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さよなら、肉体!ヨーギー流エレガントな手放し方

第二巻第二話 二種のムクティ(解放)のあり方

聖シュカは続けた。
「アートマヨーニー(アートマンから生まれた者,ブラフマー神)は、ダーラナー(集中)によって主を喜ばせ、その結果、プララヤ(消滅,ナイミティカ•プララヤ,ブラフマー神の一日終わり)の間に忘れ去られていた知識を、主から創造の夜明けに授けられました。これを理解したブラフマー神は、宇宙を破壊前と同じように再び創造しました。
人はマーヤーによって形作られたこの世界で幸福を求めますが、真の幸福を得ることはできません。賢者は楽しみを、肉体を維持できる程度に留め、たとえカルマによってそれが得られたとしても、執着せず、無益な努力を避けるべきです。
多くの人々がヴァイタラニーの河(生と死の境界にあり罪ある魂が苦しむ場所)に等しい世俗の世界に囚われ、過去の行為の結果(カルマの果報)に苦しむ様を目にするなら、誰がその最高者への瞑想を止め、感官の満足を追い求めるでしょうか?

ある人は、心の空間に住む親指ほどの大きさの主を瞑想によって心に固定します。その主は四本の腕を持ち、それぞれに蓮の花(純粋性•霊的成長•解脱)、円盤(宇宙の秩序•正義•力•永遠性)、法螺貝(神聖さ•創造•音)、槌矛(力•知識•規律)を携えています。快活な表情で蓮のような美しい目を持ち、黄色い衣を纏い、両腕には宝石が輝く金の腕輪、耳飾り、そして王冠を身につけています。
ヨーガに通じた導師は、心に咲く蓮華の上に立つ主の御足を崇めます。主の左胸にはラクシュミーの金の印が輝き、首には赤い輝きを放つカウストゥバ宝石(乳海攪拌で現れた特別な胸飾り)が飾られています。胸にはヴァナマーラー(森林の花輪•トゥルシー,ロータス,ジャスミン,マリーゴールドなど)が美しく纏われています。主は指輪、アンクレット、ブレスレットを身につけ、腰にはベルトを巻き、美しい黒い巻き髪と光り輝く笑みを湛えています。その姿は見る者にとって、この上なく魅力的でしょう。
主は慈悲を眉の動きで示し、戯れるような笑みと眼差しでその美しさを際立たせます。心が瞑想に確立するまで、このような主の姿を見つめ続けるべきです。槌鉾を持つ主の足先から微笑む顔の表情まで、身体の各部分を細かく思い描きます。理性が浄化されるほど心も定まり、さらに他の部分を明瞭に想像できるようになります。このようにして、バクティによって心が完全に定まるまでは、一日の終わりに最も壮大な主の姿を瞑想すべきです。

パリークシットよ、肉体を捨てるとき、心を時や場所に執着させてはなりません。楽な姿勢で座り、呼吸を制御し、感官と心を制御するのです。理性をもって心を管理し、理性をクシェートラジュニャ(身体や物質世界を知るもの•個別の魂)へと帰入させます。さらに、クシェートラジュニャを普遍の魂であるアートマンに帰入させ(純粋な意識であることを悟る)、アートマンを究極の真理であるブラフマン(宇宙の源,大いなる一つ)に帰入させるのです。
心の平安を完全に得た者は、すべての活動を手放すべきです。この境地に至った賢者には、神々を支配する「時」ですら影響を及ぼすことはできません。その状態では、サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(鈍質)は存在せず、自我意識やマハト(普遍知性)、プラダーナ(根本原質,プラクリティ)さえも消え去るのです。
神以外のものを「そうではない」(ネティ•ネティ)と否定し、自分自身を肉体と同一視する思いを捨てなさい。そして、主ヴィシュヌの姿を絶えず思い続けなさい(アートマンを自身の内に見出し、それがヴィシュヌと同一であることを悟る)。あらゆる聖典は、主の姿こそ、全てに遍満する主の本質そのものであると宣言しています。
聖典から得た智慧によって、感官の満足への渇望を鎮めたヨーギー(ヨーガを実践する人)は次の方法で肉体を捨てます。まず、シッダーサナ(完璧座)で踵を肛門に押し当て、感情を静め、六つのチャクラを通じて「気息」(プラーナ)を上昇させます。次に、臍付近のマニプーラカ・チャクラにあるプラーナを、アナーハタ・チャクラ(心臓の位置)へ引き上げます。続いて、そのプラーナをウダーナ(プラーナの上昇力)を用いて胸上方のヴィシュッディ・チャクラ(喉の根元)まで運びます。理性の力でさらに喉の頂点に押し上げ、気息の七つの通路(眼,耳,鼻,口)を閉じ、アージュニャー・チャクラ(眉間の中心)に導きます。
ここで、約30分(半ムフールタ)集中を保ちながら、気息を頭頂のサハスラーラ・チャクラへ上昇させます。最終的に、ブラフマランドラ(頭頂部)を突き破り、肉体と感官を超越して神(ブラフマン)との合一を果たすのです。

