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課題の分離とは(アドラー心理学)

小学生の頃の話です。夏休みの宿題が間に合わず、母に手伝ってもらったことがあります。それも、母の字で計算問題を解いてもらったのですから、お恥ずかしい話です。

子供が宿題をしないと、親は叱るか、さもなければ代わりにやってあげます。中学生ぐらいになると、親も自信がないので、塾に行くよう促します。(私は、お手伝いと遊びに忙しく塾には行きませんでした。)

子供が宿題をしないのは、親の問題ではありません。宿題をしないという問題の結果を最終的に引き受けるのは子供自身です。

このように親と課題と子供の課題を分けるのが、課題の分離という考え方です。

この課題の分離をしないで、親が過干渉したり、過保護になったりすると、どんなことが起きるでしょうか。

以下の4つが考えられます。

①自力解決能力を伸ばせなくなる。
②親に依存的になり、自信を失う。
③子供の自尊感情が損なわれ、自己有能感が乏しくなる。
④親が親として成熟しない。

以上のように書くと、
「課題の分離とは、相手の課題に一切干渉しないことなんですね。親は自分の課題だけに専念していいのですね。」
という人がいます。これは誤解です。
アドラーは、「共同の課題」を提唱しています。では、共同の課題とは何でしょうか。

子供が、「宿題が解らないの。だからお母さんやって」と言ったとします。この時、親はどう対応したらいいでしょうか。
「それはあなたの課題でしょ。」
と突き放して、一切かかわらない、ということではありません。
「では、あなたが苦戦しているところだけ助け舟を出すのはどう。
と声をかけるのが、課題の分離から共同の課題への橋渡しになります。
共同の課題には次のステップがあります。

①言葉に出して相談する。(相談にのる。)
②共同の課題になり得るか検討する。(ならないこともある)
③共同な課題になり得た場合は、協力し助ける。ただし、助けは最小限にする。

★まとめ

アドラー心理学の本質は、「嫌われる勇気」を推奨することではありません。両得の関係を築くことです。その関係づくりの扉が「課題の分離」であり、扉を開いて関係の部屋に入っていくのが「共同の課題」なのです。進んで嫌われるのではなく、課題の分離の過程では、嫌われることもあるということです。そして、嫌われることはあなたの課題ではなく、相手の課題と言えましょう。



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フンボルト
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