目指せ! あやしマスター! 〜男性育休一年期〜
街を歩いていた時、大きな泣き声が聞こえた。
姿は見えないが、どこかで赤ちゃんが泣いているらしい。
かわいいなあ、と思うと同時に、数ヶ月前の苦い記憶を思い出す。
子が生まれて約3ヶ月。日常の育児にようやく慣れてきた頃。
初めて育児でメンタルがやられる事件があった。
いわゆる「心が折れそうになった」というやつだ。
9月の中旬、妻が地元の旧友の結婚式に呼んでもらった。
「育児のせいでできないことが増える」という常識にアンチテーゼをぶち上げることに生き甲斐を見出す我々は、どうすれば結婚式に行けるかを考え始める。
結論は「式の間、日下が会場近くで子を連れて待機する」ことにした。
待機場所は義実家と迷ったが、式場にほど近いショッピングモールのフードコートにした。
ここなら広い座席に電源も確保できるし、調乳用のお湯も設置されている。
唯一の懸念は哺乳瓶からミルクを飲んでくれるかだ。弊家では原則として母乳育児をしている。妻の離脱する3時間は授乳は哺乳瓶で飲んでもらわないといけない。
よく聞く話だが、母乳育児の場合は、触感や温度、味の違いから、哺乳瓶を拒否する子もいるという。そうなると母親が一人でお出かけするのが難しくなってしまう。
我々はそれに備えて定期的に「母乳を搾乳し、哺乳瓶に入れて授乳する」という迂回授乳で哺乳瓶練習もしてきた。きっと大丈夫だ。
「ご飯を食べながら子をあやし、ミルクを飲ませて寝かしつけ、ゆっくり本でも読みながら過ごそう。育児や、産後の妻のケアに追われていたが、久々の一人時間を過ごせるかもしれない」……なんて考えていた。
結婚式への出発直前の15時。
妻から母乳を供給されたお子はころっころにお眠りになられていた。「ころっころに眠る」は母方の曾婆ちゃんがぐっすり眠る赤子を表現する際に使った親族のローカルフレーズ。体を丸めて安らかに眠るその姿。地面に置くところりと転がっていってしまいそうな丸っこさ。
なるほど、ころっころだ。
ころっころっ子をそっと膝の上に寝かせ、妻を送り出す。
戻ってくるまで3時間。ミッション開始だ。
鞄から谷崎潤一郎の「文章読本」を取り出し、文章が上手くなる秘訣は無いかと心躍らせながらページを開く。豊かな休日の始まりだ。
そんな豊かな休日は、30分で終わりを告げた。
数十ページ読み進めた頃、膝の上でうにうにした動きを感じた。
下を見ると、目を開けた子がぽけっとした表情でこちらを見上げている。
見つめ合っていると「お母さんの腕の中で寝てたはずなのに😕……なんで😡」と言わんばかりに表情がふて腐れ始める。
慌てて立ち上がり、あやして寝かしつける。座ったと思ったらまた起きて不機嫌になる……を何度か繰り返した後、さらに顔色が曇りついに泣き出してしまった。
泣き声の雰囲気的にお腹が減ったっぽい。
たっぷりは飲んでいないと妻からも聞いていた。
まあ、大丈夫大丈夫。
用意は周到だ。ミルクを作るまでもない。
出発直前に妻から母乳を搾乳してもらい、哺乳瓶に入れておいたのだ。
すぽりと哺乳瓶の乳首を子の口に差し込む。
ちゅむちゅむと乳首を吸い始めた5秒後だった。
「ウアアーーーー!!! ギャーーーーー!!!!!」
耳をつんざくような大声で子が泣き出した。
ハリー・ポッター以外で「耳をつんざく」なんて言葉を使うことになるとは思わなかった。
幸いフードコートは広く、周囲も喧騒に溢れている。
子の泣き声も空へと溶け込んだが、それでも近くのテーブルの家族連れが心配そうな顔でこちらを見た。
何だ、どうしたんだ。
家ではごきげんに飲んでくれたじゃないか。
飲ませようとすればするほど嫌がり、泣き方は激しくなる。
哺乳瓶から飲んでくれないと、おっぱいを持たない日下にはなすすべがない。
母乳の温度、鮮度。いつもとは違う場所。お母さんの不在。
細かい変化点を挙げればキリがないが、とりあえずできることからやるしかない。
母乳を諦め、暖かい粉ミルクを準備することにする。
泣き喚く子をなんとか抱っこ紐に収め、調乳器へと移動する。
「あ……」調乳器の前で気がつく。
貴重品を座席に置きっぱなしにしてしまった。
ちょうどここから死角になっている。取りに戻るべきだろうか。
考えてる間にも、子の泣き声、苦しそうな表情が心身を削っていく。
どう考えてもこの子の空腹を満たしてあげるのが最優先だ。
抱っこ紐の中でもがく子をなんとかあやしながらミルクを作る。
熱い哺乳瓶に水をかけ、適温を探る。
お湯が全然冷めないのがもどかしい。
やっとの思いで座席に戻り、文字通り祈りながら乳首を口に運ぶ。
結果は、全く同じだった。
乳首を咥えた直後、顔を真っ赤にし、涙を流し、息も絶え絶えに子が泣き叫ぶ。
落胆と、苦しむ我が子に何もできない罪悪感で全身の力が抜けそうになるが、脳に突き刺さる泣き声が許してくれない。
周りを見るとさっきよりも多くの人が、こっちを見ていた気がした。
心配そうな顔に、迷惑そうな顔。いずれにせよ、感情のベクトルが「負」のものしか感じ取れない。
