図々しいから、トルコが好き。
先日、生後4ヶ月の赤子を連れて海外旅行に行った。行き先はトルコとヨーロッパ諸国。
赤子と海外に行くという経験はとても刺激的だ。
どの国も素敵な思い出に溢れているが、私はその中でもトルコという国が特に大好きになった。
なぜかって。
トルコは、「図々しさ」に溢れていたからだ。
日本から最初に向かう先がトルコだった。羽田空港の国際線に初めて足を踏み入れ、国内線をはるかに超えたスケールに圧倒される。
世界一周経験のある妻はともかく日下はほぼ初めての海外。しかも赤子連れ。13時間のフライトを耐え切れるのか……と不安の塊だった。当然赤ちゃんが泣くこともあるだろうし、周りの人からすれば迷惑だろう。
けれど乗ってすぐに、その不安は解消される。
CAのお姉さんがとても嬉しそうに赤ちゃんに話しかけてくれたのだ。
うちの赤ちゃんはチョロいので、人に笑いかけられるとすぐにご機嫌になる。
「ああ、味方がいるから大丈夫だ」と思えた。
その後奇跡的にベビーベッドで爆睡してくれたり、CAさんが笑いかけてくれたりでなんとかご機嫌でフライトを乗り切れた。
降りる時にはまた赤ちゃんと遊んでくれた。降りてからの検査場でも、乗り継いだ先の飛行機でも、たくさんの人が笑顔で赤ちゃんに話しかけてくれた。
最初の宿泊地に無事到着し、ホテルを出ようとしたら、おばさまが何か身振り手振りを交えて話しかけてきた。トルコ語なので全くわからないが、「靴下を履いてないので赤ちゃんが寒そう」と言っている。多分。どうコミュニケーションを取ろうと迷っているとおばさまが赤ちゃんを奪い取り、靴下を履かせてきた。
翌日、朝食を求めて食堂に行くと昨日のおばさまがいた。ホテルのシェフだったらしい。赤ちゃんを見た途端、こっちが尋ねる前に赤ちゃん用の椅子を持ってきてくれた。赤ちゃんは初めての椅子にニコニコし、ご飯は美味しく我々もニコニコだった。
レストランでは、どのお店でも店員さんが赤ちゃんをあやしてくれた。
カッパドキアの町外れで最高のご飯を出してくれたおじさんはサービスのお茶を持ってきて、赤ちゃんに「Peace with you」(「平和あれ」的な)と言ってくれた。
洞窟レストランのおじさんの変顔で、我が子は人生一番の爆笑をした。
イスタンブールのグランバザールに行けば「えー!! かわいいー!!」と日本語が聞こえた。岡山にも店を持つというトルコのおじさんだった。
赤ちゃんが可愛いかったという理由だけで、話しかけてくれた。美味しいケバブの店を聞いたら、わざわざ店を離れて店まで連れて行ってくれた。
いよいよトルコの時間も終わりに近づいた時。
空港へ向かうため、イスタンブールの路面電車に乗った。
時間がなく急いでいたため授乳間隔が少し空いてしまっていたのかもしれない。電車の中で赤ちゃんが泣き出してしまった。
車内は混んでいたし、降りる時間も無い。
なんとか耐えるしかない……と思っていたとき。
横から手が伸びてきた。
見れば、おばあちゃんがニコニコしている。促されるまま赤子を渡すとそのまま抱っこしてあやしてくれた。
赤ちゃんはすぐに泣き止みご機嫌になった。
空港へ向かう地下鉄に乗ったら、座席は満員……と思ったら、おじさんが我々をみた途端に席を譲ってくれた。
席に着くと、すぐに赤ちゃんがゲラゲラ笑い出した。
視線の先を見てみると対面の席に髭もじゃのお兄さん。なぜか彼の顔がツボらしい。
お兄さんは降りるまでずっとリアクションをしてくれたりいないいないばあをしてくれる。
対面の人たちは皆赤ちゃんを見てニコニコしている。
電車を乗り継いだ先で目があったおじさんは、降りるまでずっと赤ちゃんに変顔をして笑わせてくれた。
「どこからきたの?」と尋ねてきたおじさんは「行き先が同じだからついておいで」と空港まで案内してくれ、イスタンブールカード(トルコのSuicaみたいなやつ)の使い方を教えてくれた。
今書いたような、優しくしてもらえた体験は他の欧州諸国でも勿論たくさんあった。
