見出し画像

八朔の思い出

今朝、かじかんだ手をさすりながら庭に出た。北に回ると、借景の一部となっている池で錦鯉がゆっくり泳いでいた。朱と白の縞模様になった鯉を目で追う。晴れやかに気持ちになる。朱には、人を晴れやかにする力があるようだ。

手にした花鋏の冷たさにハッとした。そうそう、忘れてはいけない。私の腰の高さにぶら下がった甘夏を採るために北庭に回ったのだった。この頃、時々目的に直行せずに植木鉢をからかっている。正直に言うと、目的を忘れている。

甘夏のヘタ上に鋏を入れる。いい音だ。甘夏がいつもより重い。水分が満ちているのが手から脳に伝わってきた。

部屋に戻り、水道水で汚れを落としてやる。食卓に置いて眺める。眺めているうちに思い出した。

母にシラス掬いを教えてくれたミチコさんのことを。ミチコさんの庭には八朔が毎年200個以上なっていた。母の縁で、私はしばしばミチコさんの子供のヒデキ目当てに遊びに行った。ミチコさんから「ヒデキに算数の勉強を教えて」と言われることがあった。当時、私は小5でヒデキは小3だった。

勉強を教え終わると、炬燵の上に八朔が差し出された。その八朔を剥いた時の香りと口の中に溢れる唾液が蘇る。

「なんと美味しい食べ物だろう。」

私はそう思ったのだった。

硝子窓越しに外を見ると、竹林の梢の空が群青になっていた。
「おばちゃん、帰ります。」
と言うと、おばちゃんは、
「八朔、好きやろ。」
と声をかけて、紙の米袋に入れた八朔を手渡してくれた。

その重い八朔を、雀躍として持ち帰ったあの日のことを忘れない。


いいなと思ったら応援しよう!

フンボルト
ありがとうございます。