歌舞伎NEXT《朧の森に棲む鬼》の幸四郎丈版ライへの感想:国を得て弟分を失くした男
無事にWキャストの両方観ることができました。
松也丈版は12/2(月)昼、幸四郎丈版は12/11(水)昼。
松也丈ライは自分の嘘から得た成功を養分にしてどんどん体積を増してゆく欲望の猛獣のようで、彼を主人公にした物語は、暗黒面のジュブナイル的痛快さも含んでいる。事態への満足と己の能力への自信。主力の武器が剣腕でなく舌先なだけで、陰険な権謀術数とそれを恥としない厚顔な姿勢は、『燃えよ剣』上巻の土方歳三によく似ている。(人の懐に入るのが巧いし濡れ事に慣れているしそれでいて女性にドライな点でもそうだ)
序盤ではちょっとズル賢くって目端が利くだけの村のあんちゃん、という程度でしかなかった一介の青年が、もりもりゴリゴリと周囲を削り取り呑み込んで巨大な粘菌のように己が権力を増していくさまを我々観客は追っていて、ゆえに最後の “森の魔物すら取り込んでやる” という発言とその実行が、それまでの生き方とすんなり繋がる。行動原理が一直線に伸びている。一人の男が現世を走り切ったのを見届けた、というカタルシスが得られる。
物語を通じて、松也丈ライは、何者でもない一田舎者から立身出世して、いわば一代の英雄となって果てる。ライの階級が上がるにつれて、重たく、どすの効いた、時代物的な声域を松也丈が多用するのもその意識だろうと思われる。
(そしてそれは松也丈が長いこと憧れてらしたという新感染版の現幸四郎丈ライの姿と物語を踏襲されているのだろうとも思われる。その組み立てで、松也丈が今の自分の肉体と魂をもってライを演じると斯うなるのだ、というプランに思われた。)
一方、(今の)幸四郎丈ライは、弟分を体よく使って微々たる旨い汁を吸っているチンピラとして現れて、成功を重ね階級を上がっていっても、根本のチンピラ気質は変化しない。いつまでも甲高い、人の気にざらざらと障るような、他者をバカにするような声音が彼の素性を伝えている(という造形を幸四郎丈がなさっていると思われる)。教養も人間性も貧弱な、ただ状況の読みが鋭く抜け目無く立ち回ることに長けている、憐みの情に薄い小人物が、己は何の成長も無く、錦の着物や眩い甲冑をちっぽけな身体に厚く重ねているだけだ。
幸四郎丈ならば、松也丈がなさっているように、堂々たる悪を重々しく体現することも出来るのに、あえてそうなさっていない(とわたしには見えた)。どこまでも軽く、せせこましく、ゲスい。分類するなら大親分マダレでなく小悪党アラドウジにより近いキャラクター。ただ巡り合わせと才覚がアラドウジより遥かに良かっただけのことで。
彼の魂は、僅かな食物と端金さえ得られれば他に何の大望も無かったあの頃から全く変化していない。より多くの、より高みにある、手が届かないはずだったものを掴み取り揉み砕く蹂躙欲に突き動かされているだけで、それらを得たところで束の間の刺激に酔うだけで、成長の満足も無く幸福の充足も無い。そしてライ自身、己の貧しさに気づいていないし自覚できるだけの度量を持ち合わせてもいない。
元が《リチャード三世》であれば、その脚本の根底に設定された “肉体的魅力を元来損なっている” アピールハンデを知能によって覆す小男、という、マイナス条件に囚われない成功体験の快さを観客も愉しむ側面を松也丈ライが強く引き継いでおり、狡猾でみっともなく精神の卑しい悪党が激動の政変をすばしこく這い回り野望を達成しかけるが遂には滅ぶ、という懲悪的自滅を見て留飲を下げる側面を幸四郎丈が強く引き継いでいるようだ。
松也丈ライの破滅は、欲望で膨らみきった肉体が人のかたちを留めていられなくなって崩落したように(※『AKIRA』終盤の鉄男を連想する)、老衰に似た偶発的な或る一点が境目であるように思われたが、ひきかえ幸四郎丈ライの破滅には明確な契機が在ったように思う。
キンタを失わされた血人形の事件である。
いや~~ こんなあッからさまにライが動揺するなんて。嘘を吐く際には雄弁にひらひらと動くライの掌が、ずぅっとぎゅうって握り締められてて、いや完全に丸く締めるんでなく形は平常を保とうと無意識に制御が働いてるんだけど知らず知らず力が入って、反対に血流は途絶えてその指先が冷えてるのが感じられた。キンタが死ぬ、キンタを失う、って確定事実がぐるぐる頭を回ってて、混乱と恐怖に身が竦んでいるように見えた。
シュテン一行が去った後の悔しさ滾る咆哮も、松也丈ライは嘘の達人たる自分が欺かれたことへのブチ切れ立腹に見えたけど(つまり自分に対する攻撃に激怒しているわけで、そこにキンタの影響は無い)、
