白雪美香は彼氏ができない!_第2話
↓ 第1話
4 白雪美香はイケメンが好き!
チョコはカバンにしまっていたスマートフォンを取り出すと、こんがりと日に焼けた指先で画面をタップした。慣れた手つきで青ひげペローのページを開く。チョコはペローにどハマりしているのか、フォローまでしているらしい。
「めっちゃウケる」
チョコがニヤニヤして言った。
「マジでこんな人おったら嫌なんやけど。これで会おうと思う人とかおるんかな」
ユキミは苦虫を潰したような表情で、首を振る。
「でもさ、実際、青ひげってどうなん?」
ケイキがユキミとチョコに尋ねた。ユキミは首を傾げ、チョコは「別に気にならんけどね。好きになるのに性別も容姿も関係ない。大事なのは中身」ときっぱりと言い切った。
一方でユキミはそんなこと考えたことなかったなぁ、とこれまでに好きになった人や好きな芸能人を頭に思い浮かべる。
「横浜流星とか山田裕貴とか、髭が濃いイメージやけどかっこいいし、別に青ひげアリなんやない?」
ユキミが頷きながら応えた。
「じゃあ、イケメンやなかったら? だいぶ顔面偏差値の高い芸能人を引き合いに出しても意味ないやろ」
ポケットからスマートフォンを取り出して、ケイキは何かを検索した。検索が終わるとユキミに画面を見せる。画面にはさまざまタイプの青ひげ男性が写っている。ユキミは画面をスクロールしながら、青ひげ男性を見つめた。
「あり。なし。なし。あり。なし。なし。なし。なし。あり!」
画面に映った男性を勝手に自分の好みで振り分けていく。失礼な話だとは思うが、好みの問題なので許して欲しいとユキミは心の中で「なし」を選択した男性に謝罪する。それと同時に、これじゃ私も青ひげと同類だな、と思ったりもした。
青ひげペローの記事を読んだ時、自分の名前が「白雪美香」ということもあり白雪姫目線で読み進めてしまった。その結果、ユキミは青ひげに嫌悪感を抱いた。しかし、自分が青ひげと同じように人を見た目で好みか好みじゃないかに振り分けてみると、青ひげに共感が持てる気がした。
どうしたって恋愛対象となるかどうかと考える時、相手を自分の基準より上か下かで考えてしまう。好みでなければそもそも、その土俵に上がってきたりはしない。ユキミも何度かマッチングアプリで知り合った男性と食事をしたことがあったが、テキストだけのやり取りでは相性がいいと思ったものの、実際に対面で会ってみたら、思っていたのと違う、となったことを思い出した。
文章だけのやり取りだと、やはり相手に合わせたり自分をよく見せたりしてしまう気がした。ユキミもそうだし、相手もそうだと感じている。期待値が増える分、実際に会ってみるとがっかりすることがあるのだろう。コロナ禍でマスクをつけていた時に、実際にマスクを外した顔を見てがっかりしたような感覚に近いかもしれない。
ユキミはそれもあって、今はマッチングアプリはしないことにしている。
ぽっちゃり体型が好きだと言っていても、実際にユキミと会ったら、どうも違うと感じる人もいるようだった。ぽっちゃりというのは具体的な基準があるわけではないから、人によってはデブだと判断してしまうのかもしれない。
青ひげの言うことに共感してしまったユキミは、ダイエットなんか無理してしないで、このままの自分を好きになってくれる人を探したいな、と思い始めていた。心のどこかで、少しばかり青ひげを応援したい気持ちも芽生え始めているのではないかという、奇妙な感情に気づいた。
「ユキミが『あり』って言った人、全部、イケメンやん」
チョコがケラケラと笑う。
「結局、ユキミはイケメンやったら青ひげが『あり』で、イケメンやなかったら『なし』なんやな」
ケイキもケタケタと笑った。そして、ケイキは真剣な顔をしてユキミを見つめた。
