マンタさんと村井さん

三流YouTuberの話からは得られるものが少なく時間の無駄と気付いて、質の高い情報を得る為のシステム刷新を思い立ち、AIのさらなる活用と一流情報の入手方法模索、ネット環境の更新をした。

先ず、パソコン並みの処理能力を持ったスマホに変えた。もうAppleじゃない。外でしなけらばならない作業と言うのはほとんど無い、あるいは部屋で集中したほうが効率的と言う事で過去にも同じ事を考えて断念したが、AI処理能力が上がった事で同時通訳機能などが実用的になり、早足で訪れたAI時代に本格的に対応すべく刷新した。

これまでの端末でもできる事に然程変わりは無いが、できる事が増えたのは事実で、そうなるとやはりやってみなければ分からない。早速良い情報源に出会えた。

強制的にパソコンからスマホへ活用を促す為に、自宅の光回線を廃止した。最初は制限を感じたが、半月も経たないうちに問題はほぼ無くなった。何も変わらない。ほぼと言うのは契約の関係で来月からが本格運用となるから。実際には7月、8月はまだ運用試験期間で9月から本格始動になる。それまでに全てをマスターしたい。

外で文字を打つ量が多い場合はスマホやタブレットに音声入力で十分だが、修正するのはやはり面倒。音声修正も改善されればキーボードは不要になる。既にある?

一流の情報を得るためには一流の人の話を聞くに限る。ネットもインターネットになる前のnifyパソコン通信は一流情報の宝庫だった。そこはハンドルネームだからこそのハイレベルな集合知に溢れていた。例えば天皇家の方も同じ情報を見ていたのが分かった。インターネット時代になり、一般人が金儲けの道具としたり、企業広告で溢れ、情報の質はどん底まで下がった。

それでもある所にはある。それはYouTubeのような金儲けの世界ではない。昨日も運転中のスマホからマンタさんと村井さんの極上対談が流れてきた。夢中になってしまうほどの内容で、これが無料なのかと呆れてしまった。ありがたい事だ。

お二人の事にそれほど詳しい訳では無いが、お二方の仕事には無意識のうちに触れて来た。マンタさんの音楽は否応なく耳に入ったし、雑誌などの文章も興味深いものが多かった。その言葉をかなり信頼している。

そりゃあの方を奥さんにしているのだからセンス良いに決まっている。

このお二人の対談の中で明らかにならなかった話がいくつかあった。
一つは女性の話、もう一つはアナログとデジタルについて。

女性については嗜好の問題があるから他人には分からないのは当然としても、片や音が前に出てくる、片や奥行きを感じると。この辺りはもう少し詳しく話を聞きたかった。音場や音像の作り方の技術的な事は僕も知らないが、定位等そうしたものがアナログ時代はくっきりしていた記憶がある。これはアナログデータの階調が恐ろしく豊かだったからだと思う。

初期のCDはデジタル録音ではなく、オープンリールのテープに記録された音源をAD変換したものだった。ちょうど4X5フィルムを光電管のRGB各色16ビットドラムスキャナで読み取ったのと同じように。このデータは初期のデジタルカメラのデータでは太刀打ちできない階調を持っていた。

音については詳しくないが、デジタル写真のような画像で考えれば、音も画像もS/N、信号とノイズが解像「感」に影響している。ノイズを取り去れば解像「感」は増す。ビット数は奥行き、階調、解像「度」に影響を与え、人はそれを感じ取る。

昔僕がある仕事の広告で「観賞画質」と「鑑賞画質」と言う語を解像度を示す為に使ったら、大手カメラメーカーにパクられた事がある。しかし画素数は必ずしも質を決める要素ではない。解像「感」が高くても階調性に乏しい音や画像は質が低いと感じる。解像「度」が高く、階調豊かなデータから好ましい音や画像は生まれる。初期のデジタル音楽が安っぽく感じられたのはこの辺りの技術がまだ熟れていなかったからなのだろうか。最近のSNSの画像やそれを撮る人も解像「感」は高いが階調は浅く感じるものが多い。彩度もシャープネスもギンギン。

そうした意味から、デジタルとアナログを論じるなら村井氏が言う奥行きと言うのは階調性に当たるもので、数字で言えばアナログはビット数が高いと言う事になる。音も画像も解像「感」より階調性の違いを一流の人間は気にする事が多い。

例えば1000万画素のデジタルカメラの画像を半切程度にプリントして4000万画素の画像に比較して解像度が足りないと感じる人は少ないだろう。しかし階調性に乏しい画像の場合には誰でも違和感を覚える。ガチガチにシャープなプリントにも。

CDがこの世に初めて出現した時、僕達は興奮した。それまでアナログレコードのスクラッチノイズが無くなってS/N比が100を超えるような事はあり得なかった。そのクリアな音に感動した、、のも束の間、どこかドルビーノイズリダクションをかけたような、三菱で言えばadressを使ったような、丸く鈍い音をあとからシャープにしたような薄っぺらさ。

これは写真の画像処理でも同じで、ノイズリダクションを施した後にシャープを施すような作業。やり過ぎると階調が失われ、絵の具が滲んだような写真になる。

アナログレコード時代の録音は磁気テープが主流で、写真は銀塩フィルムに記録された。その豊かな元データを編集したり現像したりしてレコード盤や印画紙に出力する。今のRAW画像は14や16ビットで記録されている。音源も豊富な階調を持っているからアナログとデジタルの音の違いを感じ取る事は不可能に近いと思われる。16ビットデジタル録音はアナログを当然超えるはずだが画像に関してはデジタルカメラが光電管ドラムスキャナの画質を超えたとは思わない。ただし録音や撮影の自由度は比較にならないほど進歩したと思う。

こうした事を考えさせるのも、彼らが一流の格調高いフィールを持った人達だからなのだろう。三流の人の話を聞いているとアラが目立って得るものや考えさせられる事が無い。

彼らがAI利用して作るマルチリンガルミュージックは三年から五年後と言っていたが、一、二年で可能になると思う。彼ら人間のフィールはAIには永遠に真似できない豊富なグラデーションがあるはず。そうであってほしい。否、それも量子コンピューティングによって容易に超えられてしまうのだろう。そこから次は始まる。

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