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落花生とオートミールのクランチチョコレートと、突然のお客さま。

オートミールがじわじわと色づいていくのを見つめていると、なぜだか少し緊張する。緊張するのは、焦げ付いたら食べられなくなってしまうからだと言うことは、私にも分かっている。それがわかっていても、じっと待つことが苦手な私は、フライパンでオートミールを乾煎りしている最中に、別の作業を始めてしまった。

節分の時にお客さんに出した落花生が、袋いっぱいに残っている。落花生を袋から出して、パキパキと殻を割った。たまに硬い殻に当たると、瞬間湯沸かし器のように、「クソっ」と小さく苛立つ。無理やりに割ろうとしてもイライラが募るだけなので、一旦、殻が硬い落花生は横に避ける。とりあえず、簡単に割れるものから割っていくことにした。中から茶色い皮を被った南京豆が出てくる。皮を丁寧に剥いて、ピーナッツにしていく。

殻があれば落花生。茶色い皮がついていると南京豆。殻も皮もなくなると、ピーナッツ。同じ豆なのに、状態が違うだけで名前が変わるというのも不思議な話だ。落花生を手に取り、私はずっと落花生のままなのかな、なんてことを考えた。殻が破られなかった落花生はどうなるのだろうか。そのうちに、腐っていくのかもしれない。

落花生を見つめていたら、幼馴染の達也と数年前に入ったバーのことを思い出した。お通しに出てきたのは、落花生。「殻は床に捨ててください」と言われて、言われた通りに捨てる。店内の床には落花生の殻があちこちに落ちていて、踏むたびにパリパリと音がした。「雪みたいな音がするでしょ」と店員さんは笑っていたけど、ひたすらに乾いた音しかしなかったのを覚えている。達也と二人で顔を見合わせて「雪の音なんかしないよね」って、コソコソ笑い合ったのが懐かしい。あの夜に告白すればよかったって、何十回、いや何百回思ったことか。

ピーナッツを包丁で細かく刻んだ。

ピーナッツを刻みながらオートミールにも神経を尖らせる。オートミールがいい色に色付いたので、火を止めて皿にあげた。そこに刻んでいたピーナッツを合わせる。別のボウルに細かく刻んだチョコレートを入れて、湯煎で溶かす。ボウルの表面を溶けたチョコレートが茶色く染めていった。熱が通り過ぎないように、でも、チョコレートの塊が残らないように丁寧に混ぜていく。

綺麗に溶けたところで、チョコレートを湯煎からあげた。合わせておいたピーナッツとオートミールを、溶けたチョコレートに勢いよくドバッと入れる。わっせわっせとかき混ぜて、全体が均等に混ざったら、手で丸めてバッドに並べておく。しっかり冷ませば、クランチチョコレートの出来上がり。可愛くラッピングして、明日のバレンタインデーに食べにきてくれたお客さんに、渡そう。きっとみんな喜んでくれるはず。


🍫


「香菜ちゃん、チョコレートありがとう!」
近所の神社の神主さんである山本のおじさんが、嬉しそうな顔をこちらに向けた。水玉の包装でラッピングをしたクランチチョコレートを、胸ポケットにしまい込む。

「私までもらっちゃって。ありがとね。香菜ちゃんのチョコレートは、毎年美味しいもの。今年は、何かしら? お母さんがお店をやってた時から、みんな、バレンタインは香菜ちゃんのチョコレートを楽しみにしてるのよね」

山本のおばさんが、右手に持ったチョコレートをこちらに向けて微笑んだ。

「ありがとう!おばさん!そう言ってもらえると、嬉しくなって、毎年張り切っちゃうんだよね〜。今年は節分の時に出した落花生がいっぱい余ってたから、オートミールと一緒にクランチチョコレートにしたんだ。ザクザクしてて、美味しいと思うよ」
「あら、それは楽しみ!オートミールなんてオシャレなもの、うちでは食べないから、貴重な経験だわ」

山本のおばさんが軽く笑うと、おじさんも「確かに、うちではオートミールなんて、おしゃれなものは出てこんな」と笑った。
笑った二人の顔があまりにそっくりで、私はひそかに驚く。

「そういえば、おばさん、おじさんからイワシ缶のトマト煮、作ってもらった?」
おばさんが、ハッと何かを思い出した顔をした。
「そうそう!お父さんが珍しく料理をするなんて言い出すから、びっくりしちゃった。すごく美味しかった。香菜ちゃん、レシピありがとうね。あれから私も作って、お昼にパスタにしてみたのよ。簡単でおいしくていいわね〜。ほうれん草入れたり、他にお野菜を入れたり、アレンジも効きそうよね」