けれど、振り返った時にエピソードが浮かぶのも「また行きたいなあ」と妻と話の種に出るのはトルコだ。それくらい、たくさんの親切を受けとった。
もう一つ、強く印象に残っていることがある。
イスタンブールからの電車の中で、足の不自由な女性が車内の一人一人に紙を渡して回っていた。
我々もトルコ語で書かれた紙を受け取る。翻訳アプリに通してみると「親族が癌で、お金が必要」(意訳)と書かれてある。多分ほとんどの人が無視するんだろう……と思っていた。
その時、遠くの方で「パチン!!」と大きな音が車内で響いた。
男性と、先程の女性がハイタッチをしていた。
男性が寄付をしたのだ。その後ハグをして女性は次の乗客の元へ向かう。次の乗客も寄付をし、ハイタッチして、ハグをする。その流れは止まらず、車内の大体8割くらいの人が寄付をしていた。
その後イタリアとフランスでも同じ光景を見たが、ほとんどの人が寄付をしていなかった。
正直に言うと、我々はトルコでも、イタリアでもフランスでも、寄付をしなかった。理由は特にない。なんとなく、しなかった。
妻から聞けば「イスラム教には貧しい人に施しを与えなさい」と言う教義があると聞いた。宗教的な文化の違いといえばそれまでかもしれない。が、ずっと心の中で引っかかるものがあった。
岸田奈美さんのインタビューによれば、トルコでは人を助けるのは当たり前だという感覚があるのだという。
トルコの人の優しさの歴史は色々分析はできるのだと思う。
「旅人や、子供、女性に優しくせよ」というイスラム文化が根付いている、経済発展が先進国に比べて進んでいない分、人間同士の繋がりを重視する傾向がある、昔和歌山でトルコの人を乗せた船が沈み、日本人が助けたことを恩義に感じている(上の記事参照)とか、色々あるのだろうが、そんなことはどうでもいいのだ。
トルコの人は人を助ける時、余計なことは考えていない。
彼らは「やりたい」からやっている。多分。
頼んでもいないのに赤ちゃんにわざわざ靴下を履かせてくるのはトルコくらいだ。
実に図々しい。図々しくて、愛おしい。
(カフェのおばちゃんが「寒いでしょ」と赤ちゃんの足をストーブに近づけたときはちょっと怖かったけど)
一方我々は、色々な、余計なことを無駄に考える。実にたくさん考える。
きっとあの電車の中でも、心の中では自己中心的な考えが渦巻いていたはずだ。
我々はもっと図々しくなって良いし、なるべきだと思うのだ。彼らのように。
知っての通り2月6日にトルコを中心に大地震が起き、多くの人が今この瞬間も亡くなっている。死者は日に日に増し、二万人を超えるという。
避難を待っている人がたくさんいるし、これからたくさんの復興も待ち受けている。
私には医療技術はない。土木建設技術も何もない。
だから、なんの能力もない私は「寄付」をすることにした。
多分、これが初めての寄付だ。
今まではいつも通り「余計なこと」を考えて何もしてこなかった。
けれど、今回は思ったのだ。「トルコの人なら何も考えずやるはず」と。図々しく、後先考えず。
お金なんてなんぼあってもいいですからね。
さて、ここまでこの文章に付き合ってくれた人は、トルコが少し好きになってくれたかもしれない。「図々しい」のも悪くないな、と思ってくれたかもしれない。
それなら、あなたも少しお財布から図々しさをお裾分けしてみませんか。
あるいは寄付をしたことがないなら、初めての寄付にトルコは悪くない選択肢だと思うのだ。
僕たちが見たトルコは図々しい「愛」に溢れていた。
私は、そんなトルコが大好きだ。
(補足)支援先について
寄付先については迷ったが、支援先はトルコ大使館にした。
こうした災害の際には多くの寄付金窓口が設けられるが、正直どこに寄付をすればいいのか迷う。
寄付をしたとて、中抜きされたり、意図しない使い方をされては意味がない。
「まさに今」支援が必要なこの状況ではあまり吟味する時間はなさそうだ。「中抜きが最も少ないはず」という観点でトルコの大使館を通じて寄付することにした。
NHKが比較的信頼性の高そうな支援先をまとめてくれていたので参照されたい。