『はじめまして現代川柳』の読書会を七夕にした(嘔吐彗星・暮田真名・公共プール・ササキリユウイチ)
2023年7月7日@早稲田某所、小池正博編『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)読書会。
嘔吐彗星・暮田真名・公共プール・ササキリユウイチの四名(五十音順)は、本アンソロジー内から「影響」をテーマに7句の選をし、編者・小池正博による解説のほうのいいところを手にやってきた。その記録。
嘔吐彗星の7選
今回読み返して、意識していなかったけれど影響下にあると思った句。 言葉の組み立てを終えたときに現れる抽象的なオブジェクトに興味がある。 ストーリーののさばる余地を削いだ端整さ、読み手の我田引水を不能にして自立しているところがいい。 かつ接続切れにならないのはなんなのか。六面体と梅雨が六月の「六」でリンクしながら、字面として直接重ならないことで引き込まれたのはありそう。もちろん、視聴覚にたいする共感覚的な訴求がある。六面体の一面ずつが回転しながら最後に声が残響する、この流れが喚起を強めていると思う。オブジェクトを召喚するスイッチの入れ方に影響を受けたい。
主体の感情が延びて外界に影響を及ぼしている句というのは、万能感に醒めやすくてあまりいいと思わない。この句は一見そういう句に見えそうで、けど明らかに異なっている。どういうことか。 「あさがお咲かす」—「握力」とあるから、握力の主体がいる。句に定着させたい感情があるなら、そのものの良し悪しはさておき、作者はいったん受け入れることになる。でもこの句の感情は、事前に受け入れられている感じではない。水遣りなどではなく一方的な人力によってあさがおを咲かす、その非道さにたいして十分自覚があって、だから花開くことに逆行するように握力を使う。そうして感情の定着を阻んでいるように見える。主体の昇華未遂を突き詰めた果てに、書き割りでない「遥か」が兆してくる 以上の読みはふつうに作者の意図からずれている可能性も高いけど、それはいいとして、この句の力にまつわる因果が読み替えられるところ、そこに影響を受けたいと思った。
事件とも事故ともつかない曖昧な記述。それでいて句から受ける印象がくっきりしているのはなによりも、必要最小限のショットを押さえた最適な配列による効果だと思う。影響を受けなければ…という圧を覚える巧さ。 表現の自由を考えるうえでも不可避な句だと思う。「どんな言葉でも無造作に使える」という意味に限った自由なら、べつに川柳を自由だとは思っていないし、その程度の自由をあえてありがたがる気もない。使えない言葉も書けない書き方もあるなかで、どこまで書けるか。血肉を捨象してどこまで致命的に見せられるか。 「鉛筆」を比喩でなく物として読むと、「他人の中」は完全なvoidになる。たったこれだけの素材で取り返しのつかなさが書けてしまっている作例として、定期的に思い起こしたい句。
定点カメラの画像データからキャプション生成されたような文体。一人称性をマスキングした、無声のナラティブ句を作ろうとして影響を受ける句。 語をストックして句を作っていると名詞や言い回しの斡旋が強くなりがちだけど、この句はどの語も存在感としては均衡を保っていて、特に起点や中心があるようには感じない。それだけに読み手の内圧からくる不安の純度を高めていると思う。 背景に踏切の警報音、線路の枕木など等間隔のリズムが流れていて、全体の音数も17音に収められている。だから「並/ぶ切れ端」の句跨りの違和感がサブリミナルに引っかかってくる。高めた不安を持続させる鍵がここにある気がする。 イメージ先行の作り方、定型感覚の揺すぶり方に影響を受けたい句。
デカダンスへのソフトな当て擦り。退廃でなく「荒廃」としてるのにも現実感がある。 つよい皮肉をいかに洗練させられるか。ひとつの理想だけど、習得しづらいのもわかってる句。 どこが難しいかというと、・狙う領域を限定してるけど対立の構図にはなってなくて、状況への皮肉になってるところ。当事者として他人事化する、切断してからつなぎ直すのは負荷が高い。・核心の突き方が、許される相対値のほとんどピークに位置してるところ。空気のスキャン精度が高い。・話し言葉が適確すぎるほどに使いこなされてるところ。真似してみると箸棒になりやすい(経験済) 颯爽とした見た目とは裏腹に、水面下の処理は重い句だと思う。 将来を想像するなら、既成の詩性が終わってもまだ帰ってなさそうな句。スピリットに影響受けざるをえない。
二物衝撃が技法として定着しているなかで、対比よりもつなぎに重点を置いてるところがすごい。 映像の編集技法でいうと、無関係なシーンを共通の動作でつなげるマッチカットの発想に近いかもしれない。ただしこの句は映像的に見えて映像化しづらい。他メディアで代替できない川柳を求める欲求に応じてくれて、自分も応じたい気持ちにさせられる句。 素材選択からkokkeとkakkoの押韻まで、こなれ感と緊張感が釣り合ってる。結句を助詞で止めると投げっぱなしかキャッチコピーっぽくなりやすくて避けてたけど、この「に」はそんなことがない。仕草みたいな、潜在的な部分でも影響受けそう。
「妖精は酢豚に似ている絶対似ている/石田柊馬」に並ぶ断言句だと思う。 自分で作るとき、「鳴門金時」みたいな無害で温もりのある名詞は持て余すことが多い。こんなに無意味に圧倒的に打ち出せるのか、という驚き。s,k,t,そして最後の「だ」、やたらと音の迫力があるけど目的はなくて、純粋に風圧だけ浴びせてくる。単語のストックをもっと語感偏重にすると、今ある語彙とは違う使いどころが見つかるかもしれない。壁を壊してもらった句。 「説得力」が句本体にフィードバックするのも面白くて、断言句を書くならこういう芯を忘れたくない。
