確認男 いきつけのカフェ編③
カランコロンカラン。
重たいドアを開けると、ドアの上に付けられた鐘がなる。聞き慣れたもので、どれくらいの強さでドアを開けると、綺麗に鐘の音が鳴るか覚えたくらいだ。
俺がレジの前に立つやいなや、真夏が、「いらっしゃいませー いつものでいいですか?」と聞いてきた。
まさかの真夏からの問いかけに、「あっ、はい。......覚えててくれたんですか?」と思わず確認してしまった。確認しなくとも、いつものでいいですか? と聞かれている時点で、俺のことは認知されているはずなのに。
「もちろんです!」笑顔で目が細くなった真夏の顔を見ると、嘘でないことは明らかだった。咲のように、裏に隠れている化物は絶対にいない。そもそも裏表なんてものが真夏には存在しないように見えた。
「ありがとうございます」
「はい。少々お待ちください」
俺は笑顔の眩しい真夏からお釣りとレシートを受け取ると、いつもの席に腰掛けた。
「そうだよな、たしかに俺毎朝来てるから、そら覚えてくれるか」
カウンターの向こうの真夏の後ろ姿を見ながら俺はポツリと呟いて、認知された喜びを噛み締めていた。それと同時に脈を感じていた。クリロナの髪型にしてからの真夏から向けられていた視線は気のせいじゃなかったのだと思った。
真夏がトレーを持って、席に近づいてくるのを、スマホの画面と交互に見ながら、いつものカフェラテが……と期待を膨らませた。
「はい、どうぞ。いつものです」
真夏はごく当たり前のように、カップをテーブルの上に置いたが、そのカップの中身はいつもと違った。
見間違いかと思い、目をつむってから、もう一度カップの中身を凝視しても、先程となにも変わってはいなかった。
そんな俺の様子を、真夏はなぜか微笑みながら見ていた。
「あれ? 店員さん、いつもと違う」
「えっ、そうですか?」
真夏は嬉しそうに聞いてきた。待ってましたと言わんばかりに、すっとぼけた言い方だった。
「いつもと違う」
そんな真夏に対抗するように、俺はいつもと違うことを訴え続けた。
「そうかな、でも――」
「いつもと違う」
真夏の声を遮り、なぜいつもと違うのか、その理由を引き出そうとした。そうすると、真夏は俺の意思に通りに、「なんか、気持ち込めて作ったら、こうなったんですけど、違いましたかね?」と確認してきた。
気持ちがこもったら、ただのカフェラテが、こうも美しい作品になるものなのかと俺は知った。気持ちをただカフェラテに込めただけじゃ何も見えない。
しかし、真夏はその気持ちをラテアートと言う形で表現した。それもハートマークのラテアート。
今までしていなかったラテアートをされただけでも、気があるんじゃないかと勘違いしてしまうのに、ハートのラテアートときたらもう、好意がだだ漏れじゃないかと、よだれが出そうになった。
「えっ、だって、これ僕たのんだ……いつものカフェラテですよね?」
他に客は数人いるが、まさか注文ミスではないだろうなと疑った。
「はい」
間違いないです、と言うように頷きながら真夏は言った。
「これ、なっなっなんの記号ですか、これは?」
俺はラテアートを指さした。まさか、リーフのラテアートが失敗して、偶然にもハートになったんじゃないかとも思えた。9割がた狙ってハートを描いたようにも見えたが、俺に気のある真夏を追い込みたくなったのもあり、あえて確認した。
「なんかこの、なんだ? 上2つがモリっとしてて、下が細くしゅっとなってる
これ、な、なんの記号?」
「言葉では言えないから形にしてみたんですけど、どうですかね?」
真夏も、こちらに汲み取ってほしそうに、ハートについては言及せずに、逆に確認してきた。
こうなると、俺も意地だ。どんなにバカと思われてもいい。でも、真夏は確実に俺に気があるはず。だからこそ、渾身のバカなふりをして、真夏からハートのラテアートを描いた意図を引き出したかった。
「えっ? ちょっとわからないなー、な、な、なんですか、あんまり見慣れない…...」
「どういうって、もうそのままですよ」
「え?」
「その形のまま!」
俺が真夏を見ると、真夏は指でハートを描いて、ほら、わかるでしょと言うように目で訴えかけてきた。
「ハート……ですか?」
俺もカップの上で、ラテアートのハートをなぞるように指を動かした。
「あっハートです! 良かった分かってもらえて!」
真夏は胸の前でトレイを抱えて小さく跳ねた。
けど、それだけだった。それ以上真夏は何も言おうとせず、嬉々とした表情でこちらを見つめているだけだ。
真夏の気持ちに歩み寄って、告白として受け取るか迷ったが、ほぼ告白とも取れる真夏の行動を、このまま終わらせるのは勿体無いと思った。思う存分にこの時を楽しみたくなった。付き合う前の好きかどうかの探り合いをしている時が一番楽しいんだから。
「えっ、もしかして、心臓悪いんですか?」
なんなの? 俺のこと好きなの? みたいに直接的確認をしても良かったが、俺は体裁を捨てて、バカな確認をした。ラテアートにハートを描いて、心臓が悪いことを伝える店員なんているんだろうかと、自分で確認しておきながら疑問に思った。
