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掌編小説037(お題:特売日のコロッケ)

台風の日はコロッケを食べる。会計を待っているあいだ、レジ横のホットスナックコーナーを見ながら、遊馬はそのおかしな風習のことを思いだしていた。

教えてくれたのは同じクラスの鈴木怜司で、その起源は十七年前に遡る。きっかけは某ネット掲示板の台風上陸秒読み実況スレッドに書きこまれた「念のため、コロッケを16個買ってきました」という言葉。以来、台風が接近するとコロッケを食べるという妙な文化はネットを中心に広まり、今では実際にコロッケを値引きする店舗が本当にあるというから驚きだ。

会計を済ませた先客が弁当や菓子類を提げて自動ドアへと歩いていく。遊馬は少年漫画の雑誌をカウンターに置いた。「あと、コロッケ二つください」思わず言ってしまう。十六個には到底及ばないが、二つしか残っていなかったし、二つもあれば充分だと思う。

漫画雑誌が入った袋と、そしてコロッケが二つ入った小さな袋とを提げてコンビニを出る。学校を出たときよりも明らかに風が強くなりだしていた。じきに上空を通過するだろう。ダサいけれど、ブレザーがバタつかないようしぶしぶボタンをきっちりとめてから、遊馬は足早に家へと歩きだした。

***

スマートフォンで検索サイトを開いて「コロッケ」「アレンジ」と打ちこむ。出てくるのはどれも残りものをコロッケにアレンジするレシピばかりで、コロッケそのものを他の料理にアレンジするレシピはなかなか見つからない。自力ではせいぜい食パンにはさんでカツサンドならぬコロッケサンドをつくるくらいしか思いつかなかった。ようやく卵とじにするレシピを見つけたが、卵とじか、と考えてしまう。美味しいのだろうか。

大学の近くにある小さな商店街。その一角にあるツナキ精肉店で揚げたてのメンチカツや唐揚げなどのちょっとした惣菜を買って、つまみながら帰るのが結衣の日課だった。ハムカツ、豚串カツ、フライドチキン……今日はどれを食べよう。胸躍らせて店を訪れると、すっかり顔なじみのおばさんはしかし結衣の手に強引にコロッケを押しつけてきた。

「風強くなってきちゃったからもう惣菜が売れなくなってきちゃったねぇ。コロッケ多めに余っちゃったから、結衣ちゃんもらっていって。タダでいいから。お夕飯とか学校のお弁当にね。気をつけて帰るんだよ」

タダ、という言葉に惹かれてうっかりうなづいてしまったが、袋を持ってみて驚愕する。五つ、いや、七つくらいあるかもしれない。もちろんツナキ精肉店のコロッケだから当然美味しい。美味しいけれど。風がごうごう鳴りながら横に吹きつけてくる。コロッケの袋を抱え、レシピを検索しながら、結衣は溜息をついてバスを待った。

***

『台風への備えは万全ですか?』

等間隔にぎっちりと貼られた広告を眺めながら、犬飼は「なんでだ」と小さくツッコミを入れてしまう。広告の文言にではない。広告が貼られている場所に対してだ。

自宅近くのスーパーの食品売り場。コロッケが大量に並んだ惣菜コーナーにその広告はあった。値札には「台風コロッケ 98円」とある。犬飼がそこを眺めているうちにも何人かの客がパックにコロッケを詰めてかごに入れていった。店の意図はともかく、売れているらしい。

ここ数日は雨がつづき、そしてトドメの台風だ。ただでさえパート勤めで帰宅が六時を過ぎてしまうこともあり、こういう日は決まって「買いものに行く時間がなくて……」と申し訳なさそうに言う妻の手間を減らすため、今日ばかりは惣菜でも買っていってはどうかと思って立ち寄ったところに「台風コロッケ」である。話のネタにもなるだろう。犬飼はトングを手に取りコロッケを四つパックに詰めた。

冷凍食品や飲みものなどその他いくらかの買いものを済ませて車に戻る。雨が降りだしていた。悲鳴のような音で風が鳴り、雹かと思うほど大きな雨粒が窓を鋭く打ちつける。エンジンがかかり、後部座席に載せたスーパーの袋が振動でガサッと動いた。台風コロッケかぁ。おかしく思いながら犬飼は車を走らせた。

***

野菜室にジャガイモがあるのを見つけ、今日はコロッケかな、と菜穂子は脳内で速やかに献立を考えはじめる。金曜日(フライデー)だし。献立の決まらない金曜日はカレーか揚げものと相場は決まっている。

