「おぎゃあ」と君が言ったから、今日からその日は「粋」記念日 〜男性育休1年期〜
今回は少し遡って、「名付け」のお話。
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2022年6月。
おぎゃあと生まれた我が子に、僕たち夫婦は「名前」という最初のプレゼントをした。
名前を付けるまで、まあ悩んだ。それはそれは悩んだ。
noteのタイトルを決めるだけでも悩むのに、産まれてくる子の名前を決めるのなんて悩まないはずがない。
名前の決め方は検索すればいくらでも出てくる。
OK google。子供の名前の付け方を教えて!
画数、音の響き、姓名判断、先祖から名前をもらう……人によって本当に様々で正解は一切ない。
ちなみに自分の「秀之」は実家の宗教の偉い人に付けてもらった名前だ。
今でこそ、尊敬している人に名前を付けてもらうという行為が親の愛の現れだとは理解している。が、幼少期これを聞いた時の自分はショックを受けた。
どんな形でも、自分は親に、悩んで、考えて名前を付けて欲しかった。
我ながら愛が重い。そして、その愛に、自分自身も執着した。
末期癌患者で写真家の幡野広志さんの著書「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる」にこんな言葉がある。
この言葉を座右に、自分たちで名前を考えたかった。
「画数が良かったから」でも、「誰かに付けてもらった」でもなく、我々夫婦自身が考えて、「こんな人生を送って欲しい」という意味を込めて、選び抜いた名前をプレゼントすることに執着したかった。
学校で「お父さんお母さんに名前の由来を聞いてみよう」という宿題が出たときに、我が子に名前の意味と、込めた愛を一つ一つ語ってあげたかった。
……と思ってる間に、一切手は動かさず、何も決まらず、いつの間にか出産まで1ヶ月を切っていた。
普通にやばい。崇高な理念を無駄に捏ね回して膨ませた結果、何も進んでいない。理念パンが美味しく焼けちゃう。このままでは胎児ネームのとらきち(寅年生まれだから)が本名になる。
僕は重い腰を、妻は重いお腹を上げてようやく本格的に名前を考えだした。まずは愚直にシンプルに、子供のなって欲しい姿、なってほしくない姿を付箋に書き連ねる。
出来上がったものは、我々親が「自覚的に大切にしていること」と「欠落しているから欲しいもの」がごちゃ混ぜになったエゴの塊だった。
さて、この塊をどう名前に落とし込もうか。
とりあえず、選択肢を全部見てみよう。
名前に使える漢字は2997字。上から下まで眺めることにした。
知ってる漢字から、知らない漢字。これ本当に使っていいのか? と思う漢字まで色々あるなあ……と脳みその下から入っては上へ抜けていく漢字を眺めていると、ふと目に飛び込んできた字があった。
「粋」
粋……いき……いいなあ。
なんかおしゃれでかっこいい。
颯爽と現れて、世界を救って、いつの間にか次の舞台にまた躍り出てる人みたいなイメージがある。
「あの人は粋な人だよね」
ええやん。
「ねえお父さん、僕の名前にはどんな意味があるの?」
「それはね、粋な人生を送って欲しいという想いが詰まってるんだ!」
めっっっっちゃええやん。
まだ見ぬ息子との、存在しない記憶が脳内に駆け巡る。
この漢字を名前に入れよう。妻とも意見が一致する。
けどさ。でもさ。粋ってなんだ。わかるようで、わからない。
いわゆる「粋」を表すエピソードといえば
みたいなやつだろうか。まとめサイトのコメント欄に「粋スギィ!」とか書いてある感じの。
辞書を引いてみる。
うむ、わからん。
粋について書かれた有名な書籍「いきの構造」(九鬼周造)(クソむずい)(多分読めてない)も読んでみた。……のだが正直しっくりこない。
彼は粋を「媚態(異性に対する色気、艶かしさ)」と「意気地(自分の願望に対する執着)と「諦観(執着からの離脱)」の三つが高度に融合した日本独自の「恋愛観」として扱っている。
異性に対して、こいつをモノにしようとする意気地と、ダメだったらしょうがないという諦観と、その結ばれきらない二人の間に存在する媚態。そんな一種の緊張状態を人は粋に感じる…….。
わからなくもないが、時代とともに言葉の使われ方が変遷しているのだろうか、我々がイメージする粋は色恋だけでは片付かないし、こんな話では無い気がする。