「ユキミはマッチングアプリやったらいかんよ。それに合コンもしたらいかん。青ひげ、福岡の人やし。もし青ひげに会ってイケメンやなかったらユキミは間違いなく『なし』に青ひげを入れるやろうし。そして、それをSNSとかで投稿したら、間違いなく青ひげに特定されて大炎上になるかもしれん。やけん、マッチングアプリも合コンもなしね」
確かに、とユキミは思った。ユキミは推し活と飯活のためにSNSをしているが、すぐに友人や職場の人にアカウントを特定されてしまうという特性があった。SNSのアカウント名を『大福』にしているのもよくないかもしれないし、雪見だいふくの写真をアイコンにしているのもよくないのかもしれない。
親から「あんたは口から生まれてきたもんね」と言われてしまうくらいに、ユキミはよく喋る。どんな時でも、ついつい推しやご飯のことでテンションが上がるとそのまま呟いてしまう。青ひげペローに会ったら、間違いなくつぶやく。絶対にバレる、とユキミは大きく頷いた。
それにユキミは青ひげに共感を抱き面白いと思いつつも、なんだか怖い印象も抱いていた。昔読んだ『ペローの青ひげ』という絵本のことを思い出してしまったからだ。青ひげはここからペローという名前をとったのだろうとユキミは思う。この絵本はとにかく不気味だった。
童話の中の青いひげをした「青ひげ」と呼ばれる男は何度も結婚していたが、ことごとく青ひげの妻は行方不明になっていた。最後に結婚した妻は入っていはいけないと言われている部屋に入り、先妻の死体を見つけるという話だった。
青ひげに共感しつつも、『即刻処分対象』のフレーズが頭に引っかかった。それはユキミの妄想に他ならないが、青ひげがもし白雪姫を処分していたらと思うと背筋が凍る。
「大丈夫。もうアプリは消したし、合コンも誘われんし」
ユキミがそう言うと、ケイキは安堵の表情を浮かべた。
「でも、こんな人が現実におったら、マジで引く」
ユキミがケラケラ笑うと、ケイキが「絶対、キャラ作っとるやろ。てか、これじゃ自分で青ひげのネガキャンしとるって。リアルに見えるけど、本当はこれネタじゃないと?」と笑いながら眉間に皺を寄せた。
「創作はあり得るかもね」
チョコが言う。
「創作?」
二人は顔を見合わせた。
「小説か何かってこと? 作り話? それなら納得。でもわざわざブログでそんなこと書くと?」
ユキミが不思議そうにキョトンとした表情でチョコを見た。
チョコはあごをしゃくって、小さく頷く。
「そう。創作の可能性は大いにある。だって、noteの街はだれもが創作を楽しめる場所やから」
5 白雪美香の弁当は小さい!
「ユキミちゃん? もしかして、ダイエット中?」
ユキミの先輩である獅子王百合がユキミの弁当箱を覗き込んだ。
「は、はい~」
ユキミは力なく空気の抜けるような返事をし、自分の弁当箱に視線を落とす。ユキミの前には小さい小さい手のひらサイズの弁当箱。蓋には猫のキャラクターが描かれている。幼稚園の時に使っていた弁当箱なので、イラストは所々剥がれていた。物持ちのいい母がユキミが卒園してからも、ずっととっていたらしい。
弁当箱の中には、ふりかけがかかった可愛らしい丸いおにぎりが二つと、ブロッコリーとプチトマト、卵焼きにきゅうりが入ったちくわが入っていた。中身まで幼稚園の頃のお弁当となんら変わらない。ユキミは弁当箱と弁当箱の中身に懐かしさを覚えつつ、一方で腹は切なさを感じていた。
なぜユキミが小さな小さな弁当箱を職場に持って来ているのか。それは、全てチョコのせいだった。
チョコが偶然ユキミの母と会った時に「おばちゃん! ユキミ、とうとうケイキの体重超えたってよ! 知っとった?」と世界一言って欲しくない相手にトップシークレットを言い放ったのだ。親友に知られていいことがあっても、母親に知られたくないことはある。チョコ的にはダイエットにハッパをかけたい気持ちがあったのかもしれないが、ユキミはいい迷惑だと思った。
