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 父の尺八

子どもの頃、父の写真帖をめくっるのが好きだった。ハット帽子を被ってギターをかかえている父を格好いい、と思ったものだ。そのギターはどこかに行ったのだろう。家にはなかった。

が、尺八という竹でできた笛が2本あった。1本は普通の1本仕立てだった。もう1本は2つに分かれているものを繋ぐものだった。

春の花見の頃、近所のいくつかの家族が近くの花見山に子供たちを引き連れて遊びに行くのである。その日は午前中から女房殿は忙しかった。巻き寿司、稲荷寿司、煮しめなどをお重に詰めて宴の用意をしなければならないからであった。

小高い山裾は桜が満開だったので、花見客は競って小山の公園坂を登った。

夕方、私も父方の義母に手を引かれて登った。すでに男どもは畳ゴザ、莚ゴザ敷いて陣取りをしていた。あとは、お重を風呂敷に包んで運んでくる女房殿たちを待つだけだった。

すでに男たちは一升瓶の栓を抜いて、湯呑みに酒を注いていた。その湯呑みに桜吹雪の花弁がかすめるのを、私は少し小高い所から眺めていた。

おおかた20名を超える人数であったろうか。宴が始まる気配を感じて私は見晴らしから下に降りていった。乾杯の音頭をとる父の姿を近くで見た。

女房たちは重箱を見せ合い、つまむよう勧める。子たちは、重箱箱の品定めをして、好きなものを小皿に取って食べた。宴は最高潮になろうとしていた。誰かが、いつものように「尺八聴かんばね」と口を切り、それに応じて父は持ってきた尺八を繋ぐ。尺八口から少しだけ酒を飲まして、父は意気揚々吹き始めた。
「田原坂」「炭坑節」など、名曲を次々に吹くのである。拍手喝采を浴びた父はご機嫌であった。

その尺八はどこにいったか、行方知らずである。

父はもういない。

ここで筆を止め一息つく。

公園から渡ってくるらしい秋風が北窓から入ってきた。


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