「よかった〜。気に入ってもらえて。私もこの間、ラザニアにして食べたら、すごく美味しかったんだ。簡単だから、レシピをおばさんにLINEしとくね!」
私がそう言うと、「いつもありがとうね」とおばさんは笑った。

山本のおじさんとおばさんは、お会計を済ませると、「忘れてた。にんじん、いっぱいもらったから、香菜ちゃんにおすそ分けしようと思って」と、スーパーの袋を私に手渡した。中には太くて大きなにんじんがぎっしり入っていて、私は大きな声で「ありがとう〜!」と喜んだ。「そんなに喜んでもらえたら、嬉しいわね」と、おばさんはおじさんの顔を見た。「だな」とおじさんは、おばさんの顔を見て頷く。その様子を、私は微笑ましく眺めていた。

いい夫婦って、顔も似てるし、なんだか雰囲気も似てるんだなぁなんて。


🍫


「達也、今日は来ないのかな。来ると思ったのにな。毎年バレンタインデーは、必ず来てたのに」
私は、厨房で唐揚げを揚げながら、つぶやいた。

今年のバレンタインデーは金曜日。
いつもよりなんだか慌ただしい。いつもは金曜日に来ないお客さんも、「香菜ちゃんのチョコレートをもらいに、仕事が終わって来ちゃったよ」と顔を出してくれる。

水玉食堂では、バレンタインデーにチョコレートをお土産で渡すのが、定番になっていた。母がお店をやっていた時からの風習。私が学生の頃からのイベントで、母が亡くなって私が店を継いでからも、続けている大事なイベントだ。学生の時からチョコレートは私が作っていたから、みんな「香菜ちゃんのチョコレート」を楽しみにしてくれているようで、なんだか誇らしい。

学生の時は、溶かして固めただけのチョコレートだったけど、それでもみんな喜んでくれた。そういう体験が、私を料理好きにしたのかもしれないと、今となっては思ったりもする。

今回使ったオートミールは、実はダイエットで大量に買い込んだのに、消費できなかったオートミールの残りものだ。残り物で申し訳ないと思いつつ、オートミール消費のために試しに作ったクランチチョコレートが美味しかったので、味には自信がある。オートミールも使い切れて、みんなに美味しいチョコも渡せて、一石二鳥。

お客さんに唐揚げ定食を出した後、私は厨房に戻り冷蔵庫を開けた。

大量の水玉模様のラッピングとは別に、淡い水色のリボンで綺麗にラッピングされた箱が、ひとつ入っている。

── 達也用。

今日、達也が店に来てくれたら、クランチチョコレートとは別に、丹生込めて作った生チョコトリュフを渡すんだ。十年以上も焦がし続けた想いを、今日こそ伝えたい。今年こそは、と私は冷蔵庫の冷たい空気を、肺いっぱいに吸い込んだ。

ガラガラと店の戸が開いて、お客さんが入ってきた。

「いらっしゃいませ〜」
私は、入り口を一瞥する。その瞬間、心臓が飛び跳ねた。── 達也だ。

「おう、香菜。トンカツ定食、よろしく」
達也がこちらを見て、手を挙げた。店内をぐるりと見回して、空いている席に勝手に座る。いつもと同じで、いつもと同じようにカッコいい。

「了解!ご飯は大盛り?ビールは?」
「飯は大盛りで。今日はビールはいいわ」

達也がこちらを一瞥し、目が合った。私は努めて平静を装い、声をかける。

「金曜日なのに?珍しいね」
達也が一瞬、目を逸らした。
「ああ、今はいいかな」

なんだかいつもと雰囲気が違う気がする。私の胸がざわついた。嫌な予感がする。そう言えば、いつもよりおしゃれなスーツを着ている気もした。コートを脱いだ下のスーツは、きっちりとした三揃いのスーツで、トキメキとざわつきが、私の心でないまぜになった。座った椅子の横に置いたカバンの脇には、おしゃれなチョコレート店の紙袋。会社の誰かにもらったのかもしれない。私は、小さくため息をつく。

達也はものすごくイケメンというわけではないけれど、笑った顔がとにかく可愛い。少し垂れ目で、犬っぽい雰囲気。今でも学生時代からの友達とサッカーをしていて、筋肉もしっかりついている。ピッタリとしたスーツを着ると、細マッチョなのがよくわかる。取っ付きやすそうな印象もあるから、結構モテるタイプだ。できればモテないように、サイズの合ってない大きめのスーツを着ていって欲しいと、こっそり願ったりもする。

