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無職看護師のすすめ|雑草という名の草はない


「雑草という名の草はない」



今日実家の庭の雑草を抜きながら
この言葉を思い出しました。


雑草(と思っていた)草たちを無心で
ばしばし抜いていってたのですが、
根っこまできれいにすぱっと抜けたときの快感と同時に、
これはほんとに抜いてもいい雑草なのだろうか、、、
息の根を止めるとか
根こそぎ持っていくとはこういうことか〜
みたいなことを体現したと言いますか、、
切ないというか、なんだかノスタルジックだな、
(多分ここでいうノスタルジックは意味が違いますね)
っていうかそもそも雑草っていう名前の草はないんじゃなかったっけ、、、
みたいな思いを巡らせ、上の名言を思い出しました。


わたしがこの言葉を知ったのは
有川浩さんの「植物図鑑」でした。
読んだ当時はなるほどな~と思ったくらいで
それからこの言葉を思い出すことはなかなか
なかったのですが、
年月を重ねて、このタイミングで
この言葉を思い出したので、
これについてもう少し考えてみようと思いました。






「雑草という名の草はない」


牧野富太郎さんが話されていて、
その言葉を昭和天皇が紹介したもののようです。
いろいろ見てたら続きにはこういうのがあるそうです、

植物は人間がいなくても少しも構わずに生活するが、人間は植物が無くては生活の出来ぬ事である。そうすると、植物と人間とを比べると人間の方が植物より弱虫であるといえよう。つまり人間は植物に向こうてオジギをせねばならぬ立場にある。

『牧野富太郎 植物博士の人生図鑑』著者/牧野富太郎 
出版社/平凡社   



なるほどな〜。
草たちにもそれぞれ名前があるし、
それぞれが好きなところで根をおろして
生きている。(生きているという表現が
合っているのかは分かりません)
どんなに固いアスファルトの間からも顔出して
そこに根をおろしているんですもの。
どこで生きようが雑草の勝手ですよね。
根をおろしたところがそこだったんだから。


けど畑とか花壇とか他の植物に悪影響を
及ぼすような強い雑草とかは
農家さんとかプロの方にとっては迷惑極まりない
ものもあるとは思いますけれども。
雑草駆除とかのお薬もありますしね。


なんか結局何が言いたいか分からなくなって
きてしまいましたが、
雑草って強いしどこにでも生えてて
うざったいだけのときもあるけど
雑草ひとつひとつにも名前があるということを考えたら
それぞれの人生なにひとつ無駄なことなんて
ないんだなーと。
(けっこうぶっ飛んだところに着地しましたすみません)

あと、どんなに忙しない毎日の中でも、
雑草を見たら、
この雑草たちにもちゃんと名前はあるんだな〜と
思い出すくらいには気持ちの余裕を
少しは持って生きていたいなと思いました。🌿

あとあと、雑草のように何食わぬ顔で
どしっと構えていたいです。
ど根性でいたいとかは全く思わないけど、
「わたしはここで生えたいから生えてるだけですけど
何か?」みたいな感じで
生きていきたいかもしれないと思いました。





無職期間中step1から始まり、
なかなかメンタルを保ちながら
生きていくのに必死な毎日ですが、
とりあえず先のことを考えすぎずに
今の目の前の幸せをかみしめてみようと
とりあえず興味があることをまずやってみることにしました。
それで数日前に思いついたのが
花を植えよう!です。

冬ですし、寒さにも強そうな
ビオラとよく咲くすみれという花を買ってきて
(スーパーでセールしていた)
実家に放置されていたプランターに
植えてみました🪴
それでついでに気になった雑草に目がいって
とりあえず無心で雑草を抜き続けていたときに
上の言葉を思い出したわけです。
土いじりって無心になれてすごくいいなと
思いました。
時間があると余計なことばっかり
考えてしまっているので、
何も考えずに没頭できるこの雑草抜きと土いじり
すごくよかったです。



今回の1枚はスイスのラウターブルンネンで
食べたドーナツです。🍩
そろそろ旅のことも振り返らなければ。


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