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ドーピングと核武装 (アンチ・ドーピングと日本国憲法)Ver. 1.00

Ver. 1.00:  再度タイトル変更し、「格闘キャスト」のリンクを本文の最後に置きました。
ONE Championshipのチャトリ・シットヨートンCEO兼会長は、『ONE on Prime Video 1』と『ONE 160』が、今後の新たなアンチ・ドーピングシステム採用の最初の大会であることを語っている。*220901
Ver. 0.92:  *220901と、細部を修正しました。
Ver. 0.91:  タイトルと細部を修正しました。
Ver. 0.9:  編集前で支離滅裂ですが緊急公開します。Ver. 1.0では不足している写真が入り有料にする予定です。大沢ケンジ、青木真也、鈴木千裕、平本蓮等が登場します。

「おらが村の米は世界一」って言うムラ人が世界の米を食った事がないのは島国日本の性質をよく表した笑い話だが、神の子だから犯罪を働くのは全て大陸出身者のようなヘイトスピーチもさんざん聞いてきた平成令和時代。

三十年前、カリフォルニアのスーパーで買って自炊した1ポンドの霜降り牛肉と米は安くて美味だった。硬い赤身が好きな肉好きアメリカ人だが、探せば霜降りもあるし、米もタイ米でもジャポニカ米でも何でもあった。カリフォルニア米は同じ炊き方をすれば、国産米と全く遜色ないものだった。

元々日本海は湖だったらしく、証拠として日本海側でマンモスの骨が出る。稚内と樺太は非常に近く、樺太を北上すれば大陸に接近する。千島列島も太古には繋がっていたと思われる。大陸を少し経由すれば、これも陸地であった事を思わせるアリューシャン列島が北米大陸に続いている。これも証拠として、北米の原住民や南米のペルー等で縄文時代に同じ人種が存在したと断定できるDNAが確認されている。

僕達日本人は大陸と分断後に縄文系の遺伝子と弥生大陸系の遺伝子が交雑した、詳しく言えば、数種の北方系遺伝子と南方系遺伝子の交雑で形成されている。よく国威高揚を狙う方々が仰る万世一系、単一民族などは夢物語。民族を文化的なものと限定したとしても、アイヌや琉球は異なった民族。

もともと日本人は人種的に言えば、縄文大陸系の人が狩猟などで移動し、土着民として列島に分布していた。正確に言えば縄文系も北方系と南方系では異なるし、尾藤イサオさんのような顔も最新の復元では縄文人に多い顔相と言われている。エスキモーなどゲーム・オブ・スローンズで言えば「野人」のような一族と考えられ、彼らはアラスカから南米まで移動したと考えられており、物証からも確かめられています。

南方系縄文人と渡来系弥生人

実際には尾藤イサオ系の顔をした縄文系も多かったようですが話が複雑になるので南方系の大沢ケンジさんのような風貌を縄文系としましょう。大沢ケンジさんの風貌の特徴は天然パーマ、低身長、扁平顔、濃い毛髪と体毛です。縄文系でも南方系の沖縄・奄美大島辺りに多そうな風貌です。同時に東北・北海道にも言語を含めて共通性を感じます。

大沢ケンジ

尾藤イサオさん系もそうなのですが一般に縄文系は低身長である事が格闘技には重要です。天パや体毛はどうでもよろしい。いや、大沢ケンジさんは髭の濃さは強さと相関関係があるとよく解説で仰っていますが。そんな事はどうでもよろしい。

最新の縄文人の復元模型
尾藤イサオ

身長が低いと言うのは比較の問題であって何に対して低いのかと言えば弥生系、即ち大陸系に対して小型である。ここでは弥生渡来系の代表を同じくONEの解説席を争う青木真也とする。ご存知の通り青木真也は体重の割に手足も長く身長も平均的日本人よりかなり高い。この日本人ばなれしたフレームは体重制を採る格闘技の試合では有利と言える。競技には向き不向きがある。

則ち、日本人のベースを為す縄文人的体型の特質は戦闘に不向きだと言える。歴史的に縄文人は戦闘を好まなかったと言われている。これは性格が温厚だったとする説もあるが、戦闘では有利になれなかったからであるとも言える。

そもそもなぜ「野人」達が寒い地域に住まなければならなかったのか。ベーリング海を渡ってアラスカ、北米、南米まで移動しなければならなかったのか。それはバイキングのような人種と戦っても勝ち目がなかったからではないだろうか。安住の地を求めてインカ帝国を作り、天空の都市マチュ・ピチュを作ったのではないだろうか。

