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掌編小説145(お題:街灯の下でお辞儀をしています)

「混ざりません?」

益子が言うので、志岐は彼女のほうにその無表情をむけた。くるり、というふうではない。まさしく、ゆらり、というふうにである。

「なにが?」志岐は訊いた。

「くねくねとニョロニョロ」

「ニョロニョロってなに」

「え、知らないんデスか?」

「え」のところを益子は特別真顔で言った。

「いや、ムーミンに出てくるあれデスよ。なんか、白くて棒みたいな、ほら、顔の下に手がついてる」

益子が腰のあたりで横に倒した両手を小さくひらひらさせるが、志岐は無表情のままだった。ムーミンは知っているがニョロニョロはわからない。益子渾身のニョロニョロの真似を凝視しながら、想像してみる。……だめだった。

「まぁ、そういうのがいて」

「うん」

「ニョロニョロも、なんか、あれクネクネ動くんデスよ。だから自分ときどきあいつらのビジュアルごっちゃになっちゃって」

「そうなんだ」

「ハイ」

「なるほど」

「ハイ」

街灯の下、ジーンズの尻ポケットに突っこんでいたマルボロの箱から一本を取りだして、安いライターで火をつける。

「志岐サンて」

「うん」

「会話、下手デスよね」

「だな」

午前二時。田舎の人間は皆とうに寝静まった時分だが、八月、広大な田んぼのあちこちでは虫やあるいはカエルがやかましいくらいに鳴いている。志岐と益子とは男女であり、中途半端に兄妹ほどの年齢差があった。おまけに両者表情や声音にこれっぽっちも感情があらわれない。こんな調子では田んぼの生きものたちも気をつかうというものだ。

しびれを切らした蛾が二匹、チラチラ街灯の下で羽ばたいていると、あっ、と唐突に益子が声を漏らした。志岐の視線が、ゆらり、とあとにつづく。

あぜ道のむこう。街灯二つぶん遠くのほうから、白い服を着た何者かが踊りながら近づいてくる。くねくねと、人間離れした奇妙な動きで――。

「すみません」

行く手を、益子の握った誘導棒がさえぎる。

「あなた『くねくね』デスよね? ここ、十七日までくねくねの出現は禁止になってるはずなんデスけど。それとも、第二種交渉人から特別許可証もらってるなら見せてもらえますか」

「……」

赤く点滅する誘導棒の前で、くねくねは静かに踊っていた。心なしか動きが小さい。益子はといえば、空いた右手を腰にやって堂々とした仁王立ちである。このバカ。志岐はため息をついた。

「こんばんは」

立往生するくねくねに、志岐はにこやかに声をかけ、それから丁寧にお辞儀をしてみせる。益子はぎょっとしていた。危うく誘導棒を落としかけたのは、入社一年目、上司の外面のよさに未だ慣れないせいだ。

「大変失礼いたしました、彼女、まだ新人なので大目に見てやってください。私どもはこういう者です」

名刺を差しだす。くねくねは恭しくそれを受けとり、つかのま、踊るのをやめた。

「申し訳ありませんが、今、このあたり一帯はくねくねの出現を規制しておりまして。第二種交渉人からお話がいっておりませんか?」

「……」

「ああ、山口のほうから。ご旅行ですか?」

「……」

「なるほど、ご実家がこのあたりに。でしたら福岡の第二交渉人を介して然るべき手続きをとっていただいて、特別許可証を発行してもらってください」

「……」

「いえいえ、お気になさらず。この時期はとくによくあることですから。第二種交渉人のほうに事情をきちんと説明していただければすぐに発行されると思うので。今ここに呼んでしまっても?」

「……」

「わかりました、こちらで少しお待ちくださいね」

益子へ目配せする。益子はうなづいて、手際よく福岡県が公認している第二種交渉人へ連絡をとった。こういう事務的な作業は文句なしなんだがな、と、志岐は内心思っている。安心したのか、くねくねはまた調子を取り戻して奇妙な踊りをはじめた。

「――三分で来ます」

益子の言葉どおり、第二種交渉人は三分きっかりにあらわれた。奴らの正確さは異常だ、と、こういうとき志岐はつくづく思う。

然るべき手続きが行われ、その後、特別許可証は滞りなく発行された。挨拶を交わしたあと、第二種交渉人とくねくねとが、あぜ道のそれぞれ反対方向へと去っていく。街灯の下に残されたのは、ふたたび無表情に戻った志岐と気だるげな態度に戻った益子との二人だけである。

「益子」

「ハイ」

ウシガエルの声がうるさい。

「何回言ったらわかるんだ。俺たちの仕事は信用が第一。声かけるときは、ああいう高圧的な態度をとらないこと」

「ハイ」

指先で毛先をいじりながら益子が下唇を噛んでいる。もうじき二十歳になる女が、どうやら叱られて拗ねているらしい。

「くねくねは、まだ憎い?」

「あたりまえじゃないっスか」

「感情ないのに?」

「いや、自分『感情なくなった』なんて言ってませんけど。高校一年のときばーちゃんちの田んぼでくねくね見て、あれから『感情が乏しくなった』って言ったんデス。なくしてなくして、最後に残ったのが、あいつらに対する復讐心だけ」

「復讐心」

「だって自分、あの日くねくね見ちゃったせいで精神に異常きたしちゃって、感情がめちゃくちゃ乏しくなったせいで今こんな仕事させられてるんデスよ。『異常をきたすような精神もうないでしょ?』って。ひどくないデスか? 自分アパレル志望だったんデスけど。それがこんな、地味だし書類ばっかり秘密ばっかりでメンドくさくてしんどい仕事無理やりやらされて。自分絶対、あのときのくねくね見つけたらマジ二度と踊れない身体にしてやりますから」

「うん」

「聞いてます?」

「聞いてる」

「リアクション薄すぎません?」

「まぁ、俺も感情ないし」

「俺『は』」

「ごめん」

「くねくね見る前からなんデスよね?」

「だな」

「まぁ、天職デスよね。志岐さんの場合」

「そう?」

「ハイ」

そのとき、あっ、と益子があぜ道の中央に躍りでて誘導棒をブンブン左右にふった。街灯の下、くねくねが人間離れした奇妙な動きをあわててとめる。今日で三体目だ。八月、とくに盆休みのこの時期は、無許可で出現するくねくねがとくに多い。

「たしかに、益子が来てからは結構楽しいよ」

言ったときには、益子はすでにくねくねを前にして「あなた『くねくね』デスよね?」と仁王立ちしている。学習しないやつだ。志岐はため息をつきながら、しかし気づいているのかいないのか、その口元にはほんの小さな笑みを浮かべて。

「こんばんは」

田舎の片隅、あぜ道を照らす街灯の下、志岐は今日三度目のお辞儀を丁寧にしてみせた。

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