私は店の時計を見た。
夜八時。

達也は予定がない時は、夜七時には店に来る。金曜日は残業をしない主義らしい。でも今日は、来店時間が遅かった。それに、カバンの横のチョコレートの紙袋が気になる。もしかして、誰かと会ってきた帰りだろうか。トンカツ定食を食べるくらいだから、食事はしていないのかもしれない。でも、お酒を飲まないというのがいつもと違っていて、なんだか落ち着かない。

からりと揚がったトンカツを、千切りキャベツの横に載せる。
トンカツ定食はヒレとロースが一枚ずつだけど、達也の好きなロースカツを一枚多めに載せた。

「おまたせ〜」
「待った待った。今日は急に急ぎの仕事が入って、バタバタしてたんだよ。昼も食べ損ねたから、腹が減って仕方なくて。いただきまーす!」
達也はぱちんと両手を合わせた。はじめに味噌汁を啜ってから、トンカツ定食を食べ始める。いつもと変わらない様子に、安堵する。

達也が食事をしている間も、今日はお客さんが入れ替わり立ち替わりやってきた。閉店は九時。達也の脇のチョコレートの謎を考える暇もなく、私はバタバタと仕事をこなす。達也が帰ってしまわないかと、ドキドキしながら。


🍫


最後のお客さんに、クランチチョコレートを渡し、店の戸を締めた。店内を一瞥すると、まだ達也は八時に来た時と同じ場所に座っていて、胸を撫で下ろす。

綺麗に食べ終わった皿の前で、達也はスマホをいじっていた。

いつもなら、達也は食べ終えると自分で皿を片付けてくれるから、まだ食べ終わっていないものだと思い込んでいたけど、そうではなかったらしい。よく考えたら、いつもは15分くらいで食べ終えるのだから、こんなに時間がかかるわけがなかった。もしかして私を待っていたのかもと想像し、急に心拍が速くなる。

私のチョコレートを、待っててくれてるのかな?
それとも、誰かと付き合うことになったとか?
わざわざそれを報告するために、今日来たの?

あらぬ想像が頭の中を駆け巡る。とっとっとっと、心臓が早鐘を打った。私は達也の前に立つと、平静を装いながら「お皿、引いちゃうね」と、トレーを手にした。

「金曜日なのに、本当に飲まなくてよかったの?」
達也はスマホから顔を上げた。視線が絡まって、心臓が大きな音を立てる。

「香菜は今から飯?」
「あ、うん」
私は小さく頷く。

「久しぶりに一緒に飲まない?」


🍻


瓶ビールをお互いのグラスに注いで、カチンと小さく乾杯した。

「おつかれ〜」
「お疲れさま」

二人ともグラスのビールを、一気に空にする。
「仕事終わりのビールはうまいねぇ」
「だな」
そういうと、二杯目をグラスに注ぐ。

「残り物しかなくて、ごめんね」
私はテーブルに並べたつまみを一瞥した。
イワシ缶のトマト煮と枝豆、モツ煮に冷奴。ポテサラと味玉。

無意識に達也の好きなものを並べてしまっている乙女心に、急に恥ずかしくなる。

「俺の好きなのばっかりじゃん。全然オッケー。それに俺は、もう飯食ったしな」
達也は、味玉に箸を伸ばすと、大きな口を開けて一口で頬張った。
「うんまっ」
美味しそうな笑顔を向けられて、思わず胸が苦しくなる。

告白するって決めたけど、フラれたらもう店に来てもらえなくなるかもしれない。そんなこと考えると、どうしても躊躇してしまう。そうやって告白を諦めて、もう何年経ったんだっけ。

突然店で飲もうなんて提案、今までなかった気がする。嫌な報告だったらどうしよう。最近、達也と恋バナをしていなかったなと思い返す。近況をリサーチしておくべきだった。自分のことで頭がいっぱいで、達也の現状を確認し忘れていた。いつの間にか彼女ができてる可能性だってあったんだ。

私は急に、ネガティブなことを考え始めてしまった。
達也に気づかれないように、小さく深呼吸する。

でも、今日は決めたんだ。絶対に言う。私は気持ちを新たにし、ふっと息を吐くと、ビールを飲み干した。閉店後の店で一緒に飲むなんて、千載一遇のチャンス。日和るな、香菜。

ビールを取りに行くついでに、冷蔵庫からお土産用のクランチチョコと、本命チョコの生チョコトリュフを取り出した。テーブルに瓶を置き、さりげなくチョコを椅子の上に乗せる。

