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ちゃんと泣く子を育てよう

「泣かない。我慢できる。」

どうして日本人母親は、こう言うのだろうか。

「泣かないの」
「泣き虫ね」
「泣きを入れないの」

このように泣くことを否定的に扱う文脈がある。泣いている姿や声を聞くと、日本の母親はイライラして不安になるのだ。天変地異の多い国土に住む日本人は不安遺伝子が強い。そのため、泣くことを嫌がる傾向にあるのかもしれない。

歴史を振り返ってみると、貴族時代は貴族が嗚咽して泣いていた、という記録がのこっている。それが戦国時代になると、泣くことが負のイメージをもつようになる。

江戸時代まで下ると、さらに泣くことに負のイメージが強化される。とくに武家の子供は泣かないことが強いられた。

それでも、江戸の商家、庶民長屋では、泣く乳幼児に対しておおらかだった。
「そう、うんちしたの。気持ち悪いの。変えてあげるね。もう少しで気持ちよくなるよ。いい子ね。」

このように、おおらかに声かけたのだった。

子が膝小僧を擦りむいて泣いていたら、
「痛いね、痛いね、痛いの飛んでいけ、飛んでいけ」
と唱えたのだった。

泣くことを否定せず、泣く子をなだめていた。

民間のなだめの伝統はいつから途切れ始めたのであろうか。

明治の富国軍拡政策以降、泣くことが貶められ、「泣きを入れるな」という文脈で語られるようになる。

この文脈は、太平洋戦争敗戦以降も続いているように思える。

泣く。これは、人の子のみならず、大人でも、自らの生命を守ろうとする営みである。

「痛かったね。辛かったね」

と、なだめてもらった時、人の脳は安心するのだ。

泣くことを否定するのではなく、泣く子をなだめることで、子のネガティブ感情は安全に処理される。

ちゃんと泣かせたうえで、なだめてきた庶民の知恵を復活させてたい。そう思うのは私だけではないだろう。









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フンボルト
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