9. 個室での入院生活
僕の場合の化学療法は、オプジーボという分子標的治療薬、オキサリプラチン、フルオロウラシルという2つの抗がん剤、レボホリナートという抗がん剤の機能を高める薬、合計4本の点滴が一日以内に終わり、うち一本はじわじわと長い時間がかかり、2日以上かかるものがあった。終了すると、しばらく様子を見る(まずは14日スパン)スケジュールだった。
高濃度の栄養点滴(CVポートから)があり、一日3回の経鼻栄養があり、経鼻ドレナージからの分泌液排出に加えて化学療法中は3体の点滴だったので、
心電図用の電極装着し、点滴スタンドに4体ぶら下がって、下には廃液バッグという光景を目の当たりにして、点滴スタンド満員御礼となる光景はあまりなく、自分で、「豪華だな」と思った。栄養注入のバッグを持ってきた看護師さんが「ご飯ですよ」と言われるのは嫌いだった。それはご飯ではない。
ポータブルトイレも必要になってきて、諸々、手狭だったのか無料でナースステーション近くの個室での対応になった。小さな空ばかりでなく毎日モノレールが見られた。モノレールは広告やアニメキャラが塗装されており、きつい中、スマホで写真撮ったりしてみたが、窓のところまで移動するのは かなり気力のいる行動だった。
経鼻チューブの影響からか食道から胃の痛みや全身にまで及ぶ不快感がやるせなかった。また、腸の動きが悪くなり、経鼻栄養後ひどい膨満感、冷や汗、腹部の痛みがあり、毎度浣腸をお願いしてポータブルトイレに座るということが長く続いた。毎日浣腸をお願いするのは少し気が引けたし、ナースコールするのも申し訳ない気持ちがあった。看護師さんは忙しいのだ。 痛みや不眠のため色々な点滴を試用、使用した。僕は既に死を意識していたし、職業柄高齢者を送る事もあったので、怖くもなかった。
仮に癌が小さくなり、大規模な手術が可能となったとしても、臓器がごそっとなくなり、その後、経過よい時間がどれだけあるかわからない。それが数年であるならば体を傷つけず数ヶ月の命でも構わないと思い、それも主治医に伝えた。あまり苦しくない感じで緩和ケアへ移行したいと思っていた。とにかくその時は苦しかった。
緩和ケア病棟の話を聴くときに、医師から「緩和ケアというとイメージ悪いでしょうけれども」というフレーズが入る。自分は悪いイメージを持ったことがない。ちょいとウトウトしながら、動けるときは好きに過ごす良さそうなイメージだ。実際には意識の遠のいた人が最期の時をベッドで過ごされているのかもしれない。どんな入院生活になるんだろう。僕は主の祈りを唱えた。
疼痛管理を主にして、緩和ケア病棟とは別の話で緩和ケアチームも僕の支援に入ることになる。この時点で余命が区切られたわけではない。主治医は多忙であるのと、がんに対して各方面の専門家で分業して対応する病院だった。
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