「これ。毎年恒例のバレンタインチョコ」

私は水玉のラッピングのクランチチョコレートを、テーブル越しに達也に手渡した。
「おお、ありがとう!毎年、香菜のチョコが楽しみなんだよな〜。今年は何?昨年は、チョコのクッキーだったっけ?」
「今年はクランチチョコだよ。オートミールとピーナッツが入ってんの。美味しいよ。絶品」

達也は眉根を寄せた。
「オートミール? もしかして香菜が、ダイエットに大量に買ったやつ? お前、自分が食い切れなかったからって、客に出すなよ〜。それにクランチチョコだったら、コーンフレークじゃねーの?」
私は、瞬時にムッとする。
「食べきれなかったからとかじゃないんだって! 健康にいいんだし、マジでうまいから。コーンフレークも美味しいけど、オートミールも美味しいんだって。シノゴの言わずに、食べてから文句言いなよ」

ふんっと私は、口を尖らす。
達也は「わかったわかった。食べてから言いますよ〜」と、早速、ラッピングしたチョコを開けた。

チョコをつまんで、一口で頬張る。
「ん。うまいかも」
「でしょ〜。オートミールコンフレーク戦争は私の勝利だね」
私が鼻を鳴らすと、「どっちもうまいから、香菜の勝利ってことじゃない」と達也は笑った。

談笑の後、一瞬、沈黙が走る。
「あのさ……、香菜、俺……」
達也が静寂を破った。真剣な表情で、少し私から目を逸らしているのがわかる。

なんだか嫌な予感がする。

嫌な報告を聞く前に、私が先に告白する!
香菜、頑張れ!砕け散っても、悔いはない!

私は覚悟を決めて、生チョコトリュフの箱に手を伸ばした。


── ガチャンガチャン


その時、店の戸を、誰かが叩く音がした。


🍫


戸を開けると、紫色のリボンを首に巻いた黒猫が座っていた。
菖蒲あやめさん?!」

私は店に黒猫を招き入れる。
「どうしたの?店の入り口からわざわざ入ってくるなんて」

お友達の黒猫、菖蒲さんに声をかけると、菖蒲さんは、店内にゆっくりと入ってきた。菖蒲さんは口に何かを咥えている。私は目に入った薄汚れたものに気づき、「ぎゃっ」と大声で叫んだ。

「どうした! 香菜?」
叫び声を聞いた達也が、私のそばに駆け寄ってきた。
「ね、ネズミが……」
私は菖蒲さんが咥えているぐったりとしたネズミを一瞥し、身震いした。ネズミが特別嫌いなわけじゃないけど、リアルなネズミって、正直、間近で見たことない。うなだれた生々しさが、ちょっと気持ち悪い。

「しっしっ」
達也が菖蒲さんを追い出そうとするので、「菖蒲さんは追い出さなくていいんだけど、ネズミだけはちょっと……」と私は、前に立っていた達也の肩に、そっと手を置いた。

「あやめさん? 猫の名前? 香菜、猫飼ってたっけ?」
「いや、飼ってないけど。この間、友達になったの」
「友達? いまいち意味わかんないけど……、まあ、ネズミだけ外に出せばいいわけね」

私が小さく頷くと、達也はその場にしゃがみ込んだ。
「ほら、猫ちゃん。そのネズミ、こっちにちょうだい」
達也が猫ちゃんと言った瞬間、菖蒲さんの眉間に皺が寄る。
「猫ちゃんじゃなくて、菖蒲さんだって」
「はぁ? いいじゃん。どっちでも」

「ごめんね、菖蒲さん。あとでちゃんと言っとくから」
私が菖蒲さんに両手を合わせて謝ると、菖蒲さんは、口に咥えていたネズミをその場に置いた。菖蒲さんはぷいと踵を返すと、開いていた入口の隙間から、するりと外へ出ていった。

「あ〜あ、菖蒲さん、出ていっちゃったよ。怒っちゃたのかなぁ。明日、謝っとこ」
私は外に出た。人通りの少ない道をゆったりと歩いていく菖蒲さんを見送りながら、「菖蒲さ〜ん、ごめんね。今度から、ネズミのお土産はいらないからね〜」と声をかけた。

店内では、しゃがんだ達也が手にネズミを乗せたまま、じっと固まっていた。
「香菜……」
上目遣いで、達也が私に目配せをする。
「はやく外に出しちゃってよ」
「これ……、ネズミじゃないっ!」


🍫


「いやぁ、すまんねぇ。今日は、あんまり寒かったけん、凍傷になりかけとったんや。あの猫ちゃんが俺のこと見つけてくれんやったら、俺、あのまんま死んどったな」
湯を張った丼を風呂に見立て、丼の中でくつろいでいる丸裸の小さなおじさんが、大きな口を開けてガハハと笑った。さながら目玉親父に見える。