「そんな訳ないじゃないですか!」
俺がわざと的はずれなことを言っているのを理解しているのか、真夏は笑いながら否定した。
「なんか、僕に助けてほしい……?」
「まぁ、ある意味助けてほしいかもしれないですけど......」
真夏は下唇を突き出して、ふてくされれていた。
「えっ大丈夫ですか? 今すぐ救急車!」
俺はテーブルに両手をついて、立ち上がった。
「ちがいます!」
真夏は片手を突き出して、俺を制止した。
「心臓マッサージ?」
俺が胸の前で両手を広げてそう聞くと、「ちがいます! ......もう!」と真夏は小さな足で地団駄を踏んだ。
「えっ、ごめんなさい。でも、僕のカフェラテにハートのラテアート?」
やりすぎたと反省し、一度事実の確認を行う。
「他の人にはやったことないんですよ、こういうの」
その言葉を聞いた瞬間、「え、どうして?」という疑問が浮かび、確認したくなったが、止めた。唇を隠している真夏の表情を見ると、答えはもう出ていた。
だから、まだ俺は泳がせることにした。
「えっ?」
俺が困ったような表情を浮かべると、「ほんとに、藤森さんだけで……特別なんですよ?」と真夏は真っ直ぐな目で見てきた。
「あっ、そういうことですね」
俺が眉をピクリと上げて、口角も上げて言うと、真夏は「あっ分かりました?」と、ご褒美を期待する犬のように、目を輝かせた。
「オプション代取ろうとしてます? 僕から?」
「違いますよ!」
真夏は威嚇するように眉間にシワを寄せて、口をとがらせた。
「ねぇ!そういうことでしょ! ラテアートした分、なんかあとで請求して!」
「5千円とんないですよ、プラスでなんて」
俺のあまりにもふざけた態度に、真夏は呆れたように言った。
「5千円! ......ほんとですか?」
これも答えを分かりながら確認した。
「ちがいますよ。私の気持ちで、勝手にやらせてもらったんです」
「サービスですか?」
真夏の好意ではなく、店員としての行動、サービスによるラテアートかどうかを確認すると、「サービスですよ」と真夏は、鼻息を鳴らすように言った。
「えっ、でも一体どうして? 僕はただ毎日来て、ただここでカフェラテをただ飲んでるだけなのに、なんで、店員のあなたがこんな僕に、ちゃんとサービスをしてくれるの……?」
日本語のリスニングのテストだと、最高難度だと思われるスピードで真夏に確認した。
「毎日来てくれている間に、私の気持ちがそうさせたんです」
真夏はゆっくり答えた。
ここに来て、真夏の好意か、店員としてのサービスかややこしくなった。
でも、目の前のハートを見る限りは、サービスでないと思えたからこそ、真夏のサービスによるラテアートという主張が雲がかった。
となると、真夏は恥ずかしさのあまり、強がって、好意を隠しているのだなと判断した。
「わっかんないなぁ……僕わっかんないなぁ」
それでも、俺は言葉には出さず、理解力が0の男を演じた。
「ほら、携帯とかの絵文字で使いません? 気持ち伝えたいときとかに?」
すると、真夏は遠回りしながら、ハートの意図を伝えようとしてきた。
「ハート……を使う……時……わっかんない」
「なんでわかってくれないのかなぁ」
真夏は言葉の通じない俺に苛立ちを露わにした。
「どういう時に使うんですか? わっかんないなぁ」
「私は、この人いいなーとか、思った時に使いますけどね」
そう言いながら、他人事のように真夏の視線はキョロキョロと店内を移動していた。
「あ! なんか、友達とかとってことですか?」
「友達っていうよりはー、やっぱり、付き合いたい人とかに使うかなー?」
「あっ、えっ、もしかして……買い物ですか? 買い物に付き合う、そういうことですか?」
相変わらず、的はずれなことしか言わない男を目の前にして、真夏は大きくため息をついた。そして、分かりやすく、頬を膨らませた。
「もうー分かってくれないなぁ」
「ちょっともうわかんない! はっきり言ってください! 僕もう時間が…!」
別に急ぐ予定なんざ皆無だが、俺が急かすと、「じゃあ、もういいます!」と言って真夏は、目を瞑って一呼吸置いた。
「藤森さんが好きなんです!」
真夏が恥ずかしさのあまり目を瞑ったまま、絞り出すように言った。
その言葉を聞いて、俺はドッキリ大成功とでも言うように、「僕もでぇーす」とおどけながら、立ち上がった。
「店員さん、秋元真夏さんですよね? フルネームで知っています! チェックしております! 店長さんに、ちゃーんと聞いておりました!」
言わなくてもいいことを言ったばかりに、真夏は紅潮させていた顔を一気に、青白くさせて、トレイを盾のように俺へ向けながら後退りした。
「バイト辞めますー」と叫びながら、そのまま店の奥に引っ込んでいった。
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