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悲しみからとったダシがこれほどうまいとは 連載⑨

高校生のとき、アニメのワ〇ピースが自分の中でかなり流行っていた。 (世間的にもかなり流行っていた…ん?今も流行っているか) 私は特にサ〇ジくんとロ〇ンちゃんが好きで、二人の二次創作をマンガや小説で書いていた。 そう、書いていた。 書いていたのだ。 ただの二次創作ならまだマシだろう。 私が書いていたのは、二次創作は二次創作でも、エロい方の二次創作だった。 だけど、エロい二次創作なんて他の誰かも、かなり書いていたため、そこまで特筆することではない、とこれを読んでくれている人は思

    • 悲しみからとったダシがこれほどうまいとは 連載⑧

      聞かせて欲しいよ。 ダーウィン。 私の毎日はいつから息を吹き返したのだろう。 最近そんなことを考える。 高校3年生のときの私にはたったひとりだけ心を救ってくれる人がいた。 もう何年も前のことだ。 10年はとうに過ぎている。 その人と私は毎朝同じ電車に乗っていた。 その人はサラリーマンらしく毎日くたびれたスーツを着ていて、私はといえば偽物の制服を着て、どうしようもない日々をやり過ごしていた。 私とその人は毎日、電車のドア際に立ち、頭を預け、死んだように窓の外を見ていた。 も

      • 悲しみからとったダシがこれほどうまいとは 連載⑦

        書くこととは何だろうと思う。 書くことで何かをしたいのなら、それで生きていきたいのなら、何かを捨てるくらいの気持ちでいなくてはいけないのではないだろうか。 私は小学生のとき、あるものを捨てた。 いや、奪われた。 それは「歯」である。 小学生のときの冬のことである。 私の地元はかなり寒い地域で、冬は炬燵、ストーブ、電気毛布、電気ストーブのすべてを駆使して寒さを凌いでいた。 しかも、我が家は田舎のため家が古く、窓も大きいため風が吹き込みやすかった。 そう、非常に寒いのである。

        • 悲しみからとったダシがこれほどうまいとは 連載⑥

          人の家に行くとどうしても本棚が気になってしまう。 その人が何を読み、どんな本と今までを共にして来たのかを知ることができれば、あとはもう大体のことが分かるのではないかと思う。 小学6年生のとき「月のふね」というとても好きな本があった。 作者は森絵都。 何回も借りては朝の読書の時間、繰り返し読んでいた。 その頃から学校という物が監獄であった私には、毎日の登校も、日々の勉強も、友達付き合いのどれもが苦痛でしかなく、毎日が憂鬱だった。 先生は刑務官。 脱獄という名の早退をしたって

          悲しみからとったダシがこれほどうまいとは 連載⑤

          過去をめぐるといつもどれもまやかしだったのではないかと思う。 あんなにつらく苦しい日々だったのに、もうほとんどのことを何も感じなくなって、ただ昔の思い出話のように遠い記憶になっている。 だけど、未だに心の中、深く刺さって抜けない棘は確かにあり、私は今もあのときの自分を責め続けている。そしてまた、私はまだずっと自分を責め続けなくてはいけないとも思う。彼女が許してくれるまで。 彼女、仮の名前をSちゃん、としよう。 Sちゃんと私は共通の詩の先生に指導を受けていた。 お互い、詩を

          悲しみからとったダシがこれほどうまいとは 連載⑤

          悲しみからとったダシがこんなにうまいとは 連載④

          特に何か嫌なことがあったわけでも、格段勉強ができなかったわけでもない。ただ、小学生の私は1年生の頃から「この牢獄があと5年以上続くのか」と嘆いていた。 そして私の我慢の限界は小学4年生のある日に突然訪れる。ネジはいきなりプツっ飛んで行ったのである。 どうしたって、何したって、学校に行きたくない。 原因なんか死ぬほどあるだろう。 当時の男性教師の担任を生理的に受け付けられず、毎日気持ち悪く感じていたとか、友達と言える女の子たちのいざこざに巻き込まれるのが異常に面倒くさかったと

          悲しみからとったダシがこんなにうまいとは 連載④

          悲しみからとったダシがこれほどうまいとは 連載③

          発病したのは、高校二年生のときだった。 電車の中、知り合いはひとりもいないのに、誰かの視線を感じる。視線の方向を見ると黒い服を着たひどく陰鬱な男がいて「死んじまえよ」と言ってくるのだ。 その声を境に乗客全員に「死ね」と言われる。 私にとって電車や人混みは地獄で、だからと言ってひとり歩く道が避難所でもなく、ひとりになればひとりになったで、また先程の黒い服を着た男が現れて「死ね、死ね。お前の日々が何になる?お前の日々に価値があると思ったことあるか?お前は、どの生物よりも、どのゴミ

          悲しみからとったダシがこれほどうまいとは 連載③

          悲しみからとったダシがこれほどうまいとは 連載②

          ピザ屋になったことも、ピザ屋の彼女になったこともない。 私にとってアルバイトというものは鬼門中の鬼門であり、これまでのバイト経験から言って、働くということは恐怖心を与えられる物だと思っていた。 最初のバイトは大学を中退した2012年。 地元の本屋の中の喫茶店だった。 面接に受かり、張り切って出勤した私にバイトの神様は初っ端からローキックを食らわせて来た。 どう頑張ってもトレーが持てない。 よくウェイトレスさんがやるトレーの裏側に手を置き、トレーを持つ方法がまったくできない。

          悲しみからとったダシがこれほどうまいとは 連載②

          悲しみからとったダシがこれほどうまいとは 連載①

          中学時代剣道部だった私。 練習をほぼサボっていたためか、そもそも素質がないだけか、ひどく弱く、得意技は小手を見せつけておいて、騙し打ちして面を打つ小手面。 かなり卑怯な技ばかり使っていた。 そういった技ばかり使うから、他校の生徒には「ペテン師」と呼ばれていた。 そんな中学時代を送っていた私は当たり前に剣道部でもイジりを受けており、それは顧問にまでおよび、私は毎朝、顧問に朝食を聞かれていた。 「〇〇さん、朝食は何を食べましたか?」 私の本名が呼ばれ、朝食を聞かれ出したのは忘れも

          悲しみからとったダシがこれほどうまいとは 連載①