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渡せなかったチョコレートと、付いてきた客。
「いや、なんで付いてきてんのよ、おっさん」
俺は自分の胸ポケットを一瞥した。胸ポケットには金髪の小さなおじさんが、すっぽりと収まっている。体長10cmほどの小さなおっさんに声をかけると、おっさんは俺に目線を向けた。おっさんと俺の視線が、絡み合う。
「おい、達也。おっさんやなくて、ジョージ“さん“やろ。店でちゃんと自己紹介したやろうが。記憶力ないんか、お前は」
金髪の小さなおっさんは、眉間に皺を寄せて俺を睨んだ。勢いよく喋ったせいで、おっさんの唾が俺の顔に飛ぶ。おっさんの顔は赤らんでいて、目も虚ろ。明らかに酔っ払っていた。
「だから、なんで俺の胸ポケットに入ってるわけ?」
「なんでもクソもないやろ。お前、店に俺を置いて、自分だけ帰るつもりやったんか。一人暮らしの若い女の子の家に、おっさんがお世話になるわけには、いかんやろ。それに達也。香菜は、達也の想い人やないんか? 俺にはお見通しやぞ」
「な……」
虚を突かれて、俺は言葉を飲み込んだ。
🍫
香菜は俺の幼馴染。そして、同級生でもある。
元気が良くて、いつも明るい。料理上手で、おせっかい。少し垂れ目で、笑うと目がくしゃっとなるところが、すごく可愛い。
気の強いところもあるけど、母子二人で小さい頃から頑張ってきたんだから、気が強くなるのも当然だと、俺は思う。
香菜の母親は二年前に亡くなった。
母親の店である“水玉食堂“を、今は香菜が一人で切り盛りしている。元々は別の仕事をしていた香菜だったが店を継ぐために、仕事を辞めた。
辞めた仕事は、公務員。合格に向けて、一所懸命に勉強していたのを俺は近くで見ていた。香菜が公務員を目指したのは、おばさんを安心させたいということと、安定した収入で、店の資金面を助けたいという理由だったはずだ。せっかく念願の公務員になれたのに、おばさんが亡くなると「お母さんが、大切にしてた店を守りたいから」と、あっさり辞表を出してしまった。俺は勿体ないと止めたけれど、香菜は首を縦には振らなかった。香菜にとっては、自分のことより、おばさんや店のことが大事らしい。香菜はいつだって、誰かのことばかり考えていて、自分のことは後回しだ。
香菜に対する俺の感情が、友情や家族愛じゃないと気づいたのは、本当に最近になってからのことだ。その気持ちに気づくまでは、香菜に恋心を抱いたことなんて、一度もなかった。見た目がタイプじゃないとか、そういう単純な話ではなくて、ただただ身近すぎただけだとは思う。
俺の香菜に対する気持ちに変化があったのは、おばさんの葬儀の日だった。
おばさんは突然亡くなった。あまりに突然すぎる出来事に、みんな、その事実を受け入れられなかった。そんな中、香菜は毅然とした態度で喪主を務めた。最後まで涙を流さずに、薄く唇を噛んでいる香菜の表情は、今でもはっきりと俺の脳裏に残っている。
それに香菜は、葬儀に参列した列席者に対し、笑顔を絶やさなかった。唯一の身内が死んで、悲しくないわけがないのに。
葬儀後、俺の母親から「香菜ちゃんに簡単に食べられるものを届けてあげて」と言われて、俺は水玉食堂を訪ねた。戸の前に立った時、店の中から聞こえてきたのは、咽び泣く香菜の声だった。
建て付けの悪い戸をこじ開けて店に入ると、香菜は俺に気づいた。涙をぬぐい、顔をあげて、俺に笑いかける。俺に取り繕う必要なんてないのに、と思ったのを覚えている。
「達也、どうしたの?」
その時の香菜の鼻は、真っ赤だった。目が赤かったかどうかは、俺からは見えなかった。目はいつものように、くしゃっと笑っていたから。
「母ちゃんが、香菜にって」
俺は母親から預かったタッパーの入ったビニール袋を、香菜に手渡した。香菜はそれを受け取って、またにっこりと微笑んだ。
「めっちゃ助かる!おばさんにありがとうって言っといて!達也も、忙しいのにわざわざ届けてくれて、ありがとね」
🍫
俺は、有名なチョコレート店で買った高級チョコレートの紙袋を机に置いた。
小さいおっさんが、胸ポケットからぴょんと飛び降りて、机に乗る。
「これ、高そうなチョコやな。達也、案外、モテるんか?」
「いや、これはもらったものじゃなくて……」
おっさんは、したり顔で右の口角を上げた。