幸四郎丈ライは自分の口から出すことで、自分の舌が紡いだ “嘘” を数々 “真” に変えてきたこれまでのように、死を宣言されたキンタの運命まで嘘の力で変えてやると、己を鼓舞しているように感じられた。
鼓舞せずには居られないほど、ショックを受けているのだと。
そうまでライにとってキンタが大きい存在であるのなら。
ライが口にし続けた、「お前だけは騙さねぇ」「弟分だ」「お前は永遠の(オレの)弟分だ」が全て真実なのではないか。
キンタに向けた関係性の確約は、ライの発した数少ない真実だったのではないか。
血人形の矛先のずらしは、ライがキンタを呪いの身代わりにしようと、意図的に行ったわけではなかった。なんとなく嫌な予感がして、ちょっと誤魔化してみただけなのだ。まさかこんなことになるなんて思わなかったけどな、のセリフは、松也丈ライでは収まらない憤懣の吐き捨てを兼ねた軽口に過ぎないが、幸四郎丈ライ版は滲む苦さで自嘲に聞こえる。知っていたなら、大事な弟分を捨て駒になぞしなかった。するわけがなかった。
シュテンによって、ライは【弟分を身代わりにして己を守った極悪人】にされてしまったのだ。
それをこの時点では、ライだけが知っている。ライだけがその苦しみを抱えている。誰にも、いちばん身近な弟分にも、当然打ち明けられはしない。
その血人形と再会し、もはや一撃は免れないと悟ったとき、ライは肚を決めて最善手を選び出す。焼けた砂へ咄嗟に素手を突っ込んで掴み出したような痛みがそこには在ったのではないか。
目を潰せよ、とシュテンに嗾ける幸四郎丈ライの目は、見開かれて空へ向けられている。挑むようで、しかしそのじつ怯えている。シュテンがうまく乗るかどうか。キンタの喉首に迫った刃を狙い通り逸らせられるか。その瀬戸際の恐怖を悟られないように、あえて無鉄砲に、愚かで短絡な挑発者を演じる。シュテンの怒りを掻き立てて、不敵な輩に望み通り惨たらしい罰をくれてやろうと勢い込むように唆す。
目は失っても、キンタの命は助けられる。
しかしそのことを、キンタのためにしていることを、ライ本人はそれほど自覚していないように思われる。キンタをそんな境遇に堕としたのは他ならぬ自分なのだから。自分さえ人形にキンタの血を付けなければ、他の手段で誤魔化していたのなら、キンタはこれほど追いつめられてはいないのだ。その罪の意識と自責の念で自らの神経を焼かれながら、ライの生存本能はそれら丸ごとを無視しようと覆い隠す。いま直視しては生きられない。シュテンはそれほどの強敵だ。情に浸れば命が無い。今はこの場を切り抜けることが最重要だ。そのためにはキンタは捨てると判断した。生きるためだ、オレが生き残るためだ!それのどこに非があるか!
目を潰された激痛にキンタが喚き藻掻くのを聞きながら、ライは意識の半分で己の頭蓋の内側で割鐘のようにがなり立てられる理屈を身に染み込ませ、もう半分は感覚を絶っているように思う。本心なんざどうでもいい。口から出まかせ、ハッタリの王者。殊更に悪ぶって、悪辣に見せる。敵も味方も、その残虐さに腰が引ければ狙い通りだ。慣れ親しんだ戦法に身を任せるだけでいい────
そうして、半ばオート操縦で、ライはシュテンを下し、キンタを斬る。仕方が無かった。自分が望んだ道ではなかった。選ばされた道なのだ。
ライのその行為を見て、マダレは呆れ、驚いている。キンタさえ捨てるのか、と。人の欲望の渦を長年泳ぎ潜り抜け、人を見る確かな眼識のあるマダレさえ、キンタをライが切り捨てるとは思っていなかったことが窺える。それほどの仲に見えたのだ。そうしてマダレが見てとった信頼と親愛の関係は、幸四郎丈ライの場合、真実だったと思われる。
キンタを犠牲にさせられた怒りと恨みは、物語が進んでもシュテンとの絡みで現れてくる。「血人形」の言葉が出るたびに、幸四郎丈ライは反応を見せる。
牢でのシュテンとの対峙時には殊更、膨らんだ憎悪をシュテンにぶつける。ここでのライが、身体を張ったシュテンのブラフに行動を封じられるのは、血人形の脅威そのものに逡巡したというよりは(松也丈ライはそう見える)、キンタを失った痛手が新鮮に呼び覚まされて冷静な思考が妨げられているからと見えた。通常のライの頭の回転速度なら「マダレに自分を殺させればいい」の結論がもっとスムーズに出たはずだ。マダレとツナに逃げられることもなかっただろう。シュテンが採った行動が「血人形」だったからデバフがかかったのだ。キンタを失ったあのことがライにとっての急所だから、狼狽して足止めをされたのだ。
