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私が佐々木製茶で働く理由 パート1

初めまして!佐々木博規と申します。静岡県掛川市出身、1993年生まれの「ドーハの悲劇世代」です(漫画「宇宙兄弟」より引用)。
初めてお会いする方とのミーティングでは、互いのことをもっと深く知りたいのに、時間の関係上なかなかゆっくりと自己紹介できません。ましてや生粋の人見知りかつ口下手な私です。自分のことを語るのが大の苦手です。ですが文章としてならきっと素直に打ち明けられるだろうと思い(アンジェラ・アキ「手紙」より引用)、自己紹介をさせていただきます。


幼少期

1993年11月27日、佐々木家の長男として生まれました。両親は結婚後なかなか子どもを授かることができなかったそうで、私が産まれたことで大層喜んでくれました。どれほど大層だったかと言いますと、「佐々木博規くん誕生パーティー」と題するお祝い会が近隣のホテルで開かれ、親族、佐々木製茶の社員さん、農家さん約100名近くに参加していただいたというエピソードと写真が残っています。大層すぎますね。写真の中で、産まれたての私は母親の腕の中で眠ってました。沢山の方の期待をぼんやりと感じながら人生がスタートしました(嘘)。

私には2歳下と7歳下に弟がおり、男三兄弟。特に2歳下の弟は物心ついた時には隣にいた存在で、よく喧嘩もしました。「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」そんなセリフを言われたかどうか記憶は定かではありませんが、いつしか自然と「しっかりしなきゃ」と思うようになり、責任感やリーダーシップのようなものが育まれた気がします。一方、人に素直に甘えたり頼ったりすることは苦手になっていきました。

幼稚園へ行くようになると、毎日絶対に行きたくないと母の脚にしがみついて泣き叫んでいたようです。健康診断の時も注射が怖すぎてずっと泣いてましたし、非常に怖がり、泣き虫です。特に自分が全く知らない環境に飛び込む時や、自分がやったことがないことに初めて挑戦する時に強く恐れを感じます(今も)。

永遠の相棒(ブラザー)たちと

学生

私の地元、掛川市上内田地域は2024年現在人口約2,000人。(今は廃園になってしまいましたが)上内田にあるたった1つの幼稚園は1学年1クラスのみ、全員同じ小学校へ上がります。小学校も1学年1クラスなので、幼稚園2年+小学校6年の8年間毎日一緒です。

小学生になると「勉強」「運動」両面において、生まれて初めて「競争」が存在する環境に身を置くことになります。僕は競争は好きです。勝てば自分の努力や頑張りが報われた気がしますし、負けたら悔しさや次また頑張るエネルギーを得られます。他人と競争することも嫌いではないですが、過去の自分と競争して、少しでも成長を感じられる時が一番好きです。そのため、全然わからないこと、全然できないことに遭遇するとドキドキします。成長の先に何があるのかとか、成長してどうなりたいのかは、学生時代はきちんと考えたことがありませんでした。「できなかったことができるようになること」そのものに喜びを覚える、そんな性格です。

勉強に関して言えば、特に国語と社会が好きでした。本を読むのも好きで、小説、伝記、漫画、歴史の資料集、新聞など、「そこに文字があるから」というノリでよく本を読む子どもでした。小さい頃から母が絵本の読み聞かせをしてくれていたからだと思います。そのおかげもあり、小学校から高校まで、勉強に関して大きな苦労をした経験がありません。
ただし、美術(特に絵)に関しては小学生(もっというと幼稚園)の頃から自分には全くセンスと興味が無いなと感じてしまったため当然成績も悪かったです。そしてこれを書きながら思い出してしまったのですが、中学1年生の頃、風邪で数日学校を休んだ後の最初の数学の授業で、先生が突然、さも当然のことかのように「X」「Y」と言い出した時には仰天しました。なぜ数学の先生が英語を話しているのだろう、なぜ数学なのに文字が式に出てくるんだろうと混乱のまま授業が進んだため、XとYに関する理解をリカバリーするのに多大な苦労をしました。これがきっかけで数学に苦手意識がつき、文系の道に進むことになりました。先ほどの「勉強で苦労したことない発言」を訂正致します。記憶の美化とは恐ろしいものです。