チョコの話を聞いたユキミの母は、それは一大事とばかりに、どこからか幼稚園の頃から使っている弁当箱を取り出してきた。「明日からはお母さんがお弁当作るけん。あんまり太ると体に悪いしね。チョコちゃんの言うとおり、ちゃんと運動もせないかんよ」と。そしてユキミが起きてリビングに降りると、すでにダイニングテーブルにはママ弁が用意されていたというわけだ。
母親の弁当が嫌と言うわけでもない。お昼代が浮くのは正直助かる。でも、行きたいランチのお店もあるし、コンビニの新発売の商品も食べたいんだから、こちらの都合も考慮して欲しい、とユキミは弁当箱に向かってため息を吐いた。
「急にダイエット始めるなんて、好きな人でもできた?」
百合は美しい笑顔をユキミに向けた。
百合はユキミの知る限り、一般人では一番美しい。個性的な美しさと言うよりかは模範的な美しさ。清潔感もあり、自分に似合うものをよく知っている人だなとユキミはいつも感心していた。
年齢は32歳とのことだが、どう見ても同じ年にしか見えないような肌のきめ細かさだ。顔立ちに派手さはないものの、長いまつ毛に均整の取れた唇。立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。そのフレーズが獅子王百合以外に似合う人をユキミは知らないと思った。それほどまでに獅子王百合は美しいとユキミは考えている。そう感じているのはユキミだけではないらしく、影では歩く博多人形と呼ばれていた。
モデルでも女優でもやっていけそうな百合に、ユキミは一度だけ、聞いてみたことがあった。
「百合さんって芸能人でも生きていけそうなのに、なんでわざわざ地味な公務員なんてしてるんですか?」と。
百合は柔らかい笑顔をユキミに向けると、「自由に恋がしたいから」と言った。いまいちピントがズレた回答だと思ったが、ヘンテコりんな回答をも凌駕する美しさが、百合にはあった。とはいえ、獅子王百合はライオンの如く肉食系の女子なので、恋がしたいという理由には合点がいった。
そんな百合がダイエットと聞けば、もちろんそれは恋によるものだろうと想像してしまうのは当然のことだった。
ユキミは肩をすくめて「テヘヘ」と笑う。
「いいね~。恋をすれば女性はもっと綺麗になるから。ただし、お互いを思いやるいい恋愛ね。嫉妬に塗れた恋愛はダメね。あれは女をブサイクにするから。そんな恋愛をさせる男は、いい男じゃないの。いい男は女を綺麗にする。ユキミちゃんは素材はいいんだし。ぽっちゃりでも可愛いけど、やっぱり万人受けするなら、そのぷにっと感とバストサイズは残したまま、くびれを作るのが最高ね」
目を輝かせながら百合は楽しそうに話した。そして、何か思いついたように、目を大きく見開く。
「あ! ユキミちゃん、今週の金曜日空いてる?」
「特に予定は……」
百合の瞳がランっと輝いた。
6 白雪美香はドキドキしちゃう!
「痛いですって! 琥太郎さん!」
今日も今日とてユキミは足利琥太郎に足をマッサージしてもらっている。週の半ばにマッサージをしてもらうと、体が軽くなって週の後半もなんとか乗り切れる気がして、ユキミはまた水曜日に琥太郎のマッサージを受けにきていた。
「美香ちゃんって、立ち仕事だっけ?」
琥太郎はユキミの足の指を一本ずつ丁寧にほぐしながら、ユキミに尋ねた。ユキミは思わずドキッとする。
ほとんどの人がユキミのことを『シラユキミカ』の真ん中の三文字をとって『ユキミ』と言うニックネームで呼んでいる。自分の下の名前を呼ぶのは、親ぐらいのものだ。ユキミにとって名前を呼ばれると言うのは、特別感半端ない。
琥太郎に『美香ちゃん』と名前を呼ばれて、まるでダイニングテーブルに放置された雪見だいふくのようにユキミは溶けていく。
