もうすぐ100歳に届く長い長い人生
おばあちゃんが亡くなったという連絡が母から来たのは、8月の終わりの明るい夕方だった。その日わたしは、大学の友人らと飲みに行く約束があって、そろそろ準備をしなければならない時間なのに、惰性でベッドから起き上がれずにいた。電話口の母は諭すように落ち着いていて、これからしなければならないことを違和感があるくらいにテキパキと話して、電話を切った。実家のある北海道には、通夜に間に合うように明朝の飛行機で帰る。つまりきょうは物理的には時間があるけど、こういう場合って飲み会に参加してもいいんだっけ。あれ、おばあちゃんが死んだのに自分は飲み会に行くつもりなのか。とかなんとか、うだうだと考えている自分をどこかシニカルに俯瞰している自分もいて、みんなに「きょうは行けなくなりました」と淡白なラインをした。
30分くらい後に、次は父から電話がかかってきた。父は「帰って来られるか」「まあそういうことだから」「悪いな」と言葉数が少なく、終始浮わついた様子でぼんやりしていて、誰かに書かれたセリフみたいに喋った。そのうちわたしの脳内もぼんやりして、時間がゆっくりゆっくり過ぎた。おばあちゃんが死んで寂しい気持ちがわたしのなかに確かにあったが、そんなことより、父は母親を亡くしたのだなと考えるとそれがものすごく悲しかった。
おばあちゃんのお通夜でも告別式でも、わたしはおかしいくらいによく泣いた。おばあちゃんは享年97歳で大往生なのだから湿っぽくお別れするのは違うだろうと思っていたけど、立派に響くお経をBGMに、次から次から涙が止まらなかった。同じく地元から離れて暮らす、従姉妹の2番目のお姉ちゃんもわたしに劣らずよく泣いていた。
今年の初め、おばあちゃんはまだ元気だったのだ。いろいろな手助けを借りながらではあるがまだひとりで暮らしていたし、お正月に集まったときはひ孫だけでなく、みな30歳を過ぎた孫、そして還暦を超えた息子やその嫁にも、いつものようにお年玉をあげていた。東京に帰る日におばあちゃんの家に寄ったら、例のごとく「北海道に帰ってくればいいしょお」と優しくわたしに言って、わたしは何とも言えない歯切れの悪い返事をして、寒いから中にいればいいのに玄関の外まで出て見送ってくれた。
2月のおばあちゃんの誕生日に電話をしたら、何度かけても出なくて、心配になって母親に連絡をとると、体調を崩して伯父の家とわたしの実家で交互に暮らすことになったと聞かされた。身体を思うように動かせなくなっていたこともあり、ある日転倒して骨折。入院。その後はコロナ禍だから家族もなかなか面会ができなかったが、それでも体調のよい時には少しずつリハビリを続けていた。だから、おばあちゃんとの別れが近づいていることを感じてはいたが、それはもう少しだけ先のことなのだろう、と無闇に信じていた。だけど、糸は頑張って頑張って伸びて、ある時ぷつりと切れてしまった。家族は延命治療はしないと決めていた。内出血したおばあちゃんの腕を見たら、それは仕方のないことだと思った。生と死は断絶しているはずなのに、おばあちゃんの死はグラデーションに見えた。ふたつの矛盾した命題。難しい証明問題。わたしに解くことはできない。
祭壇に飾られたおばあちゃんの丸い顔を見ていたら、ああ自分は確実にこの人の血を引いていると思ったし、おばあちゃんの作った薄い味の煮物とか、謎に配られる塩飴や黒飴とか、黒糖でつくる絶品のあんことか、小学校の自由研究を手伝わせたこと、わたしがプレゼントした手編みのマフラーをしていたこと、物を捨てられなくてもうボロボロなのに大切に使っていたこととか、あまりにも瑣末でかけがえのない断片をいくつも思い出した。そして手元に集まった大切なものがいつか消えていってしまうと思ったら、あまりにも悔しくて切なくなった。ベタベタした人間関係は好まず、祖父に早く先立たれた後もずっと自立してひとり暮らしをしていた祖母。兄がまだ小さい頃は、母に厳しいところもあったという。でもわたしが記憶しているのは、他人に孫の自慢ばかりする典型的なおばあちゃんの姿だった。
ああ。でも。違う。待てよ。本当はもっと違うことが書きたかったような気がする。祖母の死を悼む悲しくきれいな話をわたしは書きたかったんじゃない。本当は、ここ最近仕事を全然頑張れていなくて、自分の焦りで友だちにも嫉妬して、勝手に孤独を感じて、「それも全部最愛の祖母が亡くなって元気がないせいです」ということにしている、驚くほどだめな自分のことをおばあちゃんに懺悔したかったような気がする。
お葬式でわたしがあんなに泣いたのはおばあちゃんがいなくなった寂しさが半分で、残りは年老いてきた両親や働いていない兄のこと、幸せなのかよく分からない自分自身の不安、心配、生きていくことの心許なさが、一緒くたに「悲しみ」ボックスに押し込まれ、噴出したのだろう。あの日わたしは、そのうまくいかないことを祖母の死に全部乗っけて後から後から泣いたのだ。せっかくの別れの機会に、わたしはなんていうことをしていたのか。自分で勝手に余計なものを背負い込んで深く深くまで沈んで苦しんで、祭壇の祖母は、わたしを見て何を思っていただろうか。
改めて祖母を悼みたいと思う。もうすぐ100歳に届く長い長い人生。おばあちゃんの人生が、幸せなものであったらいい。でも、次のお正月はおばあちゃんの不在を実感させられる気がして、わたしはそれがやっぱり寂しくてどうしても目を逸らしてしまいそうになる。
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