タネをつくり、衣をつけ、油の準備と添えもののキャベツの千切りを済ませる。と、玄関で物音がし、扉が開いて息子の遊馬が帰ってきた。ただいまを言うなりいつもなら夕食まで部屋へ引っこんでしまう遊馬だが、今日は珍しくキッチンまでやってきて、小さなビニール袋を菜穂子に差しだす。

「コロッケ買ってきた」

「え?」

「なんか、台風の日ってコロッケ食べるらしいよ。コンビニ行ったら勢いで買っちゃったから、まぁ、夕飯で出したら?」

「あらぁ……」

キッチンを見やる。ふたたび遊馬に顔をむけると、遊馬は洗面所からタオルを一枚拝借してさっさと階段をのぼっていってしまう。「ありがとね!」とあわてて声をかけると「ん」と満足げな声だけが返ってきた。袋をのぞく。コロッケは二つあった。揚げなおして同じ皿に盛ってしまえばなにも問題はない。それに、普段は釣れない態度の遊馬が家族のためになにか買ってきてくれたという事実が、菜穂子にはただうれしかった。

米を研いで炊飯器にセットし、機嫌よく味噌汁の支度をしていると、玄関で物音がし、「ただいまぁ」と疲れた声とともに娘の結衣も帰ってきた。着替えてくるー、とまずは二階へあがっていったあと、結衣は洗濯ものとともに、なにやらずっしりしたビニール袋を提げて戻ってくる。

「今日さ、夕飯コロッケにしない?」

「え?」

「帰りにツナキ寄ったらさ、おばちゃんにコロッケ押しつけられちゃって。今日台風でお客さんあんまり来なかったみたい。使いまわしレシピ調べたんだけど、コロッケってあんまりアレンジできないよね」

洗濯機に服を入れて戻ってきた結衣は、袋を菜穂子に差しだし、それからキッチンにあるものを見て一瞬固まった。じつは遊馬からもコロッケをもらった、と打ちあけると、結衣は「似たもの同士……違うか、似たもの家族?」と楽しそうに笑った。それから「コロッケ祭りの開幕です!」と言って、夕飯づくりに加勢してくれる。話し相手も助手役も請け負ってくれるのでありがたい。

結衣と一緒にコロッケを揚げていると、玄関で物音がし、夫がスーパーの袋を提げて帰ってきた。朝食用のパンや遊馬に持たせる弁当用の冷凍食品などを買ってきてくれたようだ。ここのところ悪天候でバスでの帰宅を余儀なくされ買いものに行く時間がなかったのでこれはうれしい。結衣が袋を受け取り手際よくそれらをしまってくれた。菜穂子がコロッケを揚げているのを見て犬飼は「あ」と声をもらす。

「コロッケ……」

「うん、金曜日だからコロッケつくったんだけど、なんでだか遊馬も結衣もコロッケ持って帰ってきてね」

「似たもの家族だからね」結衣が笑う。

言うべきか迷っているあいだに、結衣が「あ!」と声をあげて袋からコロッケを見つけだした。菜穂子が菜箸を持つ手をとめて目を丸くしている。三人は顔を見合わせた。

「おかずの足しにでもしてもらおうと思って」

菜穂子も結衣も、たまらず吹きだした。

コロッケが揚がる。菜穂子の手づくりと、遊馬がコンビニで買ってきたもの、結衣がツナキ精肉店でもらってきたもの、そして犬飼がスーパーで買ってきたもの。味も形もバラバラのまさしくコロッケ祭りだ。菜穂子が大皿をテーブルへ運び、箸や調味料を犬飼が、結衣は部屋まで遊馬を呼びに行き、家族は食卓に集まる。

「なにこれ」遊馬は大皿に盛られた大量のコロッケを見て困惑している。

「コロッケ祭り。これがお母さん作、これが遊馬が買ってきたやつ、これはウチの大学の近くにあるツナキ精肉店ので、これがお父さんがスーパーで買ってきた『台風コロッケ』だって」

「え、やっぱマジで売ってんの?」

「なあにそれ」

「遊馬はこれ知ってるのか」

「知らないで買ってきたの?  なんか、台風の日はコロッケを食べるってネット発祥の謎文化があって、もともとは――」

遊馬が仕方なくといった風に話しはじめ、結衣がマイペースにまずは母のコロッケを一口かじる。菜穂子は片方に相槌を打ちながら器用に片方にコロッケの感想を訊き、犬飼はビールを注ぎながら熱心に遊馬の話に耳を傾ける。

あいにくの悪天候の中、こうして、犬飼家の盛大なコロッケ祭りがはじまった。

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