「デスクワークですけど、浮腫むんですよね~。肩もコるし~」
ユキミはぐるりと首を回した。勢いよく回したせいで、首からポキポキと音がした。その音を聞いて、琥太郎は「コってるね、美香ちゃん」と軽く笑う。
「全身マッサージもあるんだけど、ちょっと時間が長くなるし、仕事帰りだと帰るのが遅くなっちゃうよね。今日も美香ちゃん、仕事帰りでしょ? ゆっくりお休みの日とかに来てもらえたらしっかりマッサージもできるんだけど。それにダイエット目的ならリンパドレナージュもおすすめなんだけど、そっちは服を脱がなきゃできないから、僕じゃなくて女性スタッフが施術することになるんだよね。メニュー表あるけど見る?」
ぐぐっとユキミの足の裏を伸ばしながら、琥太郎は上目遣いでユキミをみた。琥太郎のくっきり二重のアーモンド型の瞳がじっとユキミを見つめ、思わずくらっとする。え、好き、と思わず口から漏れそうになったが、グッと堪えて飲み込んだ。
「メニュー表見てもいいですか?」
もちろん、と琥太郎は頷いて立ちあがると、部屋の端の方に置いてあったオイルや施術用の道具などが入っているカゴからラミネートされたA4サイズのメニュー表を取り出した。
「はい、どうぞ」
さっきまで足元にあったはずの琥太郎の顔が、ユキミの目線より少し上にくる。さっきよりグッと近くなった琥太郎の顔に笑顔が浮かんでいるのがわかると、ユキミの心臓は早鐘を打った。ドキドキと打つ鼓動はまるでこれは恋ですよと教えてくれているかのようで、ユキミの頬は思わず赤くなる。ここが薄暗くてよかったとユキミは思う。
雪見だいふくのような白いユキミの頬は、少しでも高揚すると、まるで真っ白な雪山にまだ紅葉した木々が残っているかのように、その赤さがよく映える。あまりに赤くなる顔に、ユキミはいつも照れるのが恥ずかしいと思っていた。ふぅと小さく深呼吸し、メニュー表に視線を落とす。
疲労回復マッサージ(全身)が80分7,800円。リンパドレナージュ(全身)90分10,000円とあった。時間が違うし、どちらがいいのか、いまいちよくわからないなと思う。でもリンパドレナージュだと、琥太郎の施術は受けられない。
「疲労回復マッサージだったら、琥太郎さんにしてもらえるんですか?」
膝から下をマッサージしている琥太郎にユキミは尋ねた。
「そうだね~」
足首から膝に向けてググッと指を滑らせながら、琥太郎は答えた。
今は30分程度のマッサージだが、80分も琥太郎と一緒にいれるのかと想像して、ユキミの胸は高鳴った。もちろん、そういう目的でくる場所でないということはユキミにはわかっているが、80分もあれば、体の疲れも取れて、もっと琥太郎と距離を縮められるのではないかという良からぬ期待もしてしまう。
「土曜日が休みなんですけど、土曜日の昼からとか空いてます?」
ドキドキと高鳴る胸の鼓動を抑えて、ユキミは務めて冷静な声色で確認する。琥太郎の表情がパッと明るくなった。
「え? 俺のマッサージ気に入ってくれた? めっちゃ嬉しい。でも俺でいいの? むくみとかダイエットの効果的なものを考えるならリンパマッサージの方がいいと思うけど。俺のだと肩こり改善とかそっちになるけど、大丈夫?」
今まで『僕』だった第一人称が急に『俺』になって、ユキミの胸の高鳴りは収まるどころかキュンキュンしてしまった。少しだけ素の表情が見えたような気がして、嬉しくなる。
「コタローさんがいいんです」
思わず口をついたその言葉に、ユキミは自分でも驚いた。ほとんど告白みたいなものじゃないか、と。
しかし、ユキミにとって告白めいたその言葉も、モテ男には普通にマッサージを気に入ったお客さんの言葉に聞こえたようで、琥太郎は「マジで? 嬉しいなぁ」と首の後ろをポリポリと掻いた。
