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小説『騙しのテクニック』③
佐々は、産業医の奥山純平に目配せをして「頼みます」という表情で渚子を座らせた。奥山は、金縁の眼鏡の奥から佐々を見つめて率直に言う。
「佐々さん、産業医は何のためにいると思いますか。従業員50名以上の事業所に産業医を置くのは、業務上のストレス、衛生、安全のチェック機能としてなんです。診断も治療もしないのですよ。どんなに頼まれても、診断も治療も出来ません。では何をするかというと、業務上の問題で疾病可能性がある、例えば長時間勤務を余儀なくされて、鬱々しているという場合、その背景を探って、内科医や精神科医に繋ぐ仕事なんです。場合によっては、相談者の上司に意見を述べることなんです。」
佐々は、奥山の話を聴きながら、しまったと思った。
奥山は、黙りこくった佐々に向かって少し強めに言う。
「デリケートゾーンのことですから、産業医に相談してはいけません。内科と産婦人科の領域です。早目に診てもらった方がいい。」
佐々と渚子は、奥山医師にお辞儀をして部屋を出た。
佐々は、
「しばらく休もうね。」
と渚子に呟く。
渚子は、佐々の言動に不信感を抱いたが、「病院に行きます。」
と告げて、社玄関に横付けしているタクシーに乗った。
佐々が、渚子を産業医に連れて行ったということは、理論上は業務上の何らかのトラブルがあったので連れて行った、ということになる。が、佐々は産業医の職務範囲を理解していない。佐々は、会社内部で穏便に済ませたかった。他の医師に診てもらえば、ひょっとすると大きな事件に発展するかもしれない、と直感的に思った。
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