掌編小説308 - 生死の境をうろうろしています
古い集合住宅の一角。六畳の洋室の片隅で、猫が壁に爪をたてている。右の前足を引っこめるとまたわずかに壁紙がめくれた。がりっ。横顔はまるで用を足すときのような神妙な面持ちだ。
青みがかった黒の体毛に燃えさかるようなルビー色の瞳。それは、由緒ある一族の末裔たる証だった。
先祖はもともと風来坊だったそうだが、あるとき西洋の地で気まぐれに家猫となり、居候先には先住犬がいた。先住犬は代々、主人の家の墓を守るチャーチグリムーー誇り高きブラックドッグだった。その体毛と瞳はのちに先祖が「継承」したものだそうだが、これについて、存命の子孫のうち詳細を知る者はもはや一匹も残っていない。残されたのは不可思議な伝承、体毛や瞳、そして生と死の境界に通じる力だけだという。
というわけで、先ほどからこの猫が熱心に行っているのは、爪研ぎではなく一族に伝わる由緒正しい「降霊術」なのだった。
曰く、「降霊術」とは次のような流れで行われる。
まず、ヒゲを使って死者ともっとも交信しやすいポイントを探す。おそらく人間にとってのダウジングの要領だろう。ベストなポイントを割りだしたらそこに尻を落ちつけ、壁、あるいは床をがりがりと爪で引っ搔く。すると、どこからともなく壁や床をノックしたり、叩いたり、踏み鳴らしたり……やりかたはそれぞれだがともかくなにかしらの音で反応が返ってくる。これが、死者の最初の言葉となる。
ブラックドッグに由来する霊能力も万能ではない。一族にとって、死者との交信には名前の特定が必要不可欠だった。名前を特定されるまで死者は猫の前に顕現することができない。顕現できなければ話すこともできない。よって今回も例に漏れず、最初に行われたのは前足の十本の爪とその繊細な角度や動きによって生みだされる五十音の信号とそれに対する死者からのイエス・ノーのサインを使った名前の特定だった。
「あ」から順に信号を出し、返ってきた反応がイエスなのかノーなのかを判断して、次に進む。傍目から見ればそれは猫の爪研ぎと不可解なラップ現象でしかなく、あまりに地道だ。よって詳細は割愛する。曰く、今回交信する相手は戸井田研という、十数年前にこの部屋で孤独死した老人だった。
戸井田老人は、ついていきたい、と言った。
「きみは私の存在に気づいていながら、しかし、私をこわがらなかった。成仏し損ねて十数年、こんなに心穏やかな“共同生活”は初めてだったよ。今の生活を失うのは惜しい。勝手なことを言っているのは百も承知だが、……どうか、私を連れていってくれないか」
死者の声なき声を、猫は一言一句、間や抑揚まで正確に依頼主に伝える。依頼主は筧守という画家志望の男だった。東京に近い手頃な物件が見つかったため引っ越すという。
筧は、戸井田老人の申し出を快諾した。
引きつづき境界に通じる力を行使して、戸井田と筧、二人の“共同生活”のルールを確認していく。筧は新居の一区画、北にある四畳半の和室を戸井田に提供し、両者はおたがいの領域を干渉しない。ただし月に一度、第一土曜日のみ、家主の筧は換気および掃除の名目でこの契約を無視してよいものとする。――そういう方向で話は落ちついた。
死者は判を押せないので、契約書の一番下、「交渉人による代理の押印」の欄にはいつも肉球の判が施される。最後にマニュアルで定められた交渉料とその振込方法の説明をし、午後三時、使命を果たした誇り高きブラッグドッグの末裔は、優雅に尻尾を揺らしながらペット禁止のその一室を辞した。
二月の空は薄鈍色で、集合住宅の敷地を出ても車通りは少ない。これだから郊外は嫌いだ。閑散は青みがかった黒の体毛と燃えさかるようなルビー色の瞳、世界の異分子を一層際立たせる。
移動時間を考慮しても次の依頼まではやや時間が空くので、事務所へ戻る前にコンビニに寄っていくことにした。前を歩いていた猫は駐車スペースの片隅に腰を落ちつける。おにぎりを二つ、それから、あたたかいほうじ茶のペットボトルを購入して店を出た。猫は微動だにしていなかった。
大通りを過ぎ、商店街を抜け、住宅地の果てに小さな公園を見つける。
ベンチに腰を下ろすと、猫は当然といった様子ですぐさま左を陣取った。身体を丸めて長い尻尾をゆらゆら揺らすから、腿にぴしんぴしんとそれが当たる。おにぎりは南高梅とツナマヨ。今日はツナマヨから先に食べることにする。
共同生活。
口に広がったのは、ツナマヨの風味ではなく、戸井田老人の言葉。
同居人に引っ越しの挨拶をしたい、と事務所へ依頼に来たときから、思えば筧はたしかに平然としていた。幽霊は妖怪の仲間、下位概念であると猫は言う。人間のようで人間ではないもの。猫のようで猫でないもの。それをこの世界に認めるというのがどういうことか、筧は、わかっているのだろうか。
僕にとって、それは恐怖というより屈辱だ。
ブラッグドッグの末裔だなどと宣うこの奇妙な猫を飼っていると思ったことはまったくない。本当の名前はおろか、こちらから「おい」などと呼びかけたことは一度もないし、触ったことも、家に入れたことだってない。だけどこいつは死者の言葉がわかる異分子で、僕は、猫の言葉がわかる異分子だった。異分子は異分子を見つけるのがすこぶる上手い。だから僕たちは出会ってしまった。生と死、どちらの世界でも等しく僕の存在は猫の背中に隠された。
第一種交渉人という得体の知れない仕事に流れついたのもこの猫のせいだった。異質な組織においてさえ求められるのは猫の霊能力で、通訳の僕は、まるで存在していないみたいに扱われる。幽霊みたいに。
ぐるぐるぐるぐる。
猫が、僕の腿に背中をぴったりとくっつけて横向きになる。この音は大嫌いだ。僕なんて存在していないのに、存在していることを、まざまざと実感させられるから。
誰かに拾われてしまえばいいのに。
五年が経って、まだそんなことを願っている。
昔友人の家で飼われていた猫は十六歳で亡くなった。十六年とは、あとどのくらいだろう。野良猫なので正確な年数を割りだすことはできない。五年一緒にいるなら、少なくともあと十年前後はこの調子で日々がつづく。
先祖のように、誰かの飼い猫になったりはしないのだろうか。あるいは、なにかをきっかけに自分から死者との交信をやめるとか。
でも、そうなったら僕はどうなる? 間違いなく「交渉人」ではなくなるはずだ。猫がいなくなって、けれどこの肩書も捨ててしまえば、僕はいよいよこの世界に存在しているのかしていないのか、生きているのか死んでいるのか、本当にわからなくなってしまう。生か死か、どちらの世界に僕はいるのだろう。どうなりたいというのだろう。
今日のツナマヨおにぎりはなんだか変な味がする。腹の底からせりあがってくるものがなんなのか、知りたくもない。
なーぉ。
僕にしかわからない言葉で猫は言った。
世界から僕を消したくせに、その声は今なお、僕をここに縛りつけている。