まだ強く打ち続けるユキミの胸のときめきは、薄暗いこの二人だけの空間にふわふわと浮遊していた。琥太郎がはにかむように白い歯を見せて笑うと、その笑顔と甘いアロマの香りがユキミの恋心を加速させた。
「あ、でも……、今週の土曜日の昼は難しいかも。大体予約が入っててさ。でも、念のため確認するからちょっと待ってて」
少しだけ眉間に皺を寄せてそう言うと、琥太郎は個室を出た。予約状況を確認し、部屋に戻ってくると親指を立ててユキミに「大丈夫! 空いてた!」と嬉しそうに伝えた。
「タイミングよく空いててよかった」
安堵した様子のユキミに、琥太郎は「実はさ、昨日までは予約入ってたんだよ。ちょうど今さっきキャンセルの連絡があったみたいで……」と言った。
その日は元々、『白井由紀』と言う女性の予約が入っていた。白井由紀は琥太郎を指名してくる常連で、毎週土曜日には必ずマッサージを受けに来ていたらしい。
フットマッサージだけだったり、上半身のマッサージだったり、その時の体の状況に合わせてメニューは変更していた。
白井由紀は30歳で、琥太郎が店に来てからずっと、琥太郎を指名していたとのこと。口癖は『結婚したい』で、「そろそろ結婚したいんだよね~。婚活しようかな」といつも言っていた。白井由紀は独身女性で少しメンヘラ気味だと琥太郎は言った。
土曜日に琥太郎が他の客の予約を入れると激怒することもあった。しつこく食事に誘われたり、関係ない連絡をしてきたり、婚活の愚痴を延々聞かされたり、お客様としてはありがたい部分もあったが、少し困っていたとも琥太郎は語る。
「へぇ、琥太郎さんも大変ですね」
とユキミは同情する様子を見せつつ、自分も過度に琥太郎にアピールをしないようにしなければと姿勢を正した。きっとイケメンというだけで、自分には想像できないような苦労もあるのだろうとユキミは思う。ユキミは眉間に皺を寄せて、「でも、そんな人が急に予約をキャンセルするって、不思議ですよね。なんかあったんですかね?」と言うと、「それがさ……」と琥太郎も困惑した表情を浮かべた。
「白井さん、大体連絡は俺の携帯に直接してきたんだよね。これまで、店に連絡するなんてことはなかったんだけど。それが、さっき急に連絡してきたらしくて。しかも、男の人からだったらしいんだ。『申し訳ないけど、キャンセルさせてくれって。もう来られないかもしれないから、足利さんによろしくお伝えください』って言ってたらしい。まあ、ちょっと困ってるところもあったから、助かるっちゃ助かるけど、なんかちょっと心配になるよね。まあ、男の人っていうのが、婚活がうまく言った相手だったらいいんだけどさ」
ユキミはなんだかいやな予感がするなと思った。『婚活』と『もう来られない』と白雪姫に似た『白井由紀』という名前。昔読んだことがある『ペローの青ひげ』という童話。ユキミは点と点を頭の中で勝手に結び、そのクロスしたところに『青ひげペロー』を置いてしまった。
もしかして、この白井由紀という女性が、先日の青ひげペローの日記に出てきた白雪姫ではないのだろうか。チョコは青ひげペローの記事を創作の可能性もあると言っていたけれど、もしあれが事実だとしたらどうだろうか。ユキミはそんなことを考え始めていた。処分の意味が童話のように殺人を意味していたら、と思うとユキミは背筋が凍るような感覚を覚えた。
「へ~。何があったんでしょうね。ちょっと気持ち悪いですね。でも、琥太郎さんのお客さんが減らないように、私がいろんな人にここ紹介しておきます! それに、私が土曜日の昼は毎週予約しちゃおっかな! あ、でもそれじゃ白井さんと一緒になっちゃうか。琥太郎さんのご迷惑ですよね」
自分を誤魔化すようにユキミがヘラっと笑うと、琥太郎は手をひらひらと振った。
「全然、こまんないって! 美香ちゃんなら大歓迎!」
7 白雪美香は合コンで飯を食う!