「もしかして、達也。これを渡して、逆バレンタインで香菜に告白するつもりやったとや?」
俺が黙っていると、おっさんは俺の肩にぴょんと飛び乗った。体長からは考えられない跳躍力だ。
まるでノミ。
「なんだよ」
俺は肩に乗るおっさんを睨んだ。
「今から、告白に行くぞ! ゴーゴー!」
「はぁ?! 今、何時だと思ってるんだよ。おっさんが店で調子に乗ってペラペラ喋るせいで、もう12時過ぎてんだぞ。香菜は明日も店があるし、もう寝てるって。今からいきなり行ったら、逆に迷惑だろうが」
俺はネクタイを緩めた。
おっさんは、俺のネクタイをぐいっと引っ張っると、わざとらしく舌打ちをした。
「達也、そんなこと言って、どうせお前、告白する勇気がないだけやろ」
俺は図星を刺されて、ぎくりとする。
おっさんの言う通り、正直、俺には告白する勇気がない。今までだって、チャンスはあったはずなのに、告白できずにここまで来てしまった。今日だって、酒の力を借りようとしたぐらいだ。
勇気が出ないのには、もちろん理由がある。
この関係を壊したくない。それが俺のストッパーになっていることは、自分でもよくわかっている。今まで、恋愛対象とは見てなかった香菜に告白なんて、香菜にとったら青天の霹靂だろう。告白が成功する気がしない。そもそも俺は香菜のタイプの男じゃないし。
香菜が付き合っていた男は、どちらかと言えば優男の印象。読書が好きそうで、物腰も柔らかい。俺も一緒に食事をしたこともあるが、めちゃくちゃ良い奴だった。
それに比べて、俺は香菜と顔を付き合わせたら、くだらないことで喧嘩になる。絶対、脈ナシ。恐怖心しか湧いてこない。香菜はきっと、俺のことをただの幼馴染としか思ってないだろう。
俺が急に告白して、香菜から「達也のことは、友達としか思えない」とでも言われたら、と考えると、どうしても二の足を踏んでしまう。フラれたら、香菜に会わせる顔がないし、たぶん、水玉食堂にだって行けなくなる。
おっさんの言う通りだ。俺はただの意気地なし。この関係を壊す覚悟が、ないだけだ。
俺は、深い溜め息をついた。
「まあ、わからんこともないな。俺にも経験がある。俺はお前たちより、ずいぶん長生きなんだ。大体のことは、見とったらわかる。お前たちの空気感からは、恋愛的なものは漂ってこんかった。お前の視線から、ちょいちょい緊張感が出とったから、香菜のことを好きなんかなという気はしたけど、どちらかというかお前たちの距離感は、仲の良い兄妹というか、親友というか。確かに壊すのは勇気がいるよなぁ。あれは、100年前のことになるか。俺がまだ若かった時の話だ……」
おっさんは俺の肩であぐらを組んだ。
この話は長くなりそうだ、と俺は思う。
おっさんの話が長いのは、さっき水玉食堂で飲んだ時に体験済だ。おっさんの話が面白いのは間違いないが、それより、小さいおじさんに若い時があったなんて……。俺の興味はそちらに向いていた。
「それより、おっさんにも、若い時があったわけ?」
「おい達也、失礼な奴やな、お前。俺が生まれた時から、おっさんやと思っとったんか?」
俺は小さく頷いた。
「うん、まあ……、いや、おっさんって、なんか都市伝説でよく聞く小さいおじさんかなと思ってたから、生まれた時からずっと、おじさんなのかと思ってた」
おっさんは、呆れたように息を吐く。
「われわれ小さいおじさんは、そのアイデンティティを確立するために、おじさんの時代が長いんだ」
どこかで聞いたようなセリフだ、と俺は思う。
「それ、何かのパクリじゃね?」
俺が尋ねると、おじさんは机に飛びおりた。両手を拳に握ると「はああああ」と息を吐きながら、全身に力を込め始めた。
額には血管が浮き出て、酔っ払っていた赤ら顔が、さらに真っ赤になる。
おっさんは握りしめていた両手を広げると、手のひらに唾をペッペと吐いた。吐いた唾で、素早く髪を立ち上げる。
そして、怒りに満ちた表情を俺に向けた。
「俺が伝説のスーパー小さいおじさんだあっ!!!」
「鳥山明作画かよ」
俺は間髪入れず、突っ込みを入れる。
おっさんはニヤリと右の口角をあげた。
「達也、できるな、お前」
その日から、俺とおっさんの、奇妙な共同生活が始まった。
こちらは下の小説の番外編となります
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