1 日本古代史の最重要証拠 稲荷山古墳鉄剣金錯銘文解釈の疑問 ワカタケルと思い込むな
最初にこの銘文の調査復元に尽力された方々の功績に感謝の意を表します。
埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した鉄剣の115文字の銘文を発見したのは奈良の元興寺文化財研究所です。
元興寺は蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内に移転した寺院である。奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退した。誰に移転させられたのかとか、なぜわざわざ鉄剣の調査に元興寺が出てくるのかなど、藤原氏の歴史への干渉が現代でも続いているかのような感覚に見舞われます。
AIは発見当時の事をこのように言います。
はい、この鉄剣は、1968年に発掘され、1978年に修理を行っていた元興寺文化財研究所でレントゲン撮影が行われた際に、金象嵌の文字が発見されました。
鉄剣の銘文には、日本の古代五世紀に登場した五王の一人である雄略天皇(ワカタケル大王)の名前が刻まれており、20世紀日本考古学の最大の収穫とされています。また、銘文には「辛亥年(西暦471年)オワケの臣が杖刀人の長としてワカタケル大王に使えた」という記述も含まれています。
AIは雄略が倭の五王の一人でワカタケルだとか、オワケと言う人物が存在した事を事実のように言います。でもこれは単に暫定的な解釈でしかありません。
さらにその時の状況をもう少し詳しく調べてみると、
1978年5月中旬、サビ防止のために、鉄剣が奈良の元興寺文化財研究所に送られました。同年7月27日、大崎敏子氏が、金色の光を発見しました。同年9月11日、レントゲン装置によって鉄剣にエックス線撮影をします。
鉄剣の両面から115文字が浮かび上がりました。
同年9月12日、フィルムを国立奈良文化財研究所に送り、銘文の解読が行われます。翌日、解読が終了すると、9月19日に埼玉県教育委員会による記者発表が行われました。
12日に国立奈良文化研究所に送られ、翌日解読が終了したとあります。
たった1日で解読が終了したらしい。異常に早い。ワカタケル大王は雄略天皇とステレオタイプに報じられましたが、本当にそうなのでしょうか。オワケと解読していますが、本当にオワケなのでしょうか。
宮崎市定著『謎の七支刀』では文字の復元と解読に問題があったのではないかと指摘しています。X線写真の時と復元後の文字に違いもあるようです。ですから現在鑑定された文字をそのまま正しいものとして推理解読しても一仮説でしかありません。
![](https://assets.st-note.com/img/1731245788-RKfTB9F5rwnSeVQCHgW26hmP.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731245804-vrWImyc0LnhXdP2CTUMFgk4f.jpg?width=1200)
結論から先に言っておくと、雄略天皇の時代は倭の五王の時代ですが、日本の正史には記録がありません。お伽噺のような雄略天皇が日本書紀に登場しますが、史実ばかりとは思えません。ゆえにワカタケルとは思えません。
その後、さまざまな異説が登場しますが、僕が個人的に研究して出た答とほぼ同じ答を別の研究者が唱え、本を出版しました。驚きです。全く異なったアプローチをしているのに同じ答に辿り着く。細部で同一とは言えないまでも根拠まで同じとあれば、かなり説得力があるように思います。今はこのnoteの構成上、その方のお名前は控えますが、有名な先生のお弟子さんだそうです。
ワカタケルは雄略天皇ではなく、◯◯◯と考えられます。
以下の有料部分の文章では◯◯◯を明かしその理由を説明します。
この発見がただ事では無いと理解できるでしょう。
そして次回は
日本古代史の最重要証拠 稲荷山古墳鉄剣金錯銘文の解釈に対する疑問
2 行田と言う場所
について記します。
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