乾杯の挨拶の後、幹事である伊野尾寛司がまず先にと自己紹介を始めた。
「本日の幹事を務めさせていただきます、伊野尾寛司です。名前のせいで、いつも幹事役を任される35歳の消防隊員です。そろそろ幹事は卒業したいです。好きな飲み物はプロテイン! 体力には自信があります!よろしくお願いします!」
元気よく寛司は挨拶をし、上に着ていたジャケットを脱いだ。わざとのように体のラインがわかりやすいシンプルな白いTシャツをきている。そのTシャツから覗いている上腕二頭筋の筋肉を強調するかように寛司は上腕二頭筋にこぶしを作って見せると、白い歯を見せて笑った。さながらプロテインのCMっぽいとユキミは思う。
コミカルな動きだったが、鍛えられた上腕二頭筋にユキミは思わずキュンとした。筋肉もいいなぁ、とユキミは思う。
しかし、上腕二頭筋から顔に視線を移してみて、ちょっと違うなとユキミは思った。顔立ちがタイプではない。掘りの深い外国人系の顔。どちらかといえば古代ギリシア人。というより阿部寛。彫の深い顔も別にユキミは嫌いではないが、何かちょっと違う。最近、琥太郎のご尊顔を拝めているせいだろうか。今までは許容範囲だった顔も、ユキミの恋愛対象から外れてしまっている。好みのタイプが琥太郎に固定されてしまっているかのように、他の人に興味が湧かない。
35歳といえば、おじさん化している人と若さを保っている人といる気がするなとユキミは思った。職場の三十代から四十代男性も、見た目が若い人とおじさん化している人で見事に分かれている気がする。女性も然り。35歳といえば、若いまま過ごせるのか、このまま老いていくのかの分岐点であるような気がするとユキミは思っていた。寛司はきっと、若さを保ったまま年齢を重ねていくのだろうという雰囲気があった。
笑顔も爽やかで、寛司だけに感じもいいので、以前のユキミであればすぐに『え、好き』と心の中で恋心を咲かせていたに違いない。
しかし、今は琥太郎にベクトルが完全に向いているユキミは、このくらいでは揺らがない。
今ユキミがいる場所は、合コンの席だ。ケイキに合コンには参加しないと言っていたにもかかわらず、ユキミは仕方なしに合コンに参加することになってしまった。なぜならば、歩く博多人形である獅子王百合に強く誘われたからだった。
昼休みの休憩室で、「ユキミちゃん、今週の金曜日、合コン行かない? 人数が一人足りなくなっちゃって。お願い!」と美しいご尊顔についた爛々と輝く二つの瞳でじっと見つめられて、ユキミは思わずドキッとした。それと同時にフリーズしてしまう。綺麗な作り物のような顔から放たれる視線というのは、何かのビームを発しているのかもしれないとユキミは思う。
思わず「はい」と二つ返事をしようとしたところで、ユキミはグッとその言葉を飲み込んだ。
「好きな人できたし、今回は……」
断りを入れたユキミの方を見て、百合は大きな瞳をさらに見開いた。
「え? 好きになっただけでしょ? 付き合ってないんだよね? 付き合えるかわかんないのに、いきなり一人に絞るのは危険だよ? 次にいい人がすぐに現れるなんてこともわかんないんだし。この合コンを逃したら、もしかすると一生ひとりぼっちかもしれないよ? 私は一人で生きてく覚悟があるからいいけど、ねえ!ユキミちゃん!」
百合は休憩室の外まで聞こえるのではないかという熱量でそう話すと、ユキミの両手をギュッと握った。さっきまで声が響いていた休憩室が、一瞬、水を打ったように静まり返る。ユキミは握られた手を見つめた。ムチムチとした自分の手と正反対に、百合の手は細く、そして長い指が美しい。視線を百合に移すと、バサバサとしたまつ毛の奥で、大きな色素の薄い焦茶色の瞳がユキミをじっと見た。
「出会いはたくさんあった方がいいの!」
ライオン並みの肉食系女子獅子王百合にそう言われて、ユキミはぐうの音も返すことができず合コンに参加することにした。ケイキは青ひげペローとの遭遇を心配していたが、いくら同じ福岡だからとは言っても、そう簡単に出会うことはないだろうとユキミは思った。その心配は杞憂に終わるだろう、と。
特に今回の合コンのことをチョコとケイキに伝えることはないまま、金曜日になった。今日は百合が選んだというイタリアンレストランにユキミは来ていた。
