不思議な快感
漢字はお隣の国から伝わった。今や、本家本元の中国では漢字改革という名のもとに略字になった。成り立ちを無視した略字を見ていると、これは文化の破壊ではないかと心配する。が、
「それは、お前の老婆心だ。これは文化革命なんだ。」と反論されそうだ。
漢字が日本に伝わった時、元々好奇心の強い大和人は、何としてもこれを使いたい、と思った。で、万葉仮名として漢字の音を当てた。道という国字が作られる以前は、「美知」という漢字を当てていた。「ミチ」と声に出した。「美を知る」という意味だった。このことから、適当に充てたわけではないことが分かる。
万葉仮名遊びを経て、漢語を訓読する工夫を編み出した。返点、ヲこと点などである。古文書には朱で漢数字の「一、二、三」レ点、ヲこと点などが振られているから、当時の学者が必死で読もうとしたことが想像できる。訓読の過程で、既にあった大和言葉では足りず、新たな言葉を作ったことが推測できる。その意味では、訓読という過程で、大和言葉は磨かれた、変化した、と言えよう。
先祖は、漢字を充てることでは飽き足らず、次にカタカナを発明し、それを使って簡単な文章を書くようになった。そのカタカナから平仮名が創意され、やがて日本語は漢字仮名混じり文に熟していくのである。この成熟過程を想像するだけで、心臓が高鳴る心地がする。
つい最近、この漢字仮名混じり文が、私たち日本人の脳を繊細にしてきたらしいことを知って、私は不思議な快感に浸っている。