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ヴィドゥラの沈黙の中の真実:ドリタラーシュトラの旅支度と、隠されたヤーダヴァ族の全滅

第一巻第十三話 ドリタラーシュトラの森への旅立ち

ー スータは続けた ー
諸国を巡礼していたヴィドゥラ(ドリタラーシュトラやパーンダヴァ兄弟の父の異母兄弟)は、偉大な聖仙マイトレーヤからアートマンの教えを受け、ハスティナープラに帰還した。マイトレーヤとの対話中、ヴィドゥラの心にゴーヴィンダ(クリシュナ)への強いバクティが芽生え、さらなる質問を控えた。帰還すると、ユディシュティラや兄弟、ドリタラーシュトラ、一族の者たちはヴィドゥラを抱きしめ、長い別離に涙を流した。ヴィドゥラが食事を終え席に着くと、王は謙虚に頭を下げて話しかけた。

「あなたはビーマへの毒殺計画や蝋の館の火災など、私たち母子を多くの危機から救ってくださいました。巡礼の旅の間、どのように身体と魂を保っていたのですか?訪れた聖地や巡礼地はどこでしょう?そして、親愛なる叔父様、クリシュナやヤーダヴァ族(クリシュナの一族)の人々は、ドワーラカーで元気に暮らしていましたか?」

ヴィドゥラは見聞きしたことを話したが、ヤーダヴァ族の滅亡については告げなかった。慈悲深い彼は、親族が嘆くのが忍び難く、その知らせを伏せた。いずれ事実は知られると考えたからである。彼は親族から神のように崇められ、ハスティナープラでは兄ドリタラーシュトラの幸福を気遣い、皆を喜ばせようと努めた。
聖仙マーンダヴィヤの呪いにより、ヤマ神はシュードラの肉体(ヴィドゥラ)に生まれ変わり、アリヤマン(神々の母アディティの第二子)が、懲罰神ヤマに代わり悪人を処罰していた。一方、ユディシュティラは孫の誕生を喜び、守護神のように強い弟たちと共に栄華を楽しんでいた。彼らが家庭に愛着し現世の活動に没頭し、人生の目的を見失う中、制御できない「時」は静かに過ぎ去っていった。

ヴィドゥラは兄ドリタラーシュトラに言った。「ご覧ください、全能の『時』が訪れました。私たちはすぐに去らねばなりません。叔父(ビーシュマ)、兄弟(パーンドゥらの父)や従兄弟、息子(ドゥルヨーダナ)たちも去り、あなたの人生も終わりに近づいています。老いた肉体で他人に頼る生活を送るだけで良いのでしょうか?あなたが黙認したために、パーンドゥたちは火を放たれ、毒を盛られ、妻は辱めを受け、土地や財産も奪われました。その彼らにすがる生活で、一体何を成そうというのですか?それでもまだ生きようと望むのは、なんと愚かなことでしょう。年老いた肉体は擦り切れた衣のように捨てる時が来るのです。この世への執着を捨て、全ての束縛を断ち、親族に知られることなく遠くで肉体を捨てる者こそ賢者です。達観し、心を制御し、ハリ(取り去る者,ヴィシュヌやクリシュナの別名)を心に家を離れ遊行僧となる者は、人の中で最も高貴とされます。
あなたは誰にも知られないように北のヒマーラヤヘ向かうべきです。やがて時代は、人々の徳を全て奪い去るでしょう。」

弟ヴィドゥラに諭され、盲目のドリタラーシュトラ王はついに心の目を開き、親族への愛の絆を断ち切った。そして、妻ガンダーリーと共に、ヴィドゥラに導かれ旅立った。ヒマーラヤは遊行僧にとって喜びの地だった。
ある日、ユディシュティラ王が年長者の家を訪れると彼らの姿がなく、不安を覚えた王はサンジャヤ(盲目王の忠実な家来)に尋ねた。
「サンジャヤよ、盲目の王と叔母はどこへ行ったのか?叔父ヴィドゥラは?皆、私の酷い仕打ちを嘆いていないだろうか?」

