他力本願、だからこそ。

おかげさまで順調に歳を重ねているけれど、見た目が相変わらず幼く若く見えるので、未だに20代に間違われることがある。20代に見られて嬉しかったのは30歳になってからせいぜい2, 3年で、歳を取るにつれてショックの方が大きくなっている。40代になって20代に間違われたら心底へこむと思う
(昨年から習っているピアノの先生は、私のことを新卒だと思っていたらしい。それはいくらなんでも言いすぎだろう……!)。

書きたいのは私が若く見える、ということではなく、「他人から自分がどう見えるかは、最終的には他人に委ねるしかない」ということ。

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病気からそれなりに回復して安定した生活を送れるようになったけれど、それでも病気になる前の私を知っているひとは、いまの私を見て「ここまで良くなったんだね」と思うかもしれないし、「元気になったといってもこのくらいなんだ」と思うかもしれない。それはそのひとの感じ方がすべてであって、そこに正解はない。

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「自分の人生はハードだ(だった)」というのは、あまり品がないと思っている。別にそのひとの自由だけれど、そう思うなら他人を寄せつけずに生きていくくらいの覚悟が必要だと私は思う。10代や学生のうちならまだかわいいけれど、自分の人生をハードだと決めつけてそれでも受け入れてくれるひとがいてほしい、というのは甘えではないだろうか。

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私の過去をハードだと思ったり決めつけるひとは、おそらく、いる。それでも私は、「そうなんだね」と受け容れてくれるひとやコミュニティを求めているし、いまあるそれらを大切にしたい。そのためには自分で自分の可能性を閉ざしたくないのである。

もちろん、私自身はいまの落ち着いた状態だけでなく、症状が激しかった頃や調子の悪かった頃の自分自身を知っている。いまの外から見えるであろう自身との差に戸惑うこともあるけれど、それでもどこかで相手に「委ねながら」これからを生きていく。

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