運動に関しては、小学1年生の秋、サッカースクールに通い始めました。仲の良い友達がやり始めたから僕も、くらいの動機で始めましたが、結果的に中学、高校、大学とサッカーを続けましたし、サッカーを通じて沢山の友達と、沢山の学びを得ることができました。仲間と一緒に試合に勝つこと、同じ目的のために皆で努力すること、ひとりひとりが役割を果たしチームの貢献すること。僕は寂しがりやなので、個人競技ではここまで長く続けられなかったのではないかと思います。サッカーも上手くなろうと努力しましたが「プロになれるレベルではない」と小学6年生の時に感じてしまいました。なのでプロスポーツ選手には心から尊敬の念を抱いています。今でもサッカーは見るよりやる方が楽しい派です。

小学生にもなると、「将来の夢」を発表するというイベント、ありましたよね。7歳の僕はそこで「お茶屋になる」「お父さんと一緒に仕事をする」と書いていたということが先日発覚しました。有言実行、半端じゃないですね。

中学生になると、合唱コンクールがありました。2年生の時の僕は「一生懸命やるのカッコ悪い、ダサい」という思春期ど真ん中だったため、合唱にも全く身が入りません。そのためコンクールで入賞できなくても、悔しいという感情も生まれません。でもクラスメイトが泣いていたり、入賞したクラスの人たちが大喜びしているのを見ると、自分は一体何やってんだろう、カッコ悪いなと思いました。人生の貴重な時間を使うなら、絶対に打ち込んだほうが楽しい。情熱を傾けられないようなことはやらないほうがいい。そんな価値観はこういった体験からも強固なものになっていきました。

私の高校の校訓は「鍛えよう若き日を」。非常に的を射た校訓で、若き日を相当鍛えていただきました。特にサッカー部の監督には沢山ご指導いただきましたが、今思えば、監督は平日は教師という仕事をした後毎日20時頃まで、土日も正月以外ほとんど毎週練習や試合を組んで下さり必ずグラウンドに最初から最後まで居るわけです。一体いつ家族との時間や趣味の時間を過ごせていたんだろうと思うと、あんなに有難い経験は無かったと思います。しかしあの当時はそんなことを考えられる精神的成熟も、余裕もなく、とにかく毎日の練習がキツイ、ツライ、ニゲタイ。でも本当に逃げる勇気もなく練習に行く。そんなマインドだから上達しない。試合にも当然出られない。そんな状況でした。31歳のマインドセットで、16歳に戻れたなら、もう少し違う結果になっていたのではと後悔もしています。

生まれてから18年、掛川に住んでいたわけですが、「掛川にしか住んだことがないって嫌だな、もっと広い世界を知って、経験の幅を広げたいな」と思い大学は東京に行こうと考えていました。そんな時光栄なことに推薦の話をいただき、早稲田大学に進学しました。上京したての頃はもちろんホームシックにもなりましたが、とても嬉しかったのが「誰も僕のことを知らない」ということです。自慢でもなんでもなく、掛川にいると「君は佐々木製茶の息子さんか!」と知らないおじさんおばさんに声をかけられることが一度や二度ではない回数、あるのです。ティーンエイジャーといえば感受性豊かな、気難しいお年頃。佐々木青年は「佐々木製茶という背景無しに、自分をただの一人の人として見てくれる環境にいたい」と思っていたのです。東京のある意味での気楽さは僕にとってはとても魅力な点でした。

大学生になり生まれて初めてのアルバイト。お金を稼ぐことの大変さや、お客様に喜んでいただく嬉しさを知れました。特に居酒屋のアルバイトは時給も良く、お客さんもアルバイトスタッフも店長もいい人ばかり、賄いも食べれるし、ということで、19時から27時まで、思い切り働きました。当然、朝起きられません。その結果本業であるはずの大学の単位をポロポロと落とし、結果4年生の最後まで(友人たちは皆単位を取り終えて遊んでいる中)がっつり授業を受けることになりました。

