期せずして問われる真価

 多くの混乱や被害をもたらしている新型コロナウィルス。健康的な被害もさることながら、経済的な被害も甚大なものがあり、正直、これを契機に多くの経営者が経営を断念するということも起きえるような緊張感が常に漂っている。

 家庭でも待機状態が続いていることから世の中のストレスが非常に大きくなってきていることを皮膚感覚で感じる。某新聞社の取材では「マスクが売れ残っている」とされた岩手県ですらこういう感じなのだから、緊急事態宣言で指定都市となった7都道府県においては言わずもがな、という風だろう。
 折角なのでこの記事について触れておくが、少なくとも私の周りにはマスクが売れ残っているという小売・ドラッグストアは無い。むしろ3月からずっとマスクと消毒用のアルコールについては品薄が続いており、この調達でも大きいコストとストレスがかかっている。どういう取材をしたかは分からないが、私がFacebokでつながっている盛岡在住の複数の方が、この記事の信頼性に対してネガティブな意見されているのも確認している。つまり私だけがこの記事の内容は誤っていると感じている訳ではないようだ。

 緊急事態宣言といえば、休業指定をする業種の選定でも実際の発表までにあきらかに右往左往しているなという感じが伝わってきた。関係者のみならず、国民の中で「何のために」緊急事態宣言を出しているのか、が共有されていないとこういう感じになるのも仕方がないという風。

 身近な話でいえば、緊急事態宣言と連動する形で、近々に開催されるイベントがのきなみ中止・延期となっている。これは、私たちがボランティアで運営している地域のイベントから、プロが仕掛けているものまで様々。
 もちろん、プロのイベントと私たちの地域を盛り上げるイベントとを一緒にはできない。プロはそれで食べている訳であるから前提が違う。対して地域のボランティアによって支えられるイベントは、それをしないと生きていけないというものではない、つまり不要・不急ではないから、この状況下で実施する理由がそもそも無いわけだ。
 こう考えると、平時においても何で続けてきたのだろうかと率直に感じる部分もある。基本的には地域におけるプレゼンスを上げるという大きい目的がもちろんある訳だけれど、それが十分に果たされず惰性で実施されているものもあるだろう。そうなるともう、個人の満足、エゴ、責任感での開催ということで、何ともいただけない感じだ。

 このイベント中止によって、多くのボランタリーな事業が淘汰される可能性は高い。それでも残るものは残るであろうし、そうではないものは無くなる。思いがけず事業内容の見直しを迫られたようなそういう話だ。
 転じて、この話はもちろんイベントだけの話ではない。会社や文化、社会そのもの、今まで常識やエゴ、責任感だけで続けられてきた様々なことが、ある意味で強制的にいったんフリーズする。
 そういう意味では真価に向き合わざるを得ない、別の観点でも相応に厳しいタイミングである、と感じるのだ。

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