4対4の合コン。
場所はおしゃれなイタリアンレストラン。合コンはさておき、ユキミはメニューが気になった。今日のメニューはコース料理で飲み放題だと言う。割とカジュアルなイタリアンレストランらしく、ユキミは安心した。歩く博多人形はあまりにお上品なので、ものすごく格式張った店だったらどうしようかと心配していたのだ。
今日のコースは前菜、ポタージュ、鰆のポワレ、牛ステーキ、ボロネーゼのパスタ、いちごのパンナコッタ。メニューを見て、どれもこれも美味しそうだとユキミは食欲を沸き立たせた。
ユキミがメニューをガン見している間に、残りの二人の消防隊員も自己紹介を済ませていた。
その時、「遅れてすみません」と入ってきたのは、消防隊員とは全く思えない貧弱な体型をした男性だった。消防隊員が3人いたから、4人目も消防隊員かと思ったが、どうも違うらしい。
仕事終わりだと思われるその男性は、席につくなり慌てた様子で自己紹介をした。
ヨレヨレのポロシャツに、少し体より大きめのくすんだ鼠色のジャケット。髪型は若干マッシュルームっぽい雰囲気。よく見るとオシャレとは程遠いショートヘアがただ伸びきっただけのキノコ頭。合コンに参加するには少しだらしなさすぎでは、という印象をユキミは受けた。きっとやる気がないのだろうな、と。
顔には白い不織布マスク。
その男性は「ちょっと人前が苦手で、慣れるまではちょっとこのまますみません」と軽く頭を下げた。
「じゃあ、もう一回乾杯しようか」
寛司が手に持っていたビールのグラスを手に取った。みんなで再び乾杯をして、合コンはつつがなく始まった。
コース料理だったこともあり、わざわざ大皿料理を取り分ける必要がなかったので、ユキミは助かったなと思う。こういう場では性別に関わらず料理を取り分けた方が、幾分か株が上がることは間違いない。気が利くやつだと。そんなことしなくてもと言う人もいるが、今日は自分より年齢が上の人たちが相手だし、やらないよりやった方がいいことであるのには間違いないとユキミは感じていた。
取り分けや周りの飲み物に気を遣うと、どうしても目の前の食事に集中できない。ユキミはいつもそれが煩わしいと思っていた。気の置けない友人たちと食事をするときはその必要もないのだが、知らない人と一緒に食事をする時は尚更だ。ユキミは今日のメインは男漁りというより、美味しいイタリアンを食べることがメインだったので、いい顔をする必要がなくてホッとした。
女性の面子はユキミと百合、百合の友人の撫子と牡丹。撫子も牡丹も百合同様に美しい女性だ。この女性陣の中ででユキミは一人浮いているような気がしていた。人数合わせであることは間違いないから浮いていてもいいのだが、どうにも居心地が悪い。
撫子と牡丹は生まれつきの造形がいいというよりかは、努力で美しくなっているタイプの女性だとわかる。整形をしているかどうかはわからないが、整形級のメイクの技があることには違いない。もちろんノーメイクでも整った顔をしているのかもしれないが、メイクの技術が素晴らしいことはユキミが体験済みだった。
撫子と牡丹に「実験台になってよ」とメイクを施してもらったことがあるが、その時、ユキミの目の大きさは二倍程度になった。「ユキミちゃんは肌が綺麗だから、羨ましいわ~」と言われて嬉しかったことを覚えている。ユキミも自分でメイクをするが、自分の生まれてきた顔がそこまで嫌いというわけでもないし、メイクにお金をかけるくらいなら、食事にお金をかけたいタイプなので、ここまでの整形級メイクをしたことはなかった。それこそプリクラよりも自然に盛れる凄腕だった。
この美しい三人組の隣に座るユキミは、いずれにしろ珍獣扱いである。肉食系消防隊員も自分の子孫を残してくれる女性を探しているのであれば、明らかにユキミより百合、撫子または牡丹のうちの誰か一人をターゲットにした方がいいことはユキミの目にも明らかだった。
ということは、私は今日、このもっさりとした男性の相手をしないといけないのか……と思った。しかし、もさ男の席はちょうどユキミの席の対角線上。相手をするにしても、ちょっと距離が遠い。席替えとかがなければいいけど、とユキミは思う。
そういえば、この男の名前はなんと言っただろうか。マスクをつけてしかもボソボソと話すので、ユキミには名前が聞き取れなかった。