もしヨーギーがブラフマローカ(ブラフマー神の住処)に行きたい、または八つの超自然的な力(アシュタ•シッディ)を得てシッダたちと共に大気中を自由に動き回り、さらに宇宙の他の世界へ行きたいと願うなら、王よ、肉体を離れる際には心とインドリヤ(微細な感覚能力/ スークシュマ•インドリア)を共に持っていくべきです。
厳しい苦行、ヨーガ(神との合一)、ジュニヤーナ(悟りの智識の獲得)を実践したヨーギーの身体は風のように微細になり、この三界(地上•天界•天上界)の内と外を自由に往き来できるとされています。しかし、単にカルマ(行為の結果に執着する行為)だけでは(行為の結果に無執着な行為/ カルマ•ヨーガでなければ)、そのような自由な境地には至れません。
ああ、王よ。ヨーギーが輝くスシュムナー管(脊髄にある微細なエネルギー経路で、7つのチチャクラを繋ぎ霊的成長を促す道)を通ってブラフマローカへ向かう時、大空を抜けてヴァイシュワーナラ(宇宙の火,火の神)の世界に到達します。そこで一切の汚れを浄化した後、シシュマーラ(ガンジス河イルカの形をした星座)とされる星空(第五巻第二十三話)へ昇ります。
この星空は宇宙の回転軸(臍)に相当し、ここを越えると、ヨーギーの身体は最も微細で純粋な形(スークシュマ•シャリーラ:心•生命エネルギー•カルマの記録からなる微細体:リンガ•シャリーラ)となります。そして、物質的束縛を超えた魂が解脱を目指す世界であるマハーローカへと進みます。この世界では、神々が喜びに満たされて暮らしています。
そして、眼下のすべての世界が主アナンタの口から出る炎に包まれて燃え上がる光景を目にしながら、彼はブラフマー神の世界(ブラフマローカ)へと昇ります。この世界は、シッダの中でも最も高位の者たちが2パラーダ(ブラフマー神の一生)もの長きにわたって住む領域です。
ここには悲しみ、苦しみ、恐れといったものは一切存在しません。ただし、この世界で感じる唯一の痛みは、生死を繰り返し苦しみ続ける人間を目にした時に湧き上がる心の痛みです。
その後、リンガ・シャリーラは「地」と融合し、地球を包む7つの層を順に貫いていきます。その身体は「水」の身体へと変化し、「火」の層へ進みます。さらに「火」の身体となって「風」の層を通過し、最後に時の経過と共に、無限のブラフマンを象徴するアーカーシャ(空間)の層へと到達します。
ヨーギーは、嗅覚を通じて「香」の要素(タットヴァ)に、味覚を通じて「味」の要素に、視覚を通じて「色」の要素に、触覚を通じて「触」の要素に、聴覚を通じて「音」の要素に帰り、また、行為器官(足,手,口,眼,耳,鼻)を通じて運動の力に帰っていきます。こうして、すべての要素はそれぞれの微細な姿へと戻っていくのです。
このように五種の粗大な要素(パンチャ・マハーブータ:地,水,火,風,空)と五種の微細な要素(パンチャ•タットヴァ:音,触覚,色,味,香)の層を越えた後に、ヨーギーは自我意識(アハンカーラ)の世界へ進みます。五種の微細な要素はターマシカ的(タマス)な自我意識へ、感覚器官はラージャシカ的(ラジャス)な自我意識へ、器官を支配する神々と心はサートヴィカ的(サットヴァ)な自我意識へと戻ります。最終的に、自我意識は宇宙的理性の原理(マハト•タットヴァ)へと帰り、プラクリティ(物質原理)に帰還します。
そして最終的な帰滅(プララヤ)に至ると、ヨーギーはその喜びに満ちた身体を主なる神と合一させます。パリークシットよ、この神的な完成を得た者は、二度と物質界に戻ることはありません。王よ、これがあなたが質問したヴェーダで説かれる二つの永遠の道です。かつて、ブラフマー神が主ヴァースデーヴァに質問し、教えられた道でもあります。