ー スータウグラシュラヴァスは続けた ー
サンジャヤは主人の失踪に苦しみ、しばらく言葉を失っていたが、涙をぬぐいながら答えた。「あの尊い方々に私は欺かれました!」その時、聖仙ナーラダがトゥンブル(音楽の才能や霊的な力を持つガンダルヴァ)と現れた。ユディシュティラと兄弟たちは彼らを迎え、尋ねた。「神の如き聖仙よ、彼らはどこへ行ったのでしょうか?あなたがこの悲しみを解いてくれるはずです。」聖仙の中の最高者ナーラダは静かに答えた。「王よ、嘆く必要はありません。全ては神の御手にあります。主が生き物を結びつけ、また離すのです。永遠(アートマン)も束の間(肉体)も、あるいは永遠かつ一時的(ジーヴァ)、そのどちらでもない(ブラフマン)と見なそうとも、嘆く価値はありません。それらは無知からくる執着に過ぎないのです。ユディシュティラよ、自分がいなければ彼らが苦しむなどという、無知から生まれる心配を捨てなさい。
粗大な要素からなる肉体は、時(カーラ)と運命(ニルディシュタム)、そしてプラクリティのトリグナの支配下にあるのです。手を持たない生き物は手のある生き物の、足のない生き物は四本足の動物の食物となり、小さなものが大きなものの食物となるでしょう。この世は一つの生命を他の生命が支えているのです。そしてこれら全ての生き物はただ一者である主、全ジーヴァに宿るアートマンそのものなのです。主が主体と客体の両者となり顕現しているのです。主がマーヤーによって多様な姿をとっていることを理解すべきでしょう。全創造を生み出す主が、神々の敵を滅ぼす為に、カーラ(時間)となってこの地上に姿を顕しているのです。神々の仕事はほぼ達成され、主は残された仕事が全て終わるのを待っています。

ドリタラーシュトラとヴィドゥラ、ガーンダーリーの三人は、聖仙たちの庵へ向かいました。そこは「サプタスロータ」と呼ばれ、ガンガーが七人の偉大な聖賢(サプタリシ,各時代に現れ人類に知識と霊的な導きを与える,北斗七星に象徴される)のために自らを七つの支流に分け、七方向へ流れる聖地です。彼はそこで沐浴し、聖典に従い供物を祭火に捧げ、水だけを口にして平安に過ごしていました。姿勢と呼吸を整え、五感と心を制御して主を瞑想し、心の汚れを浄化しました。自我(エゴ,アハンカーラ)をブッディ(理性)に、ブッディをジーヴァ(個別の魂,限定されたアートマ)に、ジーヴァを絶対存在(ブラフマン,大我)に帰入させ、心と感官を完全に支配し、グナの影響を断ち切ったのです。全ての義務から解放され、不動の境地に達しました。五日後、彼は肉体を捨て灰となり、妻もその火の中に入るでしょう。ヴィドゥラはその様子を喜びと悲しみを抱えて見守り、やがて巡礼の旅に出発するのです。」
語り終えると、聖仙ナーラダはトゥンブルとともに天界へ昇り、ユディシュティラはその言葉を心に刻み、悲しむのを止めた。

※※※
聖仙マーンダヴィヤの呪いで、ヤマ神がヴィドゥラとして人間に生まれ変わった⁈ いやはや、これぞまさにドラマチックな輪廻劇場!気になるから、ちょっと調べてみるね。

聖仙マーンダヴィヤは、厳しい修行と徳を積んだ偉大な聖者だったけど、ある日、逃走中の盗賊団が彼の庵に逃げ込んだせいで、なんと聖者も一味と見なされお縄を頂戴する羽目に。しかも無実なのに、極刑「刺しの刑」! 修行の賜物で、拷問の苦しみを超越しつつも、彼はずっと「これ、どう考えてもおかしくねー?」と冷静に考え続けたわけです。そして、瞑想を通じて、過去世の罪が原因だと悟ると、直接ヤマ神の元を訪れることに。
マーンダヴィヤは怒り心頭でヤマ神に訴えます。「おいおい、私は子どもの頃、何の悪意もなく草の枝で虫を刺して遊んでただけ。それが原因でこんな残酷な刑罰って、いくらなんでも理不尽すぎるやろ!?」と。彼は自分への不条理な裁きを断固糾弾し、「正義に対する知識が足りないんじゃないの?」とカルマの裁定者ヤマ神を厳しく非難。さらには、「お前こそ不正な裁きをしたんだから、次はシュードラ(下層階級)として生まれてみろ!」と呪いをかけてしまいます。
この結果、ヤマ神はヴィドゥラとして、王と召使いの母の間に生まれ、シュードラの身分で人生を送ることに。それでも、「マハーバーラタ」や「バガヴァット・ギーター」で知恵と忠誠心あふれる人物として大活躍。つまり、これはマーンダヴィヤ冤罪事件の責任をとる話しだった、ってことになる。

この一件以来、「15歳以前の行為は、カルマの観点から重大な罪として罰せられない」という新ルールが誕生!つまり、無知で無意識な子ども時代の行為は、大人の過ちと同じようには裁かれない、というカルマの改訂版。これで、子どもがうっかり虫を刺しても、後に重い罰を受ける心配はなくなったわけです。
さらに、この一件はただの「子ども保護法」ではなく、カルマの裁定者たち、つまり神々にさえ倫理や責任が問われるという、神々にとってもなかなかシビアな教訓になったんです。要するに、カルマの仕組みも時には見直しが必要って話かな。

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