⭐️解説のほうのいいところ「滋野さちさんの解説の最後段落(p111)」
暮田真名の7選
私もいつか家族詠に向き合わなければいけないと思っているのでこの句を選んだ。佐藤みさ子さんは柔軟な作句姿勢も見習いたい。
こんな川柳は書きたいに決まっている。
「実験句」に見えるけど、よく考えたらパーツが三つあるからふつうに川柳かも。自分では書かない。
榊さんの川柳には肉がある。わたしも肉がある川柳を作ってみたい。
わたしが「干からびた」っていう言葉だったら、こんな大役を任されてうれしいだろうなと思う。
「影響を受けちゃいそうかどうか」という視点で『はじめまして現代川柳』を読み返したとき、「すでに影響を受け終わっている」「これから影響を受けていきたい」「影響されることはないだろう」の三つのゾーンに分かれた(いまいちばん影響を受けようとしている久保田紺さんがいないのは不満だった)。兵頭さんのこの句は川柳を始めたときから知っていたのにまだ影響を受けられると感じるほぼ唯一の句。川柳の最終回だと思う。
圧倒的にエモい。影響を受けすぎないようにがんばっている。
⭐️解説のほうのいいところ「中西軒わさん(pp134-135)を書けることがすごい。」
公共プールの7選
佐藤さんの句はどれも好きなのですが、川柳に限らず創作物を鑑賞するときにその人の人となりに惹かれることが多いです。私の目指している方向の視野に入っているといえば烏滸がましいのですが、目標にしていきたいです。解説の中で小池氏は東日本大震災以後に怒りが出始めたと書いておられて、それに首肯しながらも怒りや喜びよりも先にくるのは、世界への慄き、恐れがあって、それにどういう態度をとるか、というところから怒りや喜びがあるのでは?と妄想しています。選んだ句の魅力は謎のゴリラなのですが、リアルな作風のなかにこういうゴリラやタワシのような言葉が選び取られた悲喜みたいなものが魅力的です。
挑発的すぎて手の出ない「錫 鉛 銀」よりも接しやすく味わいやすいと思いました。表記と意味両方の空白の使い方を見習いたいです。
木村の句が、その時代でとれも他の詩歌句に挑発的だったろうことを思うとなんだか勇気が湧いてきます。そういう句と比べると、この句は地味なものですが、しっとりとした共感と驚きをもつ言葉選びに木村の地力の強さを感じます。孤独感が石と海を通じて涯にいる誰かのまなざしを結びあう美しさが魅力的で、こういう美意識の上に成り立っている句がたくさんある気がいたします。
「象徴」「幻」というかっこいい詩的な言葉を嫌味なく使えてすごいです。こういう言葉選びは度胸がいるものですから真似していきたいです。
「コ屋」と「オヤ」の言葉遊びも、オヤの親と気が付いたときの挨拶というか感嘆のおやが読者に深読みを誘ってくるのも、私の目指す方向性と思っています。なんだか車内に閉じ込められて死んでいる自分に気が付かされるような不穏さと、パチンコ屋という字面のレトロさと間抜けさも、他の中村作品にみられる魅力だと思う。
川合氏は現在の川柳多作世界チャンピオン。私は寡作なのであやかりたいし、喧嘩を売られたときに咄嗟に言い返せる一句、こういう懐刀のような一句を持っておきたいですね。
平易な言葉遣いでこういう世界が作れることを教えてもらえてありがたいです。真似しようと力んで句作するととらえられない言葉なので、言葉が寄ってくるのを待ちたいと思っています。
⭐️解説のほうのいいところ「p127下段後半。第二芸術論で取り上げられることすらなかった川柳と、それ以後の努力、そして祥文の態度のことなど、とても魅力的でときめきました。」
ササキリユウイチの7選
浪越さんの作品全体として、禁止用語を引き出しにしまっておく句をつくる、という特徴があると思う。この句は禁止用語を出すのではなく、禁止用語が出るさまを句にする。その慎ましさにあこがれる。慎ましくなりたい。
丸山さんの、特にこの句には、現代川柳の基本的な修辞のひとつが込められていると感じる。このまじめさ、どうでもよさ。この修辞について影響を受けたい(学ばせてもらいたい)。
色の使い方として影響を受けたいところ。微妙な像の結ばなさ。一応の景を浮かべるところにもっていきつつ、このどうでもよさを醸し出すのはそれほど簡単ではないので、影響を受けたい。
呼びかけ。でもこれは、接頭辞だと思う。木村のそのあとの意味をまるっきり変えてしまう強力な意味をもつ記号。机も接頭辞になれる!という実験のスキームの、そのエポックとして認識している。こうした実験結果の影響を受けている。
そうなるべきものがそうなる、ということを書いたときに醸し出されるかもしれない圧倒的な印象、これを仕上げることができるだろうか。影響を受けたい。
ただの感想を言っている句なんだけど、味が濃い。この味の濃さがなにからきているのかわからない。わからなさに影響を受けたい。一応言っておくと、「銀色」の中立性とか、その他もろもろの語彙の次元で影響を受けたいんじゃない。語彙の分析、さらに構造の解析まで済んで、それを別の構成で似た作用を生み出せるのか、という話。
榊さんは私の裏師匠。その観点からみれば、いくつも句をあげることができると思うのだが、生々しいものを句にしてみたときに不気味さを描きだすのがうまい。不気味なものを見出すその目をいただきたい。
⭐️解説のほうのいいところ「中村富二(p200-201)の解説はこの本のパンチライン」