第二話では、パリークシット王がシュカに二つのムクティ(解放)について尋ねるという内容は登場していません。この章では、神の神聖な性質や人間の身体の霊的な構造とその終焉に関する教えが述べられています。

サンサーラ(循環:輪廻)の渦に落ちた者にとって、ヴァースデーヴァ(クリシュナ:ヴィシュヌの8番目の化身)への信仰こそが唯一の祝福された道です。ブラフマー神は三度、ヴェーダを研究した結果、主クリシュナへの信仰が最高のダルマであると理性によって結論づけました。
すべての存在の中で、シュリー・ハリだけがアートマン(自我意識,魂)として存在します。理性や物的対象は、主の存在を理解するための手段に過ぎません。したがって王よ、全身全霊でシュリー・ハリを聞き、語り、思わなければなりません。聖者の語る、宇宙の大霊である主のアムリタ(霊薬)のような物語によって、感官の楽しみに汚れた心が浄化され、やがて主の蓮華の御足に近づくことができるのです」

※※※
「または八つの超自然的な力を得てシッダたちと共に大気中を自由に‥」このくだりを読んだ時、ドキドキしたよね?ではちょっとだけ紹介。
「極小化、巨大化、軽量化、重量化、到達力、意志実現力、支配力、制御力」の八つの超能力が、ヨーガや瞑想、自己制御を極めると棚ぼた式でやってくるらしい。
これってゴール?いえいえ、ただの通過点。ヨーガ哲学では、これらの力はスピリチュアルな進化の副産物。寄り道しすぎると、最終目標である解脱が遠ざかります。究極の目的は、こうした能力を超えて、神との合一を果たすこと。だから、ヨーギーのみなさん、この力を目指すことなかれ!

私が注目したのは「物質的束縛を超えた魂が解脱を目指す世界であるマハーローカへと進みます。この世界では、神々が喜びに満たされて暮らしています」のくだり。えっ、神様って悟ってないの⁈って驚いちゃった。それでちょっと調べてみました。
彼らは宇宙の法則を管理する役割を担っていて、インドラが雷と天界を仕切り、アグニが火を担当するなど、それぞれ専門分野で活躍中。この地位は過去の行為(カルマ)の成果として獲得した「努力賞」みたいなもの。とはいえ、スピリチュアルな観点では、まだ成長途中。欲望や執着といった物質的な束縛からは自由だけど、残念ながら輪廻のサイクルからは脱出できていません。しかも、その地位も永久保証じゃない。カルマのポイントが尽きたら、また転生しなきゃいけないんです。
さらに驚きなのは、神々ですらマハーローカやさらに高次のタポローカ、サティヤローカを目指し、解脱やブラフマンとの合一という究極のゴールに向けて努力し続けなきゃならないということ。要するに、神様もまだスピリチュアル界を修行中ってこと。
結論?神々って確かにすごいけど、私たち人間と同じく、成長の途中なんです。彼らの世界も、解脱への通過点に過ぎないってわけです。

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