私は、この状況を飲み込めずにいた。
菖蒲さんが持ってきたネズミだと思っていた生き物が、まさかの小さいおじさんだなんて。
しかも、動いて喋っている。

隣の達也に目を向けるが、達也も何が起きているかよくわからないと言った様子で体長10cmほどの小さなおじさんを見つめている。
おじさんは私たちのことなど気にする様子もなく、風呂を満喫しているようだった。

「いやね、雪まつりっちゅーのを見たくて、福岡から電車を乗り継いで北海道まで行こうと思ったんやけどさ、遠いのな、北海道。開催期間に間に合わんで、諦めて関東でもぶらついて帰ろうと思ったら、めちゃくちゃ寒くって。まさか凍傷になりかけるとはねぇ。猫ちゃんが神社の隅でうずくまっとる俺を見つけてくれて、ここまで運んでくれたんやな。あの猫ちゃんもあんたらも、俺の命の恩人や。ありがとな〜」

小さいおじさんは、丼のお湯で顔をバシャバシャと洗った。金色とも白髪ともつかない髪を湯で撫でつけながら、状況を丁寧に教えてくれた。それより何より、存在が気になって仕方がない。体が小さいだけで、普通の人間と全く同じに見える。

「それよりあんた何者なの?」
達也が、口火を切った。
「そうそう。何者?目玉の親父?」

おじさんは、ははっと笑う。
「目玉のおやじは、顔が目玉やないかい。サイズ的には似とるけどな。まあ、焦りなさんなって。それより、体はあったまったけん、タオル貸してくれる?お嬢ちゃん。あと、ここは飯屋かいな。あそこに見えるポテサラと、モツ煮がうまそうやなぁ。あと、日本酒もあったら、ちょっと欲しいけど。見ての通り俺は小さいから、仏さんにあげるつもりで、ちょこっとお供えしてくれんかな?」
「別にいいけど……」

私はよくわからないまま、小さいおじさんにハンドタオルを渡して、小皿にポテサラとモツ煮を取り分けた。爪楊枝をお箸に見立てて、おじさんに二本渡す。日本酒をお猪口に注いで、おじさんの前に置いた。

おじさんは綺麗に体を拭くと、洋服を着て、どっかとテーブルに腰を下ろした。デニムのズボンに、白いTシャツ、その上に革ジャンを羽織っている。よく見ると一丁前にオシャレな格好をしていた。しかしこの寒い中、そんな薄着じゃ、凍えるのも当たり前じゃないか、と私は思う。

おじさんは、顔をお猪口に近づけてずずっと日本酒を啜った。
「はぁ、うまいねぇ。よしよし、次はポテトサラダをいただきますか」
一人でぶつぶつ言いながら、ポテサラを食べては酒を飲み、モツ煮を食べては酒を飲んだ。

「何してんの。あんたたちも一緒に食べんね。遠慮はいらんよ。ほらほら」

いや、なんでおっさんが仕切ってんの、と突っ込みたくなったが、私は促されるまま席についた。達也もしぶしぶ席につく。
「お嬢さんとお兄さんは、何飲んでたの?」
おじさんに聞かれて、二人で顔を見合わせた。
「ビール?」
「ほら、じゃあ新しいの注いで、この出会いに乾杯でもしようやないの」

よくわからない夜になってしまった。
一世一代の告白をするつもりだったのに……。

私は隣の椅子の上にぽつんと置かれたままの、生チョコトリュフの箱を一瞥する。
「もう溶けてるかも……」
下唇を薄く噛んで、小さくため息をついた。新しいビールを持ってくるために、席を立つ。これ以上溶けてしまわないように、こっそり箱を持って。

達也と私は、言われるままにおじさんと乾杯をした。
しかし、小さなおじさんとの酒の席はあまりに楽しすぎた。告白のことなんて、すっかり忘れてしまうくらいに。おじさんの口から、次から次に出てくる武勇伝は、突拍子もない作り話のようで、あまりに面白すぎて、二人で腹を抱えて笑い続けた。おじさんは涙を流しながら笑う私たちの顔を交互に眺めた。そして、ぽんと膝を打った。


「香菜と達也は、笑った顔が、よう似とるなぁ」









この作品は第三話です。

↓↓↓ 第一話

雨宿りをしている不思議なお客様との出会い。


↓↓↓ 第二話

菖蒲さんとの出会い。


↓↓↓ 3.5話 達也目線の番外編



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