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 論客が嫌いです

若い頃、論客って格好いいなあ、と思っていました。小さい時から口下手な私は、損ばかりしていたからです。

が、長く生きてくると見えることは増えます。

論客は、確かにマスコミ受けしています。が、そのマスコミは飯を食うために、その論客を持ち上げているに過ぎません。論客もまた、マスコミを利用して、時には右顧左眄しながら、巧みに論に花を付けます。

その花に騙されて、「いいなあ。素晴らしい理念だ」と共感する人が出てきて拍手喝采します。拍手喝采された論客は、さらに大風呂敷に花を付けます。

こうして論客とマスコミの見えない癒着が始まります。

私は、その癒着に気づきました。気づいて以来、論客が嫌いになりました。

この論客、もっともらしいことを言っていますが、私生活はどうなんだろう、と思います。金の支払いはどうか。いつもご馳走になっていないか。そんなことを想像します。口元や顔の表情筋を見ながら、論客にいい顔をしている人がいないからです。身体を痛めて働いていた顔をしていません。口先で世の中を渡ってきたような狡い顔をしているからです。

若い頃は、外見より中身と心の中で呟いていました。学校の先生からも、「人を外見で見てはいけない。中身だよ」と諭されていたからです。

本当にそうでしょうか。外見より中身でしょうか。詐欺師は言葉巧みです。その言葉は内側から、つまり中身から出てくるように見えます。

日本人は言霊信仰が根強いです。他方、欧米人は大昔から言語不信です。言語より、相手の表情、外見が判断材料になると信じています。時にはハグをして、匂い、体温から信用度を確かめます。

論客の中には詐欺師もいます。

オレオレ詐欺師は、電話でお金を振り込ませます。すぐに言葉を信用するクセのある日本人の弱さが露呈しています。欧米でオレオレ詐欺は流行りません。なぜなら、口から出た言葉を信用しない国だからです。

極端に言うと、欧米人は中身より外見を重視します。正確に言うと、外見も中身も同じくらい大事だと思っています。

ロゴシールの付いたメガネをかける人がいます。ヨレヨレなモーニングズボンをはく人がいます。それは、その人が選んだ外見です。顔の筋肉だって、その人の日常の暮らし方の結果です。鍛錬するかしないかは、自らが選ぶものです。

論客は、しばしば外見を軽視します。これが論客のアキレス腱です。

論客はケチです。論客はしばしば嘘を付きます。

というわけで、私は論客が大嫌いです。




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