子どもの頃「お誕生日会」が悪だった話。
こんにちは。グミです。
小学生の頃、友だちのお誕生日会ってありませんでしたか?お誕生日の子が招いてくれて、その子のおうちでパーティーをするというもの。
内容は・・・どんなことしてたんだろ?知らないのです。
なぜなら「誕生日会は行っちゃダメ」だったから。母親の方針でね。
悲しかったなぁ。誘ってくれてとても嬉しかったのに、行けませんでした。
私の母は他人にとても気を遣う人間だから、親同士の付き合いが面倒だったんだと思います。っていうのは最近なんとなく分かったことだけど。
「気を遣う」というのは、要は何だろうな。
この場合、当時の母の状況に鑑みれば、「誰かに何かしてもらったら同じことを返さなければいけない」とか、「そもそも子どもを家に呼ぶなんて迷惑がかかることだから避けたい」とか、そんな思考を持っている感じかな。
私にとって、友だちと学校の外で遊ぶことは長年なんだか罪悪感を覚える、ちょっとした「悪」でした。
その感覚は自分の子どもが生まれてからも私の中にあり、幼稚園友だちでお迎え後に集まって遊ぶのが苦手だったし、子どもが友だちの家に招かれるのもなんだかソワソワして居心地の悪さを感じていました。
でもそれは私自身の価値観ではなく、親から言われていたことにそのまま従い続けていたのだと気づいたんですよね。
だって、ふと改めて問うた時、友だちと幼稚園や学校が終わった後に遊んではいけない理由が私には分からなかったから。
(もしかしたら読者の方の中にはそもそもその感覚自体「?」な方も多くいらっしゃると思うんですけどね。親の謎ルールを受け入れて育つと、同時に不要な謎感覚が育まれるんですよね。)
好きに遊んだらいいじゃん。悪いことなんて何もない。
そんなシンプルなことに気づいたのは、娘が小学3年を迎えた後でした。(謎ルールに縛られるの、長かったぁ〜!笑)
我が家に子どもの友だちが来ても、自分にとって「面倒くさいこと」なんてする必要がない。自分のやりたい範囲でもてなせばいいし、なんなら子どもの安全があれば放っておいて全く構わない。子どもはもてなされることなんて望んでいなくて、ただ友だち同士遊びたいだけなんだから。(ここでもてなされたがりがいたら、それはまた別問題)
思えば、母は人の好意や親切を受け取れない人でもあったんですよね。
恐らく「もらったら返さなければならない」が強すぎて。もしくは「私なんていただくに値しない」もあったかもしれない。素直に「ありがとう!」ができない感じ。いつも過剰に何か「してあげなければならない」気持ちが強くて、人と付き合うのが億劫で仕方がなかったんだと思う。
「相手はしたいから、している」という発想はないように見えるんですよね。
というのも、以前家族ぐるみでお付き合いのある友人宅に遊びに行った時、帰り際にペットボトルのジュースをいただいたの。私はそのまま受け取って帰り、母はもらったフリをしてこっそりお宅に置いていた。きっとそれが彼女にとっては親切で好意的な最善の振る舞いだったんだろうけれど、なんか失礼じゃない?って私は思ったし、もし自分が「受け取って欲しいな」と思って渡したものがそんなふうに返ってきたら悲しく感じるだろうなと思った。改めて母とはそういう行為をする人なんだなぁと分かって、私と彼女の価値観の違いをハッキリと認識したんですよね。(そしてこれは価値観、思考が違えば行動も違うという例とも言える)
いまやっと、親から引き継いだものと私自身が感じることを丁寧に引き剥がしていって、心地いい付き合いが増えてきているところ。自分が出したものを、そのまま「ありがとう」と受け取ってもらえる機会が格段に増えて、そういう交流に喜びを感じることができるようになっています。
しかしながら、親の思考と自分の思考とは本当にこんがらがりすぎて、これをやり始めてから1年以上経ってもまだ「おぉ、こんなものが!」と残像に気づいたりして、いかにどっぷり親の思考に浸ってそれを全身で受け入れて生きてきたのかを認識し、改めて驚きます。
ちなみに私がそこに気づく時は実際にはこんなライトな感じではなくて、大抵めちゃくちゃ苦しくて「そうか、これは私には合わない思考だったのかぁ〜!!」って泣きながら手放す感じ。見たくないものも見るのでその時は苦しいけれど、終わってしまえば格段にラクな生き方ができるんですよね。(そろそろもうちょっとラクに、不要なものは手放していくスタイルに変えたいところではありますがw)
親って、ただの人間。
彼らから教えられたことが自分にフィットしなくても、何ら不思議じゃない。だって親の価値観はあくまで親の価値観であって、それは絶対正しいものではないのだし、そもそも「絶対正しい」なんてものはないんですよね。いまの私の考え方だって、そう。私にとって「これがいい」と思うものが、他の人にも同じように合うとは限らなくて、それが普通なんです。
そんなわけで、我が子はお誕生日会によく招かれて行っていますが、我が子の誕生日祝いは年々疎かになっているなあと、これを書いて改めて気づきましたとさ。だって、毎日がスペシャルだからね!笑
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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