座席への居辛さと、静かなところなら落ち着いて飲んでくれるかもしれないという期待で、授乳室に移動することにした。
貴重品を置き去りにして、冷めてしまった哺乳瓶を持ち、ふらふらと授乳室に入り、崩れるように腰を下ろす。
乳首の感触の違いが嫌なのかもしれない、と直接口の中にミルクを垂らすが、飲むどころか嗚咽して吐き戻そうとしてしまう。
小声で「飲んでよ……」と呟いたとき、自分も泣きそうになってることに気がついた。赤子同士で不機嫌が伝染する情動伝染というやつがあるが、大人にも伝染するんだな。
抱っこして、授乳して、を繰り返していると泣き疲れた子がついに眠ってしまった。気がつけば自分も子供も汗だくだった。今熱を測ったら、多分店から追放されるくらいの体温が出る。
そこからは、大体同じことの繰り返しだった。
起きて、泣いて。授乳しようとして、もっと泣いて。泣き疲れて眠って。
1泣きごとに、自分の体温が上がり、HPとMPがガリガリと削られていく。
途中、同じく3ヶ月の赤ちゃんを連れた心優しい夫婦が子をあやしてくれたが全く泣き止まない。心身の疲弊と、申し訳なさと情けなさと、劣等感のような何かで、避けるように席を離れてしまった。
式場で妻に授乳してもらおうと思い、会場の場所を確認すべくラインをしたが既読はつかなかった。後で聞いたら式場は電波が届かず、圏外だったらしい。
授乳室と座席を行ったり来たりしている間に財布を落とし、心優しい女性に拾ってもらった。全く気づかなかった。
そんなことを繰り返しているうちに3時間が経った。
目を覚ました子に、寝ている間に作ったミルクをそっとあげてみる。ちょうど冷め具合もいい感じ。
すると。
「ちゅぱ…ちゅぱ…ごく…ごく…」
やや納得いかない顔で、それでも哺乳瓶からミルクを吸い出し始めた。
そして、同時に妻がやってきた。
ことの顛末は大体こんな感じだ。
反省点は山ほどある。
甘い考えと準備不足で、我が子を長時間苦しめてしまった。
人生で最も泣いた日だったであろう赤子は、三日間目脂が止まらなくなってしまった。
自分達の軽率な判断を、本当に悔いた。
同時に、この経験で知ったこともある。
まず「1日あたりに浴びられる泣き声の絶対量には上限がある」ことだ。
限界泣き声被曝量とでも呼ぼうか。
赤ちゃんの泣き声は例え我が子であっても非常に強いストレスだ。
むしろ「我が子の苦しみを取り除いてあげられない」という罪悪感が、余計にしんどいかもしれない。
この後、丸二日間ほぼぐったり寝て、義実家に来たにも関わらず家事を何も手伝わないという悪事を重ねてしまった。
そして「赤ちゃんが泣きやまない時、それ以上に親も泣きたい」のだ。
赤ちゃんはお腹が減っても暑くても眠くても泣くが、我々はそんなことでは泣かない。大人が泣きそうになるのはマジでしんどい時だ。
今回は「哺乳瓶が嫌」という明快な理由があったが、これは幸運な方だ。SNSのタイムラインを眺めれば、なぜか泣き止んでくれない赤ちゃんに悩み、苦しむ声が簡単に見つかる。
以前の自分では、この「声」にはきっと共感できなかった。
それどころか、自分の中に嫌な記憶もある。
バス、電車、飛行機の中。
ギャン泣きする赤ちゃんに「うるさいなあ。静かにさせろよ」という気持ちを抱いてしまった記憶が。
今ならわかる。あの時の子どもをあやすお父さんお母さんが、どれだけしんどかったか。どれだけ泣きたい気持ちを堪えていたか。
「できるならとっくにしてるわバーカ!! お前がやってみろや!!」と過去の自分を張り倒したくなる。
急に無駄にでかい主語を使って恐縮だが、人間というものは、経験したことがない辛さには共感できないと思う。
少子化が進む日本ではこの先「子育て」というものに関われるチャンスがどんどん減っていく。共感できる機会が失われていく。
だから、せめて想像して欲しい。
もちろん、泣いている赤ちゃんは実際うるさいし、迷惑に思うことだってあるだろう。鳴き声がするたびに顔をしかめる大人もいるだろう。
けどさ。あなたも多分赤ちゃんの時ギャン泣きしてたよ?
一方、育児を経験して辛さを知っている我々は、その光景を見たら一目散に助けにいかねばならない。
それも務めて明るく。
心配そうな感じで来られると、罪悪感で逃げ出したくなってしまう。
(これは陰キャ特有の感情かもしれない)
助けに行くときは「赤ちゃんあやしたいです!!!」 感を出していこう。
「泣いてる赤子を見かけたら喜び勇んで飛んでいきます!! あやして笑わせるのが生き甲斐だし、泣いてる赤ちゃんも可愛いのでオールOK!」くらいの心意気で。
さああなたも、目指せあやしマスター!
育児はいいぞ。
P.S.
サムネイル用にお子の泣き顔を探してたけど、ほとんど写真が残っていないことに気がついた。
泣いてる時は泣き止ませることに必死で、写真なんて撮ってる暇はないから、カメラロールに残っているのは子の笑顔と寝顔ばかり。
けれど、しんどいことがたくさんあったことも、大切な思い出として忘れたくない。だからこそ、書き残しておく意味はあるのかもね。