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別れのトキ

こんにちは。佐々木です。

宣言した3日に一回の投稿もできず、それどころか3ヶ月の投稿のペースになってしまったオフ期間。

結局のところ自分に余裕が生まれたのはここ2週間くらいかな。
しかしそのできた余裕は自主練や次の舞台に向けての準備に費やしてしまい投稿できず。優先順位を守れている男が故の失態です。


さあ。海外に来て6ヶ月と半月が経ちました。

英語はなんとなーく、できてきている。気が。する。

というまでに成長しました。
(多分僕の英語力の伸び率はあまり良くないです。)

しっかし、相も変わらず上手くいかないことの方が多い海外生活で。
今日も月払いのモバイルプランをキャンセルしようと携帯ショップに行き、わざわざバスに乗り長い時間かけて1時間の順番待ちを待った結果、パスポートを家に忘れてて家に帰還させられた。

このパスポート忘れの数は両手じゃあ収まらない。


そしてついに明日半年間過ごしたオークランドから旅立ちます。

目標はぶらさずに流れに身を任せ続けて気づけば半年。


「あ、もう明日か」


時間が経つのが文字通り"あっ"という間過ぎて

ニュージーランドで出来た良い繋がりが道を示してくれて、気づけば一年滞在する予定だったニュージーランドを半年で離れ、日本への帰国予定も伸ばして次はオーストラリアに行くことが決まりビザも取って。

方向転換をしてから順調なのかどうなのかはわからないけれど多分良い方向にゆっくり歩けてる。はず。

"こんな喋れない英語もそのうち話せるようになるだろう"

くらいな楽観的な考えでサッカーも自分の目標も
"ゆくゆくはなるようになるだろう"と地に足つけながら自分なりに頑張ってます。



さて、ここ3日間くらいは旅立つ直前ならではの当たり前だった毎日から離れる非日常的な時間を過ごしました。

まず車が手元から無くなり、歩くことが増えて電車やバスにも乗るという日常が訪れた。

バスは予定時刻よりも1.2分早く来るもんだから目の前で走らないと間に合わないこともある。

電車は出発時刻ギリギリに走ってる姿を見せれば出発を待って乗せてくれる。

車で走っていた道を歩けば"この道こんなに歩くんだ"と思うこともあればその逆も感じることもある。

そして毎日7時から長い時は17時まで屋根の下で仕事をしていたもんで平日の日が当たる時間は外にいることがあまりなかったけれど、バスと電車のみが移動手段の今日は昼間の日差しの強さにずっと驚いている。


(便利に慣れすぎると視野が狭くなって幸せが減る気がします。)


半年間、異国の地オークランドで生活をして出会ったチームメイト、職場の方々、サッカー仲間。
これが海外かと思わせられるオープンマインド感と暖かさ。こんな素敵な仲間と別れることに寂しさを覚えなかった自分に疑問を抱いていたが、やはりあの"最後の瞬間"だけは本当に心苦しくなる。


自分の目標に向かって決断した道。だから通るべくして通る道なんだとは思っている。

今まで日本で自分のように目標を持った人間が海外に旅立つのを何度も送り出してきたから、別れに対してネガティブな感情が生まれづらくなった気がしてた。


でもニュージーランドの別れでは"この瞬間が自分の人生でこの人を見る最後の瞬間になるかもしれない"と思ってしまうし、自然と別れが辛くなる。
これは半年前に日本でたくさんの人々に別れを告げた時には味わえなかったソレだ。
なぜなら日本には絶対に帰るしまた会える人たちとの一旦の別れだから。

沢山の人が"you come back NZ?"と聞いてくれるがおそらく帰らない。
多分次みんなと会うのは日本だ。それか何十年後先にニュージーランドか?

生きてては欲しいが少なくとも沢山話しかけてくれた職場の食器洗いおばちゃんとはもう会えない気がする。
(社員番号541番の僕に対して社員番号15番のレジェンド)

何年後先に聞く今沢山聞いてる曲が
ニュージーランドで過ごした景色や匂い(今僕は嗅覚が怪しいが)みんなのことを思い出してくれるはず。その時にまた会える。
視覚と聴覚が無事であれば人生丸儲けです。



今日も夜に仲間と最後の夜を過ごす。
最後の別れの瞬間がまた同じような感情が生むことがわかっているのが悲しい。

半年間試合の勝敗に一喜一憂し、週末の夜は酒を酌み交わし、ピンポン玉を投げて遊んだ夜もあれば歌った夜もあったな。


オークランド最後の夜。

さぁ。楽しもう^ ^


ひで

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