いずれにしてもしばらくは相手をしなくてよさそうだ、とユキミはグラスに入っていたワインを口に含む。
前菜のアンティパストはアンチョビのブルスケッタとニンジンのラペ。
ユキミはアンチョビのブルスケッタを優しく指で摘むと、前歯で噛んだ。口の中でブルスケッタを喰むと、カリカリとしたパンの歯応えが楽しい。上の乗っているトマトとアンチョビが絡んだソースは、アンチョビの塩味とトマトの酸味、ガーリックのコクが後を引くほど美味しい。
これはビールだったかもしれないと思いながら、ワインを再び口に含む。もちろんワインにもよく合った。赤い血液のようなルビー色をしたワインが喉を落ちていく。口の中の幸せを堪能していると、ユキミの対角線上から声が聞こえた。
「んんっ! これは美味しいアンティパストですね! ワインとも合いますね」
ユキミがチラリとそちらに目をやると、先ほどまで覇気のなかったもっさりとした男が美味しそうに食事をとっている。美味しい食事は誰をも元気にするのだなと、この店のシェフでもないのに、ユキミはなぜか誇らしげな気持ちになった。
もさ男がマスクを外して、こちらを向く。そして、チラリとユキミを一瞥した。もさ男とユキミの視線が交差する。目があったことにユキミは気づいた。マスクの下にさほど興味があったわけではないが、マスクの下が見えるとなると見てみたいとユキミは思う。単なる好奇心。
ユキミは一瞬目を逸らして、自分の手元に視線を落とす。にんじんのラペをフォークで刺して口に運んでから、横目でチラリともさ男の顔を確認する。もさ男はすでに完全にマスクを外していて、グラスに注がれたワインをごくごくと飲み干しているところだった。喉仏が上下に動くのがわかる。品なく飲み干したその口元には、ワインの滴が付いていた。間接照明がもさ男の顔を不気味に照らし、口元のワインの滴がまるで血のように見える。
背筋が凍るような嫌な感じがした。横目で見ていたユキミの視線が再びもさ男の視線と重なる。じっとりとこちらを見ているもさ男の視線から目を逸らすように、ユキミはもさ男の口元に視線を落とす。
あ、と思う。
もしかしてこの人は……、と。
あまりに青ひげが濃すぎるではないか。
その後のユキミの記憶は曖昧だった。テンションが上がって、自分でもどんなテンションかよくわからずに酒を浴びるように飲んでしまった。青ひげが濃すぎるもさ男の名前は『青田次郎』。青ひげペローと名前まで似ている。ユキミは間違いなくこの男が青ひげペローだと確信した。
もちろん本人には確認していない。しかし眠っていた女の勘あるいは第六感が働くのを、ユキミは感じた。それにしてもネット上で知っていた相手が、目の前にいるなんて出来事を体験したことはない。しかも、偶然に。
ユキミは消防隊員そっちのけで、青田次郎をつまみに酒を飲んだ。もしかして殺人鬼かもしれない、なんてことを考えながら。しかし、消防隊員と並んでいるからか青田次郎はかなり貧弱に見えた。この男が殺人を起こすようには到底見えない。白井由紀が白雪姫で、殺されているかもしれないというのはユキミのただの妄想で、白井由紀がマッサージをキャンセルした理由は他にあったのかもしれない。事故だとか引越しだとか、結婚だとか。電話をしてきた男性だって、青ひげではなくて父親かもしれないし、ただの知人男性かもしれない。
ユキミは様々な可能性を妄想し、思考を巡らせた。次第にユキミの思考はアルコールでひたひたになる。何が真実か何が妄想か。ユキミにはそれすらもわからなくなっていた。ただ、あの男が間違いなくペローだということの確信が、ユキミにはあった。こういう勘は意外にあたるのだ。青ひげペローが青田二郎である勘は当たり、白井由紀殺害の可能性の勘は当たりませんように、とユキミはグラスに入った赤ワインを一気に飲み干した。
合コンからの帰り道、千鳥足で電車に乗りこんだ。足元はふわふわとしていて、思考回路もぶくぶくと妄想を膨らませている。夢心地で興奮冷めやらぬユキミは、電車の車内でスマートフォンの画面上にある黒に白抜きでXと書かれたアイコンをタップした。素早くフリック入力して、何かを打ち込む。
《やば! ペロリーナがおった! まじで青ひげ!》
↓ 第3話予告|鶏胸肉のローストのサラダ