さて、OneChampionshipの解説席に目を向けると、相手と馬鹿騒ぎする大沢ケンジと、独り黙々と喋り続ける対象的な青木真也だが、本人も自覚はしているのだろう、柄にもなく「ファミリー」一家を強調する。マフィアやヤクザの一家も結局は自分たちさえ良ければの世界なのだが・・・

このように身体的特質やらそこから来る性格が人種によって異なるように見える。そしてここからが本題のドーピング。

我々日本人は神の子であるから鬼畜米英には負けない、アジアを代表して理想国家経営するリーダーたれと教え込まれてきたが、第二次世界大戦は当然のように敗北した。これは根性の問題ではなかった。

日本人は縄文の遺伝子が主流であり、その事によって体格が欧米人に劣る。そこで様々な武術や武道で優秀な戦闘員になることが求められた。小さな体で大きな体に勝つためには不断の努力でトレーニングを積まなければならない為、根性論を叩き込まれた。戦争が終わっても我々の世代は「巨人の星」や「空手バカ一代」によって努力すれば欧米人にも勝てると教わってきた。

それは令和の時代でも残っておりオリンピックでは国費を注いでいるのだから金メダルを取らなければならない、恥ずかしい事をしてはならない。こうしてお国の思惑が公立学校で教え込まれ、二宮尊徳を敬いなさいと銅像が建てられる。

話が反れた。小さな日本人が勝つ為に手っ取り早いのは「科学の力」あるいは「化学の力」、「ドーピング」である。

昔の日本人は戦闘と一緒に武士道も叩き込まれていたので、卑怯な事が嫌いだった。これは日本の誇る美徳だった。しかし敗戦後の日本は金の魅力に取り憑かれ、関を切ったように金儲けに走った。心の中に良心を残したまま。

ご存知のように今の世の中はほぼ金が支配している。昭和の頃より令和の今のほうが金の力が勝り、その分良心が減った。これがそのまま格闘技やスポーツにも現れてきた。

昭和の頃はスポーツで金になるのは野球くらいで、格闘技は寸志程度の金にしかならなかった。プロレスや大相撲はショーが主体なので、金を儲けるには良かったがスポーツと呼ぶには誰でも目指せるようなものではなかった。

平成になると格闘技では総合格闘技が現れたが、修斗ではまだ金儲けとは程遠い世界であり、グレイシーがUFCで活躍してから様子が変わってきた。日本でも金、金と騒いでいた者がいたが、結局ビジネスはアメリカからだった。

日本ではリングスやK-1がプロレスの手法を用いて金を儲け始めた時代だった。リングスやパンクラスの選手達が外国人に挑むが、日本最弱とまで言われた時代だった。こうしてヒクソンに挑戦し、破れた日本が世界に挑むリングとしてPRIDEが生まれた。

プロレス的手法でしか金儲けできない日本格闘技の性質は今なお残っているが、UFCは比較的まともな道を歩み、結局PRIDEも吸収する形となり日本の格闘技界は冬の時代を迎えた。PRIDEの社長は謎の死を遂げ、負の遺産を抱えたまま榊原氏がRIZINを始める事となる。

支離滅裂な文章構成になってしまったが「ドーピング」は小さな日本人にとって一番必要な科学的要素なのだが「卑怯を嫌う教育」はそのようなものに手を出させなかった。オリンピックで東欧諸国が国威高揚の為に積極的にドーピングを利用しても、日本人は武士道の手前そんなものには手を出さなかった。

しかし時代は流れ、アジアに OneChampionship も出現し複数年契約できれば、つましい生活をするなら一生不安の無い人生が送れるほどの金が得られるようになった。こうなると一攫千金、武士道精神などはどこかに消えて無くなる。

ドーピング問題に一番敏感なのは、実際に競技を行っている選手だと思う。新生K-1の城戸選手などは有り得ない力で殴られれば分かると言っていた。そしてドーピングチェックの必要性を武尊とともに唱えていた。僕は彼らに期待した。

その後、待てど暮らせど城戸選手はおろか、武尊も那須川天心も総合の選手からもドーピングの話を聞いた事が無い。これは非常に不思議な話だ。考えられるのは、経費的にマイナスになる運営母体からの箝口令が敷かれていると考えるのが普通だろう。余計な事を言って干されるのを恐れて黙っているのだろう。

