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小説『騙しのテクニック』⑥

「中山さんと渚子の二人のことなんだから、俺から何があったかは訊きにくい。と言って、渚子の動きも気になる。佐々は、渚子の動きから目を離すんじゃないぞ。それから産業医もな。」

猫嶋は、ぶっきらぼうに言ってからソファーから立ち上がり、3歩ほど歩いて振り向き、「内密にな。逐一、報告を上げるように。」と念を押して、ドアを開けて去って行った。

佐々は、エアコンのスイッチを切って、アナウンス室に向かった。妙に喉が渇くので、冷蔵庫からボトルを取り出して「午後の紅茶」の残りを飲み干した。渚子は、今頃どうしているだろうか。同じ女性なのに、同情の気持ちよりも、中山と渚子のトラブルが事件に発展しないことを願っていた。
佐々は更年期のイライラや火照りはなくなりつつあると思っている。が、若く美しいアナウンサーを見ていると、ふと嫉妬心が湧いていることがあった。どんなに張り合ったところで、若い美しさに敵うわけがないのに、少し意地悪をして貶めたい気持ちも心の片隅にある。それを何度も打ち消すのだが、ついつい先輩風を吹かせて言わないでいい注意もする。無意識に言ってしまった「猫嶋部長にはチクらないから。」と言ってしまったのに、実際は真逆なことをしている自分に苛立っていた。
「きっと湊社長が、うまく納めてくれるさ。」
と心の中で呟いて、お手洗いに向かった。

湊浩三郎は、佐々と時々会食するのを楽しみにしていた。佐々と会うときは、必ずレストラン風月の個室をリザーブして、不思議と湊浩三郎が先に席に着いていた。8時10分前には着いて、先にビールをひっかけるのが湊流であった。

佐々京子は、いつもより念入りに化粧直しをした。湊から気に入られれば、部長級からその上の次長に昇格するのも夢ではない。

そのためには、アナウンス室の不祥事はあってはならない、と思っている。
佐々は、8時3分前に風月の「楓」と書いてある部屋に通された。
(ちゃんとしなくて。)
そう言い聞かせて佐々は、
「お待たせしました。」
と湊浩三郎に挨拶をした。
湊は、
「おっ、よく来たな。」
と笑顔で応じ、ご機嫌な赤ら顔を見せた。

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フンボルト
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