「好き・嫌い」ではなく、「自分に合う・合わない」と表現する。
「私、あのアーティスト好かん。」
祖母に私の好きなアーティストのことを「好かん」と言われた。声や歌い方が嫌いらしい。もうどんなにそのアーティストの長所を言っても無駄だと思い、話すことを止めた。
自分の好きなものを否定されたことは、私自身を否定されたように思われて、何日もその言葉が頭の中でループした。
しかし私も同じように、相手の気持ちを考えずに自分の「好き・嫌い」を押し付けることがある。知らず知らずのうちに傷つけた人がおそらく何人もいるだろう。
そのように「好き・嫌い」を伝えたいときに都合よく使えるのが、「自分に合う・合わない」という表し方だ。
人や作品に対しての「好き・嫌い」と、食べ物に対しての「好き・嫌い」では、感じ方が異なるように感じないだろうか?
前者では、私が祖母に言われたときのように自分を否定された気持ちになったが、後者では、「自分に合う・合わない」の「好き・嫌い」と同じ意味になり、人を傷つけないと気づいた。(野菜などの「好き・嫌い」であれば、農家さんを傷つけることになるが、それは置いておく。。)
また、「自分に合う・合わない」という言葉には、他にも都合がよいポイントがある。
「あの映画すっごくよかったんだよねー!」と友達から聞いて、見てみるとつまらなかったとき、この言葉がもし、「あの映画、今の自分に合っていてすっごくよかったんだよねー!」だったら、どうだろう。
後者の方が、たとえ映画がつまらなくても、友達に対してマイナスの感情を持つことはないと思う。
「好き・嫌い」も「自分に合う・合わない」も主観で自分の考えや思いを伝える言葉である。しかし、人はそれぞれ異なることを前提に置いた後者を、私は使っていきたいと思う。