雨を飲むように
雨自体は割と好きだと思う。
雨の降る直前まではとんどといっていいほど抗いがたい眠気と気怠さに襲われて、滔々とした時間をやり過ごすのだけれども、安定した心地でぐったりとするのは悪くない。
マンションのベランダでの予測を綺麗に裏切られ、エレベーターが一階に付いた頃に小雨にパラパラと降られることがある。そういう時は構わずに出かけてしまうのだけれども、帰って熱いシャワーを浴びてさっぱりとした気分になるのが好きなので、降られることだって決して嫌いではなかったりする。それに、普段あまり水を飲まない自分にとって全身で水を感じ吸収することは、偶然とはいえどこか必要だったようにも感じられるのだ。
昔読んだ、サバという猫との暮らしを描いている大島弓子のエッセイ漫画のどれかに、雨に打たれている木々を見ながら、
”ああ 新緑がうまそうに水を飲む瞬間だ”
というカットがあった。古い記憶なので言葉が少しあやふやなのだけれども、シンプルな線で描かれたほこっと嬉しそうな様相の木々と、その先に揺れる葉っぱがなんとも可愛らしく、じんわりと脳裏によみがえってくる。
それから雨の日には、時折、辺りに生えている草や木や、整列している街路樹などを探しながら散歩する。雨に濡れるのが嫌いではない自分と、雨を必要としている植物がどこか遠いところでリンクするのだろう。靄のかかったような視界のなか、確かに緑はいやに冴え冴えとしている。
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