまされないで予選にしておきますけど、なんらかの方法で続けざまにやられたら、なにかを見出してしまいそうでこわい。あれ、ていうかこれもひょっとして、諷喩……?
──────────────────西脇祥貴
死ぬほどの長さを誇るイヤな春
「イヤな」が良い仕事してますね
──────────────────南雲ゆゆ
長さの喩え方はいいけれど、イヤなはなあ、直球すぎないかなあ。便利すぎる語を便利なまま使っているような。だってすでに、死ぬほどの長さを誇る春=イヤじゃない? ちょっともったいないかも。
──────────────────西脇祥貴
雌の波よい感情のサンプリング
キュート。絶対マゼンダピンク。雌とか感情とかに対して句自体は軽快。背後にはヴェイパーウェイヴの曲が流れる。
──────────────────南雲ゆゆ
色々なイメージが駆け巡った。どう面白いのか、色々な角度から言いうると思う。書きやすいものを書いておく。まず、サンプリングという語をこの句のなかではじめて、極めてポジティブな生物的なものとして受け取ることができた。よい感情の感染があり得る。それが能動的であれ受動的であれ、ある社会のポジティブなものが発揮されている感覚。断じて、雌の波がよい感情なのでも、雌の波がよい感情のサンプリングなのでもない。よい感情のサンプリングがありうる世界において、雌の波が、存在し得ることが言われているような気がするところがよい。波、アナログなもの。このアナログ波がサンプリングの過程でデジタルに変換されている気がする(というイメージは極度に遺伝的・プログラム的である)。もちろん、ここまでは一例であって、また別のことも面白さも言いうる。ともあれ、先に断じたことを反転して、雌の波「において」、よい感情のサンプリング「が存在し得ることが言われているような気が」しないのは何故なのか、と問うこともできるだろう。この反転に対して、よい感情よりも先に雌雄が発生することはないからである、と応えなければならないのかもしれない。って感じで、おもしろくなってんだと思います!
──────────────────ササキリ ユウイチ
そうなんよ雨月さん、よい、やってたんよじつは。
──────────────────西脇祥貴
金太郎飴に棲みつく希死念慮
金太郎飴が作られる過程はまるで、現代社会の不条理に揉まれた人間たちのようです。煮詰まれ、冷やされ、練られ、伸ばされ、重ねられ、巻かれ、最後には裁断される。何を裁断するのか?それは首なのです。
──────────────────南雲ゆゆ
金太郎飴という時点で狂気の雰囲気が強くなる。棲みつくがとても良くて、あの開放とも閉塞とも言えない金太郎飴の禍々しさがより強くなっていて素敵。
──────────────────スズキ皐月
「なんかわかるかも」となった句。切っても切っても金太郎の顔があらわれる金太郎飴と、うっすらと心にまとわりつく希死念慮の執拗な感じがどこかで響きあう気がする。
──────────────────太代祐一
切っても切っても、という特徴にはまっているとは確かに言える。そういう意味では希死念慮にとっても、金太郎飴はよいおうちなのかも。ただ、イヤすぎる……。
──────────────────西脇祥貴
にんげんのかおの耳よりすながながれいで
計算が感じられる句(見えはしないぎりぎり)。漢字は一字耳のみ、わざわざ「にんげんのかお」とか「ながれいで」とか言っちゃう語り方の調整。5・7・8、細かく言えば5・7・3‐3‐2、という譜割り。すべて効果がちゃんと出てる。あとはその効果が各所で発揮されたとき、何がこっちに伝わってくるのかってこと。読んでとにかく頭に残るのは、耳。大きい耳。天井桟敷の道具立てにあったような耳、とにかく耳。スクリーンいっぱいの耳。そこからすなが、ひらがなの効果によってざーざーながれいでている。もうそれだけ。それだけなんだけど、それを言うのにこれ以上の表記の方法があるか? というところの強さはたしかにある。なので気になる。気になって、わが身にインストールする。耳からすながながれいでている気分とは……あれ、案外知らない感覚じゃないぞ。耳ん中がざらざら、中からどんどんすなが、いや、すなに思えない、なにか大事なものがざーざー、出ていっているような気がする。そしてうるさい。ざーざーざーざー。ざーざーが止まない。ここに知っている感じがある、そう、いつもざーざーしているんだ、いまって。それを、これ以上ない方法でつかまえた句だった。ただ、いつだってざーざーしてたんじゃない? という疑問にどう応えるかは、考えたほうがいいかもしれない(裏返せば普遍かもってこと)。
──────────────────西脇祥貴
諷喩法 ぱら と浮腫むよ洗面器
