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10年前の日下秀之は「日下秀之奨学金」に何を思うか

2020年12月1日、【給料の1%】を【最大3人】に【1年間】毎月給付する「日下秀之奨学金」を始めました(返済不要&社会人OK)。
※現在募集中&シェア希望! 2020/12/16(水) 23:59〆切

このnoteでは、自分の中でまだぼんやりしていた事について考えて、書いてみました。誰かに届いて響いたら、とっても嬉しいです。
是非募集ページを見てからご覧ください!

実はやってみたかった


2020年12月1日、「日下秀之奨学金」を始めた。

募集ページでは始めた理由について頑張って綺麗な言葉を使っているけれど、結局「実はこういうことをやってみたかった」に尽きる。

自分のきれいで無垢でピュアで恥ずかしさすら覚える考えを、世に放り投げてみたかった。自分の想いを発信してみたかった。でも、「恐れ」がずっと邪魔をしていた。それがたまたま今回、上回った。

このnoteは自分のための振り返りであり通過儀礼のようなものだと思う。過去の自分を通して今を見て、自分がなりたかった姿に近づいていることをちゃんと実感して、過去の自分も尊い存在だと認める儀式。

そして、今同じような想いを抱えている人の「きっかけ」になれるかもしれないし、そうなったらとても嬉しい。


10年前の日下秀之は「日下秀之奨学金」に何を思うか

約10年前。大学生の自分はこれをやろうと確実に思わなかった。当時の自分が、「日下秀之奨学金」を他人の取組としてみたら、色んなものが混ざったぐちゃぐちゃした感情と無関心を装った目線を送っていたと思う。

過去の自分を重ねながら、募集ページを覗いてみる。10年前の自分は、何を思うだろう。

一言でいえば、自分とは生きている世界線が違う人。

胸にチクりとした感覚を抱き、嫌な感じがする。少し見て、ページを離れて、またしばらくして戻ってくる。フェイスブックの「いいね」はどれくらいついてるだろうか、そんなにつかなかったら良いのに。自分には関係ない人のはずなのにももやもやした感情を抱える。無関心を装いながら、その後もたまに ふと開いては、「いいね」の数なんかをチェックして、嫌な感じを味わう。

自分がやろうとは絶対に思わない。なぜ不登校、宗教、自分の隠したい部分を、わざわざ名前と顔写真付きで発信する?色んなリスクもあるじゃないか。もし自分がこんなことをやったら、過去を知られたりしたら、周りにどんな目で見られるか。

自己満足という言葉も多分脳裏に浮かぶ。たった数千円で、世界に優しさを増やしたい等と、随分スケールの合わないことを言っている。「そのお金で寄付すればいいのに」とか「これ、やる意味ある?」とか。

悪いことをしてるわけではない。むしろ良いことをしていると思う。けど、何か嫌な気分になる。不完全な隙を見つけて、頭の中で指摘して、何とか消化する。

振り返ってみれば、分かりやすく憧れて、嫉妬していただけだった。

本当はこんなことをやってみたいのに、自分にそんな影響力はないし、実力もない。そんなことより守って隠さなきゃいけないものがあると、必死に生きていた。十分強く生きてきた自分に気が付けていなかった。

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自己満足で何の問題もない

日下秀之奨学金は世の中への影響がどの程度とか、そんな計算の上に成り立ってないし計算する気もない。ただ自分がひっそりと心の奥で感じてきた、正しいと思うことを伝え、届けたいだけ。

募集ページではさらりと書いたが、自分は小学校中学校の9年間、学校にほぼ行っていない。高校以降は、ほとんどの人にその事実を隠して生きていた。普通の人生を歩んでこなかった自分が嫌で嫌でしょうがなかった。

不登校の過去を無かったことにしようと、必死で「まともな人間」になろうと十数年もがいてきた。自分の中での「まともな人間」の定義は悪目立ちせず、調和を乱さず生きている人だった。だから、わざわざ何かを発信する人が余計に苦手だった。

今年の3月、「まともな人間」を目指すのをやめた。そのままの自分を許せるようになった。同時に、不登校の経験が今まで自分を全力で頑張らせてくれたとてつもない原動力だったことに気が付いた。

ネガティブだと思い込んでいた過去は未来への原動力だった。

そう思えたことは、似たような境遇を持つ誰かの助けになるかもしれない。それなら、確かに存在する人間として、それを発信する意味がある。

昔の自分に言わせれば、多分これは自己満足という言葉になる。それの何が問題だろう。

きっかけ


きっかけというものは、そこら中に転がっていて、いつかそれに気づくものだと思う。

この1年だけでも人生に大きな変化があった。
最愛のパートナー出会い過ごしたこと、自分探しを一旦終えたこと、研究職としての今までの経験を捨てる覚悟で社内のコンペに応募し、東京に飛び出したこと・・・。

一つ一つが、少しずつ、自分に自信をくれている。他人の気持ちを勝手に想像して自分にブレーキをかけることをやめた。自分の幸せを最初に願うようになった。自己犠牲にならず人を助けるためには、まず自分が満たされている必要があることに気がついた。

そんなタイミングで、最愛のパートナーに声をかけてもらえたとき、自分はもう満たされていたことに気が付いた。
だから、日下秀之奨学金をやりたいと思った。

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実は書いてみたかった

今日、noteを書いたのも、「実は書いてみたかった」から。
優しく、それでいて芯の強い文章で想いを発信する人たちに、実はとても憧れていた。

「つたない文章になったらどうしよう」なんて書き出す前は思ったが、やっぱりそういう問題ではなかった。書きたいことを、ただ書いているだけだ。そこに人の目を気にする余地なんて無かった。

今回、自分は色んなきっかけをもらって、一歩目を踏み出してみた。
実は皆、そんなタイミングを待っているのかもしれない、と思う。
それならば、自分はこの奨学金を通じて、誰かのきっかけを増やしたい。それは、自分が沢山もらってきたものだから。

日下秀之奨学金」現在募集中!(シェア希望) 
 2020/12/16(水) 23:59〆切

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ぴでゆき
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