「鳥と刺繍」/箱森裕美 感想

「鳥と刺繍」は俳句を読むことも書くことも、こんなにもわくわくして楽しい、と思わせてくれる句集だった。夢中で読んだ。でも楽しいだけではなく、ヒュッと背筋に風が走るような怖さや、無常感を感じる句もあってまったく油断できない。
「鳥と刺繍」の句には何気ない軽さと、言語化しにくい繊細で心地よいバランスがあり、時折息をのんでしまう。

句を読むとき、心地いいと感じる理由はどこにあるのだろう。
たとえばこの句集の中の、

紅梅白梅遠くで橋の崩れるよ

を読むときの、なんとも言えないうっとりとした気持ちをまだうまく言語化することができない。紅梅白梅、というやや段差のあるリズミカルな音と紅白の梅が散っていくイメージ。そしてこの橋はとても重要なもの、自分の中の古くて大事な場所だったところと結びついている橋である気がするのだが、それが風化してぼろぼろに崩れていくので、もうそこには誰も(自分ですら)永遠にたどりつけない。もう後戻りできない、その断絶にかすかに安心する、というのが最も近い気がする。この読みは明らかに過剰だが、この句はそうせざるを得ないほど、イメージとして自分の中に入り込んでくる。

この句集の句の多くを読んだときの心地よさはかなり精妙なバランスの上に成り立っていると感じる。それは細心の注意を払って置かれたものであり、さまざまな技巧によってより高いところまで組み上がっている。

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句集の構成もおもしろい。
句集の最初は甘いものや食べ物から始まり、もしかして、もてなされている…?という気持ちになる。一章目は、まるで一人暮らしの誰かの部屋をそっと見ているようだ。その人は生活の楽しみ方を知っていて、孤独感もあるが、満ちながら暮らしている。二章は子どもの章、ひやりとするような危うさや欠けたようなおそろしさを感じる句の多い三章…と続くが、私は四章「Marshmallow」の話がしたい。
四章は友情や、友情を逸脱した感情と距離感を描いているように感じられ、クィアな読み方が非常にしやすい。というか、おそらくはクィアな読み方ができるような並べ方にしてある。章全体で句の主体が統一されているわけではなく、次々に主人公の入れ替わる短編映画を見ているようなイメージだ。何度か感情的な高まり、距離感の近づきが感じられる瞬間があるが、友の頬の句から3句くらいの並び、見せあう日記からの2句の並びがとてもいい(絞れなかった)。
あと章の終わり方もいい。この章は本当に読んでほしい…!本が発売前なので多くを語ることは控えるが、おすすめです。

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最後に7句選をあげてみる。

後転のまづかはせみを聴くこなし

マットの上で後転をするのときの姿勢をおぼえている。しゃがんで何かを聴くみたいに、両手を耳の横にひらっとかざすのだ。あれが翡翠を聴くような身のこなしだというのは素敵な把握の仕方。

薔薇くづれけりひとひらをかはきりに

の描き方。表記にも工夫があり、薔薇のみが漢字であとは平仮名で、平仮名部分ははなびらがひらひらと散っていくように見える。

風鈴や臓腑小さきモルモット

の、一瞬背筋がひゅうっとなるような怖さ。
この句ではまず風鈴を想像したあとで、実験動物にも使われるモルモットの、鈴ほどの大きさの心臓や他臓器や、裂かれていく皮膚をつい想像してしまう。

冬薔薇ドールハウスの天から手

ドールハウスはたいてい天井がひらく形にできている。屋根がひらいてそこから大きな手が降ってくる。つまりこれは人形側の視点の句だ。天から降りてくる巨大な手はなんともおそろしいだろう。冬薔薇と取り合わせることでドールハウスの豪華さと人形たちの張り詰めた雰囲気がよく伝わってくる。


びっくりした句は、

煮凝りの中に眠たき王都かな

煮凝りは金色できらきらしていて、そう言われてみれば傾きかけた陽の中にあるようにも見える。煮凝りの中に含まれているいろいろな構造物はそう言われるとだんだん建物のように見えてくる。いまはもう廃されてしまった王都なのかもしれない。何よりもこの言葉の並びのふしぎな豪華さはどうだろう。煮凝りの中にそんなものを見つけてしまう作者の目に驚く。


それから、大好きなのは、

ひみつ聞きひみつ忘れて三鬼の忌

地面に転がりたくなるほどのキュートさ。ひみつが平仮名にひらいてあるのも子どもっぽくてかわいいが、取り合わされているのが三鬼なのも妙に懐が深そうでよい。

みそさざいささやきがさざなみになる

このさざ・ささ・さざ、という揺れるような音韻がよい。取り合わせられているみそさざいがごく小さな鳥なのもひそやかでよく、みそさざいの羽音も、声をたてないささやきも、波のように空気を震わせているのだなと思う。

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ところで、この句集についてツイッターで読書会をします。
この記事は、読書会のレジュメとして書かれたものですが、会の後で内容の加筆・修正を行う可能性があります。

この記事では書くのを控えていたMashmallowの章の句についても話すと思うので、もしお時間がありましたら聞いてください。
https://x.com/paststranger/status/1721848886573322447?s=20

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