換喩とか提喩とか諷喩とか、ほんとみんないろんな言葉知ってるな……。どこで出会うの? 大学にはいなかったよそういう言葉? って堕学生だったんだからそりゃ知らねえに決まってんだろ。ごめんなさい。閑話休題(やや飲んでいます)。諷喩、朱に交われば赤くなる、みたいにどん、と喩えを置いちゃって感じさせること、ほうほう……。だからぱら以降が喩えって言えるわけか。浮腫(むく)むってどれくらいすっと読めるんだろう、ということも含めて、ぱら以降は結構読み手に圧がかかる文字列になっている。浮腫む擬音にぱら、は飛躍があるし、浮腫むものとして洗面器はまず想定されない。でもここはビー面だからぱら、って浮腫むとか最高! ってなるし、洗面器が浮腫むと聞けば、どう浮腫むか、どこが浮腫みやすいかを考えてしまう。というか浮腫む洗面器がキュートすぎる、ちょっとお話聞きたくなってしまう。ここでキャッチされて、あとぱら、に戻る感じで読みました。木製かプラかにもよるけど、ぱら、は結構いい線の擬音だと思う。……などと洗面器のことばかり考えて、肝心の「その喩えによって何が示されているか」になかなかたどり着けない、あるいはどうでもよくなるのもキュート。
──────────────────西脇祥貴
諷喩法に擬態語ってあるんだ。諷喩法も雪や紙のように、薄くて軽いものなんだろう。洗面器に張った水に接して浮腫んじゃったのかな。なんか愛おしいですね。
──────────────────南雲ゆゆ
裸体ねじれプロジェクションマッピング
裸体ねじれが光源になっているのか、裸体ねじれにプロジェクションされているのか。裸体ねじれのことばのやばさ。裸体ねじれとプロジェクションマッピングが実は関係なく、たまたま画面上で隣に置かれたと考えてみる。祝福だ。
──────────────────小野寺里穂
右肩にちっちゃい字でTMって付けて、そういう手法として売りに出されてもおかしくないくらい見た目が整った句。売れる句だ……! 詳しく見ると、裸体ねじれがプロジェクションマッピングの説明になっているようです。ディグダとウミディグダみたいな。つまり本プロジェクションマッピングにおきましては裸体のねじれを利用することにより、任意の壁面に任意の画像を投影することができるというわけです。人力だ!(紅だ! の勢い) 『ダンス寿司』みたいなことか。いやちょっと天井桟敷っぽくもあるな。寺山さんご存命ならやったかも。やらないよ。やらないけれど、肉体とテクノロジーの強制的かつ暴力的な結合が呼ぶ未来図、とかまとめると、それっぽくない? プロジェクションマッピングは嫌いだけど、これならちょっと好きになれそうだったので、並にします。
──────────────────西脇祥貴
春の悪意はみな黄色
「黄色」のところの大喜利になるんだと思うけど、春と黄色は理でいけるので自分としては句の力が弱まる気がする。振り方はおもしろいと思いました。
──────────────────雨月茄子春
春そのものに黄色のイメージがある以上、そりゃ悪意も黄色だろうとは思える。ただ改めてそれをいわれ、かつ「みな」まで言い切られると、川柳性を感じはします。あとは現代こう言い切ることがどれほどのリアクションを呼べるか。たぶんみんなもう、春の悪意がだいたい黄色なことは知っているのではないか。そのうえで「みな」と断定されたところで、さほどインパクトはないのでは。インパクトがすべてではもちろんないですが、それ実は知ってるかも? と思われそうなことは、さらに断言されても、あまり強度は増さないようです。
──────────────────西脇祥貴
飛行機のない空港を走る犬
空港に犬、と来て、無意識に思い浮かべるのは飛行機がない滑走路だ。飛行機のそばで犬が走ってるのはシンプルに危ないし、常識的にこんな場所に犬がいないことは誰でも知っているから。でもこの句はあえてそれを言っていて、人間の不在が強調される。この犬は、人間に見守られていないといい。
──────────────────南雲ゆゆ
頭からずっと犬の修飾なのはどうかな、とはじめは思ったけど、飛行機のない空港、という指定が景としてもばっちりで、それをじっくり眺めていたらあまり気にならなくなりました。あとなんか自動的に夜だった。で、そこを走る犬。このフォーカス度合いはすてき。実際もたぶん唯一動く犬に視線が行くでしょうし。と、ここまでならGIFにもありそうなややうつくしい犬ミーム、あるいはライブカメラの定点映像というおもむきですが、眺めているうち気になってくるのが、なぜこの空港に飛行機がないか。過疎の行きついた先なのか、災害なのか、それとも。この犬は飼い犬なのか、野犬なのか。もとから野犬なのか、野犬になってしまったのか。ある意味句の中はもう永遠で、永遠に空港に飛行機の来ない代わり、犬は永遠に、死なずに走り続ける。それを行き切った平穏と取るか、やはり人間の眼からして不穏と取るか。そのどちらも包んだうえで、冷静に置かれる句。しがめばしがむほど、前を離れがたくなる、絵画タイプの一句です。
──────────────────西脇祥貴
見せ消し+空港と犬はもうお腹いっぱいかも……
──────────────────雨月茄子春
いいなあ。おれも遊びたい
──────────────────公共プール
CMでやってほしい。気持ちいいだろうな〜
──────────────────城崎ララ