現在は閉店してしまった高円寺の半兵ヱ。
軍歌や昭和歌謡曲を覚えるには最高のバイト先だった。

社会人

大学3年生のある日、就活支援エージェントの方から株式会社ENERGIZE(エナジャイズ)をご紹介いただきました。僕が大学3年生当時、ENERGIZEは5期目、社長が2名と社員が6名、ホームページを見ても「おそらく経営コンサルティングの会社なんだろう」ということくらいしかわからない(=ほとんど情報が無い)会社だったのですが、その会社が初めて新卒採用するというのです。実際に選考会に行き、新卒1期生という響き、先輩社員のカッコ良さ、仕事内容のレベルの高さ、高い成長を求める文化に惹かれて、8回の面接不合格を経て無事?入社しました。採用選考時点から「いつか実家のお茶屋に帰ります。だからここで誰よりも早く成長したいと思ってます。」と言っていましたが、そもそもコンサルティングという言葉の意味も、経営という言葉の実態もわかっていない学生を拾っていただいたENERGIZEには感謝してもしきれません。

「正直現時点での君の評価は、同期4人中4位だから、頑張りなさい」と最終面接で社長に言われ、無我夢中で働きました。「とにかく早く一人前になりたい」「せっかくベンチャーに入ったんだから、時間のことは気にせず働きたい」と思っていたので、朝6時に起きて会社に行き、終電後も仕事していましたし、それでもまだ仕事が終わらなければ、勝手に寝袋を会社に持ち込んで2週間ほど泊まり込んだこともありました。必要に迫られれば徹夜もしました。周囲は「そこまでやらなくても」と言う感じでしたが、当の本人が楽しければそれでいいのです(当時は働き方改革が叫ばれるギリギリ直前の時期でした)。

ですが、沢山の時間を仕事に充てたからと言って、望む成果が出るとは限らないのが仕事の面白いところです。結果が全く出ずに苦しんだ時もありましたし、お客様にご迷惑をおかけしてしまったこともあります。苦しくて苦しくて、風邪を引いたと嘘をついて会社を休んだこともありました。

そんな自分を支えてくれたのは
・お客様の喜ぶ顔が見たい、期待に応えたい
・いつも付きっきりで指導してくれる上司に結果で恩返ししたい
・ここで逃げたら絶対に後悔する。いつか自分が社長になったら逃げることはできない。これも最高の経験になる。
という思いでした。

新卒1年目に走った100kmマラソン。80km地点で号泣した。

今思えば、そういった困難を乗り越えた時に得られたこと、身についたことが自分の価値観やビジネス観を形成してくれるのだと思います。私の場合、ENERGIZEで働くことで
・まず相手に成功してもらうことこそが、自分の成功につながること
・目の前で起きる全てのことは、自分が原因で起きていると捉えて行動すること
・宣言や依頼こそが物事を前進させること(意図的に言葉を使うこと)
・「できない」ではなく「どうやったらできるか」から考えること
・全てのステークホルダーの間に、感謝と敬意溢れる関係性が必要であること
・良い会社とは長く続く会社であること
このような価値観が形成されました。

これらは一例ですが、おそらく今後の仕事の中でも揺るぎない価値観として発揮されていくのだと思います。自分で考え、もがき、苦しんだからこそ得られたものは必ず自分の糧になってくれると信じています。

ありがたいことに、お客様にもメンバーにも恵まれ、新卒2年目にはチームリーダー、5年目には九州支社長を務めさせていただいたわけですが、ENERGIZEでの仕事は本当に面白く、このままずっとこの仕事をしてみたいと思うレベルでした。その気持ちを率直に父と母に伝えたこともありましたが、2020年12月、改めて自分のやりたいこと、初心、自分にしかできないことを整理し、2023年11月に佐々木製茶に入社することを決断しました。

パート2へ続く。

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