掌編小説315 - 十月の化けものたち
仕事は相変わらずいそがしく、九月を過ぎても延々と暑い日がつづいていたため、十月も今日で終わりだということをすっかり忘れていた。
思いだしたのは、帰宅途中駅前の花屋で偶然カボチャを見かけたからだった。カボチャ。緑色のあれじゃない。あれに比べてやや大きな、それはオレンジ色のカボチャだった。
『食べられません』
と、手書きのポップには記されている。『ハロウィンの飾りに!』そういえば、ハロウィンといわれて緑のカボチャを想像したことはたしかになかった。なぜだろう。疑問に思ってその場でスマートフォンを取りだし調べてみたところ、そもそもハロウィンとはケルトの祭りが起源であり、当初はカブでランタンをつくっていたとあった。それがアメリカへわたった際、カブになじみのないアメリカ人が代わりにカボチャを用いた、という話である。ペポカボチャという観賞用の品種で、一応食べられはするのだが美味くないらしい。
価値を持たない者が、価値と無関係に持っていたものまで根こそぎ無理やりくり抜かれて、強制的かつ一方的に価値を見出される。
人間みたいだな、と思った。
食えもしないカボチャを自炊もしないのに買ってしまったのはそのためだった。親切のつもりか店主は安全にカボチャをくり抜くためのハウツーを記した手製の紙をくれたが、必要ない。帰宅すると私はカボチャをまったくそのままテーブルの中央に置いた。一人暮らしの部屋は、いつまでも暗くて冷たいままだった。
カボチャでつくるあの奇怪なランタンは「ジャック・オ・ランタン」というのだっけ? うろ覚えの知識をネットにつなぐと、彼はその浅ましさから天国にも地獄にも行くことのできない魂だとされていた。安住の地を求めて今なおこの世をさまよい、旅人を迷わせないよう道案内をするともいう。ここに一番むかついた。伝承を詳しく調べれば彼が絶対にそんなことをするはずはないのだが、別の人間が都合のいい考えを押しつけているように感じたからだった。
都合の押しつけ。
それは今日のハロウィン文化自体にも同じことがいえる。
たとえば毎年のようにマスコミに揶揄される渋谷のハロウィンの様子を傍観していると、人々は伝統的なハロウィン文化に敬意を払っているわけではなく、単に別の何者かになったつもりで本当の自分とやらをその日ばかりは解放したいだけなのだなとつくづく思う。
私は、なにかになりたいと思ったことなどなかった。
私はいつでも私だった。なにも持たない私のままだった。天国にも地獄にも行けなくていい。自分の運命を他人のせいにして呪うつもりはさらさらない。生前やり残したことがあるとか、無念がどうというのはあとで私と無関係の人間が勝手に捏造する話であって、死んだとて私はいつまでもこの世界をなんとなくでさまよいつづけるだろう。いつかはその旅に終止符を打つかもしれない。終止符を打つために、魂を削って意味や居場所を無理やり見つけるのかもしれない。けれどそれは自分のためだ。誰かのためでは絶対にない。
飽きもせずじっとカボチャを見つめているうち、ピンポーン、と不意にむこうでふざけたインターホンの音が鳴った。
着替えも中途半端なまま乱雑にドアを開ける。モニターでいちいち訪問者の顔を確認するのはこのマンションに越してきて一年ほどでやめてしまった。来るのはどうせ、宅配でこちらから呼びつけた人間だけだから。
「トリック・オア・トリート!」
ネットで注文したものが届いただけだと思っていたのに、腹のあたりでやかましい声がしてぎょっとする。
幽霊だった。
いや、正確には、穴のあいた布を頭からかぶった子供だが。
「トリック・オア・トリート!」
焦れたふうに子供は二度ほどその場で飛びはねた。有名なテーマパークで売られているポップコーンのケースに菓子がいくらか入っている。なるほど。うしろでスマートフォンをかまえた母親にそそのかされて、こんなふうに仮装しておそらくは各階層の部屋を順に訪ね歩いているらしかった。
「意味ないよそれ」と、私は言った。
楕円に切りとられたシーツの穴越しにその双眸が私を見つめる。「ここ日本だし」やかましい仕草はそれでピタリと止まった。「ハロウィンがどういうイベントかちゃんとわかってる? 仮装したらお菓子がもらえるなんてふざけたイベントじゃないんだよ」それからネットで仕入れたハロウィンの起源を一から丁寧に教えると、途中で子供は肩をすくめて母親のほうへふりむいた。「聞いてる?」返事の代わりに母親へしがみつき、「すみませんでした」母親のほうが頭を下げて親子はそそくさと突きあたりのエレベーターに乗りこんでいった。
最後に母親がふたたびこちらを一瞥したとき、その目はまるで哀れな化けものを見るような目つきだった。ドラキュラや狼男、おばけではなく、フランケンシュタインによって生みだされた醜くおぞましい怪物を見たような。
ドアを施錠し、部屋へ戻るとテーブルの上にカボチャが載っている。
立ちどまったまましばらくはそれを見つめていた。店主がくれたハウツーの紙はとっくにゴミ箱の中だ。だが、見つめているとそこにいつまでも母親のあの目があった。
根こそぎ無理やりくり抜かれて。
ジャック・オ・ランタンのような邪悪な笑顔だった。