オオキミとシキブの毒殺排除が成功し、己が最高権力者の地位に就ける未来が確実になった頃から、ライは少しずつ生者でなくなっていたのかもしれない。本来巡るべき健康な赤い血に代わって、自身が生み出した真っ赤な嘘が身体を流れているのだろうか。血の気の失せた白い顔の皮膚の薄い箇所は不健康に黒ずみ、生きながら身を蝕まれ始めているようだった。 (ライを斬り裂いたツナが言う、「お前の血だけは本物のようだな」が耳に残る)
時系列を考えると、そのダメージは、キンタを失った頃から始まるのではないか。
嘘をつく能力の無い、真ッ正直な、ライの対極の存在であるようなキンタを手元に置いておくことで、知らず知らずのうちにライは、自らの嘘が生む毒の侵蝕被害を免れていたのではなかろうか。常に本心をさらけ出して生きていたキンタによって、救われていたのではないだろうか。
そのキンタとの再会時、ライの言葉は、キンタにはもう響かない。アニキの言うことなら何でも鵜呑みに信じこんでいたあのキンタが、ライの必死の口説きを鼻で笑う。
もう駄目だよアニキ、騙されねぇよ、と、言うキンタの顔は、少し寂しげに笑っている。『また都合よく抱き込もうとしてるんだろ、その手は食わねぇよ』といなす嘲弄でもあり、『オレを騙したあの時とアンタは何も変わってねぇんだな』と幻滅の痛みを味わい直す、元・無二の兄弟分を憐れむ微笑みでもあるのだろう。
人を欺き続けてきたライが、いま嘘の報いを受けている。
狼が来たと度々村人を扇動した少年が、やがて同じ口から真実を叫んでも、最早信じてもらえなかったように。
きれいは汚い、汚いはきれい。嘘は真に、真は嘘に。
嘘を真にし続けてきた男が、たったひとつ、ただひとり、本当のことを言い続けていた相手に、真を嘘にされてしまう。常勝の嘘つきが、反転されて敗北する。
その瞬間に嘘の王の滅びが決定したのだとわたしは思う。
そしてもうひとつ、ライに大打撃を与えたのは、キンタの関心の薄さではないか。
アニキアニキと尻尾を振ってまとわりつく仔犬のようにライにべったりだったキンタが、今やライと距離を取り、敵対者の一人としてのみ対峙する。大事な夫と幼馴染を殺されたツナのように、燃え滾る復讐の殺意を向けてくるわけではない。自分から光を奪った恨みを怒気に変えて叩きつけてくるわけでも、かつての兄貴分をせめて自分の手で冥府に送ってやろうと温情をかけてくれたわけでもない。国を牛耳りつつある巨悪を仲間と共に屠ること、それがライの前に現れたキンタの第一目的に思われる。
ふたりぼっちで、この人と頼んだ兄貴分を信じきって生きてきたキンタは、ライを失ってもひとりぼっちにはならなかった。一生を(向こうから無理やりにでも)共にするオクマが居る。ツナやマダレも信頼できる仲間となるだろう。
キンタにとって、ライはもうたった一人の特別な存在ではなくなった。ライの言葉が響かないのも、今のキンタにはライの言葉も本心も、どうでもいいようなものだからだ。
(挑発を兼ねた舌戦のうちとはいえ、)憎悪も怒気も自分に向けられる激情はすべて甘露、他者の脳内が己で占められることこそが喜悦だと言い放ったライには、【関心を向けられないこと】こそが最も堪える攻撃ではないか。
それも唯一心を許した弟分に。
ライにとって、替えの利かないたったひとりの、真実を話せる相手だったキンタに。
そう思ったら辛くて辛くて…………
松也丈ライは最後の宙乗りで泣いたんすけど幸四郎丈ライはそんなわけで右近丈キンタの「効かねぇよ」みたいなセリフが刺さったんすよ…… その直前から アアアそういうことかァァアア!!!!来る来る来る来る来ちゃぁぁぁぁぁう!!!!!キンタの最終通告聞かされんぞラァァイ!!!!!て震え上がったし数秒後のセリフでボエ~~~~~って泣いた…… ラァイ…………
最大打撃の "干乾びる" 理由はキンタを失ったことだと思うんだよ…………
ずっとアニキに潤いを与えてほとびらかしてくれてたんだよキンタは…… そのまぬけなまでの明るさとアニキへの慕情でさ…………
というのが幸四郎丈ライの《朧の森に棲む鬼》の感想でした。いや~~びっくりした。こんな物語に見えるなんて思わなかったんだよホントに…………
最後の宙乗りは、席が所謂お迎え席で客観性が保てなかったことと、なさってる様子からしてライというより幸四郎丈が飛んでるな、という印象で、物語に内包した解釈は出来てないです。
もう一回松也丈ライを観直してみたいな~~……
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