真面目にトレーニングしても勝てない選手達の不満たるや普通ではないはず。勝てないだけでなく怪我をさせられるリスクが普通にあるのだから。ここで選手達は決断を迫られる、このままやられっぱなしになるのか、自分もやるかの選択を。

プロスポーツ競技選手は人にもよるがアマチュアではないのだからこれで金を儲けて生活し、家庭を築きたいはずだ。負けてばかりいれば、それは実現しないどころか身体的損傷まで受けてしまう。

競技である以上ルールが全て。ルールで禁止されていない、もしくは文面上の記載はあるが実効を伴わない、則ちドーピングチェックが実際には行われないと分かっているならどのように判断するか。許されていると判断しても致し方ない。

ルールで厳しく取り締まられていないなら、ドーピング有りの王者を目指すのも選手としては正しい判断とも言える。ドーピング技術は科学技術であり、UFCのようにチェックしてもそれをすり抜ける技術は存在する。いたちごっことも言われる。しかし選手も命のリスクを負う。

それにしても最近MMAを見ていると無尽蔵のスタミナに驚かされる。パワーと言うよりあれだけ力を使えば、残っているスタミナは無いはずなのに、そこからまた攻撃を加える、復活する。これではドーピング無し選手の勝ち目は少ない。

例えば近い将来組まれているカードで言えば、鈴木千裕のような選手。2分間殴りっぱなしで相手を倒すスタイル。たった2分と思われるかも知れないが、相手も攻撃してくる中の2分は練習の2分とは異なる。中距離走をしながら攻撃や防御をしているようなもの。辛さが分かる人もいるだろう。

鈴木千裕選手がレベルアップするには簡単だ。ドーピングすれば良い。そうすればまた次のラウンドでも同じようにラッシュできるだろう。実際、ONEChampionshipを観ているとそのような外国人選手が珍しくなくなった。

あるいは対戦相手の平本蓮選手が対抗するにもドーピングはとても有効だろう。鈴木千裕選手は当然のようにラッシュを仕掛けてくるが、それを凌げば鈴木はヘロヘロだろう。ドーピングの効果で余裕のスタミナがあれば、そこで掴まえてフロントチョークや裸絞でらくらく料理することができるはずだ。

勝てば小さくない金を手にできるし、次はステップアップしてもっと稼げる。目立ってベラトールやUFCにでも上がれば、有名選手となって高額な賞金も夢ではなくなる。もう日本人選手にとってもドーピングはサクセスストーリーに無くてはならないものになっているかもしれない。

でも待ってくれ。日本人はそもそも体格的に不利だから根性や技術で勝とうとした。それならそこで勝負した方が有利なのではないの?

外国人と同じようにドーピング技術を磨いて同じようなトレーニングをしたところで勝てるのだろうか?僕は外国人とスパーリングした時に圧倒的な骨格の太さなどに驚いた。筋肉と言うより筋(スジ)の力に圧倒された気がした。であれば残された道は、技術しか無いと思った。

武術の技術とは最も平たく言えばテコと遠心力。MMAの選手でもこれを突き詰めて考えている選手は殆どいない。その一人は「青木真也」だ。人格では最低だと言われいるがパーフェクトな人間はいない。

また話が反れたが、日本が格闘技の本場であった理由は前半で述べた通り格闘に向いていない身体的特性だから。小さな力で大きな効果を、小さな者が大きな者を倒す。これを薬や核の力で解決しようとするなら日本の未来は無い。

日本はドーピングや核に最も厳格な国として君臨し、化学と科学技術を極め、世界中の人から信頼され純粋に技術を競い合える唯一のアンチ・ドーピング格闘王国を目指すべきなのだ。日本人は遺伝子的にも資源の無さでも、それを目指す必然性があるのだ。戦争をしない国を約束する、日本国憲法はアンチ・ドーピング宣言法でもある。

国でも格闘技でも日本を守る抑止力は核や薬物の力ではなく、不戦を誓う日本国憲法であり、アンチ・ドーピングであると考えています。

なにか、日本の防衛論のようにもなってきた。ドーピングと核武装にタイトル変更しました。

2023年6月15日、たまたまYouTubeに流れてきた「格闘キャスト」で、当Noteとほぼ同様の内容を「細川バレンタイン」さんが語っているのを見ましたのでリンクを置いておきます。

再度タイトルを変更しました。
ドーピングと核武装 (アンチ・ドーピングと日本国憲法)Ver. 1.00


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