心に棲む麒麟を追い出せ
さて、新年度になったので、サボりにサボってたnoteでも書きましょうかね。
このキリンさんの内容、個人的にすごく好きで先日 Voicyで放送した。
が、歩きながら収録したせいで実にcrazyにnoisyなVoicyになったので、テキスト化しようと思った。
なお、このnoteはシンおっさん教員という書籍の1チャプターになる予定だ。
麒麟とは?
さて、いきなり出てきたパワーワード『麒麟』
この麒麟って何なのか、自分でやると面倒くさいので、さっそくChatGPTさんにまとめてもらった。
そう、架空の動物だ。あれだ、幻獣だ。
ちなみにカタカナでキリンと表現した場合は、みなさんおなじみ、サバンナに住む、あのゾウさん、ライオンさん、キリンさんの、あの実在するキリンになる。
なお、ここで麒麟とキリンは対照的なメタファになる。
幻獣を追い求め破綻する学級経営
繰り返すが、麒麟というのはこの世界に実在しない幻獣だ。
何かとこういうものに、人はロマンを感じ、追い求める。
さて、教員の世界でも麒麟を追いかけているシーンがある。
SNSを見渡せば、何かと理想論が描かれる。
こんな学級経営ができるといいですよ、あんな授業ができるといいですよ、といった理想の麒麟がTwitterやInstagramというサバンナに解き放たれ、いいねが送られる。
数千のフォロワーを持つインフルエンサーが、図解や箇条書きで丁寧に発信してみんながいいねをしていると、物質化され、あたかも手触りのあるようなものに見えてしまう。
さて、その麒麟を放っている人、そもそも存在するのだろうか。という二重麒麟構造が起こっている。
匿名の教員が発信した、匿名の教育実践。
麒麟が麒麟を生んでいる可能性はないだろうか。
その一例が、◯◯ない系の発信だ。
教えない、叱らない、何もしない
ないない麒麟ワールドだ。
(※わんわんワンダーランドのオマージュだ)
こういった麒麟ワールドの教育活動には相当な技量が必要だ。
そんな高度な教育活動が、安易に、カジュアルに発信され、それが理想だと盲信する。
もう、言ってはなんだが、そんじょそこらの教員ができるそれじゃない。
達人クラスの技量を持つ教員でないと到達できない高みだ。
箇条書きと図解でいいねを集める教員の学級は、果たしてそんな高みにあるのだろうか。
地べたのサバンナではなく、雲がかかるキリマンジャロのてっぺんの小屋に住んでいるような達人にしかできない芸当のはずだ。
だから再現性は極めて低い。
にも関わらず、盲信し、安易に実践に移し、破綻する。
こういう悲劇が少なくない頻度で起こっていると聞く。
でもまあキリンはいる
さて、では実在するキリンは何のメタファか。
それは実名発信していて、授業がメディアに公開されている教員が世に解き放つキリンだ。
僕はこのキリンを乗りこなすことに憧れた。
具体的な名前を挙げると、若松俊介と葛原祥太だ。
彼らは自律的な授業や学級経営というキリンを操る達人だ。
でも、残念ながら自分にはそんな力はなかった。そう、実在するとはいえ、キリンみたいな馬鹿デカい教育実践の獣を手なづけるのは簡単ではないのだ。
存在しない麒麟には誰も乗れないが、存在するキリンでも乗ることは非常に難しいのだ。
別にポニーで良い。
乗れる動物に乗れば良い。
麒麟に振り落とされ踏み潰されるよりかは絶対に良い。
はじめに子どもありきだ。
ギラギラした若手教員ほど、麒麟に憧れる。
そしてシンおっさん教員になると、身の程を知りそれに乗ることを諦める。
心の中に棲む麒麟を追い出そう。