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掌編小説314②(お題:コメント・モリ)

森想太


記事を削除します。
本当によろしいですか?

本当によろしいですか。なぜそんなことをわざわざ訊くのだろう。そのせいで決心が揺らぐ。最初に決めたとおり一週間が経った。コメントはゼロ。誰も彼女のことを知らなかった。ぼく以外。本当によろしいですか? その問いかけは、まるで、ぼくがこの手で彼女を世界から抹消するみたいで。こわくてまだ押せない。この画面だって、もう一時間も表示されっぱなしなのに。

記事は、全然ゲームに関係のないものだった。

とりあえず内容を最優先にしなければと思って、タイトルはつけていない。結局「無題」のまま一週間が過ぎてしまった。人を探しています。最初にそう記したあと、彼女についてぼくが知っていることが順に書きだしてある。半年前の出会いから。

特別なことはなにもない。ネットのどこにでも転がっているありふれた出会いだった。ぼくの趣味はゲームだけれど、スマホやパソコンでゲームをするのが主流のこの時代に、ぼくは父親の影響でとりわけビデオゲームが好きだった。それについて語りあえる仲間は通っている中学にいない。父と語りあうと必ず母が割りこんできて勉強もしなさいという話になるので、できれば他の人と気兼ねなく語りあいたかった。だから今どきブログなんてものをやっている。

ブログタイトルは「PRESS START」。昔好きだったゲーム、今プレイしているゲーム、これから発売されるもので気になっているゲーム。ゲームのことならなんでも書いた。「相対性理論」というユーザーネームは「想太」という名前からの派生だ。相対性理論という言葉もゲームで知った。詳しいことはよく知らない。興味もないし。

それで、彼女と出会ったきっかけはたぶんぼくが去年末に書いた記事だと思う。いつもどおり昔やりこんだゲームについて想いを馳せるだけの記事だったけれど、冒頭で、たしか年末年始の予定についても書いたはずだ。年末年始もこたつでみかん食べながらゲームします、それ用にもうゲームは買ってあって、みたいな。そのうちの「みかん」というワードがサイトのアルゴリズムに引っかかったのだろう。投稿後、ページの下部でkoto・8・の記事がおすすめされた。

初めて読んだときは、なんだこれ、と思った。

日記というにはあまりに荒唐無稽すぎる。今日むっちゃさむかったなー。学校の近くで見た猫かわいかった。明日は一番最初にお風呂入りたい。そのあとアイス食べるんだ。みかんでもいいけど。冷静に考えてみたらみかんって人に食べてもらうためだけの存在すぎる。……はじまりから終わりまでずっとこんな調子だ。なぜこれをおすすめされたのだろうと、疑問というより、愉快だった。だから勢いでついコメントを送ってしまった。「みかんの話わかるw」普通にタメ口を叩いてしまったことには送ったあとで気づいたが、彼女は別段気にしていなかった。というより、タメ口以前にぼくの存在がまったく気にされていなかった。返信があったのは一週間も過ぎたあとだ。

『みかんおいしいよね。あたしたちのために進化してくれてありがとう。謝謝』

急に中国人になるから、ふふっ、と声を出して笑ってしまった。

ユーザーネームをクリックしてブログへ飛ぶ。ブログのタイトルは「明日のことは」だった。なるほど、たしかに荒唐無稽な記事の最後だけはいつも「明日のことは明日考える」で締められていた。言葉。そうか、「koto・8・」というのは「ことは」のことかもしれない。名前からの派生。相対性理論と同じだ。それでますます親近感がわいた。

以来、彼女はぼくが記事を投稿するとその都度コメントをくれた。彼女はきっと忘れているだろうけれど、最初に送られてきたコメントを、ぼくは今でも一字一句覚えている。「あたしも昔これやってた。最初の町が広すぎて迷子になって一生出れなかったけどおもしろかった」いやたしかに広いけど、って声に出して笑ったっけ。

彼女の話はあちこち飛躍して、なにについて返信したらいいのか、読んでるうちにどんどんわからなくなってくる。もう一度読み返して、それでようやく会話の糸口を見つけても、ゲーム以外のことになるとぼくは自分でも嫌になるほど口下手だ。手のひらに変な汗をかきながら十五分くらいスマホを握りしめて、さんざん悩んで、ようやく打ちこめるのは「わかるw」だけ。なのに伝わりますようにといつも願いながら送っていた。もし、僕と同じように、誰も読んでいないのだろうと思いながらこれを書いているのなら。僕が読んでいるよって。

だけど、それが彼女には鬱陶しかったのかもしれない。

みかんの季節が終わって、そろそろ街には桜が咲きはじめている。ある日突然、彼女は姿を消した。投稿を絶ったというだけの話じゃない。ブックマークしていたブログそのものが表示されなくなった。このページは存在しません。

よくあることだ、わかってる。

だけどそれは想像以上に――衝動的にこんな記事を投稿してしまう程度には、ショックだった。

理由は、あったのかもしれないし、なかったかもしれません。どちらにせよ、訊きたいことは一つだけ。元気にしているかということだけです。元気であってほしい。生きていてほしい。僕の考えすぎならそれでいい。馬鹿だなとか、キモいなとか、思われたとしても、ネットのむこうにちゃんと存在してるなら。だから本人でなくてもかまいません。「koto・8・」さんについてなにか事情を知っている方がいらっしゃれば、教えていただけるとうれしいです。この記事は、一週間経過したら削除します。それまでになにも情報が集まらなかったら……このことは忘れてください。

記事は、そんな言葉で締められている。


記事を削除しました。

どうでもいいことばっかりで。結局、大切なことはなにも言えなかった。ああ。だからきっと、言葉を、思考を、書いて書いて。途方もないスクロールの中に彼女はいたのだろう。制限のない言葉の海。きっと、それ以上に広大な世界で泡のように放たれる一瞬の声――そのとき、大切なものはすべて選びとれるように。

ぼくは、全部を説明できなかった。

だから、電子の海に流れて死んでいった言葉の中で。

わかる。

その言葉がゆらゆら、ときどき、くらげみたいに。


掌編小説314 ①(お題:コメント・モリ)のつづきです。
未読の方はぜひ米戸さんのおはなしからどうぞ。

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