他にも着物の着こなしみたいな、伝統的な工芸に対する美意識としての「粋」なんかもあったりする。
というか、そもそもだ。
我々が付箋に書き連ねたあれこれは「粋」なのか。改めて付箋を眺めてみる。
もし、こんな価値観で我が子が人生を送ってくれたら。
まだ顔すら知らない我が子の人生を想像してみる。不登校時代に延々とファンタジー小説を読んで鍛えた妄想力の発揮のしどころだ。
……辞書的な「粋」とは違うのかもしれない。
けど、もしこんな価値観で生きてくれたら、彼の人生には、確かに「粋」がある気がした。
一方、名前の意味を込めれば込めるほど、子どもへの寛容性だとか受容性も無くなっていくという怖さもある。
贈り物は他者を縛りつける力に転化したとき「呪い」になる。
「世界は贈与でできている」で近内悠太さんが言っていた。
名前をつける際に、あまりにも名前の意味を決めきってしまって、
「こうでなければならない」
「これ以外はだめ」
という子育てをしてしまったら、それは子の自己肯定感を奪い取る呪いになってしまいかねない。
だから、言葉の曖昧さと難しさを逆手にとって、我が子に聞かれた時には「自分にとっての”粋”は自分で決めよう」と伝えようと思っている。
コンパスは方向は示してくれるけど、場所そのものは教えてくれない。
目的地は自分で見つけなくちゃならない。
彼にとっての名前がそんな役割を果たしてくれたら良いな、と思う。
ちなみに、全然「粋」の顔じゃなかった時も考えて、念のため名前の候補はいくつか用意してあった。
というのも、妻は生まれた時に「顔があまりにも丸かった」という理由で、用意してあった「せりな」からその場の思いつきで「まりい」に変わったのだ。
流石にネタだろ? と義両親にも聞いたがマジだった。
そんなことある? あと「粋」の顔って何?
その母親から産まれる我が子だ。まあそんなこともないことはないだろう。
あまりにも丸かったら「まりお」かな。けど、最初に考えたこの名前がいいな、と思いながら迎えたあの日。
51時間の陣痛の末に産まれた我が子の顔はおじいさんみたいで、どの名前も似合わなかった。
それなら、僕たちが選ぼう。
名前が似合うように、育てていこう。
そうして、むずかしい言葉に、たくさんのエゴとちょっとの曖昧さをねじ込んで、僕たちは「粋」が入った名前を子供に託した。
我ながら自分でつけたいくらい、いい名前になったと思う。
これを書いている今は我が子は生後10ヶ月。
すっかり「粋」が似合う顔つきになった。気がする。
もちろん、名前をつけてそれで終わりではない。
我々は自分の人生をかけて「粋」を模索し、体現していく責任を得たのだ。
母が子育てで悩んでいた頃、尊敬する幼稚園の園長先生に言われた言葉がある。その言葉は、聞いた瞬間から僕の心にも強く刻みついている。
思ったようにではなく、育てたように。
どんな関わりをしたか。どんな姿を見せたか。どう行動に移したか。
子に良い人生を送って欲しかったら、我々がまず良い人生を送らないといけない。
子供に名前をつけた瞬間、我々の人生のテーマも決まったのだ。
もしいつの日か家族が増えたら、きっとその子の名前も取り入れて、僕たち家族のテーマは広がっていくのだろう。
でも、まずは。
「おぎゃあ」と君が言ったから、今日からこの日は「粋」記念日。
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最近の自分は粋を「与えることで自分自身も幸せになり、それでいて相手に負い目を残さない、結果的に利他的な行為」として捉えている。
とはいえ毎日毎日そんなかっこよく生きれやしない。
そんなに頑張ってたら疲れてしまう。自分を削っての利他は自己犠牲だ。長続きしない。
1人でレベルアップするのは大変だ。パーティを組んで皆で人生レベル上げだ。
自分だけで頑張らず、みんなで粋の輪を広げて行きたい。自分の「好き」や「楽しい」が自然と周りを助けて、結果的に助け合いを生む。そんなコミュニティが実現できたら。特に我々が今一番関心を持つ「子育て」をキーワードに様々な世代、国籍、価値観が人生を豊かにできる場ができたら。
……というわけで作ることになった。
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